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【若者50年の足跡】(01)数の力、企業と蜜月――団塊世代、大量消費の担い手に

団塊の世代が青春時代を過ごしていた1960年代から半世紀が過ぎた。消費・ビジネスから文化・地域・家族関係まで。各時代の若者は世の中とどのように関わってきたか、今の時代にどんな足跡を残しているかを連載で探っていく。初回は学生運動などに象徴される「抵抗と挫折の世代」と語られてきた団塊世代の実像を描く。

1964年夏。東京・銀座の一角に風変わりな若者が集まり始めた。米国の大学生風あり、ステテコのようなズボンにビニールコートあり。街並みと調和しているとは言い難い。彼らは出産ラッシュに生まれ、ゆとりある家に育った都内の中高校生たち。通りの名から『みゆき族』と呼ばれた。仕掛け人不在の、日本で初めてストリートからわき出たファッションだ。商店主は排除に乗り出すがおしゃれな若者は増えていく。そんな新世代の男子に未来を感じる企業もあった。






ソニーは1966年銀座に日本初のショールームビル『ソニービル』を開業した。盛田昭夫(後の社長)の陣頭指揮で当時の資本金に匹敵する額を投資した。狙い通り、ソニーブランドは団塊に先端・一流・楽しさのイメージで刷り込まれた。夏の発売、記号のような名称、黒い容器、客は男子高校生――。資生堂自身が“反・資生堂”商品と位置づけた『MG5』も団塊男子を狙った。今も整髪料などの現役ブランドだ。社内でも異論があったが企画は通った。団塊市場にそれだけ魅力があったのだ。

小学生で週刊少年マガジン・サンデーが創刊。エポック社『野球盤』で友達と家で遊ぶ習慣をはぐくむ。20歳を超えるころ、銀座三越にマクドナルドの日本1号店が開店した。親や地域に代わり、新商品や新店が若者の価値観をはぐくみ始めた。「日清食品のチキンラーメンによって、日本の男性は食事を自分で用意することに抵抗感が減った」(東京ガス・都市生活研究所)。企業と若者は蜜月状態にあった。

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団塊世代は学生運動や反抗・挫折といった言葉で語られがちだ。しかし「団塊が戦後日本に与えた最大の影響は、大量消費社会の担い手であること」だと消費社会研究家の三浦展はみる。大学生は同世代の2割程度。みゆき族と同じ1964年には集団就職を歌った『あゝ上野駅』がヒットした。世代の多数派はまだ中卒・高卒だった。学歴を問わず共通するのが上京者の多さだ。まずアパートに住み、やがて郊外に家を買い、モノをそろえる。数を誇る団塊の若者に社会も企業もすり寄った。“数”は、やがて重荷になる。堺屋太一は彼らがまだ20代後半の1976年、小説『団塊の世代』で大量リストラを描いた。予言は1990年代に的中するが、1980年代いっぱいは蜜月が続いた。

団塊世代には純粋な消費者に納まらず、ないものは自分たちの手で作る人々もいた。同世代の多さがビジネスの土台となるのが、この世代だった。時に後続の世代にも支持され、広く普及していく。「評論家の推薦より自分で映画を選びたい」。矢内広が大学在学中に『ぴあ』を創刊した動機だ。放浪の旅から帰国した足で出版社の入社式に参加した西川敏晴は『地球の歩き方』を1979年に立ち上げた。1980年代に広告文化を主導した糸井重里は漫画家になろうと1967年に上京した。“しゃれた字体で立て看板を描くと怒られる”学生運動に嫌気がさし、運動から足を洗い大学も中退。「企業の代弁でなく、消費者の代表」という姿勢で「ほしいものが、ほしいわ。」などの斬新なコピーを生んだ。

大企業が相次ぎ破綻した1990年代は飲食店経営を志す若者が増えた。目標となったグローバルダイニング社長の長谷川耕造も団塊世代だ。大学中退後、海外放浪を経て喫茶店を開業。徹底した実力主義で社員の地位と給料を決める手法は広く影響を与えた。ファーストリテイリング会長兼社長・柳井正も似た空気をもつ。自由と自発性を重んじ、秩序や価値観をひっくり返す。集団主義で焼け跡からの復興をひたすら目指した前世代とは一線を画す経営が、こうして生まれた。

社会から歓迎された男性に比べ、少し事情が違ったのが同世代の女性たちだ。「大学までは男女平等といわれ、社会に出るとき門が閉ざされているのにがくぜんとした」。作家の吉永みち子は当時を振り返る。1971年、戦後2番目の出産ラッシュが始まる。1947年に生まれた団塊世代の先頭集団が24歳になった年だ。以後4年間、年間出生数は再び200万人を超す。いわゆる団塊ジュニア世代だ。第1の出産ラッシュは戦後の平和と男性たちの復員という世界共通の特殊な背景があった。米国でもクリントン夫妻がベビーブーマーとして誕生している。しかしそのジュニア世代という人口の山は、ほぼない。なぜ日本には2つ目の人口の山があるのか。女性は24歳までに結婚、キャリアを捨てて“寿退社”し、ただちに第1子を出産すべきだという社会の圧力が、強かったことを示唆する。こうして団塊女性たちの多くは“家庭に入る”道を選ぶ。消費や社会参加で大人の若い女性が表舞台で本格的に活躍するには、まだしばらくの時間を要した。 《敬称略》

               ◇

団塊世代は幸福な世代か、それとも挫折の世代か。同世代を意識した作品や随筆を多数発表してきた作家で武蔵野大学文学部長の三田誠広氏に聞いた。

全共闘運動をしていた団塊学生の多くが、なぜ先鋭化せず企業社会に入っていったか。日本が豊かだったからです。アルバイトに行くと、びっくりする金額がもらえる。働けばお金が入ってくる。中退しても生活できると思えば怖いものなしです。高度成長を見て育ち、楽観的で上昇志向が強いのが団塊世代です。経済成長と自由が大好きで、統制が嫌い。決して反・経済ではありません。学内のセクトの指導者は10歳くらい上の安保世代。敗戦を知っており反米意識も強かった。私たちの世代は米国のものが大好きです。大卒だけではなく中卒・高卒の人たちも、この点は同じ。セクトは軍隊のような上意下達で、禁欲的で原理主義。これはついていけないと自然に思えました。

大半の若者はそうした原理主義に足をすくわれなかった。だから多様な文化が生まれました。最初は雑誌でファッションを学んでも、すぐに若者自身が着こなしを発案し雑誌が後追いしました。漫画雑誌から自動車まで、この世代を狙えば必ず量的に売れます。巨大な消費者として甘やかされたとも言えます。ただし、オリジナルなものを自分たちで作りだそうという機運もありました。大学では大教室の講義に満足できず自主講座を開く。先生は大変だったろうと思います。

就職でもあまり苦労はしていません。企業も、少しくらい暴れていた学生の方が元気でいいという姿勢だったので。だから実は挫折がない。職場でも学生時代同様、理屈っぽいままです。部下に嫌われて当たり前ですね(笑)。学生運動というお祭りが終わると自分たちで会社を作る人もいました。趣味の合う同世代が多いから成り立ってしまうんです。ただ女性は男女平等の教育を受けながら就職や結婚で壁にぶつかった。それでも後の歩みをみると、やはりこの世代だと思います。結婚し出産してからは、子育てしながら地域社会の担い手になりました。これが今のNPOや生協・コミュニティー活動の基盤になりました。家庭に入っても社会を変えてきたんです。

いまデモをするアラブや欧州の若者を見ていると、若いときの自分たちと重なります。働いても人生がよくならないと思うと、過激になる。私たちはそうならなかった。全体としては幸運な世代だったと思います。


みた・まさひろ 1948年大阪生まれの団塊世代。高校休学中に執筆した『Mの世界』で文壇にデビュー。1973年早大卒後、会社員生活を経て1977年、全共闘運動の中で戸惑う大学生を描いた『僕って何』で芥川賞受賞。他の著作に『いちご同盟』『漂流記1972』『団塊老人』などがある。66歳。

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編集委員・石鍋仁美が担当しました。


▼団塊世代 命名者・堺屋太一氏の定義では1947年から1949年の3年間に生まれた806万人を指す。現存人口は668万人(2010年調査)。広義には年間出生数が200万人を超えていた1951年生まれまでを指すこともある。


キャプチャ  2014年10月5日付掲載
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