FC2ブログ

【日日是薩婆訶】(30) 年末に今年の新亡を静かに振り返りつつ、1つひとつ過去帳に書き写しながら

12月になり、いよいよ色んなことが押し詰まってきた。お寺の改修工事のほうは、庫裡と本堂の間の唐破風の玄関が立ち上がり、屋根も葺けるほど形も整ってきた。元々、この部分は予算の都合もあって、「元のままでも致し方ないか」と思っていた場所である。しかし、『加藤工匠』の加藤吉男棟梁が「何といってもここが全体の顔だから」と、頼んでもいないのに立派なお図面を描き、一時はこの部分だけに5人も投入し、今も精力的に進めてくれているのである。こうして眺めてみると、なるほど仰るように、ここはお寺の顔なのだと思う。彫刻を見上げていたら、何やらハート型のような模様が目に留まった。お寺の玄関の懸魚部分にハート型とは何だろう? そういえば、刀の鯉の模様でも同じような形を見たことがある。伝統的な模様だとすれば、ハート型の筈はないが…。ならば一体何か? 彫刻を担当した鏡将行さんに訊いてみると、丁寧に説明して下さり、基本的なことは読解できた。私はその後、インターネットでも調べてみたが、どうやら鏡さんの言う通り、これは“猪目”というものらしい。猪の眼からデザインしたらしく、火除けや魔除けの為の模様だというのである。元々、屋根の左右が合流する下に取り付ける懸魚自体、火除けの為に水に関係する魚を持ってきた。そこに突き出る“樽の口”等も、酒樽の蓋からのデザインらしい。ならば猪目、いや、猪はどう水に関係するのか? 調べてみると、どうやら“五行説”が典拠らしい。木・火・土・金・水という五行の内、春夏秋冬に其々、木・火・金・水を対応させ、其々の季節の間の移行期である“土用”が土を意味する。十二時(※十二支)にそれを当て嵌めると、亥・子・丑が冬、つまり水に対応するのである。実際、ハート型に見える模様は猪の眼を象ったともいうのだが、写実的にはかなり同意し難い。中には“亥”という文字の崩し字が元だという説もあるが、はっきりとはわからない。本来は道教的なその模様を、仏教が積極的に取り入れたのは、菩提樹の葉の形に似ているからだともいう。いずれにしても、神社仏閣のあちこちに、この猪目のデザインが古来多用されてきた。恐らく、火事を怖れる日本人の心情は非常に強く、こういったおまじないめいたデザインも生まれてきたのだろう。ただ、先程も申し上げたように、日本では刀の鐔にも猪目紋が多く見られる。刀に魔除けは普通に考えられるが、本来は火除けだった猪目紋が何故…と考えてみると、「そういえば戦う刀からは火花が飛び散るのだ」と気付く。火事だけでなく、剣難から逃れる為にも、寺社は猪目を多用してきたのだろうか? ともあれ、唐破風の玄関は、鏡さんと本間和美さん、そして今野さんが中心になって、順調に美しく造作されつつある。

五行説を持ち出した序でに申し上げると、木・火・金・水に四季が対応するのに対し、土はオールシーズンに関係してくる。実は、うちの庫裏の下の地面は、『杜の学校』(※『杜の園芸』から今年改名)の矢野さんによれば最高の土なのだそうだ。現庫裏ができたのは西暦1800年のことだから、もう200年は間違いなく経っている。というより、庫裏の下の地面は、200年以上人の手が加わることのなかった土なのである。ところが、スコップを立てるとさくっと入り、直ぐに新鮮な土の色が現れた。要するに、土俵と同じく、土自身が呼吸できるギリギリの圧力で固めてあり、土はそのお陰で適度な通気通水を保ってきたのである。地元の檀家さんである本田ポンプ屋さんが「じゃあ、この土、保管しておきましょう」と言って下さり、自分の土地に運んで保管しておいて下さった。そして今、出来つつある庫裏の周囲のあちこちに、再び運んで使って下さっているのである。もう1つ押し詰まってきたことといえば、やはり前回も紹介した私の『竹林精舎』(朝日新聞出版)と道尾秀介さんの『風神の手』(同)の関係だろう。『竹林精舎』を書いた経緯は前回触れたと思うが、道尾さんの『ソロモンの犬』(文春文庫)だった。この話に登場する4人の大学生と、動物生態学の間宮未知夫助教授、そして柴犬・オービーのその後を、私は私の設定した環境に置いて書き継いだのである。ところがその間、道尾さんも実は、間宮先生とオービーのその後を書いていた。それを含んだ物語が、何と同じ日(※1月4日)に同じ出版社(※朝日新聞出版)から出る『風神の手』なのである。最終のゲラで一足先に読ませて頂いたが、相変わらず道尾さんらしい哀切とユーモアに満ち、精緻に構築された螺旋状の物語だった。そしてそれだけでなく、今回読了して感じたのは、もしやこの『風神の手』はテーマも『竹林精舎』に通底してはいるのではないかということだった。“袖摺り合うも多生の縁”といえば如何にも聞き慣れた印象かもしれないが、少しでもタイミングが違えばあり得なかった奇跡的な邂逅を、道尾さんは彼の構築した“自然”の中で実現してしまっている。一方、私の『竹林精舎』も、“意味のある偶然”と言葉は違うが、同じように偶然の邂逅によって物語そのものが動いていってしまう。実際、我々僧侶は、思いがけず起きたお葬式に、その時の生活全体が引きずられて変化すると言ってもいい。計画的、或いは継続的にしていたことも、葬儀が出来ると完全に中断され、まるで穴の中に入っていくように別な時空で暫く過ごすことになる。軈て数日後、儀式が終了すると、穴の底から地上に戻るように、また元の日常を取り戻すのである。そうした中で、再び戻ってきた現実が、葬儀の前とは何か違って感じられるというのは、僧侶をしていれば誰でも経験していることではないだろうか。

私は今回、『竹林精舎』の中で、出来た葬儀によって物語自体が影響を受けることを、意識的に描いてみたかったのである。詳しいことは実際『竹林精舎』を読んでみて感じ取ってほしいが、それは実際、僧侶の現場では普通に起こることなのである。昨年明けは先住さんの遷化して最初の1月でもあり、“喪中につき”正月はしないと、年始回りや年始受けも初めて欠礼させて頂き、随分楽をさせて頂いた。しかし、今年はそうはいかないということで、改めて門松を作ってくれる知人に訊ねると、忘れられており、また餅搗きの準備をしようと思ったら、仮住まいへの引っ越しの為、以前の資料が見つからない。「あれはどうだったか、これはどうだったか」と女房と話すのだが、中々記憶も一致せず、「まぁ、別に違っていても問題はないだろうと」高を括った次第。また、年末には今年の新亡を過去帳に書き写す作業がある。墨を摺り、静かに振り返りつつ、1つひとつ書き写していると、1年の出来事がコマ送りで再現されるような気がする。同じ家で5月と6月に2人のお葬式を出したケースもあったし、最近では独り住まいのアパートで孤独に亡くなっていた50代の独身男性もいた。遺体の発見は11月末だったが、検屍による死亡推定時期は1月か2月だというから凄い。偶々、故人は仕事も辞めており、家賃も恐らく自動引き落としだった為、それだけ長く発見されなかったに違いない。ただ、検屍では“1月か2月”という曖昧な推定しかできなかったのに、故人は几帳面にカレンダーの過ぎた数字に“×”を付けていた。そして、2月19日までは×が付いていたので、命日は2月20日に決めることにした。無論、私が勝手に決めたのではなく、喪主を務めた本人の兄と相談の上である。それにしても、カレンダーに×を書いていく気分というのはどういう感じなのだろう? 単なる斜線でも、或いは“○”だっていいと思うのだが、いずれにせよ、全くそういう習慣の無い私には想像もつかない。過去帳を書き写しながら、これは間違わないようにと、意識して2月分に書き入れたのはよかったが、12月初頭の葬儀だったから、新亡霊簿の順番に従ってもう一度書いてしまい、結局、墨で線を引いて消すしかなかった。それでまた、カレンダーの×印を憶い出してしまったのである。

1年の最後のそんな押し詰まった時期に、よもやとは思ったが、書評の依頼が2件舞い込んだ。1つはよく知る作家の小説、もう1つはドキュメンタリーについてだったが、後者のタイトルは『津波の霊たち』(早川書房)。とても受けられる時期ではないと思ったが、結局、小説のほうは断り、ドキュメンタリーのほうは受けてしまった。著者は英紙『タイムズ』のアジアエディター及び東京支局長のリチャード・ロイド・パリー氏。私自身は名前くらいしか知らなかった作家だが、扱った題材が、石巻のあの大川小学校の被災の詳細、及びその後を裁判まで追いかけている。日本在住16年という著者の眼差しは深く、また丹念な取材は長年に及んでいる。読み応えがあると言ったら多くの人々に失礼な気もするが、兎に角、慌ただしい時期だというのに、私はラインマーカーであちこち線を引きながら、とうとう最後まで読み止めることができなかった。実に見事なドキュメントであった。ジャーナリストらしく、東日本大震災が「世界の地震史の中でも4番目に巨大なもの」とか、「この地震によって地球の地軸が17㎝ほど傾き、日本列島の一部はアメリカのほうに1m以上移動した」等、俯瞰的で明快な知識も印象深かったが、何といっても圧巻は、75人もの子供たちが亡くなったことに対する、著者の綿密で幅広い追求である。東日本大震災の揺れで倒壊したり、深刻な物理的損傷を受けたりした学校は1つも無かった。東北沿岸の9校が津波に完全に呑み込まれ、その内、南三陸町の1校で、集団で高台に避難中だった13歳の男子生徒が溺死した。しかし、その一例を除けば、学校の管理下で亡くなった子供は、ここで扱われる大川小学校しかなかったのである。先生たちもいながら、一体どうしてそういうことが起きたのか? そして、生き残った親たちはその後、どのように生きたのか? そういった疑問を自ら追求していくだけでなく、著者は日本という国の在り方や東北という地域の特殊性にも充分に目を配っている。見事と言うしかない圧倒的なドキュメンタリーであった。今月のスヴァーハ本には、道尾さんの『風神の手』の他に、このパリーさんの『津波の霊たち』も入れておきたい。後半に描かれる“津波が生みだした幽霊たち”の話も、単なる怪談ではない。扨て、もう机の前に座ってはいられない。今朝は檀家さんの大工さんと左官屋さんの2人が、軽トラで大きな臼を運んできてくれた。今年は餅搗きもするのだが、工事のせいで井戸が無くなっている為、仮設した水場の近くに下ろしたのである。彼らの臼や杵の他に、蒸籠はお菓子屋さんから借り、火元はガス屋さんに仮設してもらう。餅米も80㎏ほどご寄付頂いており、全てが頂き物と借り物、そして仮設設備で賄われるのだ。思えばしかし、“一座建立”とはそういうものだろう。モノも人も借り物で行なわれる祭は、祭が終わると庵が解体されるように元の野原に戻ってしまう。それが日本的な、祭の美学というものだろう。あとはただ、餅搗き当日の天候の穏やかならんことを念ずるばかりである。


玄侑宗久(げんゆう・そうきゅう) 作家・臨済宗妙心寺派福聚寺住職。1956年、福島県生まれ。慶應義塾大学中国文学科卒業後は職を転々とし、1983年に天龍寺専門僧堂に入門。2001年に『中陰の花』(文藝春秋)で芥川賞、2007年に柳澤桂子との往復書簡『般若心経 いのちの対話』(『文藝春秋』2006年12月号)で文藝春秋読者賞、2014年に『光の山』(新潮社)で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。『アブラクサスの祭』『アミターバ 無量光明』(共に新潮社)・『御開帳綺譚』『龍の棲む家』(共に文藝春秋)・『無功徳』(海竜社)・『福島に生きる』(双葉社)等著書多数。近著に『竹林精舎』(朝日新聞出版)。


キャプチャ  2018年2月号掲載
スポンサーサイト

テーマ : 仏教の教えと世界観
ジャンル : 心と身体

Categories
Profile

KNDIC

Author:KNDIC
Welcome to my blog.

Latest articles
Archives
Counter
I'm participating in the ranking.

FC2Blog Ranking

information
Search
RSS Links
Link
QR Code
QR