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【日日是薩婆訶】(27) せめて死を受け容れてもらう際の方向性くらいは引導香語で示せれば…

9月に入ると、東北はめっきり秋めいてくる。今年は野分(※台風)も激しく、九州では大きな被害があったようだが、こちらは然程でもなかった。ただ、出穂期の天気が悪かったから、稲の受粉が心配されたが、福島県の場合は何とか平年作が叶いそうな風情である。稲穂が垂れて黄金色が見え始めた頃、私は岩手県と宮城県を訪れた。偶々、水沢と古川界隈で2日続けて講演があったのである。この時期に岩手県に行くと、やはり宮沢賢治を憶い出す。命日は確か9月21日だが、稲の実る頃に病床にあった彼の複雑な思いを想像してしまう。「方十里 稗貫のみかも 稲熟れて み祭三日 そらはれわたる」「病の ゆゑにもくちん いのちなり みのりに棄てば うれしからまし」。絶筆短歌が謳うこの年(※昭和8年=1933年)は豊作だったようだが、自分の体の状況は決して楽観できない。しかし、それでも実りの景色の中で朽ちていくことは寧ろ嬉しいと、賢治は謳うのだ。水沢では私の弟が増長寺という寺の住職をしており、毎年恒例の講演会を開いてくれる。多分、今年で18回目だと思うのだが、いつも師走が多く、刈り入れはとっくに済んでいたし、時には雪景色のこともあった。今年は久しぶりに稲穂の垂れた季節だった為、つい賢治の願いと最期の心情とを思い起こしてしまったのである。 弟の奥さんが駅まで迎えに来てくれ、同乗した車の車窓からは、やや丈高い稲穂が風に揺れる様子が見えた。聞けば、水沢界隈ではひとめぼれが多いらしく、福島県では殆ど見かけない稲だった。翌日は宮城県の古川(※現在の大崎市)に近い美里町で講演があり、新幹線で移動した。その日もお迎えの車の車窓から広大な田圃が間近に見渡せたのだが、それは昨日の田圃の様子とも、うちの近所の田圃ともまた違う。運転してくれた若い和尚に訊くと、ササニシキだという。稲の種類によって稔った様子がはっきり違うことを、私は初めて実感したのだが、死ぬ直前まで肥料相談に応じていた賢治の頃の稲は、どんな品種だったのだろうか? 扨て、講演のほうは、水沢も美里町の玄松院のほうも恙無く済んだのだが、玄松院にはとても興味深いお客さんが来ていたので紹介しよう。別に有名な人でもないし、読者諸賢には興味など持てないかもしれないが、私にとっては驚くべき人だったので聞いてほしい。70代かと思えるその男性は、何を隠そう、私の住持する福聚寺の開基、田村家の子孫だという。

田村家は1504年に三春に築城し、その後、小田原に参陣しなかった為、豊臣秀吉の奥州仕置に遭い、岩手県一関に改易になる。一族郎党を率いて、無論、途中何ヵ所にも投宿して北上したのだろうが、どうやら嫡男の弟等の中には、宮城県に住みついた人々もいるらしい。その日お出でになった田村さんは、一関で再興された田村家の宗顕公の弟の流れだったのである。あまり時間は取れなかったが、講演後、その田村さんがJR古川駅まで送って下さるというので、途中、ご自宅にお邪魔することになった。自宅には古い書きつけや福聚寺住職の扁額もあるので、見てほしいと仰るのだ。敷地は3000坪程あるというご自宅には、庭に相当古いドウダンツツジ等もあり、ご本人が仰る由緒が間違いなさそうだと直観した。先ずは奥の仏間に入り、仏壇に向かってお経を唱え、過去帳を読み上げながら回向した。そして、今度は隣の客間に入り、床の間の上に掛かった扁額を見て驚いた。それは“信為萬事本(※信を萬事の本と為す)”と書かれた扁額で、著名は“福聚寺 鶴堂仙央”と読めた。古びてはいるが、保存状態は非常にいい。ご先祖様から「これを何より大切に受け継ぐように」と言われてきたらしいが、文字も本当に立派に見えた。鶴堂和尚については、画僧雪村の師匠であることくらいしかこれまでわからず、“仙央”という諱もその時まで知らなかった。雪村には、これまでも道教的な素養を感じていたのだが、なるほど、師匠の諱が“仙央”とわかってみると、道教色も師匠譲りであったように思えてくる。私は暫し呆然と扁額を見上げ、それからお茶を呼ばれたのである。田村一司さんというご主人によれば、“百姓として生きること”というのが先祖伝来の重要な教えだったらしい。恐らく、宗顕公との約束でもあったのだろう。聞けば、この美里町(※合併以前は小牛田)の北浦地区には田村姓がとても多く、皆、百姓として生きてきたという。お邪魔した田村家は、今も梨を栽培する農家らしく、お茶請けには切り立ての美味しい梨を出して下さった。ほんの30分ほどの滞在ではあったが、私にとっては歴史的な事件だった。これまでの私の認識では、七世鶴堂和尚は三春を治めた田村家三代(※義顕・隆顕・清顕)の初代義顕公に僅かに重なるかどうかという年齢だと思っていたが、清顕公の子供の世代に“信”の書を直接渡したとすれば、その頃、100歳前後で未だ生きていたのだろうかという話になる。或いは…いや、もうこれ以上はどう考えても私だけの興味だし、止めるが、兎に角、その日は私にとって、意味ある偶然に恵まれた日だったのである。




扨て、お彼岸でもあるし、改修工事も真っ最中。偶然の出逢いを喜んでばかりはいられない。計画通り、一度書き終えた小説の改稿も進めなくてはならないし、卒塔婆も書かなくてはならない。小説については、何とかお彼岸前に手を放すことができた。これまで最長の549枚だから、単純に読み返すだけでも2日はかかる。机に向かい続けられる時間は限られているし、来客もある。中々捗らなかったのだが、何とかお彼岸前に編集者に送ることができて嬉しい。それにしても、昔は小説を書き上げると必ず勝手な表紙を作り、本文も含めてプリントしてから編集者に郵送したものだった。今はどうせ「ファイルで送って下さい」と言われるのは見えているのだが、それでも一応、先にプリントしたものを郵送し、その後でファイルをインターネットで送る(※小説だけの話で、エッセイではそんな面倒なことはしない)ことが多い。しかし、今回の作品は、プリントすると紙の厚さが5㎝を超えるのだ。プリントして綴じる作業と、表紙を作る時間が一番楽しいのだが、物理的に難しかった。それだけが残念無念である。お彼岸に入る前に終えたかったことが、実はもう1つあった。『杜の園芸』から『杜の学校』に改めた矢野智徳氏による草刈りのワークショップである。これまで、お盆前やお彼岸前等の草刈りは、シルバー人材センターに所属する檀家さんを中心にお願いしてきた。実は、その人たちにも来てもらい、杜の学校の面々と一緒に“風の草刈り”をしてもらったのである。“風の剪定”とか“風の草刈り”というのは矢野さんの造語だが、要は自然界でも強風が吹くことはあり、時にはそれで葉や茎が千切れる体験も木や草はしている。そして、植物はきっとその体験を許容しているから、それを真似るというのである。そんな説明ではさっぱりわからないと思うので、詳しく申し上げよう。自然界に時々吹く強風になったつもりで草を刈るのだ。「強い風が吹けば、恐らく、この辺で折れるだろう」という辺りに、紐式の草刈り機を宛がう。これまでのように根こそぎ伐っていくと、植物も反発し、「ようし、負けるもんか」と直ぐにまた葉を伸ばし、根も張らせてくる。しかし、強風のような切れ方だと、植物側も然程「やられた」とは思わず、「まぁ、こんなことも偶にはあるよね」という穏やかさで、草刈り自体を受け容れるというのである。その結果、草たちはあまり背を伸ばさず、根もあまり張らなくなるというのだが、貴方は信じますか? いや、これは既に側溝や境内の草で実証済みのことだし、信じて頂かないと困る。今回は、この“風の草刈り”をシルバーの面々に納得しつつ、習得してもらおうというワークショップだったのだが、長年別な方法に馴染んでいるだけに、適応には個人差があったようだ。しかし、これも結果を見てもらいながら、時間をかけて変化させるしかないだろうと思う。何事も“急いては事をし損じる”。

小説と草刈りがお彼岸前までに何とか形がつき、さぁ愈々お彼岸となったのだが、そこへ来て葬儀が立て続けに起こった。1件の葬儀を終えて戻ると、別な方の枕経に出かけ、夜にはまた別な方のお通夜に行くという日々が数日続いたのである。葬儀はいつできてもどきっとするが、今回は連続でもあった為、相当疲弊した気がする。引導の香語は、凡その意味が聞いていてわかるよう、大抵は柔らかな漢文調で書いているのだが、分量はどうしても1人分でB41枚ほどになってしまう。特に苦吟したのは、38歳で亡くなった青年で、珍しい進行性肝臓癌だった。「何故自分が…」という理不尽な思いは、春に末期癌として発見されて以後、ずっと彼の頭を去ることのない苦悩だった筈である。小学校時代の友人たちとは、その後もサッカーを続ける等付き合いが深く、お通夜には同じ年頃の男女が恐らく100人以上弔問に来た。お茶目で人気があり、付き合っている彼女もいた。亡くなる2日前には、彼女が朝まで病室にいてくれたらしい。「死を納得はできないまでも、せめて受け容れる際の1つの方向性くらいは香語で示せれば」と、いつも思う。私の中では、秋の天空に舞う龍が、泉に身を隠さず、月まで行ってしまったイメージだが、そこに“悟心”という言葉を加えた。「我々が何年かかっても悟れない人の心を、彼は早々に悟ってしまった。それ故に飛び去ったのだ」と…。あとはソフト整体のように、身内の心が時間と共に静かに変化するのを待つばかりである。今月のスヴァーハ本は、第1回日本翻訳大賞読者賞を受賞したアメリカの小説『STONER』(※ジョン・ウィリアムズ著、東江一紀訳、作品社)だろうか。これまで色んな小説を読んできたが、これは1910年に生まれたウィリアム・ストーナーの誕生から死までが丸ごと描かれている。イギリスの農家に生まれ、ひょんなことで通わせてもらった学校で学問に目覚め、そして結婚し、両親が死に、更には大学という職場での複雑な人間関係等、決して誰にでも当て嵌まる人生の景色ではない筈だが、どうも人生というものに漂う普遍的な哀しさのようなものを感じるのだ。翻訳らしい硬めの文体で、しかも描写は実に精緻。秋の夜長には相応しい本だと思う。もう1冊は、聖心会シスターの鈴木秀子さんによる『自分の花を精いっぱい咲かせる生き方』(致知出版社)。こうなると最早、キリスト教という違和感は全く感じない。殆ど禅的とさえ思う。こちらはあっという間に読めるが、何となく座右に置いておきたくなる。読書の秋という方には前者のほうを、食欲やスポーツの秋だという方には後者をお勧めしておこう。漸くお彼岸が終わり、秋はこれからが本番である。


玄侑宗久(げんゆう・そうきゅう) 作家・臨済宗妙心寺派福聚寺住職。1956年、福島県生まれ。慶應義塾大学中国文学科卒業後は職を転々とし、1983年に天龍寺専門僧堂に入門。2001年に『中陰の花』(文藝春秋)で芥川賞、2007年に柳澤桂子との往復書簡『般若心経 いのちの対話』(『文藝春秋』2006年12月号)で文藝春秋読者賞、2014年に『光の山』(新潮社)で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。『アブラクサスの祭』『アミターバ 無量光明』(共に新潮社)・『御開帳綺譚』『龍の棲む家』(共に文藝春秋)・『無功徳』(海竜社)・『福島に生きる』(双葉社)等著書多数。近著に『やがて死ぬけしき』(サンガ新書)。


キャプチャ  2017年11月号掲載


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