【異論のススメ】(33) 社会主義崩壊後の世界…新自由主義に壊されるもの

今年は『ロシア革命』から100年である。『十月革命』(※現代の暦では11月)の武装蜂起でボルシェビキが革命政府を樹立し、ソビエト連邦という世界初の社会主義国家が誕生した。といっても、若い人にはどうもぴんとこないらしい。それもその筈で、ソ連社会主義等というものは最早、地上から姿を消してしまったからである。一昔前の若者にとっては、ロシア革命やレフ・トロツキーやボルシェビキという単語は、それだけでどこか琴線を擽るところがあったことを思えば、隔世の感がある。ソ連が崩壊したのは1991年であった。私は丁度イギリスに滞在していたが、左翼を自認する経済学者と話をしていたことを思い出す。社会主義に対して批判的であった私は、彼に次のように聞いた。「社会主義の崩壊は、貴方たちには大変な痛手だったのではないか?」と。すると、予想外の答えが返ってきた。「とんでもない。実に歓迎すべきことだ。私は決して社会主義者ではない。私はあくまで社会民主主義者であって、漸く我々の出番になったのだ」と。日本では随分と長い間、社会主義に対する幻想があった。革新政党は社会主義や共産主義への傾斜を隠そうともしなかったし、左翼学生も、現実には不可能だとわかっていても、社会主義革命を熱く語っていた。しかし、既に欧米では、ハンナ・アレントを引き合いに出すまでもなく、「ソ連社会主義は恐るべき全体主義国家である」という認識が広がっていた。社会主義の崩壊とは、全体主義の崩壊を意味していたのである。

では、社会主義が崩壊してどうなったのか? 社会民主主義者の出番になったのだろうか? 全く異なっていた。社会主義の崩壊は、自由な社会の勝利であったと共に、それは資本主義の勝利であった。世界中がグローバルな市場競争に覆われ、アメリカ主導のIT革命や投機的な金融市場の展開によって、まさしく資本主義が凱旋したのである。しかし、それでどうなったのだろうか? “資本”が瞬時にして世界中を動きまわり、“資本”の増殖を求めて、個人も企業も国家も、果てしない競争にのめり込んでしまった。共産党が支配する筈の中国までもが、“資本”の競争に国家ぐるみで参入しているのだ。これが冷戦以降の世界の実態である。それを我々は“新自由主義”等という。しかし、この現実はまた、別種の全体主義ではないかと言いたくもなる。資本の増殖を求めるグローバルな市場競争というメカニズムが、あまりに我々の生を圧迫しているからである。競争・効率性・自己責任・能力主義の支配する世界へ、我々は囲い込まれている。確かに、ありあまるほどの自由はあるし、SNSを使って何でも表現でき、何でも売買できる。とてつもない自由社会であることは間違いない。しかし同時に、この自由社会は、我々を過剰なまでの競争に駆り立て、過剰なまでの情報の中に投げ込み、メディアやSNSを通じて、我々は他人のスキャンダルを暴き立て、気にくわない者を誹謗し、少しの失態を犯した者の責任を追及する。実に不寛容な相互監視社会へと雪崩れ込んでいる。これもまた、一種の全体主義と言わねばならない。




私は社会主義にシンパシーを持ったことは一度もない。しかし、“社会”が極めて大事だとはずっと思っている。“社会(ソサエティー)”とは、例えば福沢諭吉を引き合いに出せば、“人間交際”のことである。“社交”と言ってもよい。それは、人々の間の繋がりであるが、その繋がりは、今日のSNSのようなバーチャルな、若しくは瞬時的でどこか虚構めいた繋がりではない。相互に信頼できる人の間に生まれる繋がりである。或いは、相互に信頼を生み出そうとするような繋がりである。顔の見える繋がりと言ってもよいだろう。そこで初めて、人々が共有できるような倫理や道徳も成立する。家族・地域・学校・組織・企業、それに様々な仲間の集まりやサロンや社交の場が、嘗てはそれなりに機能していた。様々な葛藤や矛盾を含みながらも、多くの人は、何らかの場に属して、そこで“人間交際”をやっていた。こうした“人間交際”の重層化されたものが“社会”である。だから、社会は一定の倫理的価値を保ち得たのである。このような“社会的(ソシエタル)なもの”を重視するという意味では、私はずっと“社会”主義(※ソシエタリズム)に共感してきた。それは“社会主義(ソシアリズム)”ではない。しかしまた、新自由主義的な資本主義でもない。ところが、社会主義が崩壊し、冷戦が一応終了し、新自由主義とグローバル競争の時代になって、“社会的なもの”までもが崩壊している。家族や地域は、ずたずたになっている。学校も機能しなくなっている。組織も成果主義や自己責任で窮屈になっている。“社交”の場である筈の居酒屋も煩くてしょうがない。もっと大きく言えば、過剰なまでの市場競争と情報社会化が、“社会的なもの”の崩壊を促しているように見えるのだ。それを立て直すのは難しい。しかし、我々の日常生活がごく自然に多様な“人間交際”によって成り立っているという当然のことを思い起こせば、“社会”の復権にも然程悲観的になる必要もないのかもしれない。


佐伯啓思(さえき・けいし) 1949年生まれ。京都大学名誉教授。保守の立場から様々な事象を論じる。著書に『反・幸福論』(新潮新書)等。


≡朝日新聞 2017年12月1日付掲載≡

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