【日日是薩婆訶】(22) やむなく生まれて初めて裁判の被告になり、和解となりましたが…

今月は当山にとって、何より桜の咲く月であった。現時点では境内も既に花吹雪、観光客もほぼいなくなったが、相当の数の人々が慧日山を訪れて下さったことは間違いない。無論、この町に『滝桜』という天然記念物第1号の桜がある影響は大きい。これは大正11(1922)年、岐阜の淡墨桜や山梨の神代桜と共に天然記念物に指定された時点で“樹齢1000年”とされたが、我が福聚寺には、その娘とも言われる大きな枝重れ桜があり、滝桜を見に来た人が「折角だから序でに」寄っていくことが多いのだろう。禅寺に桜は似合わないが、うちの場合は相当古くから桜との因縁がある。平安時代から都まで名を知られていた滝桜を、先ずこの三春町を拓いて福聚寺を創建した田村義顕公が保護した。周辺の住民に桜の世話を頼み、“滝桜に碌を与える”という形で事実上免税にしたらしい。その代わり、「最初の花が咲いたら早馬で知らせよ」と仰せだったというから、滝桜に相当惚れ込んでいたのだろう。続く2代隆顕、清顕の時代に、その子孫木があちこちに植えられていく。神社仏閣を始め、領地内の48ヵ所に作られた館(四十八館)に其々植えたというから、これはもう、今で言う“町づくり”の意識があってのことだろう。恐らく、植樹の為の苗木も、当時から育てられていたに違いない。また、うちの寺の境内には、「大正5年に4人の檀家さんによって350本の染井吉野の苗が植えられた」と過去帳にある。今も相当の数の桜が生き残っているが、これも滝桜が天然記念物に指定される前であったことが興味深い。つまり、国からそんな形で顕彰される以前に、川村家仕込みの桜贔屓の心性が、この街には生きていたということだろう。実は、来年が田村清顕公の1人娘、後に伊達政宗の正室となる愛姫の生誕450年に当たるのだが、「若しかすると、愛姫の誕生記念にうちの桜が植えられたのではないか?」とも思う。樹齢もほぼそのくらいだし、特に今回の震災以後、あちこちに滝桜の子孫木が植樹されるのを見るにつけ、そんな気がするのである。慶賀であれ被災であれ、記念に桜を植えようという習慣は、田村家の時代から続いているのではないだろうか。

ところで、今年の桜を具に見た挙げ句、私は墓地の何本かのU字溝を壊してもらった。墓地には先に書いたように、大正5年に植樹された染井吉野が沢山残っているのだが、その後、“何かといえばU字溝”という国土改造の風潮に乗って、桜の根元であることも配慮せず、あちこちにU字溝が敷設されたのである。U字溝は元々、日本住血吸虫の駆除の為、広島県で初めて敷設して駆除に成功し、その後は大した理由もなく全国に広まった代物である。桜に限らず、U字溝は木の根の呼吸環境を著しく悪化させる。今回の新庫裡建設工事でも、本堂周囲や庫裡周辺のU字溝を全て底抜けにし、周囲の土の通気通水を確保したのである。U字溝の底を抜き、スコップで底の下を掘る作業を横で見ていると、明らかにその辺りの土からは腐敗臭がする。しかし、改めて更に1mほど掘り下げ、中に炭や竹や木等を埋め込むと、3日もすれば臭いも無くなり、土質も改善していく。これは、以前もご紹介した『杜の園芸』の仕事だが、結局、新庫裡の下には矢野氏の指示で炭を200俵ほど入れたことになる。基礎を担当してくれた群馬県の『西田建設』の理解と協力を得られたこともありがたかった。ところで、こうした墓地の桜の環境変化は、墓地に対する考え方の変化によるところが大きい。もっと言えば、高度成長時代の国土改造等に象徴される土木工事の行き過ぎた普及である。道路を始め、地面の舗装を徹底させ、元の地形を無視してまで造作し、雨は全てU字溝から川に集約するという考え方が、あっという間にこの国全体に広がってしまった。しかしこれは、植物を育む大地の扱い方としては最低だったと言うしかない。また以前には、「お墓の土をコンクリート等で固めるのは先祖に申し訳ない」という考え方が残っていた。それ故、両彼岸やお盆前には、大勢の檀家さんがお参り前の草引きに来たものだった。今も無論、相当の人々が草毟りには来るのだが、やはりその草引きが免除されるような形式にお墓を直したがる人々も多い。恐らく、石屋さんもそのような営業をかけているのではないだろうか。つまり、墓地の大部分を石等で覆うやり方である。以前は砕石や玉石を敷く等、未だ雨を通す方法だから良かったのだが、最近は全面石張りを考える人もいるので、事前にお寺に相談して下さるよう頼んでいる。本当は、敷地の半分ほどは土を残すか玉石等にしてほしいのだが、3割程度でも容認したことはある。例えば、「敷地の3割以上は通水できるように」とか決まりを作ったほうがいいとも思うのだが、そのルールを流布することで、却って土面積が減ってしまう怖れも感じ、ルール化はせず、個別に対応している現状である。




扨て、新庫裏工事のほうは、5月12日の上棟式に向けて一気に形が見えてきた。基礎屋さんの打ったコンクリートが乾いた時点で、上げてあった旧庫裡が下ろされた訳だが、水平を保って数十トンの建物を下ろす様子は、実に緊迫していた。担当したのは、弘前城を上げた『我妻組』の面々である。例えば、ホゾとアリが1㎝ずれるだけで、そのまま突っ込めば割れが入ってしまう。4人の大工さんたちが見張りのように四方に立ち、時にはもう一度上げて削ったりしながら、とうとう無傷で収めたのは流石である。その後は県内産の基礎石が石屋さんによって敷設され、その上に青森檜葉の根太が置かれ、旧庫裡の1階と2階の間の梁の補強が行われた。設計士の前田伸治先生も驚嘆するほど美しい仕事で、今月の行程会議では前田先生も実に上機嫌だった(あっ、いつもそうか)。設計士の話を出した序でに、全国で普請をお考えのお寺さんにご忠告しておこう。今回の庫裡の工事に関しては、ここまで何の問題も無く、スムーズに進んだ訳ではない。実は、最初に頼んだ設計士とは考え方が折り合わず、色々ぐずついた挙げ句に決別したのである。基本的に、江戸時代の古い建物を活かすやり方に同意して頂けず、A先生はどうしても私が残したいと主張した古い院についても、「一度解体して組み直す」と仰った。しかし、文化庁の専門技官に現場検証して頂くと、「震災でもずれなかったこの部分を解体したら元通りには戻せない」と仰る。当方の予算内の設計もとうとう出来上がらず、迷った挙げ句に建設委員会で審議した結果、「設計契約も結んでいない訳だし、解約も検討しよう」ということになった。それまでも、外部に設備設計を勝手に発注し、その分を請求してきたり、金銭間隔には従いていけないと感じていたのだが、「“白紙撤回”した場合はどうなるのか?」と建設委員会から電話で訊いて驚いた。施工業者が決まり、施工契約を結んだ時点で、その契約額の7%が“設計・管理料”だと口約束していた訳だが、「途中で話が反故になった場合でも、契約成立の場合の8割は頂く」と言うのである。しかも、その設計に基づく施工がなされない以上、管理料は発生しない筈だが、A氏は「私の設計図は指示が細かいので管理は必要ない」、つまり、「7%は全て設計料だ」とのたまうのである。檀家さんが苦労して寄付して下さった公金を、そう簡単に「あぁ、そうですか」と渡すことなどできない。恐らく、多くの寺院はこんな時、争いを避けて支払ってしまうのではないか。そう思った私は、「発生していない管理科は払えないし、世間の常識で言うところの“設計・管理”の割合を複数の建設業者から聞き、仰る額面の7分の4(※設計を4、管理を3と見た歩合)しか払えない」と申し上げた。するとA氏は、東京の弁護士を通じて裁判所に訴えた。やむなく、私も生まれて初めて被告になり、「兎に角、言うべきことを言おう」と決心したのである。最終的には判決までは至らず、裁判官の和解案に双方が合意することになり、しかも和解案はこちらの提示した額面に近かった訳だが、その手間暇たるや尋常ではない。

できることなら、こういう設計士には出会わないのがベストだが、大きな寺院の仕事を幾つもしているし、つい信用してしまうこともあるだろう。というより、寺院の設計等は通常、最初に設計契約など結ばず、先ずは信用して希望内容を話し、それに従って「設計してみて下さい」等と言ってしまうのが普通ではないだろうか。A氏のような設計士だと、何度かの直しを入れて、それでも合意案ができない場合、それまでの労賃を積み上げて請求しかねないから、ご注意頂きたいのだ。実際、積み上げ方式で請求された内容を見ると、A氏は“内勤”も含め、4万数千円の日当で計算している。他に1級建築士2人も“内勤”していたらしく、こちらは別額だが加算されている。大体、いつどれだけ“内勤”していたか等、証拠を求めても詮無い話である。どうか公金を大切に使うべく、設計士だけにはご用心して頂きたい。先ず、施工設計が完成しなかった場合の支払いはどうなるのか? 或いは、設計士の都合で外注した内部設計等は誰が支払うのか? また、設計の直しについては、どの程度まで追加請求されないのか?…等、是非とも初めにはっきりさせておいたほうがいい。老婆心ながら、これまでの寺社のような相互信頼を前提にしたやり方が通用しない相手がいることを申し上げておきたいのである。因みに、これはある施工業者の話だが、住職が突然亡くなり、お寺の普請が中断になったケースでも、A氏はこれまでの設計料として900万円以上を請求し、獲得したらしい。嫌な話をしてしまった。これでは日々是薩婆訶の精神に悖るというものだが、どうか転ばぬ先の杖と思し召して、ご海容頂きたい。扨て、話をスヴァーハのほうへ戻そう。間もなくゴールデンウィークを迎える訳だが、現在8人来ている大工さんの内、4人が完全無休で働き続けるらしい。これは勤勉さというより、最早情熱だろうと思う。大工さんの中には、変わった趣味のある人もいる。桜が満開の頃、日曜にも家に帰らず桜の写真を撮っていた高須さんや、休みには渓流釣りに出掛け、自分で山女魚や岩魚の煙製を作ってしまう今野さん。今野さんには先日、自作の岩魚の燻製を頂いた。本堂から現場棟梁の高橋さん、伊藤さん、匠平君の他に、ゴールデンウィークは今野さんも山形の家へ帰らずに仕事し続けるらしい。兎に角、今回は上棟式に向けてスパートする大工さんたちの情熱に「スヴァーハ!」である。今月もスヴァーハ本はあるにはあったのだが、あまりに文学畑なのでご紹介するのも気が引ける。しかし、ここまで言ったのだし、そのままではもっと気が引けるので言ってしまうが、カズオ・イシグロの長編小説『忘れられた巨人』である。長崎に生まれ、5歳でイギリスに渡った彼の小説は当然、英語で書かれる。今回は土屋政雄氏の翻訳だが、翻訳ものと思えないほどいつものめり込んでしまう。今作も期待に違わず、「読みたいのに読み終えたくない」というアンビバレントな心理状態を味わった。小説を書く人間としては、「いつかこんな作品を書いてみたい」と思い続けながら読み終えたのである。


玄侑宗久(げんゆう・そうきゅう) 作家・臨済宗妙心寺派福聚寺住職。1956年、福島県生まれ。慶應義塾大学中国文学科卒業後は職を転々とし、1983年に天龍寺専門僧堂に入門。2001年に『中陰の花』(文藝春秋)で芥川賞、2007年に柳澤桂子との往復書簡『般若心経 いのちの対話』(『文藝春秋』2006年12月号)で文藝春秋読者賞、2014年に『光の山』(新潮社)で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。『アブラクサスの祭』『アミターバ 無量光明』(共に新潮社)・『御開帳綺譚』『龍の棲む家』(共に文藝春秋)・『無功徳』(海竜社)・『福島に生きる』(双葉社)等著書多数。近著に『やがて死ぬけしき』(サンガ新書)。


キャプチャ  2017年6月号掲載

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