政界引退会見で語った「憎まれて死にたい」実践直言!――石原慎太郎、直撃インタビュー…「エゴの強い若者よ、出てこい」

昨年の総選挙後に政界引退を表明した石原慎太郎氏は、引退会見で「死ぬまで言いたいことを言って、人から憎まれて死にたい」と語った。その言葉通り、50年近くに及んだ政治家生活を終えてなお、その鋭い舌鋒は衰えない。これから国を担う日本の若者に厳しく覚醒を促した。

若い人には突拍子もないことを言ったりやったりすることを期待したいが、この頃は変わった奴が少なくなりました。人生の岐路で頼れるのは己のエゴ・個性・感性だけだ。自らの感性を磨くことが、突拍子もないことを思いつく発想力につながる。ところが今の若者には、“いい意味でのエゴ”が決定的に足りない。“エゴ”は日本では悪い意味に捉えられがちだが、エゴティズムという言葉を世の中に広く行き渡らせたのはフランスの作家スタンダールで、彼は「他人との関わりや対立において、利害関係を超えて精神的・肉体的に自分を主張しようとする人間の本然的な態度」だと定義している。つまり、周囲がどう思おうとこれだけはやりたいと考える自分の感性であり、決して否定的に捉えるべき言葉ではない。

エゴ・個性の欠如を特に強く感じるのは小説の世界だ。若い書き手の作品に目を引くものがほとんどない。作家が世間に媚びるためのマーケティングばかりしているから、実際に起きた事件や流行りの社会問題をとらえた作品だらけになり、「これを書きたい」という書き手自身の感性が感じられません。芥川賞の選考委員をしながら、自分の足をすくう新人が出てくることを期待していたが、目を見張るような作品はほとんどなかった。そのうち、他の選考委員が「そろそろこの人に賞を取らせたほうがいい」なんていう政治的な選び方をするようになって、あまりに面白くないから委員を辞めてしまった。画一的な情報を画一的に摂取していたら、同じような考え方の人間ばかりになる。周囲の反発を押し切ってでも自分の意志を貫きたいと考える強いエゴを持つ人間が出てこないことは残念だ。昔は読む本にしても、自分で面白いものがないか探し回った。インターネットが便利なのは結構だが、みんなが薄っぺらい情報を共有しすぎて本なんか探さないし読まない。読むにしても、一部の売れているものに群がるだけです。戦後、日教組が主導したおかしな画一的教育も原因の1つだろうが、日本は平べったい若者ばかりの国になりつつある。




組織を動かすリーダーにとってエゴは必要不可欠なものです。私は若くして世に出たので多くの優秀な経営者に出会う機会があったが、松下幸之助や本田宗一郎・盛田昭夫といった人物はいずれも個性が強く、創意があった。高校の時に親父を亡くした後、「君ら兄弟の親代わりになってやる」と言ってくれた水野成夫さん(フジテレビ初代社長)の事務所には、桜田武(元日清紡績社長・日経連会長)とか今里広記(元経団連常任理事)といった錚々たる人たちが集まって来て、世界情勢や国家を語っていた。話のスケールがとにかく大きかった。今の経団連幹部なんかとはまるで比較にならない。口を開けば「我が社、我が業界」で、思いを馳せる対象が小さい。それでは独創的な発想も出てこない。だからこそエゴに溢れる若いリーダーが求められているんです。政治の世界でいえば橋下徹君(大阪市長)は個性的だし、演説もうまい。若い頃のヒトラーにそっくりだ。彼はそう言うと嫌がるんだけど(笑)。ただ、その橋下君にしても危ういところがある。それは“多数決ですべて決める”という考え方だ。日本維新の会で一緒にやっていた時のことだが、小さな政治イシューまで両院議員総会にかけて多数決で決めようとしていた。そんなバカな話はない。部下の意見を問うのは結構だけど、多数決がすべてになればそれは単なるポピュリズムだ。強いリーダーのやることではない。責任ある立場にある者には、重要な局面でエゴの力が求められる。東京都知事になったばかりの頃、イギリス大使館から招待を受け、晩餐会で日本を訪れていたマーガレット・サッチャー元首相の隣に座ったことがあった。その時、彼女は「政治家は時に、周りの誰がなんと言おうと自分ひとりで大きな決断をしなくてはならない場面がある」と語っていた。そこで彼女に1982年のフォークランド戦争について聞くと、周囲で開戦を支持したのは参謀総長だけだったという。しかし彼女には、イギリスの威信を取り戻すためにわずかな領土であっても絶対に手放してはいけないという信念・確信があった。そして自分ひとりの責任で決断し、結果を残した。

彼女にとって参謀総長がそうであったように、周囲の反対を押し切って正しいと思ったことを実行するには、信頼できるパートナーがいる。私は都知事時代に、銀行に対する外形標準課税を日本で初めて導入したが、当時の大銀行の横暴っぷりは目に余るものだった。頭取経験者がいつまでも行内に部屋を持っていて、週に1回顔を出すだけで高給を貪る。利益は預金者に還元せず、中小企業にはそっぽを向いて見殺しにする。そんな大銀行への怒りに賛意を表してくれたのが当時の都の税務局長で、2人で鳩首し、ごく限られたメンバーで外形標準課税を立案しました。さらに、自民党税調を仕切っていた山中貞則さんが援軍となってくれた。山中さんは古武士のような気骨ある先輩で、自宅を訪ねると玄関先で仁王立ちになって「何しにきた」と睨みつける。そこで胸中を打ち明けると、「貴様は銀行が嫌いか?」と聞く。「嫌いです」と答えたら、「俺も嫌いだ。お前がそれだけの決心をしたなら、俺が引き受けよう」と応じてくれた。後で聞いたところ、大蔵省の意向を気にして外形標準課税に反対する党税調の議員に対して、山中さんは「銀行が好きな奴は税調から出ていけ」とまで言ってくれたそうだ。それが山中貞則という政治家の個性であり、エゴの力です。これは政治家に限った話ではない。どうしても実現したいと思うことがあるのなら、自分のエゴを理解してくれる信頼できる仲間を作り、一緒に突破していくしかない。今の若い人には自らの感性をぶつけ、本音を話し合える仲間がどれだけいるのだろうか。

もちろん、期待する若者は橋下君ばかりではない。夕張市の鈴木直道市長は、30歳で東京都の職員という安定した職場を捨て、財政破綻した都市の首長選に立候補した。彼は私が都知事時代に夕張市の支援のために派遣した男で、職員としての派遣期間が終わっても再建を手伝いたいという意思を持っていた。当選の見込みもなく、収入も激減するのが確実だったため周囲は立候補に反対したというが、私は彼の背中を押した。その時に「お前はとんだ勘違い野郎だ」と声をかけたが、若者の勘違いこそ現実を変える力になる。彼は本気で夕張を再建するために、これからもっと突飛な発想をもって仕事をしなければいけない。私は現地を訪れた時に、夕張が炭鉱で栄えた時代に建てられ、今はがら空きの市営住宅を東京の人間にタダでくれてやったらどうかと提案した。「別荘を持ちませんか。タダですよ」と言えば飛びつく者も多いだろう。自費でリフォームすれば地元の業者が潤うし、人が大勢来れば店も繁盛する。そうした前例のない活性化案には必ず反対が出てなかなか実現しない。しかし、思い切った施策を打ち出していかない限り、空港から遠くて利便性の低い地方都市の再建などできるはずがない。

若い人が歴史を知らないことも大問題だ。零戦パイロットで“撃墜王”と呼ばれた坂井三郎さんから生前、こんな話を聞いたことがある。坂井さんが中央線に乗っていると、目の前に大学生らしき若者2人が座った。すると片方が「お前知ってるか? 昔、日本とアメリカが戦争したんだってよ?」と言い出した。坂井さんが驚いていると、もう一方の学生は「マジ? それで、どっちが勝ったの?」と返したという。ショックを受けた坂井さんが、「石原さん、世の中変わりましたね」と嘆くのを聞くのは非常に辛かった。私が坂井さんと知己を得たのは、20年ほど前の外国特派員協会での彼の講演だった。坂井さんは「あの戦争は、私に言わせれば偉大な戦争だった」と語り、東洋人や中近東の人たち、アフリカの黒人たちが国家を持つに至ったことに触れて、「これは人類の進歩ではないですか。あの戦争がなければ、こんなことは起こり得なかったでしょう」と話した。外国人記者がみんな不愉快そうにするなかで、私ひとり拍手を送ったことをよく覚えている。坂井さんの指摘は、歴史の大きな流れから考えれば非常に重要だ。ヨーロッパで産業革命が起こり、白人が有色人種の土地をすべて植民地にして収奪した。しかし、日本があの戦争を戦ったことでアジアやアフリカの国々がインスパイアされて独立戦争が起きた。白人の世界支配を終わらせる引き金を引いたのが日本だったことは間違いない。

いわば白人支配への抵抗を弾劾するために東京裁判が行われたわけだが、A級戦犯などというものに国際法上の論拠はない。日本側弁護人の清瀬一郎やパール判事に質問されて、ウェッブ裁判長はその正当性を答えられなかった。当時、私は高校生で、親父が東京裁判の傍聴券を取ってきたので隣の大学生と一緒に傍聴に行った。雨の日で下駄を履いて行ったら、憲兵に脱げと言われて足でパーンと払われた。取られちゃいかんと思って慌てて下駄を抱え、濡れた階段を裸足で上がったことを覚えている。自分の目で見た裁判は非常に一方的なものだった。日本人の被告や証人のすべてが英語ができるわけじゃないのに、同時通訳もいない。きちんと審理もされないまま、わけのわからない罪で裁かれた。あの裁判の傍聴は私の原点のひとつになった。それでは、原爆を投下したアメリカに責任はないのか。制空権がなくなった東京の空から焼夷弾をばらまき、ひと晩で10万人以上の一般市民を殺した罪はどうなるんだ。現代の日本人は、東京裁判の歴史観を受け継ぐ村山談話を踏襲する必要などまったくない。ところが本当に残念だけど、日本はおかしな国になり、大学生がわずか70年前に戦争があったことすら知らない。これでは何も変えられないでしょう。国会議員になりたての頃は「18歳に選挙権を与えろ」と主張したが、やはりそれでは早すぎる。田中角栄さんも言っていたけど、むしろ25歳でいい。知識も経験も足りず、成人式に親を連れてくるような半人前の若者に1票を投じる権利は与えられない。

私は、日本の若者には高校を卒業した後、大学に入る前の2年間、集団生活を義務づけるべきだと主張してきました。自衛隊・消防・警察、あるいは海外青年協力隊でもいい。それは、集団生活を経験するからこそ個性が磨かれていくからです。集団の中では個性が抑圧され、それに対する反発が起きる。そこで初めて強い自我が生まれる。親も当人も反発するだろうが、そのくらいやらなければ困難に立ち向かえる“いい意味でのエゴ”を持つ若者は出てこないのではないか。今の若者にあるのは薄っぺらい我欲ばかり。金銭欲や物欲は衝動的な感情にすぎない。それを増幅し、媒介するのが携帯電話やパソコンで、バーチャルな対人関係しかないから肉体的にも精神的にもひ弱になる。知り合いの大学研究者に言わせると、近頃の学生は失恋を怖がって恋愛もできないという。集団生活で肉体的制約を受け、連帯作業による修練を経験することは、今の若者たちに非常に有意義なはずだ。引退会見でも言ったが、これからも言いたいことを言って、人から憎まれて死にたいと思っている。たとえ若者に嫌われても、必要だと信じることはどんどん発言していく。エゴを失わないためには嫌われるのも大事なことで、今の日本人は嫌われることに臆病すぎる。“ジコチュー”という言葉は悪い意味で使われるが、自己中心的だっていいじゃないか。周囲に合わせているだけでは人生はつまらないし、現状を打破する突拍子もない発想など絶対に生まれない。そんな日本人ばかりになったら、この国に未来はなくなってしまう。エゴが強い、嫌われる若者がもっともっと出てくることに期待します。


キャプチャ  2015年1月30日号掲載


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