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集団的自衛権・慰安婦・靖国――朝日・読売の戦争観を問う

若宮啓文(わかみや・よしぶみ) 1948年東京都生まれ。東京大学法学部卒業。1970年に朝日新聞に入社。政治部長・論説主幹・主筆を歴任し、2013年に退社。著書に『闘う社説』など。

橋本五郎(はしもと・ごろう) 1946年秋田県生まれ。慶應義塾大学法学部卒業。1970年に読売新聞に入社。政治部長・編集局次長を歴任し、2006年より現職。著書に『範は歴史にあり』など。

聞き手…宮崎哲弥(みやざき・てつや) 1962年福岡県生まれ。慶應義塾大学文学部卒業。政治哲学・宗教論を軸とした評論活動を展開。著書に『宮崎哲弥 仏教教理問答』『新書365冊』など。



「日本の侵略責任を認めることが大前提」 若宮啓文(元朝日新聞主筆・日本国際交流センターシニアフェロー)
宮崎「7月1日、安倍晋三内閣は、集団的自衛権の行使容認を閣議決定しました。私自身は立憲主義の立場から“解釈改憲”と見做されるような大幅な解釈変更にはそもそも反対で、“明文改憲”こそが本来なされるべし、と考えているのですが、閣議決定に至る論議のよじれは非常に興味深いものがありました。そこに戦後日本の“国家観”“戦争観”の歪みが如実に露呈していたからです。そこで朝日・読売という日本の2大新聞の報道姿勢の根幹たる国家観を検証するとともに、長年、政治取材・政治報道の第一線で活躍された新聞記者の戦争-平和観を伺いたい」
若宮「橋本さんは現役だけど、私は現役ではありませんから(笑)。当然、社を代表するわけではない、個人としての意見になります」

宮崎「それで結構です(笑)。今回朝日は、手続論として閣議決定による憲法解釈変更に反対し、かつ内容的にも集団的自衛権行使容認に反対する、という一見明快な論陣を張ったわけですが、そのとき私が想起したのは、2007年、憲法60年を期して朝日新聞が提言した社説特集“日本の新戦略”でした。その前文には《はじめから“護憲”を前提にするのではなく、まずは日本のとるべき針路をさまざまな角度から考えてみる。9条の是非はその上で判断しよう》と書かれているのですが、その筆者であり企画のとりまとめ役だったのが、当時の論説主幹だった若宮さんだった。この提言では“自衛隊”の項で、集団的自衛権には反対としながらも、《日本近海での米艦護衛は、基本的には個別的自衛権の枠組みで対応できる》と述べるなど、相当踏み込んだ議論が展開されています。私はこれを現実的なリベラル派の構想として評価していますが、今の朝日の紙面に横溢する空気は、“新戦略”の時点よりかなり後退しているのではないでしょうか」
若宮「評価していただいたのは嬉しいのですが(笑)、朝日新聞というのは、良くも悪くも思想統一が困難なのです。だから、“新戦略”を出したから、みんなそう考えるかというと、残念ながらそうとは限らない(笑)。まず当時の状況を話すと、やはり大きかったのは1990~1991年の湾岸戦争でした。これ以後、『日本が国際貢献を行う上で9条が足かせになっている』という論調が攻勢になってきた。読売新聞が1994年・2004年に改正試案を出したり、2005年には自民党が新憲法草案を出すなど活発な動きを見せるのに対して、朝日は守りのポジションに立たされた感じでした。1995年の戦後50年でも社説特集を組みましたが、そのときは『非軍事こそ共生の道』と訴え、“良心的兵役拒否国家”を謳いました。しかし、それから10年あまり経ち、現実の世界情勢や国民意識の大きな変化に、このまま単なる平和路線死守だけでは対応しきれないという認識が、個人的にも、社内にもあったのです」







宮崎「護憲派の平和論には、保守派から『憲法を盾にアメリカの世界戦略に寄生しながら、ひたすら自国のみの平和に立て籠もる消極的姿勢のままでいいのか』と疑義が呈されてきました。この一国平和主義批判を克服することがリベラル派の長年の課題でもあった。“新戦略”の背景思想となっているのは、リベラル派の世界標準の安保理念と言っていい“積極的平和主義”ですね。それなのに最近では、保守派の安倍首相にお株を奪われてしまった(笑)。“新戦略”では、たとえば“自衛隊の海外派遣”として《“平和構築”には行政官やNGOの人たちを含む文民の活動がふさわしい仕事が多い。だが中には、武器を持った実力部隊でないと危険な時期や場所もある。そこに自衛隊の出番がある》と論じ、“米国とのおつき合い”での海外派遣を批判しつつ、国連PKOには、《日本の参加先をもっと増やし、任務の幅も広げるべきだ》と踏み込んでいます。《国連安保理決議に基づく国際部隊が配置されるケース》でも《国連PKOにおける後方支援に準じるものであれば、参加するケースがあってもいい》と積極姿勢を示していますね」
若宮「PKOについては、2002年の社説で、これは自衛隊の役割である、と主張を変えました。“新戦略”はその延長上にあるのです」

宮崎「そもそも安保理決議を根拠とする国連の集団安保活動への参加は原則合憲です。これはサンフランシスコ平和条約第5条の趣旨にも合致している。然るに現今の朝日新聞では《武力の行使を伴い、「みんなで戦って懲らしめること」》(6月22日付朝刊)などという乱暴な説明で、集団安全保障参加の方が集団的自衛権行使よりも“違憲度”が高いかのような印象を読者に与えている」
若宮「そんな記事がありましたか。でも、それがいまの社論というわけではないはずです。私は、国連決議での安保活動への参加においても、憲法9条的な制限を前提に、参加していくべきだと考えています。その点では、小沢一郎元民主党代表が唱えたような国連軍への参加といった発想は、もう少ししっかりと議論するに値したと思います。しかし、小沢氏が政局の人であり過ぎたために、議論が深まっていなかった」

宮崎「そうした認識を踏まえて、今般の集団的自衛権行使容認“等”の論議をどう評価されますか」
若宮「実際に閣議決定されたものをみると、大山鳴動して鼠1匹、と言うと、ちょっと言いすぎかな……、でも、あれなら個別的自衛権の応用でできるもので、何も集団的自衛権を持ち出すまでもない」
宮崎「あえて逆説的に言えば、反対派にとって、もう少し踏み込んだ内容のほうが批判しやすかった、という側面はありませんか(笑)」
若宮「そこは安倍政権のしたたかさかもしれません。大幅に妥協してでも“集団的自衛権”を容認した、という実績を強引に作って、将来のために穴を開けた。だから、この穴からいずれ鼠ではなく、猪や虎が出てくるのではと、朝日新聞は警戒するわけです。もうひとつ言えば、やはり安倍首相は憲法を改正したいのだと思う。解釈改憲によって大きく変えてしまうと、目標がなくなり、かえって明文改憲が難しくなるという思惑もあったのではないでしょうか」

宮崎「いま中国の海洋への膨張政策を前にし、長期的にはアメリカがプレゼンスを徐々に縮小していくことが確実視されるなか、日本は軽武装で安全保障をどうやって確保・維持していくか、という講和以前の難問に差し戻されつつあるように思えます。その1つの答えは、とりあえず国連を主体とする集団安保への積極的な参加であることは、若宮さんとも概ね意見が一致したと思います。他方で、日米同盟だけではなく、同盟関係を多様化し、安全保障のネットワークを多方面に展開していく必要があるのではないでしょうか。そうなれば憲法の制約の下で最低限の相互防衛義務を果たし得ることが前提となるので、集団的自衛権行使容認も生きてくる。安倍首相の視野に入っているのはオーストラリア・ASEAN諸国・インド、そしてウクライナ情勢が安定の方向に進めばロシア……といったところでしょう」
若宮「それではあからさまな反中同盟になって緊張を高めてしまう。ただでさえ集団的自衛権の行使は日米同盟の強化につながると、中国は警戒しています。いま、集団的自衛権に反対する議論を見ていると、アメリカの戦争に巻き込まれる危険性が強調されていますね。しかし、推進派は、尖閣問題などを念頭に、いざという時、アメリカが本当に守ってくれるのか、アメリカを逃がさないために集団的自衛権が必要なのだ、と主張しているわけで、反対派には、これに対する認識がやや欠けているように思うんです。私は、アメリカにきちんと安保を守らせようというなら、まず日本は尖閣で事を起こさないための相当の努力をすべきで、靖国参拝で対立を煽るなどは最悪でしょう。アメリカだってそれを言いたいのですよ」

宮崎「現在のロシアは反中ではないでしょう(笑)。それに、力の信奉者というなら日本よりも中国の方がはるかに相応しい」
若宮「だから、中国に対しては、昔の日本のような過ちを繰り返すな、というメッセージを徹底的に送るべきなんですよ。ところが、中国側からすると、安倍首相は『日本の過去の行為は侵略ではない。中国がいまやっているのは侵略だ』と言っているように受け取れる。それでは説得力がありません。まず、過去をきちんと反省し、けじめをつけた上で、現在の中国と対峙しないと」
宮崎「私は基本リベラルですから、パワーポリティックスは正義ではないと考えています。この観点から自国の過去、そして原爆投下を含む連合国の過去を再審し、反省する必要はあるし、そのことなしに“紛争の最小化”の実現は望み得ないと信じています」
若宮「まさに安倍政権の問題点は、現在の安全保障の問題と、復古的なナショナリズムとが結びついていることにあると思います。今回、朝日が集団的自衛権に強く反対したのも、そうした安倍政権への警戒という面が強いからでしょう」

宮崎「安倍政権のどこに危険性を感じますか?」
若宮「中国や韓国には安倍さんを軍国主義者と見る傾向がありますね。僕は、まさかそんなことはないよと、中国や韓国で弁護しているんですよ、安倍さんは知らないでしょうが(笑)。ただ、安倍さんの歴史認識が挑発的に見えるのは外交戦略的にいかにもまずい。総裁選に出馬したときには、村山談話・河野談話を見直したいと発言し、首相就任後は、前回は我慢した靖国参拝をついにやってしまった。しかもA級戦犯を擁護する。あの小泉さんでも、A級戦犯は戦争犯罪人だと言い、村山談話と同じように、過去の日本が間違っていた、侵略をした、と繰り返していた。これに対して“侵略”をあいまいにしたい安倍さんの姿勢は、憲法改正の強い願望とあいまって『戦前のような国にしたいのでは』と思われて緊張を生む。これでは“積極的平和論”になりません」
宮崎「靖国神社についてはどうお考えですか」
若宮「毎年、日本武道館で戦没者追悼式が開かれて、そのつど舞台にヒノキの慰霊柱が設置されます。私はそれを恒久的な施設として作ればいいと思う。反対派の人たちは、『新しく作っても魂が入っていない』と主張しますが、天皇陛下は毎年、ヒノキの慰霊柱に頭を下げています。それが無意味だというのでしょうか。やはり国のために命を失った人をリスペクトする施設は必要です。靖国神社は神社として存続すればいいと思いますが、やはり陛下がお参りできない状態が続いているのは問題でしょう。安倍さんが思い切って追悼施設の新設を決断すれば、大したものですがね」

宮崎「年来、主に韓国から慰安婦問題の解決が要求されてきました。これに関連して、若宮さんは『新聞記者』(ちくまプリマー新書)で《中には力づくの“慰安婦狩り”を実際に行ったという日本の元軍人の話を信じて、確認のとれぬまま記事にするような勇み足もあったが、お婆さんらの証言や政府の資料を積極的に報じて問題をなげかけた》と記してあります。若宮さんは、朝鮮半島および台湾で日本軍もしくは日本の官憲によって“奴隷狩り”のような強制連行があったとお考えですか」
若宮「奴隷狩りのようなものはなかったでしょうね。ただ、それは本質論ではない。軍などの意を受けた業者が相当な無理をし、騙したりもして集めた例が多いわけで、制度の全体に強制性があったことは間違いない。私が“勇み足”と表現した元軍人・吉田清治の証言を何度も載せたことについては、朝日新聞はすでに1997年の検証で事実を確認できないとし、引用をやめたと読者に説明していました」

宮崎「以前、若宮さんにお目にかかったとき、『実は条件さえ整えば、改憲でもいいと思っているのでは?』と尋ねたことがあります。すると『問題はその条件だけどね』と諾った」
若宮「そんなことがありましたかね(笑)。もしも、いま何の前提もなく憲法を作るのであれば、自衛隊を持つ、と書く方が正直だと考えます。しかし、9条ができたのには相応の経緯があり、戦後70年にも及ぼうとする歴史の中で様々な議論・解釈を積み重ねて定着してきた。周辺国にも『平和憲法の国だ』と唱えてきたのに、いま、わざわざ改憲する必要があるのかと思うんです。もしも、自衛隊を改めて憲法に位置付けるとしたら、やはり日本の侵略責任をきちんと認めることが大前提でしょう。過去の日本軍のやったことを総括し、その上で、新しい自衛隊を作ったという、過去との違いを明確にすることが、改憲の第1条件だと思います」

宮崎「創設から60年を経た自衛隊ですが、民主国家に相応しい実力組織に育ったとは思われませんか」
若宮「実態はほとんどそうでしょう。ただ、一方で田母神俊雄さんのように、政府が踏襲してきた村山談話に公然と反発して過去の戦争を正当化する人が航空自衛隊のトップにいたし、それを支持する政界人も少なくない」
宮崎「戦後の憲法の枠組みにおいて、自衛隊が正当に位置付けられてこなかったことが不満の一因となっているのでは?」
若宮「かつて自衛隊を“日陰の存在”のように扱ってきたことに問題があるのは、その通りです。しかし、その責任は『自衛隊は違憲だ』と言ってきた左派だけではなく、右派・保守政治家にもあると思うのです。自衛隊は半人前の存在だ、だから憲法改正が必要だ、という議論をしてきた」
宮崎「改憲派にも反省すべき点は多々あります」
若宮「もちろん外交など様々な努力をしても、いざという時はあるんだから、その時には自衛隊に命を張ってもらわなければいけない。それは崇高な使命だと思う。だから、普通の軍隊とは違っていても、堂々と胸を張って良い、誇らしい存在でなければならない、と考えて、私は社説で書いてきたつもりです。“新戦略”の中で準憲法的な“平和安全保障基本法”を提唱したのもそのためです。来年は戦後70年を迎えます。集団的自衛権が法制化される国会も迎える。私の希望的観測も交えて言うなら、この機会に朝日新聞もじっくり腰をすえて新たな“新戦略”の議論を展開できるのではないでしょうか」 (8月1日)

               ◇

「あらゆる手段を使って、国民を守るのが国家」 橋本五郎(読売新聞特別編集委員)
宮崎「集団的自衛権の行使容認の閣議決定をどのように評価されていますか?」
橋本「集団的自衛権の行使容認についての議論は、国論を二分しました。反対の意見の中で最も力を持っているのは、『戦争をする国になる』『子どもを戦場に送ってはいけない』という声です。まるで“葵の御紋”のように出されると、多くの国民は反論しづらくなってしまいます。しかし、そこで思考を停止してはいけません。集団的自衛権を議論するときにはまず、基本に立ち返るべきです。基本とは何か。それは国家とは何か、ということです。どんなことがあっても、あらゆる手段を使って、国民を守るのが国家です。そのことを根本に据えていない国家は国家ではないと思います。そのことを国民に気づかせたのは、2002年9月の小泉首相の北朝鮮訪問でした。それは外交の常識を踏み外したものでした。日本は北朝鮮を国家として認めていませんし、最高指導官は相手の国と仲良くするときにしか行けない、というのが外交の常識です。中曽根康弘さんや宮沢喜一さんなど、名だたる首相経験者が外交で冒険をしてはいけない、と批判していました。しかし、私は高く評価しました。小泉首相は北朝鮮に拉致された国民を連れ戻すために行ったからです。国民が不当に連れ去られたら、地球の果てまで行って、草の根を分けてでも探し出して助けるのが国家なのです。私には娘が2人いますが、娘が襲われそうになったら、どんな手段を使ってでも守りますよ。それと同様に国家も国民の生命や財産に危機が及んだら、国民を守らなければなりません。今回の集団的自衛権の議論では、その基本が踏まえられていなかったように思います。集団的自衛権の行使容認が、現在の国際情勢の中で、国民を守るために必要なのか。それを基本に据えて現実的に考えれば、安倍内閣は国家の責務を果そうとしていると言えるでしょう」

宮崎「橋本さんは1994年に読売新聞が出した“憲法改正試案”の作成に加わられています。9条に関しては、第1項はほぼそのままで、戦力不保持と交戦権の放棄を定めた9条の第2項が書き換えられ、『自衛のための組織を持つことができる』とされています。このお考えは今でも変わらないのでしょうか」
橋本「そうです。当時は憲法学者の7割以上が自衛隊を違憲としている一方、国民は8割以上が合憲と考えていました。今も同じでしょう。この憲法と現実のあまりの乖離に心ある憲法学者は煩悶していました。“ジュリスト”という法律雑誌の日本国憲法50周年の特集号(1996年5月1-15日号)には、当代一流の憲法学者が集った座談会が掲載されています。その中で芦部信喜東大名誉教授は次のような発言をしています。『自衛隊違憲論を一方で掲げながら、9条の非武装の理念を守るため改正を唱えるべきではないという考え方は、筋は通るが、政治に対しても国民に対しても、訴える力が非常に弱くなってきている。学説と国民意思が離れすぎてしまっているのではないか』。これを受けて、高橋和之東大教授(当時。現在は明大教授)は自衛隊違憲論を唱えてきた大きな代償として2つのことを指摘しました。1つは憲法学者は非現実的すぎるという印象を国民に与えて、憲法学者の信用や説得力を低下させたこと。もう1つは現実が憲法規範通りにはいかないのが通常のことだと、憲法軽視の意識を国民に蔓延させたことです」

宮崎「昨年、96条の改正が議論の的となったとき、改憲のハードルを下げることは立憲主義の危機という趣旨の反対論が盛んに唱えられました。しかし、そういう風に原理を持ち出すのであれば、9条はどうなのか。文言と実態とが平然と乖離しているではないか。国民の多くが憲法の文言が政治を律していないと感じるようになったときこそが立憲主義の危機状況ではないでしょうか」
橋本「おっしゃる通りです。集団的自衛権の議論で、憲法解釈を変えるのは立憲主義に反するという意見を聞いたときには、あ然としました。そのような意見を言う人たちは、従来の『自衛隊は自衛のための最小限度の実力組織であって、戦力にはあたらない』という内閣法制局の憲法解釈を、自衛隊が違憲であることをごまかすための大ウソだと言ってきたんですよ。憲法解釈の変更が立憲主義に反すると言うのなら、以前の憲法解釈は正しかったとまず認めるべきです。憲法と現実の乖離を解消するための道は2つしかありません。1つは違憲である自衛隊を解体する。そうすれば、9条は実現されます。もう1つは憲法9条、特に第2項を改正して、自衛隊の存在を認める。これだけの規模と実力を持っている自衛隊が軍隊ではないとか、戦力にあたらない、というのは、子どもが考えても、おかしいと思うはずです。認めた上できちんとコントロールするのが現実的な方法ではないでしょうか。ただ、軍事力は必ず膨張するものですから、歯止めがなければなりません。それを抑えるのは、財政の論理と戦争を放棄した9条第1項だと思います。理想はやはり理想として掲げることが大事です。しかし、第2項は理想と現実があまりにも乖離していて、不誠実です。集団的自衛権行使に反対している人たちにもう1つ言いたいことは、米国は日米安保条約に基づいて、日本が攻められるようなことがあったら、集団的自衛権を使って守ってくれる、ということです。集団的自衛権の行使は認められない、というならば、まず米国に『日本から出ていってください、あとは自分たちでやりますから』となぜ言わないのですか」

宮崎「集団的自衛権をめぐる報道については、どうご覧になっていますか?」
橋本「非常に疑問に思うのは、たとえば朝日新聞の閣議決定翌日7月2日の報道です。見出しを1面から見ていくと、『9条崩す解釈改憲』『ねじ曲げられた憲法解釈』『危険はらむ軍事優先』といった具合です。新聞の第一の仕事は事実を伝えることのはずですが、これらの見出しはすべて価値判断が先に立っています。本来は客観的な見出しをつけて、この歴史的な決定を伝えた上で、解説なり批評を載せるべきでしょう。閣議決定の前後は、連日この調子でした。しかも、関係のない話題で始まるコラムでも、集団的自衛権の話で締めくくられていました。記者が『私は反対していた』という、自分のアリバイ証明のために書いているようで、新聞のあり方としてすごく変だと思います。ざるの中の豆みたいなもので、一方に傾ければ、豆が全部そっちに行くのを見ているようです」

宮崎「朝日と読売は河野談話の検証や見直しについても意見を異にしました。慰安婦問題については、どうお考えですか?」
橋本「まず、今の価値判断に基くシナリオありきではなく、事実はどうだったかをできるだけ正確に伝えることです。と同時に政治家は今の問題、女性の人権や戦場における性暴力の問題としても考える必要があります」
宮崎「朝鮮半島や台湾など当時、日本の領土だった地域では、官憲による“奴隷狩り”のような強制連行はなかったとお考えですか?」
橋本「『あった』という事実は未だ確認されていません。それはきっちりと検証すべきです」
 【※橋本追記】インタビューの後の8月5日、朝日新聞が慰安婦問題報道の検証記事を出しましたが、新聞のあり方を考えたとき、朝日に対しては厳しくならざるをえません。誤りを認めるのが遅すぎます。しかも、同日1面の編集担当の『慰安婦問題の本質直視を』の記事は、潔くありません。研究が進んでおらず全体像がわからなかったということは、言い訳になりません。誤報が発端になって、河野談話や国連人権委員会の報告、さらには米国各地に広がる従軍慰安婦の石碑へと国際社会の誤解が広がっていったのですから、まずその責任を取らなければなりません。なぜ、長い間、誤りを認めなかったのか。先入観をもってひとつの価値観で裁断してしまうことの危険を感じます。それはまた朝日に限らず私たちマスコミを待ち構える陥穽でもあります。

宮崎「次に靖国問題についてうかがいます。これも膠着しているかにみえる重大事案の1つですが、解決策はありますか?」
橋本「最善の解決方法は、A級戦犯の人たちを靖国から分祀することで、A級戦犯のご家族も認めるところまでいきました。それが宮司の判断でできなかった。まさに痛恨の極みです。しかし、そういう中では無宗教の新しい国立施設を作るしかないというのが読売も含め、多くのマスコミの主張です。ただ、靖国でなければ意味がない、と言う意見もありますね」
宮崎「たとえば櫻井よしこさんはそうおっしゃっていますね。橋下さんご自身は?」
橋本「非常に難しいですね。櫻井さんがおっしゃっていることも傾聴に値します。ですから、無宗教の新しい国立施設に軸足を置きつつ、他の意見にも耳を傾けていこうと思っています」

宮崎「最後になりますが、朝日が左派・リベラル派というのは衆目の一致するところでしょうが、これに対し読売新聞は保守派ですか?」
橋本「憲法改正を提案するというのは、保守なのかどうか……」
宮崎「必ずしも改憲派=保守とは言えないでしょう。ちなみに私はやや右寄りのリベラルですが、憲法については明文改正論者です」
橋本「ずっと記憶に残っている助言があります。それは必ずしも望んではいなかったのですが、16年前にテレビに出演して、政治・政局解説をしろ、と当時の渡邉恒雄社長に言われたときに、櫻井よしこさんが激励の会を開いてくださいまして、『五郎さん、健全な保守で行ってくださいね』と言われたのです。私はこの“健全な”というところに非常に意味があると思いました。保守かリベラルか革新か、それは時代によって変わっていきます。すると残るのは“健全”であるとは何か、ということです。人によって色々な解釈があるでしょうが、私にとっては、様々な人の意見を聞きながら、『私はやっぱりこう思いますよ』とより善きものを求めていくことです。何でも変えればいい、というものではなくて、いいものは残していこうとすること。そう考えると、改革は急激なものにはなっていきません。世の中はそう簡単にひっくり返せるものではないのです」

宮崎「漸進主義ですね」
橋本「そうです。この世に存在するものはみんな意味があるのです。何かを丸ごと否定することはできません。そう考えると、煮え切らない、白黒のはっきりしない、すかっとしない部分がどうしても出てきます。しかし、このすかっとしない部分が非常に大事なのです。そのことを福沢諭吉が明治30年(1897)8月8日の時事新報の社説『新聞紙の外交論』で書いています。《要するに外交の事態いよいよ切迫すれば、新聞紙の筆はいよいよ鈍るの常にして、我輩の如き、身その局に在らずと雖も、外交の事を記し又これを論ずるに当りては自から外務大臣たるの心得を以てするが故に、一身の私に於ては世間の人気に投ず可き壮快の説なきに非ざれども、紙に臨めば自から筆の不自由を感じて自から躊躇するものなり。苟も国家の利害を思ふものならんには此心得なかる可らず。此心得あるものにして始めて共に今の外交を談ず可きのみ》。外交は国家の大きな利益、国民の命に関わることだから、すかっとすればいいというものではない。言動に責任を持たなければならないということをかの福沢が言っているのです。“健全”であるためにも、すかっとしない部分に耐えて、自分の考えを鍛えていく、この心得が必要なのではないでしょうか」 (8月4日)


キャプチャ  2014年秋号掲載
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