今のままの新聞なら明日はない――朝日新聞“従軍慰安婦報道”検証から考える

朝日新聞の“従軍慰安婦報道”を検証する第三者委員会が昨年12月22日、報告書を公表した。慰安婦報道を巡る問題点を厳しく指摘しているが、同委員会メンバーの保阪正康氏、朝日問題に詳しいジャーナリストの青木理氏・江川紹子氏は、この検証をどう見たか――。 (本誌 北川仁士)

■最大の教訓は“冷めた目で史実と向き合う” ノンフィクション作家・保阪正康
朝日新聞社が慰安婦報道の報道を検討するために設けた第三者委員会は、その報告書をまとめて昨年12月22日に公表した。この概略は新聞・テレビなどでも伝えられたが、その報道内容はほぼ私の予想したとおりで特に目新しい点はなかった。私の予想というのは、朝日新聞の慰安婦報道が慰安婦問題の誤解を生みだし、それが日本の国益を著しく害したとの見方を採るメディアもある半面、この問題を冷静に見つめようとのメディアも存在するという意味である。私はこの第三者委員会の委員だったので、報道それ自体について現段階では口を挟もうとは思わない。それは現在の私の任ではない。ただ慰安婦問題を論じるにあたり、私はまったく独自の問題意識を持っているので、あえてそのことに触れておきたい。私の意見は報告書の『個別意見』の中に、他の委員の意見とともに掲載されている。以下に私のこの意見をもとに、「慰安婦問題とは何か」「その本質はどこにあるか」を改めて記しておきたい。この『個別意見』の中の私の意見を紹介しつつ、本質に迫るための道筋を考えたいと思う。初めに私の意見を紹介しておこう。




●“軍隊と性”という視点
慰安婦問題の本質は“軍隊と性”である。もっとかみ砕いて言うなら“軍隊と性病”と言っていい。歴史上、あるいはどこの国でも、この関係にはきわめて神経質だった。旧軍の高級将校の証言によれば、陸軍大学校でもこの恐怖についての講義はあったというし、将校として兵士を教育訓練するときも性病については特に熱心に行われたという。なぜなら、1部隊に10%もの性病患者が生まれたら、その軍隊はすでに戦う軍隊ではなくなる。10%は20%・30%と、またたくまに患者の比率を増やすからである。性病を恐れるがゆえに、どの国の軍隊も性の管理は徹底している。むろん、国によって時代によって、その管理の方法は異なっている。旧軍の場合は、大体が部隊長の命令のもと、主計将校・軍医がこの管理にかかわる形をとる。慰安所建設・慰安婦募集、そして性病検査はいわばシステム化されていて、3者のトライアングルの中で“秘密”が共有されるケースが多い。ここが密閉されれば管理の実態はわからない。【以下略】

この部分に、私の慰安婦問題への関心はすべて凝縮している。“慰安婦問題を考えること=性病を隊内に決して持ちこませない”という意味である。そのことを抜きにして、単に慰安婦問題で「朝日の報道はおかしい」とか「それらの記事を取り消すべきだ」などという論は、慰安婦問題を論じようとしているように見えるが、その実、この報道の本質から外れることでもある。私はそのことについて論述する必要があり、警鐘を鳴らすべきだと考えている。先の私の『個別意見』はそのことを率直に訴えた内容であった。

近代日本の軍隊と性を論じるなら、最低限次のような知識を持つことが必要である。わかりやすく箇条書きにしておきたい。

①慰安所を建設するか否かは、軍・師団・連隊などそれぞれの組織の責任者(たいていは師団長とか連隊長などになるのだが)の一存によって決まる。
②慰安所建設・慰安婦募集などの予算面を取りしきるのは主計将校である。やがて、担当下士官と慰安所に関わる現地業者との間に癒着が生まれ、“暗部”をつくりだす。
③軍医は集められた女性に対して、「ここにどうして来たのか」といった質問を発するケースがある。若い女性が現地の業者によって連れてこられたのを見て、軍医はその種の仕事であることを知らない若い女性がいるのに気づいている。
④慰安所は“性”の空間であるだけでなく、兵士にとっての憩いの場であり、そこでは軍隊からの逃避空間の意味もあった。
⑤インドネシアに駐留する日本軍のある師団長は、兵士たちに「何を欲するか」のアンケートを行った。もっとも多かったのは慰安所より、「故郷との通信」「甘味類を食べたい」との切実な答えだった。
⑥慰安婦は下級兵士の性の相手をする。しかし、将校や司令官は別な形の性の場を持っていた。この実態を詳細に論じるべきである。
⑦20世紀の各国の“軍隊と性”を見つめると、最終的にはその国の政治体制が慰安所の存否や運営に反映している。たとえばアメリカでは、婦人団体がこの種の施設をつくることを許さなかったケースも多い。

ほかにもまだ幾つかの知っておくべき条件があるはずだ。日本社会がこうした大状況に目をつぶり、吉田清治氏の虚偽発言などを通じて、あたかもこうした慰安婦問題が存在しなかったかのように論じるのは、まったくの筋違いである。

むろん、朝日報道には幾つかの錯誤や対応の不手際、さらには情報提供者への過度の依存があったことは事実であり、その点は正される必要がある。特にその点への批判を、私は避けるつもりはまったくない。これはこれで、メディアそれ自体の硬直化した報道姿勢を正すべきであろう。私は、この点については次のような認識を持っていることを『個別意見』で明らかにしてきた。

今回の慰安婦問題は、その管理に「軍がどういう形で関与したか」「慰安婦募集に強制があったかなかったか」、さらにそこに「植民地政策に伴う暴力性があったか否か」などの検証であったが、あえて言えば一連の慰安婦問題は全体の枠組みの中の一部でしかない。一部の事実を取り上げて全体化する、いわば“一面突破全面展開”の論争でしかなく、私は委員の1人として極めて冷めた目で検証にあたったことを隠すつもりはない。

もとより、私は朝日を弁護するつもりはないが、しかし朝日のみを批判して慰安婦問題を論じるのは、歴史に対する冒涜行為だと思う。朝日とて慰安婦問題の記事作成にあたって、情報提供者の政治的思惑と一体化している側面もあったように思うが、それ自体歴史に対する冒涜行為ではなかったかと思えてならないのである。

私自身は今回の朝日報道の検証にあたって、その報道の内実、その報道のプロセスを丹念に辿ることにより、多くの教訓を得ることができたと考えている。その最大の教訓は、「冷めた目で史実と向き合う」ということであり、「史実を自らの信条の道具に使わない」ということである。この2点は単に慰安婦報道のみについて言えることではなく、歴史的史実そのものを検証するときの基本姿勢であると断じていいだろう。今年は“戦後70年”である。どうあれ、史実そのものは“同時代史から歴史”に移行していくであろう。その端境期にあたり、朝日報道の検証が果たした役割は大きく、今年はさらに私の指摘した7つの基礎事実を土台に、新たな慰安婦問題の論じ方が必要になってくるはずである。その意味では、「この報告書は新たな出発のスプリングボードの役を果たすのではないか」とその意義を強調しておきたい。




■当然の憤りをなぜ言わなかったのか ジャーナリスト・青木理
東京・虎ノ門のホテルで12月22日夕、朝日新聞の慰安婦報道を検証した同社の第三者委員会が会見し、報告書を発表した。その会見場で私は、なんだか自分が失見当識に陥ったような気がして、精神の均衡を保つのに難儀していた。『見当識』とは「時間・場所・周囲の人・状況などについて正しく認識する機能」(大辞林)。つまり、失見当識は自分の置かれている状況などが正しく認識できなくなっていることを指す。そう、当たり前だと思っていたことが当たり前ではなくなっている。ごく普通だと思っていたことが普通ではなくなってしまっている。なのに、「おかしい」と声を荒らげる者がほとんどいない。「あれれ、ひょっとするとこちらが異常なのか」と首を捻る。知らぬ間に足元が掘り崩され転んでしまいそうになる。そんな感覚だった。メディア界の片隅で四半世紀近く禄を食んできた私にとってみれば、第三者委の一部メンバーを含め、朝日を批判する側の声はおしなべてそうだったし、今回は朝日の側にも同じ気分にさせられた。

発表された報告書によると、朝日が昨年8月5・6日に掲載した慰安婦報道の検証紙面で“お詫び”をしなかったのは、社長だった木村伊量氏の判断だった。当初の紙面案は“GE(ゼネラルエディターの略で編集局長にあたる)ら編集現場の意見”に基づいて“お詫び”が明記されていたが、社長の意向でこれを削った紙面が新たに作成され、掲載に至った。池上彰氏のコラム問題もそうだ。同じく報告書によれば、池上氏から原稿を受け取った朝日側では当初、GEも「掲載することで問題ないと考えていた」。が、社長が難色を示し編集現場は見出しを修正。それでも社長は納得しなかった。当時、編集部門の最高責任者は取締役編集担当の杉浦信之氏だったが、あろうことか杉浦氏は反発もせず、社長の意向をひたすら現場に下ろした。現場も若干の抵抗は試みたようだが、最終的には社長の意向通りに事は進み、事態は悪化の一途を辿った。正直に言えば、こうした内実を私はうすうす予測していた。本誌コラムも盛り込んで緊急出版した『抵抗の拠点から 朝日新聞“慰安婦報道”の核心』(講談社)を執筆する過程で、朝日の編集幹部らにインタビューを重ねていたからなのだが、これほど露骨だったのは少々想定外だった。

経営と編集の分離――。一般企業ではなかなか理解されにくいかもしれないが、メディア企業ではごく当たり前の原則とされてきた。経営者である社長はもちろん、営業や広告部門などが編集部門に頻繁に介入すれば、経営や営業の都合、または広告主などの意向で記事がねじ曲げられかねない。書くべきことが書けなくなる。もちろん、メディアといっても所詮は私企業だし、現実には原則など打ち捨てたかの如き組織もあるのだが、それでも“報道機関”を自称する真っ当なメディアの、これはごく普通の原則であるはずだった。しかし報告書を読む限り、朝日社内で“経営と編集の分離”について議論や葛藤があった気配は窺えない。社長の意向に編集権のトップが抗いもせず、編集現場も受け入れてしまった。朝日内部から聞こえてくる話によれば、9月11日に木村前社長らが会見した際、「池上コラムの掲載見送りは誰の判断だったのか」と問われ「判断は編集担当に委ねた」と木村氏が答えた瞬間、朝日社内で幾人かがこう吐き捨てて憤りを露にしたという。「ウソをつけっ!」。その憤りを、ごく当たり前の憤りを、どうして強くぶつけなかったのか。社長と刺し違えてでも押し返し、編集現場の矜持と原則を守らなかったのか。そうすれば検証記事には“お詫び”が掲載され、池上コラム問題も起きなかった。結果論だが、以後の朝日バッシングの状況も多少は様相が変わっていただろう。

ところが一連の事態の最中、朝日社内を貫いていた論理は“危機管理”だったと報告書はいう。「お詫びすれば、朝日の慰安婦報道全部が誤っていたと受け取られかねない」「社長らの責任論も噴出しかねない」「朝日を批判する側に攻撃材料を与えかねない」――と。そうした意識が強く働いていたことは、私のインタビューに応じた朝日編集幹部も明かし、その気持ち自体は分からなくもなかった。朝日は過去、他のメディアとは位相の異なる攻撃を受けてきた。1980年代には、兵庫県西宮市の阪神支局が襲われ記者が殺傷される『赤報隊事件』が起きた。1990年代には、民族派活動家の野村秋介氏が東京本社で拳銃自殺する事件もあった。特に近年は、安倍政権の誕生などに伴って朝日批判を勢いを増し、慰安婦報道はその中心的材料になっていた。しかし、今回は明らかな“過剰防衛”だったし、“危機管理”は経営の論理に近く、読者に記事を届ける編集現場の純粋な論理とはほど遠い。また、これは朝日に限った話ではないが、昨今のメディア組織は“危機管理”やら“コンプライアンス”やらを過剰に意識し、編集現場に管理強化と萎縮の嵐が吹きすさんでいる。萎縮する現場も悪いのだが、外部や権力から圧力を受ける前に自己規制してしまう風潮も蔓延している。つまり、メディア組織が本来持つべき自由闊達な空気が根腐れし、朝日も例外ではなかった。それが事態を悪化させ、“危機管理”の思惑とは裏腹に、むしろバッシングの火の手にガソリンをぶちまける結果をもたらした。最悪である。

一方、朝日を批判する側にも第三者委の一部メンバーにも、メディアが当然守るべき原則から遊離した言説が飛び交っている。詳しくは前掲の拙著を参照してほしいが、ここでは第三者委の会見で感じたことを1つだけ例示させていただく。第三者委のメンバーだった岡本行夫氏は会見の質疑応答の中で、朝日の“偏向報道”体質などを問われてこう応じた。「私は官僚が長い。担当したのは安全保障や防衛問題であり、なんでもないことでもセンセーショナルに報じる姿勢について問題意識を持っていた。今後、もう少し客観的な報道に戻るかが一番のポイントだ」。官の立場からすれば、そう感じることはあるだろう。時にセンセーショナリズムに走ってしまうのがメディアの悪弊であることも否定しない。だが、官の側が「なんでもない」と言い張っても見過ごすべきでないことは山のようにある。むしろそうした点をこそきちんと指摘し、問題提起するのがメディアの役割ではないか。官が「なんでもない」と言うのを鵜呑みにし、右から左に流すだけなら大本営発表と変わりない。なのに質問者はしきりに頷き、会見に出席していた記者たちも違和感を持った気配が薄い。私は再び失見当識に陥った。それでも報告書を隅から隅まで精読し、首肯できる部分を辛うじて幾つか見つけ出した。

「報道機関において“経営と編集の分離”の原則を維持し、記者たちによる自由闊達な言論の場を最大限堅持することの重要さについて、(経営幹部は)いま一度確認すべきである」(報告書本文より)
「問題は『最高幹部の判断が誤りであった』と同時に、『編集部門のスタッフがなぜ最高幹部の誤りを指摘してとことん議論を尽くすことが出来なかったのか』ということだ」(田原総一朗氏の個別意見)
「朝日報道への批判の中に、むしろ歴史修正主義の息づかいを感じて、不快であったことを付記しておきたい」(保阪正康氏の個別意見)

こうした一部の記述を除けば、「メディアとジャーナリズムに従事する者が胸に刻むべきことはない」と私は感じた。これもまた「都合のいいところだけのつまみ食い」といった批判を受けてしまうのだろうか。

■今のままの新聞なら明日はない ジャーナリスト・江川紹子
毎日新聞社は12月22日、朝日新聞『信頼回復と再生のための委員会』の委員を務めるジャーナリスト・江川紹子さんを招き、『朝日報道問題からジャーナリズムを考える』と題した講演会と討論会を東京本社毎日ホールで開いた。江川さんの講演要旨を載録する。

「3つの朝日新聞問題(慰安婦報道の吉田証言・池上彰さんのコラム不掲載・福島第1原発事故を巡る吉田調書)の中で、私は吉田調書が最も大事な問題だと思っています。今の問題であり、なおかつ日々の新聞制作における問題が凝縮されているからです」。江川さんは自らの問題意識を示した上で、一連の朝日新聞問題を巡る現在の議論について言及した。「朝日新聞固有の問題かメディア全体の問題か、歴史的事実か歴史認識か、事実かイデオロギーか。3つの問題とも論点がごっちゃになっていて分かりにくい状況になっています」。例として福島第1原発事故を取材し著書もあるジャーナリスト・門田隆将さんの指摘を挙げ、「『朝日新聞は(原発所員に)事実確認していない』という門田さんの指摘は正しかった。しかし、門田さんも(そうした誤報により)『日本を貶めるのはけしからん』と主張するなど、イデオロギー的です」と疑問を呈した。慰安婦報道にも触れ、「朝日新聞が紙面で謝らないという態度の問題や、(慰安婦への)強制性を狭い意味から広い意味に転換したことをとって、慰安婦自体がなかったかのような言説がネット上に広がっています。一方で、『吉田調書報道は間違っていなかった』と朝日を擁護する贔屓の引き倒しのような人たちも出てきました。どちらも事実に基づいた議論になっていません」と現状を危惧した。

江川さんは委員として、朝日新聞社員の声を聞く中で感じた疑問も口にした。「社員集会では社員から『社長を出せ!』といった声が飛び、よその会社の不祥事会見のようでした。特に編集部門では、会社(上層部)の問題で自分たちの問題と考えていないと感じました。知り合いの社員の1人からは『会社にバンバン言ってやってください』と言われ、心の中で『あなたの問題でもあるんだけど』と思ったこともあります。一方で、ビジネス部門の人たちや若い人たち、地方(支局)の人たちは深刻に考えている人が多かったです」。江川さんは、委員として自ら確認した事柄に触れながら問題の核心を語った。「吉田調書問題は起きるべくして起きたんです。福島第1原発事故を題材にした朝日新聞の連載記事“プロメテウスの罠”で登場した専門家に話を聞きましたが、『記事に書かれた事実は順序が組み替えられていた。抗議したが、編集権だと訂正を断られた。記事はフィクションであり、歴史的事実になるのは我慢ができない』とまで言っていました。やっている人は強い正義感を持っていますが、思い込みが生じ事実認識に甘さが出ていると思います」。なぜ、事実の軽視が生まれるのか。江川さんはこう締めくくった。「朝日の問題は、検察特捜部の不祥事問題と似ています。初めにストーリーが決まり、それに合う事実だけをつなげ、それ以外はスルーしています。事実と論評を分けないといけません。権力を監視する使命感という長所と、それゆえに立ち止まって考えなれないという短所は裏表にあり、チームの中でチェックしていくことが必要です。応援団のようなコアな読者だけでなく、すべての読者に応えていくだけの対応が求められており、今のままの新聞では明日はないと思います」


慰安婦報道検証第三者委員会 虚偽だった“吉田清治証言”など朝日新聞社の慰安婦報道を検証し、同社の問題点を指摘・提言をするために2014年10月に設置された。同年12月22日に報告書を公表した。委員には保阪氏のほか、中込秀樹氏(委員長=元名古屋高裁長官)・岡本行夫氏(外交評論家)・北岡伸一氏(国際大学学長)・田原総一朗氏(ジャーナリスト)・波多野澄雄氏(筑波大学名誉教授)・林香里氏(東京大学大学院情報学環教授)の7人。


キャプチャ  2015年1月18日号掲載


スポンサーサイト
Categories
Profile

KNDIC

Author:KNDIC
Welcome to my blog.

Latest articles
Archives
Counter
I'm participating in the ranking.

FC2Blog Ranking

information
Search
RSS Links
Link
QR Code
QR