英語版が世界的なベストセラー!―― トマ・ピケティ『21世紀の資本』で読み解く「アベノミクスは是か非か?」

フランスの経済学者トマ・ピケティが発表し、英語版が出るや否や全米で50万部のベストセラー。日本でも700ページの翻訳版が話題に。日本語版の翻訳に携わった山形浩生氏に、その要旨と同書から日本経済の現状をどう解説できるのか寄稿してもらった。

ピケティ『21世紀の資本』は決して難しい本ではない。分厚いだけだ。主張は明解だし、欧米の分厚い基礎文献の常として基本的なところも丁寧に説明する。それをまどろっこしく感じる人もいるかもしれない。訳しながら、ちょっとゲンナリしたのは事実だ。それでも、読者の皆さんは訳者とは違って知っている部分は飛ばせばいい。本書の内容については、既に多くの雑誌記事やアンチョコ本はおろか、NHKの番組『白熱教室』でもピケティを取り上げかなり解説が行われている。そして本書は、こけおどしの難解さで無内容な意味不明さを誤魔化すような哲学書ではない。基本的な話は“r>g”。資本(これは不動産・株・事業用の資産や設備・債券などバランスシートの資産に挙がるもの全て)の収益率(r)は、経済成長率(g)を上回るのが普通ということだ。トレンドを見ると、rは大体4%くらい、gは今世紀だと1.5%くらいかもしれない。“r>g”だとどうなるのか? こういう状態が続くと、資本のほうが経済全体よりも急速に拡大しかねない。経済成長と同じくらいしか増えない労働所得に対し、資本からの不労所得がどんどん大きくなり格差が高まる。しかもその資本が世襲されれば、その格差は拡大する一方となる。これを避けるためには、資本からの収益を税金で下げることが必要となる。両者の差は年率3%ほどだから、資本に2~3%の税金をかければ格差増大の力が相殺される! ピケティはこの課税を一国内に留まらず、グローバルな規模で行うことを提唱した。これは邦訳書の帯にすら書いてあることだ。そして多くの人は、それだけ読んで何か本書がわかったような気になる。「そんなの知ってたよ、大したことないね」と嘯く人もツイッターなどでたくさん見かける。でもそれでは、この本がなぜ騒がれているのか、つまりは本書の価値は理解できない。




この本の偉さはまず、過去数百年の課税台帳を穿り返すところから始めて、前述の話を実証的に示したことだ。現代の経済学は、20世紀前半に確立した。その理論の相当部分は当時のデータを基にしている。そしてその後、誰もそれを検証しなかった。ピケティはこのデータを改めて見直し、実際のデータがこうした理論の前提とは一致していないことを説得力ある形で示した。こうした経済学の基盤の見直しこそ本書の大きな意義だ。一方、同じ経済学でもファイナンス理論の世界では“r>g”はむしろ常識に属する話で、この分野の人々はこの騒ぎに首を傾げている。ある意味で、これは経済学の中でこれまで隠れていた分断を明らかにした面もあるのだが……そちらの話はここでは飛ばそう。言うなれば、本書の力は実証の力だ。「理論がどうあれ、データはこうなっています」と言えるところに本書のパワーがある。だからこそ、本書は従来の「格差は拡大している、いやしていない」「格差は不当だ、いや実力とITによる当然の結果だ」という最近の格差議論に多かった水掛け論や印象論を押さえて、今後の議論の基礎となるだけの力を持ち得ている。そして、それがある意味では本書の弱さではある。

この本は、「なぜ」という疑問に必ずしも答えてはくれない。なぜ21世紀の経済成長率は1.5%になるのか? 理論的にはわからない。トレンドを見るとそうなっているからだ。なぜ“r>g”でrが4~5%を保つのか? 色々仮説は出ているけれど、結局は「色々あるだろう」という話になる。多くの紹介記事で、この本が「格差拡大のメカニズムを明らかにした」などと書いてあるのは明らかに勇み足だ。むしろ、今後のそうしたメカニズム解明のために基盤を作ったのが手柄ではないか。さらに、「格差が開いてなぜ悪いのか」という点についても、その弊害を実証するところまではきていない。格差拡大は、現在の社会を成立させている価値観に反するし、民主主義の基盤も弱めるという指摘はあるし、それは事実だろう。格差が開けば社会不安が起き、革命や動乱が起きることもある。でも、今の日米欧の社会がその水準まで来ているのか? これはわからない。だから、ピケティは文学作品などの引用を通じて、少し情緒的な議論を展開するけれど、それを説得力あるものと思うかどうかは読者次第。しかし、格差が開き過ぎるのは問題だとは言えるし、経済成長が低いと貧困拡大にも繋がるのは確かではある。じゃあ、その対策とは? そして、現代日本への示唆は? 特にアベノミクスへの示唆は何が得られるだろう? この部分は多くの混乱が生じていると思う。この本が「アベノミクスを否定している」と断言する論者もいれば、「いやアベノミクス肯定だ」と言う論者もいる。なぜ、こういう正反対の議論が出てくるんだろうか。それは、本書が分厚いのであちこちつまみ食いしやすく、論者の多くが本書をきちんと読んでいないからだ。そしてまた、著者自身の議論の仕方もそれに拍車をかけている面がある。

ピケティの一押しは、さっき説明したグローバル累進資本税だ。でも、本書で挙がっている格差縮小の手段は他にもある。以下の6つだ。

●経済成長
●技術の普及と技能向上(つまりは教育)
●インフレ
●累進所得税
●相続税
●福祉などの移転

これにグローバルな規模での累進資本税を加えて7つの方法が紹介されている。しかし、多くの人はグローバル累進資本税しか提案されていないと思っている。これまでに刊行されたアンチョコ本や紹介記事の説明でもそれしか出てこない。なぜだろう? それは、ピケティが自分のアイデアであるグローバル累進資本税の旗を振るため、他のものについては効き目を認めつつも、いかに欠点が色々あるかを同時に並べ立てるからだ。そのおかげで読者は、そうした他の方策に効き目が無いかのような印象を受けてしまう。

例えば経済成長。“r>g”が問題なんだから、経済成長(g)が高まればそのぶん両者の差は縮まり、格差をもたらす力は下がる。ところが、ピケティは第2章で丸々かけて、長期的に見ればいかに経済成長が起こりにくいかを語る。だから今後、経済成長は起こらないといった成長否定論者がピケティを矢鱈に引き合いに出す。でも、本書は経済成長の効き目を否定するものではない。まして、ピケティですら1.5%の成長率はありそうだと認めているんだし、今の日本経済が現状に甘んじるべき理由なんかない。人口減少のおかげで、確かに日本経済は不利な状態ではある。一方で、過去20年のデフレ不況による産出ギャップがあるから、それを埋めることで高めの経済成長は実現できるはずだ。インフレも、それが特にヨーロッパで戦後に格差縮小に大いに貢献したことを述べる一方で、いかに不均等な効き方をして、トップの金持ち層は逃げ道を見つけるし、あれやこれやと欠点を並べた。多くの人はこれを読んで、「ピケティはインフレがダメだと言っている」ように思ってしまい、インフレ目標政策を批判したりする。累進所得税も、戦後の格差縮小に大いに貢献した。では、所得税の累進性をまた高めれば格差縮小には役立つはずだ。「資本の世襲が良くない」と言うんだから、相続税で対応することもできる。日本だって相続税をもっと上げて捕捉率も高め、各種の抜け穴を無くせばいい。でもそれぞれ、なぜかつまらない理由からつれない扱いを受ける。結局、「あらゆる方策はグローバル累進資本税には劣るので、これをやるしかないんだよ」とピケティは言っているようにみんな思ってしまう。でも実際によく読んでみると、ピケティはこうしたものにある程度の格差縮小の効力があることを充分に認めている。多くの論者は自分の主張に合うように、それぞれについて肯定的な部分や否定的な部分だけ取り出して本書を利用する。そういうつまみ食いは、僕は筋が悪いと思う。

僕は、「本書はアベノミクスを否定するものではない」と思う。まず、第1の矢である金融政策、つまり黒田日銀の異次元緩和は、デフレを脱してインフレ(とインフレ期待)を生み出し、経済成長を実現させるためのものだ。経済成長とインフレは、さっきの格差対策にも挙がっていた方策だ。つまりアベノミクスは、ピケティの処方箋にかなり沿っている。では、安倍政権の経済政策が完璧か? そんなことはない。細かく見れば不満は大きい。弱者に不利な政策もたくさんある。再分配策は弱い。特に消費税率引き上げは、今にして思えばどうしようもない悪手だった。逆進性が極めて高く、格差拡大の権化だ。その第2弾引き上げを止めたのは適切な判断だろう。すると、大きな部分では安倍政権の経済政策は、ピケティの処方箋をそれなりに含んでいると言える。細かい政策では確かに課題は大きい。でもその批判だけで全体を否定するのは、偏った議論だと思う。「でも」と言う人もいるだろう。この本は、トリクルダウン(「大企業や富裕層への経済支援を行えば経済の活性化に繋がり、富は低所得者にも徐々に流れて広まる」とする経済理論・思想)を否定したのではないか? だからアベノミクスの目論見がそもそも間違っていることを示したのではないのか? これは答えにくい質問だ。多くの人はトリクルダウンという言葉をかなり曖昧なイメージでしか使っていないし、この本には『トリクルダウン』という言葉は1回も出てこない。何らかの形で金持ちから貧乏人へのお金の流れはあるだろう。その意味ではトリクルダウンは起きる。問題はあくまでその規模だ。それを論じるためには、もっと細かい議論が必須となる。が、今の日本で非正規労働者に過酷な条件を強いていた一部企業が苦労しているのは、底辺層にも景気回復の恩恵があった印でもある。

そもそも本書は、極めて大きな話を極めて一括りに数十年・数世紀単位で議論した本ではある。それをお手軽な目先の1年単位の政策談義に使うには、多少の警戒が必要ではある。でも、安易なつまみ食いからは生産的な議論は出てこないだろう。本稿を読んで、読者の皆さんのうち1人でも多くが本書を手に取り、有益な示唆を自分なりに得てくれればと願いたいところだ。


やまがた・ひろお 1964年、東京都生まれ。東京大学都市工学科修士課程およびMIT不動産センター修士課程修了。大手調査会社に勤務、途上国援助業務の傍ら、翻訳および執筆を行う。主な著書に『“お金”って、何だろう?』(共著・光文社)などがある。


キャプチャ  2015年3月号掲載


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