【ピケティ狂想曲・ブームの賞味期限】(02) ネタ化する学術書ブーム――ガルブレイス・ネグリ・サンデル…分厚い学術書はなぜ売れ、なぜ忘れられるのか

フランスの経済学者トマ・ピケティの『21世紀の資本』(邦訳・みすず書房)が日本のマスコミで話題になり、首都圏や近畿圏の大型書店では関連本コーナーが設けられている。「700ページの大著であるにもかかわらず、アメリカのAmazonの総合売り上げで1位になり50万部も売れたすごい本」という(まるで映画のような)前評判があったので、日本でもブームになることはある程度予想できた。私にとって多少意外だったのは、フランスやドイツの哲学系のかなり難解な本を出している地味な出版社というイメージが強いみすず書房が版元になっていることだった。

みすず書房で思い出すのは、一昨年から昨年にかけてのプチアーレントブームだ。映画『ハンナ・アーレント』が岩波ホールで盛況を博したおかげで、普通の人は存在さえ知らなかった哲学者アーレントの本がプチブームとなった。みすず書房からはアーレントの著作が数多く刊行されているが、映画との関連で重要なのは『イェルサレムのアイヒマン 悪の陳腐さについての報告』だ。ユダヤ人の強制収容を担った責任を巡るアイヒマン裁判に関する見解を述べ、当時ナチス擁護との批判を招いたこの本も結構売れた。ただ、にわかアーレントファンたちは彼女を「世の中の風潮に逆らって自分の考えを堂々と述べた思想家」として薄っぺらく称えただけで、アーレントが何を指摘したのかという肝心な点を全く理解していなかった。「アーレントで儲けて少し商売っ気を出したのかな」と意地悪な見方をしていたら、そのうちNHKでピケティを主人公にした連続講義番組『パリ白熱教室』が始まった。案の定、『21世紀の資本』の新しい帯には「NHK“パリ白熱教室”はこの本の講義から生まれた」と謳われている。2010年には『ハーバード白熱教室』を機に、ごく少数の専門家にしか知られていなかった政治哲学者マイケル・サンデルが日本でスターとなった。直後に翻訳刊行された『これからの“正義”の話をしよう――いまを生き延びるための哲学』(原題は『Justice』で、“これからの”も“生き延びる”も入っていない)が80万部という異例のベストセラーを記録。これを意識し、今また白熱教室ブームを再来させようとする意図がメディアと出版業界の双方に働いているのか明らかだろう。




プチアーレントブームと同様、サンデルもかなり薄まった形で“受容”された。本来なら“反省的均衡”といって、「参加者が価値観を明確に言語化した上で、討論を通してそれぞれの見解の不十分な点を反省し、相互に立場を修正しながら次第に了解可能な結論へと導いていく」という議論の方法が重要なはずだ。だがメディアやにわかファンたちは、“参加型の講義”という表面的なところにだけ注目し『白熱教室』ブームを作り上げた。実際には、価値観も覚束無い学生に発言の機会を設けた大学の授業を何でもかんでも“白熱”と称して持ち上げただけだった。サンデルブームは過ぎ去ったが、「コミュニケーションやプレゼンテーションを重視するアメリカ式の授業はすごい」と思い込む人は若干増えたようだ。「~の話をしよう」「白熱~」というところだけ真似た本や雑誌の特集のタイトルも増えたが、最近ではあまり見かけない。NHKはその後も『白熱教室JAPAN』『スタンフォード白熱教室』などシリーズを続けているが、そのうち参加型はあまり関係なくなり、世界各地の名物教授が生き生きと講義しているところを紹介する番組になった。それでも、学問全体の面白さを独特のプレゼンで伝えるというサンデルの『白熱教室』との連続性をある程度意識したコンセプトになっていた。これに対して、『パリ経済教室』は経済学という学問そのものへの導入ではなく、話題になっている『21世紀の資本』という本の中身を著者自身が紹介しているだけ。あの講義あるいは本を見て、「これが経済学の基本だ!」と思う人はさすがにほとんどいないだろう――もし、そう思い込む人が多数いるとしたら有害でしかない。

では、(白熱して議論すべき対象とされている)『21世紀の資本』は日本にどういう問題を提起しているのか。中心的な主張は、アメリカの経済学者サイモン・クズネッツが提唱した「資本主義が発展すると所得格差は自動的に縮小し、受け入れ可能な水準で安定する」という理論は誤っており、格差は拡大する傾向にあるというものだ。それをピケティは統計的資料に基づいて明らかにし、その結論を“資本収益率(r)>経済成長率(g)”という不等式で表現した――数学的な学問への憧れの強い人間は、こういうのを見るとすぐに参ってしまう。しかし、ピケティは「“r>g”の傾向がある」と彼なりの“資本”の定義とデータに基づいて主張するだけ。どういうメカニズムでそうなるのか、それは“資本”の本質から来る必然性なのか、原理的に説明しているわけではない。マルクスなら「資本家が労働力を搾取し、“資本”の形で吸収しているから」と言うところだが、ピケティは“格差”の実例を挙げるだけでその手の主張はしていない。ブームに便乗する人たちは“r>g”を呪文のように唱えるだけで、その意味するところについて“白熱討論”するつもりはなさそうだ。ピケティをネタにした国会でのやり取りに象徴されるように、関心はもっぱら彼をどう利用するかである。“ピケティ支持”のリベラル派は、『21世紀の資本』を「格差社会日本への警鐘」と受け止め、「彼の言うように資本や富裕層への課税を強化すべきだ」といつも通りに主張する。それに対し、市場経済擁護派は「成長なしに分配するだけだとジリ貧になるだけ」とやはりいつも通りに返す。ピケティは経済成長のための秘策や幸福や正義に適った分配の基準について語っているわけではないので、彼を手掛かりにいつもの議論を前進させるのは無理だ。

『21世紀の資本』の最大の魅力は恐らく、マルクスのビジョンを21世紀に蘇らせようとするかのようなそのタイトルだろう。ウォール街での格差反対デモや、財政赤字削減と景気刺激の板挟みになっている日本経済の閉塞感など、『資本主義』を巡る終末論的な雰囲気を感じている(その欲求不満を解消するべく現政権を糾弾したい)人たちが資本主義に引導を渡してくれそうなタイトルに期待するのは無理もない。しかし、ピケティは革命家ではない。十数年前、グローバルな支配を実現しつつある“帝国”をマルチチュード(群衆)が簒奪する可能性を示唆したアントニオ・ネグリらの『<帝国> グローバル化の世界秩序とマルチチュードの可能性』が21世紀の共産党宣言として称賛された。しかし、それもすぐに忘れられてしまった。左派が期待していたようなハルマゲドンは起こらなかった。グローバルな累進課税で資本主義を制御しようと控えめな提案をする『21世紀の資本』ブームはどうなることだろう。 (金沢大学教授 仲正昌樹)

■時代を彩った流行書たち
石油危機・冷戦崩壊・9.11テロと混迷の度に専門家の英知が求められてきた。読み通せたかどうかは別の問題だが(数字は訳書刊行年、副題略)。
①1974年…『マネジメント』 ピーター・ドラッカー(経営学者)
経営指南の理論書だが、会社と一体化した企業戦士にも啓蒙書として広まった。
②1978年…『不確実性の時代』 ジョン・ケネス・ガルブレイス(経済学者)
経済学史を軸に揺れ動く資本主義に迫る同書は、インフレ不況の不安な世相に合致。
③1979年…『ジャパン・アズ・ナンバーワン』 エズラ・ボーゲル(政治学者)
高度成長の分析から日本の優秀さを絶賛。石油危機に苦しむ社会に慰めを与えた。
④1992年…『歴史の終わり』 フランシス・フクヤマ(政治学者)
ソ連崩壊で自由民主主義が永遠に勝利したと分析。西側の一員としての高揚が伝わる。
⑤2003年…『<帝国>』 アントニオ・ネグリ(哲学者)ほか
“群衆”にグローバル化に対抗せよと決起を促す。9.11後の不安を突いた。
⑥2010年…『これからの“正義”の話をしよう』 マイケル・サンデル(哲学者)
現実の難問に議論を通して迫っていく。テレビと本のメディアミックスも効果があった。


キャプチャ  2015年2月24日号掲載


スポンサーサイト
Categories
Profile

KNDIC

Author:KNDIC
Welcome to my blog.

Latest articles
Archives
Counter
I'm participating in the ranking.

FC2Blog Ranking

information
Search
RSS Links
Link
QR Code
QR