【異論のススメ】(25) 道徳の教科化、教えがたい社会生活の基本

4月になると、学校では新学期が始まる。来年以降、小中学校で道徳が教科化される。数年前に起きた大津での中学生の苛め自殺問題を発端にしたようで、“礼儀”や“感謝”や“生命の尊さ”等を学習するようだ。これを聞いて、私は些か居心地の悪い気分になる。私は「“道徳的なもの”を身に着けることが教育の基本だ」と思っているので、「学校教育による道徳的なものへの関心は極めて大事だ」と思っている。しかしまた、教科化によって週に1時間の“学習”だけではどうなるものでもない。寧ろ、それで「生命の尊さを教えました」等と形だけ整えるということになりかねない。戦前の国家主義と結び付いた過剰なまでの道徳主義の反動で、戦後は逆に、道徳を、前近代的で、恰も封建社会の残影のように見做す傾向があった。それは学校だけではなく、社会全体の風潮である。反道徳的であることが進歩的であるかのような空気が支配していた。その影響を最も強く受けたのが学校であり、子供たちである。そのうちに、子供たちは学校で暴れ出し、苛めが横行するに至る。そこで道徳教育の必要性が唱えられるようにもなるのだが、如何せん、道徳教育の最大の問題は、「道徳的な態度こそが教育の根幹であるにも拘わらず、それを教育することは至難の業だ」という点にある。道徳的な態度とは、目上の者に対する礼節、権威あるものに対する敬意、最低限の規律や秩序への同調、公共的な場所での自己抑制等を含む。そして、それが無ければ学校のような集団生活は成り立たない。だから、道徳的な態度は、学校教育が成立する前提となる。にも拘わらず、学校教育の中でそれを“教える”ことは不可能に近い。これは、道徳教育の持つ根本的なジレンマなのである。ただ、“道徳”を教えることはできないが、“道徳的な感覚”まで伝授不可能だとは、私は思いたくない。

大学に奉職していた頃、内村鑑三の『代表的日本人』で取り上げられている5名の日本人を知っているかどうか、学生に訊ねてみた。知っているのは大抵、西郷隆盛だけである。二宮尊徳・上杉鷹山・中江藤樹・日蓮など、先ず知らない。勿論、時代は変わる。“代表的日本人”も変わる。イチローや稀勢の里が入っても構わない。しかし、僅か100年ほど前に取り上げられていた人物の名前も知らないというのは、あまりに不自然なことである。その不自然を生み出したのは、戦前と戦後の間の断絶である。そして、内村が名前を挙げた人たちは全て、私心を擲って社会や国や親や貧窮者の為に奉仕した人である。つまり、公共心と無私の精神を体現した人であったことを考えれば、戦後という時代は、この種の公共精神を排除する方向へ歩んだことになろう。ところが面白いことに、内村の『代表的日本人』を読んだ学生たちは結構、感動したりしている。序でに新渡戸稲造の『武士道』等も、彼らには寧ろ大変に新鮮に響くらしいのである。来年の道徳の教科化においては、19から22個の道徳的項目を取り入れるという。道徳的項目が20個にも及ぶとは、私には思えない。道徳の基本はといえば、私には次のようなものだと思われる。卑怯なこと(※例えば弱いもの苛め)はしない、友人を裏切らない、世話になったものへの恩義を大切にする、社会に対しては礼節を疎かにしない、嘘は(※必要な場合を除いて)吐かない、不正に対しては(※力に応じて)戦う勇気を持つ――。凡そこんなところである。単純な話である。これは社会生活の基本である。嘗ては、これぐらいのことはほぼ常識であった。




ところが、戦後の反道徳主義の中で、こうした簡単な“道徳的な感覚”さえも失われていった。確かに、それを“教える”ことはむつかしい。況して、教科にはならないだろう。何故なら、それは日常の具体的な場面で、その状況に応じた経験の中で学び取る他ないからである。道徳(モーラル)とは日常の習慣(モーレス)なのである。ということは、日常的に教師が生徒と接して、その接触の中で教師が示してゆく他にない。ところが今日、教師は1人ひとりの子供と手間をかけて接触する時間が無い。忙し過ぎるのである。そして、道徳教育の教科化は、更に教師の過重労働に拍車をかける結果になるのではなかろうか。実現の可能性を別にすれば、下手な道徳教育よりも、次のやり方のほうが遥かに大きな意義を持つと思われる。それは、中学生の間の一定の期間、生徒たちに次の体験を課す。第一に町や福祉関係でのボランティア体験、第二に自衛隊の見学等国防や災害援助というものを知る体験、第三に多少の海外生活体験である。残念ながら、第二はかなりの反対が予想され、第三は実施が難しい。私はこれを提案したいのだが、今のところ、私の空想ではある。しかし、それほどのことをしなければ、今日、この規律や歯止めを失った高度な情報社会で、子供たちに“道徳的な感覚”を伝授することはむつかしい。勿論、それは戦前への回帰等ではない。何れの社会にあっても、社会生活の基本になる道徳は存在するし、それは時代によってそれほど変わるものではないからだ。


佐伯啓思(さえき・けいし) 1949年生まれ。京都大学名誉教授。保守の立場から様々な事象を論じる。著書に『反・幸福論』(新潮新書)等。


≡朝日新聞 2017年4月7日付掲載≡
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