【日日是薩婆訶】(19) いったいなぜ彼らは同じ宝船に乗り、どこへ行くつもりなのか

今年も既に6%余り消化した訳だが、どうも不穏な年明けである。昨年からその兆しはあったのだと思うが、今年は“丁酉”、何事か起こりそうな干支である。昨年の“丙”は、1画目の“一”の意味する陽エネルギーが門の内側に入り込む相で、それ自体不穏と言える。今年はそれが“丁”になって更に進み、“一”を下から突き上げるのである。恐らくその動きは、アメリカのドナルド・トランプ大統領登場やフィリピンのロドリゴ・ドゥテルテ大統領出現等で、既に起こっているのだろう。“酉”は元々、麹が甕の中で発酵する状態を意味するが、次なる動きがどんどん膨らんでいるということだろう。昔から酉歳は革命の年とされる。革命とはトランプ大統領登場のことなのか、或いはそれを受けた今後の動きのことなのか、それはわからない。就任翌日に全米で行われた就任反対デモの参加者は、数百万人という嘗てない凄さ。また、世界の70ヵ国で同様のデモが行われたという。願わくは既成の陽である“一”が守られ、それを下から突き上げる力を抑える革命が起きてほしいものである。トランプ大統領については、ユダヤコネクションが非常に気がかりだ。娘婿のジャレッド・クシュナー氏は正統派ユダヤ教徒、彼の妻になったトランプ大統領の娘・イヴァンカは、結婚前にユダヤ教に改宗している。そこから想像されるのは、多くの軍需産業を抱えるロスチャイルド家との関係である。既に就任演説でも軍事費の増強を示唆したトランプ大統領だが、実際に戦争を起こすことこそ軍需産業への最大の利益誘導になる。中国との関係も心配だが、ロシアとの関係を修緒しつつ、北朝鮮との緊張を劇的に高めるのではないか――。そんな具体的な心配は、これまでしたこともなかったのだが、今年はどうも胸騒ぎがする。ソウルや東京を狙った核弾頭付きミサイルが北朝鮮から発射され、“アメリカファースト”のトランプ大統領は日本や韓国を守ろうともしない。そんな地獄絵が、正月早々浮かんだのである。

以上のような政界の不穏な動きとは関係なく、私は年明けの講演始めに志摩へ出かけた。伊勢志摩といえば昨年のサミットの会場だから、否応なく国際政治を思ってしまったが、私を招いてくれた団体は当然ながら、それとは全く無関係だ。伊勢保健所を中心に自殺抑止活動をしている人々や、傾聴ボランティアの人々、また『チーム恵比寿』という名前で活動している福祉関係の人々だった。チーム恵比寿という命名が気になり、駅まで迎えに来て下さった男性に訊いたところ、実は近くに『鼻欠け恵比寿』という恵比寿像が祀られており、その方は昭和7年に像を再建した中心人物の孫だという。再建と申し上げたが、実はその地には元々、享保年間以来の木造の恵比寿像があった。長年の風雨に晒されて、明治末期には朽ちてしまったらしいが、それを昭和7年に有志で再建したのである。海の近くに恵比寿さまが祀られるのは何の不思議もないが、一体何故“鼻欠け”なのか。気になって訊いたところ、地元の漁師たちが大漁のお守りとして、夜中に恵比寿像の鼻を削り取っていくらしい。“端を取る”は漁場に一番乗りすることを意味するが、それに掛けて“鼻を取ろう”ということらしい。1月20日に初恵比寿のお祭りがあり、毎年それに間に合うよう、鼻が繰り返し造り直されるらしい。当初の木彫とは違い、今はコンクリート製だというから、補強もし易いし削り易いのだろう。それにしても、何と変わった祭りだろうか。講演では、最終的に恵比寿さまを含んだ七福神の話をした。比較のできない対等の価値は、日本では昔から“八百万の神”で表現されてきた。しかし、神々と雖もどうしても中央集権化し易く、明治初年には天照大神が群を抜いた存在になる。その流れから天皇の系譜に繋がるという国家神道が作られるのである。古来、道教は比較できない対等の価値として、“金と銀”・“鶴と亀”等を提示してきたが、その極めつけとして室町後期に考え出されたのが“七福神”である。“なくて七癖”と言われる癖を、7つの“福”に転換する。一体何故、彼らが同じ宝船に乗り、どこへ行くつもりなのかは皆目わからない。しかも、7人に共通する特徴は何一つ無いのだ。あれは恐らく和合のシンボルであり、「和合にとって相互理解は前提にならない」という主張ではないか。つまり、「他人を“理解した”等という考えは傲慢そのものであり、そんなことで和合が叶う訳ではない」と。誰かが何か提案しても、このメンバーでは全員賛成や全員反対にはなりそうもない。謂わば、そういったバラバラさこそが道教の目指す和合だということではないだろうか。全員の意見が一致するようでは、逆に虐めや排除も起こり易い。これは恐らく、実に周到な平和論なのだ。その7人の構成メンバーを見ると、インドから毘沙門天・弁財天・大黒天の3人、中国からは寿老人・福禄寿・布袋和尚の3人、そして日本を代表するのが何と恵比寿さまである。恵比寿はもと“蛭子”と書き、イザナギとイザナミの間に生まれた第一子である。恐らくは未熟だったが故に“蛭子”と呼ばれ、海に流された。軈てそれが“蛭子(恵比寿)”と訓み変えられ、海の守り神になって戻ってきたのである。




自分が捨てられた海を守ろうという発想も凄いが、元々未熟児だったという神としての来歴にも驚く。しかも、その恵比寿さまが日本代表に据えられ、自分の領域である海へ宝船で船出するのである。ここには恐らく、室町後期から江戸初期、海外と付き合い始めた日本人の平和観が色濃く反映している。自らを未熟者と見做し、しかもその恵比寿1人に日本を代表させる真意は底知れない。トランプ流の“アメリカファースト”、或いは覇権主義からすれば、正反対のやり方だろう。しかし、それが域内の平和を求めた当時の日本の切実な態度とも思えるのである。お寺では、大書院という場所に色んな業者が集まっていた。庫裡の設計をお願いした前田伸治先生を始め、電気屋さん・水道屋さん・基礎屋さん・請負工務店の管理者、そして我々夫婦である。説明をするのは、『杜の園芸』の矢野智徳氏。立場の違う人々のこの会合は、まるで七福神の集まりに思えた。要するに、庫裡の基礎やその周辺の土壌改良について、建築関係者には間き慣れない話がそこで始まっていたのである。矢野氏は、「庫裡の地下にも基礎を打つ前に炭を入れたい」と主張する。実は、うちの寺の本堂は、地下1mから2mまで炭が入っているらしく、そのせいか、本堂だけは震災でも被害が殆ど無く、また改修の際の材木の状況も最高だった。免震・除湿・通気等に炭が役立ったということだろう。私と女房は矢野氏の考え方に賛同し、庫裡についても炭を敷いてから砕石を入れ、その後にコンクリートを打つことで諒承している。しかし、多くの業者も設計士さんも、基礎の強度の観点からは疑問を呈するに違いない――。そう予想していたのである。予想通り、強度についての質問がでた。しかし、矢野氏は慌てず、「炭が入っているほうが細かい隙間が多く残存し、それがコンクリートの強度も強めてくれるのだ」と説明した。実践と独自の理論に裏付けられた自信に満ちた言い方だった。すると、設計の前田先生が「面白いなぁ」と言って、もっと説明を求め、矢野氏は土中に発生するバクテリアのことも話した。炭が無いと、そこに嫌気性の細菌が発生するが、炭によって通気通風が促されることで細菌は好気性のものに変わり、地面は生きた土としてしっかり建物を支えるというのである。「面白いなぁ、実に面白い」と、また前田先生が言った。場の空気がすっかり“面白がる”雰囲気になり、各業者さんたちもやったことはないものの、「やってみようか」という気分になっていった。

若しかすると、この“面白がる”精神こそ、七福神、延いては世界の和合を支えているのではないか――。私はそう思った。七福神の中で哄笑しているのは布袋さま。恵比寿は哄笑ではないかもしれないが、これまた会心の笑顔である。「あんた、おもろいなぁ」「わしとは違うけど、ほんまおもろいわ」。こう言って面白がることこそが、若しや七福神を成り立たせ、あれほど違う人々が同じ船に乗っていられる最大の要因ではないだろうか。「皆が納得してやったら、この事業は上手くいきますよ。いや面白い、いや素晴らしい」と前田先生は繰り返し仰る。布袋と恵比寿の役を一手に引き受けて下さったのである。その後、矢野氏は外に出て、庫裡の下の土の素晴らしさを見せてくれた。スコップを持ち、黒っぽい表土を薄く剥ぐと、全く色の違う柔らかな土が現れた。しかも、それがスコップでサクサク掘れるのである。近くに池があるのに湿り過ぎてもいない。不思議な土だった。「これは土俵と同じで、空気は通すけど水は通さない。最高の状態に突き固めた土ですよ」。矢野氏がそう言う。「なるほど、だから池がここにあっても、500年も建物を支えられたんですね」。私も思わず即座に反応していた。「おっもしろいなぁ。凄いですね、それ」。前田先生は又しても面白がってくれた。これで七福神が上手く船出し、庫裡竣工まで皆仲良く円満に進むことは請け合いである。年頭の「スヴァーハ!」は、『暮らし十職』の前田伸治先生に捧げよう。鼻欠け恵比寿のように、人知れぬご苦労はおありなのだろうが、満面の笑みは現場を大きく動かす。ツイッターによる恫喝で世界を動かそうとするトランプ大統領とは、比べようもないのだった。今年の正月は久しぶりにお葬式を抱えずに明けた。また、部内の若い和尚が彼女を連れてご挨拶に来てくれた。「3月に結婚するので戒師と仲人をしてほしい」と、年末のうちに頼まれていたのである。「はて? 戒師と仲人って同じ人間ができるんだったっけ?」。その時は一瞬考え込んだが、「えぇい、芽出たいことだし、何とかなるだろう」と引き受けていた。挨拶に来た日は天気も最高で、彼女の印象も佳く、兎に角芽出たい正月だったのである。報道を見なければ、私の周囲は芽出たいことだらけ。そう言えば、歌手の中川五郎さんの新たなCDも今日届いた。アルバムタイトルは、『どうぞ裸になって下さい』である。初めてのことだが五郎さんは、私の本を読んでその大意を詩に書き、曲を付けて歌ってくれた。題して『運命 運命 運命』。1枚目の最初に収録されている。鼓舞と安心相半ばする中々の名曲、当然、「スヴァーハ!」なのでご試聴頂きたい。そう言えば、私自身の初のCD集『生きる極意、しあわせ(仕合せ)の作法』も『㈱ANY』から年末に発売になった。憂鬱な書き出しだったが、最後はスヴァーハだらけ。外は吹雪いているが、春は直ぐそこだ。


玄侑宗久(げんゆう・そうきゅう) 作家・臨済宗妙心寺派福聚寺住職。1956年、福島県生まれ。慶應義塾大学中国文学科卒業後は職を転々とし、1983年に天龍寺専門僧堂に入門。2001年に『中陰の花』(文藝春秋)で芥川賞、2007年に柳澤桂子との往復書簡『般若心経 いのちの対話』(『文藝春秋』2006年12月号)で文藝春秋読者賞、2014年に『光の山』(新潮社)で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。『アブラクサスの祭』『アミターバ 無量光明』(共に新潮社)・『御開帳綺譚』『龍の棲む家』(共に文藝春秋)・『無功徳』(海竜社)・『福島に生きる』(双葉社)等著書多数。近著に『やがて死ぬけしき』(サンガ新書)。


キャプチャ  2017年3月号掲載




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