【異論のススメ】(24) 民主政治のよりどころ…“事実”は切り取り方次第

ドナルド・トランプ大統領の就任から1ヵ月以上経っても、未だにこの人物の言動が世間を騒がせている。とりわけ大手メディアとの対立は激しくなっているが、この“対立”の様相を報じるのがまたメディアであり、こうなると審判が試合に参加しているような、或いは一方の側の選手が実況中継しているような感じでもある。「それでは困る」とばかりに、トランプ大統領は「メディアは嘘吐きだ」と言い、「フェイクニュース(偽のニュース)を報道している」と言う。それに対して、メディアの側は「トランプ大統領は事実を尊重しない」と批判する。少し気の利いた識者は、「今日の政治は“ポストトゥルース”の政治、つまり“真実”が意味をなさなくなった政治だ」と言う。「トランプ氏を選出した昨年11月の大統領選挙など、まさしく“ポスト真実”の選挙だった」という訳である。謂わば、「あの大統領選挙自体がフェイクだった」と言いたいのであろう。トランプ大統領の発言が、“事実との食い違い”という点であまりにお粗末である(※例えば先日のスウェーデンでテロが起きたかのような発言等)ことは事実で、確かに思慮あるべき大統領としては論外と言いたくなる。ところが、私にもっと興味深く思われるのは、多くの人が、特にトランプ支持者は、彼の発言が事実に合致しているかどうか等、然して問題にしていないように見える点である。「スウェーデンでテロは無かった」という“事実”を突き付けられても、然して動揺もしないのであろう。ここにはかなり興味深いことがあるが、考えようによっては「大変に深刻な事態だ」とも言える。メディアは、「トランプ大統領は事実を平気で捻じ曲げる」と非難する。ということは、「メディアは事実に基づいた報道を行っている」ということであろう。しかし、では「事実とは何か?」と問えば、決して話は簡単ではない。先の大統領選挙では、アメリカの大半の大手メディアはヒラリー・クリントンの優勢を伝えていた。この“予測”は、各種の取材に基づく、つまり“事実”によるものだった。しかし、ある日本のジャーナリストは「現地に行って集会に出かければ、トランプ陣営のほうに遥かに熱気を感じる」と言い、トランプ勝利を予測していた。彼の皮膚感覚のようなものであろう。では、この場合、“事実”はどちらにあったのだろうか?

我々が“世界”について知るのは、殆どメディアを通してである。例えば、トランプ大統領がどのような人物であるかも、メディアを通して知り得るだけである。メディアが提供する情報を、我々は“事実”だと思っている。では、メディアは本当に“事実”を報道しているのだろうか? 「そうは簡単には言えない」と述べたのは、『世論』を書いたアメリカのジャーナリストであるウォルター・リップマンであった。1922年だから100年近くも前のことだ。この古典的な書物において彼は、「メディアがいう“事実”なるものは、その取材者の世界観や先入見によって“世界”を恣意的に切り取ったものだ」と言う。それは、ジャーナリストの悪意というより、人間の認識そのものの構造なのだ。“世界全体”など、我々は見ることも知ることもできない。精々、その一部を切り取るのだが、その切り取り方に既に先入見が持ち込まれている――。こういうのである。そして、リップマンが警鐘を鳴らしたのは、疑似的な“事実”を基にメディアが作り出す“世論”が、現実に政治を動かすからである。“世論”が民主政治を動かす“神”の如きものとなれば、自己の主張を“事実らしく”みせて“世論”を形成することで、政治に影響を与えることができるだろう。トランプ大統領からすれば、「メディアは最初から偏った報道で世論を作り出している」と言いたいのであろう。




ところで今日、我々は最早、トランプ大統領と同様、“客観的な事実”等というものを容易には信じられない世界にいる。例えば、東京都の豊洲市場予定地についての確たる“事実”はどこにあるのだろうか? 南スーダンで何が起きているのだろうか? 全ては“見方”の問題ではないか――と言う他ない。そして、民主主義というものは、「客観的で確かな事実や真実などわからない」という前提に立っている。それより、人々がそれをどう判断し、どう解釈するかという個人の見解の自由に基礎を置いているのだ。だから、古代ギリシャのポリスの民主政治においては、“事実”はどうあれ、“説得”する技術を教えるソフィストが大活躍したのである。トランプ大統領が若しも「“事実”などより“説得”によって政治は動く」と考えているとすれば、彼こそは最も民主主義的な大統領ということになるであろう。メディアが“事実”を持ちだして争っても、分が悪いのだ。“ポスト真実”は今に始まったことではない。民主政治と不可分である。我々が頼りにすべきものは、「“事実”そのものというより、それについて発言する人物(或いはメディア)をどこまで信用できるか?」という“信頼性”だけなのである。その信頼性を判断するのは結局、我々一人ひとりなのである。我々にその判断力や想像力があるかどうかが、政治の分かれ目になるのであろう。


佐伯啓思(さえき・けいし) 1949年生まれ。京都大学名誉教授。保守の立場から様々な事象を論じる。著書に『反・幸福論』(新潮新書)等。


≡朝日新聞 2017年3月3日付掲載≡
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