【日日是薩婆訶】(21) 閑栖和尚遷化後1年、大震災後6年になる落ち着かない現実

前回は年に一度の長閑な旅の報告等書いたが、その後の1ヵ月はあっという間に慌ただしく過ぎ去った観がある。何より、2月16日に父の一周忌があった。庫裡が工事中である為、部内和尚たちと親族で小規模に営んだのだが、それでも準備は色々あり、慌ただしかった。通常、頂相は三回忌に間に合えば問題ない筈だが、今回はそれが一周忌に間に合ってしまい、ありがたかったのだが、慌ただしさも一入であった気がする。頂相は、岐阜市で『円覚』という仏教美術店を営む國井道成さんという方に頼み、私は「父にカメラを持たせてほしい」と要望した。晩年の父は、余所のお寺の齋会等に出頭する際も、首からカメラを吊したりしていた。兎に角、30代から一途に写真を愛し、教師の給料を3ヵ月分も注ぎ込んでカメラを買い、檀家さんの横顔や境内の景色等を撮り続けてきた和尚であった。國井さんは然程驚いた風もなく、袈裟の色柄を訊くのと同じ調子で、「どこのカメラにしましょう?」と訊いてきた。『ペンタックス』・『キヤノン』・『ニコン』、最後は手軽な『コンタックス』と色々使ってきたので、「無印にして下さい」と答えた。目元を一度直してもらい、曲ロクに坐ったまま両手でカメラを持った絵柄が12月初めに完成した。今度はその完成した絵柄を軸装する前に、賛を入れて頂かなくてはならないのだが、円覚寺派管長である青松軒老大師は忌憚なく、「直接、絵師のほうから送ってもらっていいですよ」とご配慮下さった。「ありがたい」と遠慮なく國井さんにそうして頂いたところ、到着したのが恰度臘八大摂心の最中になってしまった。私自身のあまりの迂闊さ、いや、職人に思い至らなかった自身の為体に呆れ、慚愧の念を禁じ得なかったが、老師は気にされた風もなく、臘八が明けると直ぐに書いて下さり、年内に完成品が届いてしまったのである。いつものことだが、横田老師の迅速なご対応には只々驚き、感謝するばかりだ。

小祥忌が無事に終わると、私が理事長を務める『たまきはる福島基金』主催のコンサートが翌々日に待っていた。スイス在住の3人の日本人音楽家に、地元・福島市の橘高校の管弦楽部、更には地元小中学生の合唱も加わり、盛大なコンサートになったのだが、何よりの成果は、被災地の子供たち自身の鍛錬の成果を存分に見られたことだろう。励まされながらも、励ます立場に廻ることで自立する力を得ていく。震災から6年経つことによるそのような変化が、殊更に嬉しかったのである。また、この一卜月の間には大きな講演も待っていた。先ずは早稲田大学を会場に行われた『不安の医学』学会である。この学会は年来、身体の問題と精神、或いは心の問題を統一的に考えてきた。そして24回目になる今年のテーマは“マインドフルネス”である。私は『達磨から白隠まで~禅的マインドフルネスの流れ~』と題して講演し、シンポジウムにも参加したのだが、驚いたことに、仏教に由来するマインドフルネスのことを、多くの人々が正確には知らないのだった。特に、テーラワーダ系の『ヴィパッサナー瞑想』についてはご存知の方も、それが大乗仏教で言う“止観”の“観”であることはご存知ない。実は、達磨の壁観にこそ“止観”の源があり、白隠禅師はその双方に意識的であったことも、あまり知られていない。所謂“公案禅”は、選ばれた言句を宙吊りにし、“止”(※意識集中の挙げ句の激発)の契機にすることで、自己の変革を促す。白隠禅師下の修行も殆どそうした方法だが、一方で禅師は“軟酥の法”等、ヴィパッサナー(観)的な方法も提示し勧めている。私の定義では、“観”とは“流動に意識を乗せる”瞑想智、“止”とは“意識を一点に集中し続け、その挙げ句に意識の主体が溶解してしまう”事態のことである。“軟酥の法”では、鴨の卵大の軟酥(バター)が頭頂にあると想定し、軈て体熱でそれが溶け、全身に沿み込んていく様を具に思い描くのだが、これは明らかに視覚や触覚のイマジネーションを借りつつ、痛みや不調を調えるのに絶大な効果を齎す。その方法論は間違いなくヴィパッサナーであろう。またもう1つ、白隠さんが勤めた“内観の秘法”というのがあるのだが、これは一定の言句を覚えて唱える、謂わば“止”の方法を導入に用いながら、実は言葉の内実への想像力を利用し、“観”の状態に持ち込む。つまり、“止”と“観”の複合形である。



その言葉とは、「わがこの気海丹田、腰脚足心、総に是れ本来の面目、面目の鼻孔がある」(※前半部分が同じ章句が5種類並ぶ)と、唱えるにつれて意識は気海丹田・腰・脚、更には足の裏(足心)まで移動しつつ拡がり、自ずと気血がその辺りに満ちて温かくなってくる。結果的に、“観”の瞑想にもなっているのである。他の発表者のレクチャーを聞いていて、1つだけ気になったことがある。例えば、歩く動作を実況中継し、足を“上げる”・“止める”・“下げる”等とラベリングすることを勧めていて、疑問に感じた。“観”はあくまでも“流動”そのものに意識を乗せ、意識を拡散したまま集中していくことだ。言葉によるラベリングではなく、筋肉の動きそのものに意識を乗せるほうが日本人には向いているように思えるのだが、如何だろうか? 日本人はどうしても外国人、特に欧米人の評価に影響を受け易い。所謂文化の“逆輸入”もそのせいで多いのだと思うが、マインドフルネスについては本家の『天台小止観』等も紐解いて、日本的なやり方を模索してほしいものだ。3月1日の檀家総代役員会の準備にも苦労したが、翌2日は『NHK』の録画収録、4日には上京して築地本願寺でシンポジウム、8日にはNHKラジオの収録と、震災七周忌関連の予定が軒並み続いた。思えば東日本大震災以後、3月上旬はいつもべラボーに忙しかった。もう1つ葬儀ができたらパニックとも思える予定が時にはあった筈だが、何とかやり繰りできたのだからありがたい。そういえば、毎年3月前半には『正力松太郎賞』の選考会もあり、今年は14日だった。全国から応募された和尚たちの青少年育成活動には頭も下がり、刺激にもなるが、今年は残念ながら青年奨励賞に該当者が無かった。最近の青年僧侶の活動で目立つのは婚活・自殺防止・おやつクラブ等だが、何れも未だ活動年数が少ない為、功罪も判断し難い。「いっそ青年僧の定義を、現在の40歳以下から引き上げようか?」との意見も出たが、特に「青年奨励賞を分ける必要があるのか?」という根本的な意見もあり、長い審議となった。結果は全青協等の発表をこ覧頂きたい。そうこうするうちにお彼岸も近付き、卒塔婆の依頼が山積みになっていく。冬の間墓参できない雪国の特徴かもしれないが、東北の春彼岸の賑わいようは格別である。うちのお寺では、遠隔地の檀家さんの墓地掃除を依頼されれば請け負っているのだが、掃除を終えたお墓に供える彼岸花は特製である。

東北では大体そうだと思うが、昔はこの時期に生花が揃わなかった為、木製で色を塗った彼岸花が一般的なのだ。うちのお寺の場合は、これを特定の個人に頼んでいる。親の代からの作り手で、何とトネリコの木を一刀彫りにして作るのである。本業は農機具屋という平尾さんは、「今年ほどトネリコが少なかった年はない」と嘆いた。トネリコは大抵、林の外側に生える木なので、除染が済んだ場所では粗方伐られてしまった。意外なところにも原発事故の影響があるという一例である。お彼岸そのものの忙しさについてはここでは書かないが、お彼岸が終わると直ぐにまた大きな講演があった。大きいというのは規模ではなく、必要な準備量である。お相手は成瀬悟策先生という方だが、ご存知の方もいらっしゃるに違いない。成瀬氏は日本での臨床心理士第1号であり、また東京オリンピックにおいて選手たちに初めてイメージトレーニングを指導した方でもある。現在は肢体不自由児や脳性麻痺の子供たちの為に“臨床動作法”を編み出し、その第一人者として世界中で指導している。成瀬氏がその著書『臨床動作法』(誠信書房)等で提唱する“動作のこころ”は、『臨済録』の“無位の真人”をも想起させ、実に刺激的であった。成瀬氏によれば、脳性麻痺の子供たち等に特徴的と思われている“動作不調”も、実は臨床動作法によって治せるし、原因も心因性であることが多く、病気そのもののせいではないというのだ。『からだ・こころ・いのち』と題したその日の対談も、愛知県での臨床動作法の合宿の初日に企画された。実際、その恩恵を期待して集まった親子や、その体系を真剣に学ぼうという看護職・介護職の人々等で、会場には緊張感と熱気が溢れていた。今年94歳になるという成瀬氏は、実に穏やかで魅力的な方だった。色々学んだことは多いが、特に氏の持論で面白いのは、「我々人類の骨格は、未だ直立歩行向きにはなり切っていない」ということだろう。幼児が成長の過程で“お坐り”を覚え、軈て立って歩くようになるが、腰を立てることによる負担は実に大きく、大抵は反り過ぎて腰痛を起こすという。なるほど、骨盤と大腿骨の接続部などゴリラやチンパンジーと変わらないのに、我々だけが完全に直立するのだから無理が多いのかもしれない。その無理を背中や肩で和らげる工夫を、先生は著書で肌理細かく描写して下さっている。坐禅等という脚の組み方ができるのは、寧ろ直立向きじゃない接続部のお陰かもしれないが、直立の負担を補う為の腰と背中と肩の使い方は大いに勉強になった。興味のある方は是非、前掲書をご一読頂きたい。今月一番の“スヴァーハ”は、何と言っても成瀬悟策氏であった。スヴァーハの基本にある“祈り”の核心、つまり願いが成就した具体的イメージ描写も、そのまま先生発案になるイメージトレーニングに繋がっている。

今月は、他に大きな刺激を受けた本としては、奥野修司氏の『魂でもいいからそばにいて』(新潮社)がある。これは震災後、被災地に通い続けた著者にして初めて書き得たものだが、謂わば被災者たちが体験した不思議な霊現象の聞き書きである。所謂幽霊と呼びたいような現象もあれば、夢と割り切れる話も混じる。しかし、何れにしても特徴的なのは、生き残った人々がその不思議現象を寧ろ待ち望んでおり、少しも怖がってはいないということだ。“出た”のは誰か知らない幽霊ではなく、必ず特定の○○さんなのだ。東日本大震災がこれまでの震災と全く違うのは、今でも行方不明者が2500人以上いるということだろう。遺体・遺骨・衣類等、その人の残留物が全く見つからなくとも、今回は死亡届を出していい。それでも死亡届が出されず、6年も行方不明のままというのは、かなり異様な事態である。これまでになく多くの霊体験が語られる温床が、そこにあるのではないだろうか。全体としてはやはり、震災から七周忌を迎えた“再出発”の3月だったように思える。庫裡の工事にも大きな進展はあったのだが、それについては頭が混乱しそうなのでまたの機会に譲り、最後に3月に海外から迎えた客についてご報告しておきたい。3月22日、『フランス放射線防護原子力安全研究所(IRSN)』に所属する社会学者と政治学者が取材に来られた。原発事故の複雑な影響を、深く長く掘り下げて調べていることに驚いた。また同29日には、スイスやドイツから19人の人々を迎えた。老若男女混合のその人々は、彼の地で定期的に坐禅会をしているというメンバーなのだが、中には10年近く日本在住だった人もいて、深く福島の行く末を案じているのが伝わってきた。一緒に般若心経を唱え、後は坐禅するでもなく、私が現状について話し、質問に答えたくらいだが、あっという間に2時間が経ち、いつしか私は“heartful”とでも言うべき気分の中にいた。これもまた、禅という世界的文化が齎した深い余録とも思えるが、同時にそれは原発事故後なればこその交流でもあった。スイスから大きな柱時計をお土産に持参してくれたことも忘れ難い。いつもそうかもしれないが、今に脈絡の無さそうな色んな話を書いてしまった。脈絡といえば、何れも私の体験だというだけのこと。私自身も未だ混乱の渦中のようなもので、物語にできない為、時系列で書き続けてしまった。読者諸賢には傍迷惑な話かとは思うが、これこそ閑栖和尚遷化後1年、震災後6年になる私の酷く落ち着かない現実、嘘偽りの無い慌ただしさと思し召し、どうかご海容願いたい。


玄侑宗久(げんゆう・そうきゅう) 作家・臨済宗妙心寺派福聚寺住職。1956年、福島県生まれ。慶應義塾大学中国文学科卒業後は職を転々とし、1983年に天龍寺専門僧堂に入門。2001年に『中陰の花』(文藝春秋)で芥川賞、2007年に柳澤桂子との往復書簡『般若心経 いのちの対話』(『文藝春秋』2006年12月号)で文藝春秋読者賞、2014年に『光の山』(新潮社)で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。『アブラクサスの祭』『アミターバ 無量光明』(共に新潮社)・『御開帳綺譚』『龍の棲む家』(共に文藝春秋)・『無功徳』(海竜社)・『福島に生きる』(双葉社)等著書多数。近著に『やがて死ぬけしき』(サンガ新書)。


キャプチャ  2017年5月号掲載




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