【日日是薩婆訶】(17) 今どきの道場は携帯電話とかスマホは禁止ですか

前回は、滋賀県の永源寺開山・寂室元光禅師のお話がメインだったと思う。原稿を書いた後、実際に永源寺にお邪魔し、650年遠諱の法要にも参列してきたのだが、(平成28年)11月6日は天気も良く、有名な永源寺の紅葉も見頃が始まった頃合いだった。前日に到着し、お忙しい道前慈明管長猊下にご挨拶することができた。炯炯たる眼光の老師は、枯淡でありながら迫力があった。私が自分の寺の開山復庵宗己禅師のことに触れ、寂室禅師と天目山で同参であったことを話すと、すかさず「うちは幻住派じゃありませんよ」と釘を刺された。確かに、法の上で寂室禅師は、日本に初めて本格的な禅を伝えた蘭渓道隆禅師の法嗣である約翁徳倹禅師の法を嗣いだ。つまり、松源崇岳の流れなのである。「そこを間違ってもらっては困る」というのが、老師の思いではなかっただろうか。しかし、自ら「天目山の中峰明本禅師の教えを受けたい」と思い、態々博多津から船で渡元した寂室禅師の思いも、私としては見過ごせなかった。入元以前に寂室禅師は、相当中国語もできたらしく、しかも約翁禅師から印可も受けていた。中峰禅師の許で随侍した期間はなるほど短いが、双方老師であってみれば短期間に肝胆相照らすことも難しくなかったのではないだろうか。何より、寂室禅師の選んだ永源寺界隈の風情は、あまりにも天目山の様子に似ているのである。電車だと、米原で新幹線を降りても、その後に2回乗り継ぐという不便な場所。米原まで迎えに来て下さったのだが、その車がスイッチバックしないと辿り着けない山なのである。険しいというより、人力で作られた昔の道がそのまま残っているせいではないか。そんなことを想わせる深い山だった。幻住派の精神については前回述べたが、権力と距離を置くことも、縁のできた各地を経巡ることも、天目山の中峰禅師に共通している。中峰禅師の没後、寂室禅師は3年近く帰国せず、その間、幾つもの寺に巡鍚されたようだが、どうもその期間に日本から渡来していた先輩たちと一緒だったのではないか。私には小説家としての邪推も手伝い、そう思えて仕方なかったのである。そうでなければ復庵禅師のことも、前回紹介したほどに賛美することはできなかった筈である。そんな折の老師のワンプレーズは効いた。結局、私は概ね予定通り、自らを“幻”と呼んだ中峰禅師の禅について話したのであるが、心中では老師に申し訳なく、冷や汗を頻りにかいていたのである。

冷や汗といえば、今月は大きな催しがもう1つあった。特に規模が大きいという訳ではないが、寂室禅師の次には臨済禅師についての講演が待っていたのである。今年は臨済慧照禅師が亡くなって1150年の遠諱年に当たる。主催は岡山県臨済会で、「曹源寺の原田正道老師を導師に法要を行い、その後で講演せよ」とのご依頼である。演題は『活発な平和~禅と日本人のこころ~』とした。基本的に、この国は“むすび”という生産性を神代から重んじてきた。自然に産み出す不思議な力を“け”と呼び、“毛”・“本”・“気”等の文字で表した。配偶者無しに子供が作れる“独り神”の伝統に鑑み、“ひとりでに”発生するものを珍重し、その力が枯れることを“け枯れ(けがれ)”と呼んで忌み嫌ったのである。この生産性へのベーシックな信仰が、実は禅の考え方に合致したのではないか。ここでは、臨済禅師の言行録である『臨済録』から、“無事”という言葉と“釈迦に逢うては釈迦を殺せ”という物騒な言葉を選び、そのことを示したのである。普通に考えれば、“無事”は“活発”に反するし、“釈迦を殺す”等という台詞は平和に悖る。どう解釈すれば“活発な平和”になるのかということだが、臨済禅師の主張は実にシンプルである。我々は仏祖と違わない存在なのだから、外に向かって何も求める必要はないと説く。一切外に求めない境地、それが無事であり、最も貴い人なのだ (“無事是貴人”)。だから修行とは、外に馳求することを止め、自分自身に立ち戻るだけのこと、それ以外の子細はないというのである。“黄檗の禅に多子なし(黄檗の禅は別に大したもんじゃない)”という臨済禅師の投機の言葉も、それが真意だろう。しかし臨済は、「近頃の修行者たちは、そのこと(※自分が仏祖と変わらぬこと)への信が足りない(信不及)」と言う。しかも、それは病だというのである。「外に何も求めず、自分自身を信じて、“無事”であればそこに自ずと活発な心が働き出す」と臨済禅師は言う。活発とは本来、“活鱍”と書き、活きた魚がピチピチ撥ねる様子だが、「心は本来、そのようなものだ」と禅師は言うのである。日本人の重んじた生産性と“活鱍”とは、同じことである。私は、日本における両者に親和した文化の在り様を、様々な例によって示した。例えば、中国・韓国では衰えた地蔵信仰の、この国における異様なほどの高まり。地蔵は本来、大地の生産性の象徴だった訳だが、いつからか六道を司り、人の心の生産性を象徴するようになる。地蔵の置かれる場所は常に城内と異界の境界だから、それは常識を突き破る力でもある。また、最も“活鱍”な心は無意識の直観である為、日本人は言葉で行動を規定せず、常に対になる価値観を“両行”させてきたことも述べた。私と公、建前と本音、義理と人情等、どちらかに決めかねる価値を“両行”させ、その間の適宜なポイントを、我々は直観で決めてきたのである。




言語によって行動を規定しないと、人は色んな場面で“揺らぐ”ことになるが、その“揺らぎ”を禅の“風流”に重ね、我々は起き上がり、小坊師のように立ち直っては、“揺らぎ”を愛でてきた。その“風流”の起源を『梁塵秘抄』の「遊ぶ子供の声聞けば我が身さへこそ動がるれ」に求め、また“風流”をとことん突き詰めた存在として松尾芭蕉を取り上げた。我々は本当は揺らぎたい、“風流”と呟いて心動かされたい存在なのだ。前から2列目に原田老師がお座りになっていた。私はあまり気にせず“活鱍”に話したのだが、終了後、控え室に戻ると、原田老師も同じ部屋にお戻りだった。「とんだお耳汚しを」と挨拶すると、老師がにこっと微笑み、「面白かった」と言って下さった。歓喜雀躍したい気分だったが、私は恭しく感謝の一礼をした。JR岡山駅前に1泊した私は翌朝、老師のいらっしゃる曹源寺を訪ねた。何か行事がおありだと伺っていたので、庭の散策だけして失礼したのだが、そこは日本一外国人雲水の多い修行道場である。散策中にも、3人の作務着姿の西洋人に出逢った。「求道の気持ちは、何も日本人と変わりませんよ」と老師は仰っていたが、なるほど、3人の落ち着いた物腰には充実した修行の日々が感じられた。今月はどういう訳か、その後、もう一度、同じ臨済宗の3人目の老師にお会いする機会があった。福島の満願寺さんの三回忌法要の席で、導師として招かれた岐阜県正眼僧堂の霧隠軒山川宗玄老大師と、前晩の晩水と翌日のお斎でご一緒したのである。話が偶々、今時の道場の話になり、「老師は雲水の携帯電話とかスマホについては、どうされていますか?」と私が訊くと、「禁止していますし、見つければその場で取り上げます」と老師は仰った。先程の臨済禅師の話にも通じるが、修行の第一義は外からの情報を遮断し、馳求するのを止め、自ら“無事”で“活鱍”なる自己を取り戻すことと言えるだろう。その為にも先ず、外部情報の遮断が重要になる。しかし、同じ臨済宗の老師でも携帯やスマホへの対応には温度差があって、一定ではない。しかも、統一的なルールも未だ無いから、私はとても危惧していた問題なのだ。厳しいお顔で“禁止”・“取り上げ”を仰る老師に、私は痛快な気分を味わった。それでこそ道場は道場として保たれる――。そう思えたのである。

思えばしかし、我々の若い頃は携帯電話さえなかったのだから、道場での外部情報遮断も然程難しくはなかった。手紙はよく書いた気がするが、それも道場の静謐や“無事”を破ることはなかった。ところが、今の若者は生まれた時から携帯電話が身近にあり、謂わばそれを使うのが当たり前と思って育ったのである。況してやスマホともなれば、それを手放すというのはあまりに大き過ぎる断絶ではないか…。結局、手放すことができず、隠れ持つ者まで現れるのではないか…。そんなことが気になり、私は老師に正直に伺ったのである。すると、老師はじっと聞いて下さった挙げ句、こう仰った。「確かに凄い断絶だと思いますけど…今の若者たちも捨てたもんじゃないですよ。暫くは物凄く戸惑うようですけど、大丈夫、ちゃんと心を“活鱍”に働かせ始めますよ」。にやりと嗤いながらそう仰るのを聞き、私は老師の指導力に感服しつつ、“捨てたもんじゃない”という言葉を何度も反芻したのである。以上、3人の老大師にお目ににかかれた今月は、実にゴージャスであった。臨済宗の老師は、その方が部屋に入って来られるだけで空気が変わる。そう感じるのだが、その印象も裏切られなかった。今月は、やはり3人の老師方の存在感に「スヴァーハ!」である。永源寺派の道前慈明管長猊下については、釘を刺された件が目立ってしまったが、老師は禅文化研究所の所長も務められている碩学である。我が師・平田精耕老師もそうだったが、やはり鈴木大拙翁も仰るように、禅定だけでなく、思想による方向付けが現代社会では不可欠である。今後も、その枯淡さと学徳に多くを学びたい。自坊の改修事業は、『あげ家』さんの仕事が予想以上に進捗し、今や2m以上庫裡が持ち上がったまま起工式を待っている。実は、そんな状況で先日、東日本大震災以後最大と言われる津波を伴う地震があった。震度5弱だったようだが、私は岡山へ行く前日で京都にいた。テレビで地震を知り、直ぐにお寺に電話すると、女房曰く、「肝心な時はいっつもいないんだから…」。ぐうの音も出ない。留守を預かる女房殿にも、謹んで「スヴァーハ!」を捧げておこう。いや、今回は大して被害は無かったものの、本当に感謝しています。


玄侑宗久(げんゆう・そうきゅう) 作家・臨済宗妙心寺派福聚寺住職。1956年、福島県生まれ。慶應義塾大学中国文学科卒業後は職を転々とし、1983年に天龍寺専門僧堂に入門。2001年に『中陰の花』(文藝春秋)で芥川賞、2007年に柳澤桂子との往復書簡『般若心経 いのちの対話』(『文藝春秋』2006年12月号)で文藝春秋読者賞、2014年に『光の山』(新潮社)で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。『アブラクサスの祭』『アミターバ 無量光明』(共に新潮社)・『御開帳綺譚』『龍の棲む家』(共に文藝春秋)・『無功徳』(海竜社)・『福島に生きる』(双葉社)等著書多数。近著に『やがて死ぬけしき』(サンガ新書)。


キャプチャ  2017年1月号掲載

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