【日日是薩婆訶】(25) 近々すべてがガラガラと音をたてて変わりそうなそんなお盆前

7月は奉仕作業で幕を開けた。我が町には桜川という一級河川と、その支流である八島川が流れているのだが、お寺の坂を下まで降りると桜川にぶつかる。改修工事が2年前に終了し、その後、川の中に草が相当伸びてきた為、7月2日に中町という地区総出で草刈りをしたのである。各々ガソリン式の草刈り機や鎌、その他必要と思える道具を持参し、朝6時に坂下の公民館前に集合した。「あぁ、この町にも若者がこんなにいたのか」という驚きと共に、高齢者の多さにも感じ入った。直ぐ近所の運送会社社長が町内会長として挨拶し、約1時間の予定で作業にかかった。マンパワーというのは実に凄い。これを若し業者に発注したら、相当の日数と費用がかかる筈だが、何となく自然に分担ができながら、作業はどんどん進んでいく。草を刈る人、運ぶ人、道に上げられた草をトラックに積み込む人…。トラックは建築業者がこれも奉仕で何台か出してくれた。「こういう地域力が残っている中で葬儀が簡略化されているのは如何にも寂しい」と、職業柄、そんなことまで思った次第だが、作業は予定をオーバーして午前7時半くらいに終わった。Nさんは草刈り機、私と女房は鎌を持って作業していたのだが、朝から汗びっしょりになり、気持ちよかった。作業をしていて思ったのは、最近多い全国の河川氾濫についてである。確かに、観測以来の降水量等の影響も無視することはできないが、それより何より無駄なU字溝の設置により、全ての水が川に集約されてしまうことが問題である。以前にも書いたが、うちのお寺の境内の堀やU字溝は最近、順番に底を壊している。下の土が腐り、桜の枝が出てきた話も書いたと思うが、やはり雨は降った場所に沁み込み、それがスムーズに浸透して乾き易いのが理想である。水分が充分に補充され、しかも水捌けの良い場所に最終的に場所を占めるのが杉苔なのだ。

お盆を前にして、最近、私は立て札を建てた。2本の立て札なのだが、1本には先ず「墓地に除草剤や塩は使わないでください」。これは以前から言っていることだが、未だ僅かに使用者がいる。確認の為である。また、同じ立て札にはもう1つ、以下のように書いた。「お墓に草が生えることは地面の通気通水のためにも望ましいことです(それが遮られると周辺の木が枯れます)。ある程度の高さで草を刈る高刈りを繰り返し、墓地を草原にしていただくのも素敵です。無理にとは申しませんが、一度ご検討ください」。また、もう1本の立て札には、少し大きめの字で次のように書いた。「境内の土を柔らかくするため草を生やしています。お見苦しいかもしれませんが、抜かないでくださいネ 山主敬白」。U字溝や堀の底を抜いただけで随分状況は変わりつつあるが、最近は境内や個別の墓地まで気になってきた。大雨が降ると、どうしても草の無い場所の土は流れ易いからである。しかし、これがそう簡単に叶うことではないことも、承知はしている。“高刈り”を繰り返し、と私は書いたが、先日墓地で会った檀家さんに説明すると、柔らかい反論を受けた。「だって和尚さん、境内は毎日、和尚さんたちが見ているからいいですけど、私らは精々1年に10回も来ないですよ。それで高刈りを繰り返すっていうのは無理ですよ」。尤もだと思う。その方は未だお墓帰除に熱心なほうだが、遠くに住む方は春秋のお彼岸とお盆、其々の直前に一度ずつ来るとしても6回ほど。「いっそ草が生えないように…」と思ったり、草は全部引き抜きたくなるのも不思議ではない。まぁ、この問題は焦らず少しずつ進めていくしかないのだろう。6月に竹藪から移植した杉苔は、中々明けない梅雨のお陰で周囲に胞子を飛ばし、少しずつ広がりつつある。草地に苔が広がり、綺麗と感じて頂けるようになれば、檀家さんの考え方も少しずつ変わるかもしれない。扨て、今月はもう1つ、このお寺に纏わるトピックをご報告しておこう。確か5月中まで東京藝術大学の美術館で『雪村展』が行なわれていた。以前にも山下裕二氏等が監修し、雪村に関する面白い展覧会が続いたことがあったが、8月1日からは滋賀県の『MIHO MUSEUM』で夏期特別展『雪村 奇想の誕生』が開催される。実はこの雪村、福聚寺の第7世・鶴堂和尚の弟子なのである。得度名は“周継”で道号は“鶴船”、だから僧侶としての正式名は“鶴船周継”ということになるが、世間ではよく“雪村周継”と書かれることが多い。しかし、本人の署名でそう書かれたものは1つも存在しないことはご承知おき頂きたい。そんなことは兎も角、この雪村が晩年に暮らしたとされる雪村庵が、町外れの李田地区に残っており、「この建物を改修したい」という動きが『雪村庵保存会』を中心に起こっている。




元々、雪村自身が福聚寺の弟子だし、雪村亡き後も、福聚寺住職は隠居(閑栖)後に何人かがここに住んでいる。歴代住職の江戸時代の閑栖処は、保春庵・雪村庵のいずれかだったのである。また、福聚寺が1781年と1785年、続けざまに火事に遭った際も、雪村庵には借りができた。2度目の類焼は恐らく建築中の建物が焼けた為、精根尽き果てて15年ほど本堂ができなかった。その間の住職たちの住まいとして、三春城主だった秋田殿が雪村庵を買い取り、移築してくれたと言われる。このように、相当深い因縁がある為、今回の改修工事についても黙って見ている訳にはいかないだろうと思う。現在の雪村庵保存会長はガラス屋のH氏だが、彼が今月は何度もお寺に来た。うちで庫裡の工事をしている『加藤工匠』の棟梁に、雪村庵改修工事方法についての助言を求め、また見積もりもしてほしい というのである。そんな動きがある中で、「これは“雪村筆”だから買ってほしい」と軸物を持ち込む人があった。『鷺図』・『枯木寒鴉図』・『連鉢図』の他にも2~3点あり、面白いものもあるのだが、どうも贋作臭い。しかし、特に連鉢図等は怪しいのだが、構図そのものが奇抜で面白い。無論、持参した本人は本物だと信じているから、そうこうするうちに奈良から『大和文華館』の元館長だった林進氏を招き、鑑定して頂こうということになった。村先生には、私が未だ学生の頃だろうか、雪村400年遠諱の法要が雪村庵であり、その際にお目にかかった記憶がある。慶應の衛藤駿先生等も一緒で、私にとっては未だ髪の毛があった頃の懐かしい思い出である。軸を持参したMさんはとうとう林先生を迎え、三春の『歴史民俗資料館』で真贋分をして頂いたのだが、結果は全滅。しかしその後、私は林先生と昼食を摂りながら話す機会を頂き、楽しい時間を過ごさせて頂いた。その際、林先生は、先住職である父が導師をした400年遠諱法要の香語を持参され、「貴男にこれをお返ししたい」と仰る。色紙に書かれた律詩だが、それを林先生は軸に仕立て、これまで大切に保存していて下さったのである。雪村筆の本物が出てこなかったのは残念だが、私にとっては何故また雪村と言いたいほど、今月は雪村に纏わる話が多かったのである。雪村庵の改修保存工事は、今後具体的な計画になっていくことだろう。現在残っている建物は、移築後の仮小屋と思われ、それほど立派な建物ではないようだが、それでも江戸末期の建築である。昭和になって簡便に行った修理が価値を低めている側面も多い為、今回は改修というより、寧ろある程度の復元を目指した工事になりそうだ。兎に角、雪村庵は日本で最初の“庵”(※本堂と庫裡が1つ屋根の下にある建物)とも言われ、飯山の『正受庵』はこれをモデルにしたとの説もある。現在は町村合併のせいで郡山市に属してしまい、色々厄介な問題もある為、補助金も期待し難いし、クラウドファンディングもH氏は考えているようだ。いずれ詳細が決まり次第、お知らせしたい。今月はお盆の準備月である為、全ての壇家さんにお盆の供養塔婆の申込書を配布した。町内については総代さんに配って頂き、遠隔地については郵送である。卒塔婆には3種類あり、“三界万霊等”・“水子”・“○○家先祖代多”と分けているが、もう数十年以上行っていることなので反応が早い。これは毎年感じることだが、お盆という行事は本当に日本人に深く沁み込んでいるのを感じる。うちの檀家さんだで“日本人”と言うのは烏滸がましいが、それでも毎年お盆について話し、淡々と行事を行ってきたことの影響を、最近は感じることが多い。

副住職の頃は、花竹や卒塔婆を建てる為の竹の枠等も、自分で竹藪に入って作っていた。しかし最近では、檀家さんが竹の枠も作ってくれるし、花竹も女房のアイディアで毎年使える紙製に換えた。今年はNさんに四十九院を書くのも頼んだから、お盆前なのに何だかゆとりがある。今や四十九院など、印刷した布製のものを売っている時代だが、私はどうしても「これは毎年手書きしよう」と決めていた。極楽にある49の建物の前だというが、要はこれ、通仏教のカリキュラムの目次と考えてもいいだろう。毎年書くと必ず発見があって面白く、今年はそれをNさんに体験してもらったのである。昨年11月から実は長編小説を書き出しており、こうした仕事をNさんが替わってくれるので、実にありがたい。震災前に書き出して頓挫していた作品だが、何とかお盆明けには仕上げたいものだ。扨て、庫裡の工事現場の様子も報告しておこう。現在は6人の大工さんたちが、毎朝7時半から夕方は6時まできっちり働いてくれているのだが、これまで彼らはずっと空き家になった檀家さんの家に住み込み、自炊してきた。家に戻るのは土曜の晩、そしてまた月曜の早朝には山形を発ってくるのである。これまで食事の支度は、現場棟梁の高橋さんが若手の2人を従えてしてきた。1日分の食費として各自600円ずつを徴収し、買い物をしてタ食を支度し、新人が洗い物や翌日の為の米磨きをし、翌朝には昼の分のおにぎりを握るのである。女房が時に昼食や夕食のおかずを差し入れることもあるが、基本的には昼食はおにぎりだし、夕食も自分たちで準備してきた。それがここへきて、「賄いさんを頼んでもいいかな」という会社側の態度に変わったのである。保険のこと等も考え、派遣会社に人員確保を頼んだところ、高校の寮の食事担当のおばさんが「やってもいい」と応募してきたらしい。それでは早速と思って日程まで決めたところで、“待った”がかかった。先月2万円だった水道料金が、今月は3万円。一体どうなってるのか? 賄いさんは漏水を解決してからだとなったようだ。お寺の総代でもあるポンプ屋さんに電話したところ、「神社の祭の為、直ぐには行けない」との返事。「果たして、漏水と賄いの行方や如何に?」という宙ぶらりんな現状である。また、檀家さんの酒屋さんが半ば大工さんたちを当て込み、「自動販売機を置かしてほしい」と言ってきた。確かに、これからお盆という時期には、お墓掃除に来た人も汗だくになるし、売れるかもしれない。しかし、電気代も相当かかるらしいか、秋や冬も含めて黒字になるかどうかは不明である。大体、大工さんたちは暑い時でも「熱いお茶がいい」という人々だから、あまりあてにできるとも思えない。「コンセントの設置費用は寺でもつが、電気代は酒屋さんもちだ」と話したから、これもまた実現するのかどうかわからない。今月は懸案中のことが多かったが、スヴァーハ本も未読のものを2冊挙げておく。いずれも著者代送で送られてきたものだが、1冊は『福岡伸一、西田哲学を読む 生命をめぐる思索の旅』(明石書店)、もう1冊は佐藤優氏の『世界を裏側から見る私の手法』(経済界新書)である。いずれもじっくり読みたいものだが、小説が出来上がるまでは読めそうにない。今日の新聞1面には、民進党の蓮舫氏の民進党代表辞任と、稲田朋美防衛大臣辞任が報じられている。何となく色んなことが懸案になっている。近々全てがガラガラと音を立てて変わりそうな、そんなお盆前である。


玄侑宗久(げんゆう・そうきゅう) 作家・臨済宗妙心寺派福聚寺住職。1956年、福島県生まれ。慶應義塾大学中国文学科卒業後は職を転々とし、1983年に天龍寺専門僧堂に入門。2001年に『中陰の花』(文藝春秋)で芥川賞、2007年に柳澤桂子との往復書簡『般若心経 いのちの対話』(『文藝春秋』2006年12月号)で文藝春秋読者賞、2014年に『光の山』(新潮社)で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。『アブラクサスの祭』『アミターバ 無量光明』(共に新潮社)・『御開帳綺譚』『龍の棲む家』(共に文藝春秋)・『無功徳』(海竜社)・『福島に生きる』(双葉社)等著書多数。近著に『やがて死ぬけしき』(サンガ新書)。


キャプチャ  2017年9月号掲載



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