【『21世紀の資本』を私はこう読んだ】(前編) 資本主義は然して経済成長を生み出さない

本格的な経済学の研究書がベストセラーになることは滅多にありません。その珍しい事例が、いま話題のトマ・ピケティというフランス人経済学者の『21世紀の資本』という本です。フランスで出版された時にも多少の評判ではあったものの、アメリカで一気に火が付き、こうなると万事アメリカの後を追いかける日本でも時ならぬピケティブームと相成りました。アメリカの著名な経済学者のクルーグマンやスティグリッツなどが大絶賛し、「経済学の思考を塗り替える画期的な書物だ」等という評まで出ている。と同時に、「彼の示した統計の扱いに誤りがあった」とか「解釈が不適切だ」等という批判も出ており、欧米ではかなりの論争が起こっています。一体、何が画期的なのでしょうか。ピケティの主張したことはどういうことだったのでしょうか。

実は、彼が扱った問題は極めて古典的なものであり、その回答も驚くほど簡単なものです。彼が取り扱った問題とは、「今日、果たして経済格差が拡大しているのか否か」という問題です。そして、答えは端的に「イエス」というものです。それをふんだんな統計数字に基づいて論証した訳です。これだけなら、特に何という訳でもありません。誰もが感じていることです。誰もが今日、所得の格差拡大を感じているでしょう。しかし彼の主張のポイントは、「経済格差を生み出すものが報酬や賃金から来る所得というよりも、資本の格差だ」と言っている点にあります。端的に言えば、「資産を沢山持っている者は、その資産を投資してもっと金持ちになる。この資産の格差が今日拡大しつつあり、しかもそれは今後益々拡大し、格差は固定されていくだろう」というのです。少し要約しておきましょう。確かに、所得の格差は広がっている。特にアメリカでは、上位10%が国民所得に占めるシェアは1980年頃には30~35%であったものが、2000年代には50%近くになっています。上位1%の上昇率はもっと高く、1980年には10%弱だったものがリーマンショックの前の2006年辺りには25%弱にまで増加している。所得の上位1%とは、2010年で年収凡そ35万ドル(凡そ4000万円)以上ですから、このクラスの金持ちが国民所得の4分の1を占めているということになります。そして、上位10%の者が何と国民所得の約半分を持っていることになります。




同様な傾向はアメリカだけではなくヨーロッパでも日本でも確認でき、イギリスでも1980年前後で6%だった上位1%の取り分は、2000年代に入ると16%弱まで急増した。フランスではそれほど顕著な傾向は見られませんが、それでも1980年代から2000年代にかけて3ポイントほど増加している。日本はと言うと凡そフランスと似ており、1980年前後に凡そ総所得の7%を取っていたトップ1%は、2000年代には10%近くを取得するようになる。矢張り3ポイントほど増加しています。果たして、日本の格差拡大を大きいと言うべきか、然したることは無いと言うべきか、意見は分かれるでしょう。確かに日本の場合、抑々の格差があまり大きくなく、しかもそれは英米ほどには拡大していない。しかし、それでも不況の1990年代・デフレの20年を含めて、この20~30年の間に富裕層は30%ほど所得を増やしたことになります。“平等社会”日本としては矢張り格差は進展したのです。正確には、金持ちが益々金持ちになったのです。このように、先進国全体で程度の違いはあれ1980年代以降、所得格差は進展しています。特に、米英の格差拡大は著しいものがある。これは凡そ予想通りなのですが、問題は「その原因は何か」ということです。市場中心主義に立つ通常の経済学では、こういう説明になるでしょう。「賃金・報酬はその人の能力に応じて決まる。だからトップ層の富裕化は、彼らが通常人より遥かに高い能力を発揮したからだ」と。「彼らはITや他の新技術の開発によって高い生産性を発揮したり、人並み外れた経営能力を持っていた。市場原理とは、特別な能力を持った人に高い報酬を提供するものだ。つまり格差は市場原理の成せるところで、その意味では“公正”なものだ」というのです。しかし、それにしても欧米のあまりに大きな格差は説明できません。

そこでピケティが注目するのは、資本の格差なのです。ここで“資本”というのは、企業の持つ生産資本(労働力を除く)、企業や個人が持つ金融資産や不動産、そして政府が保有する資産等を全て含めたもので、従って資本からの収入とは、企業の利潤・株式の配当や売買差益(キャピタルゲイン)・不動産からの賃貸料・利子収入等です。そこで資本(資産)のシェアはと言うと、例えばフランスではトップ1%のシェアは1980年代で20%強であったのが、2010年には凡そ25%辺りまで増加している。イギリスでは20%強から30%近くまで増加している。ただ、アメリカの増加はそれほどでは無く、凡そ30%から35%弱への増加です。日本についてのデータはありません。こうしたことをどのように解釈するか。先ず言えることは、資本の格差拡大は事実である。それが所得格差を生み出すことも事実でしょう。しかし、それはアメリカとヨーロッパではかなり違い、更にヨーロッパでもフランス・ドイツ・イギリスで其々異なっている。資産分布やその構造は当然ながら国によって違うのです。同じ資本主義といっても、それが拠って立つ社会の土台や歴史が違えば、国によって異なってくる。アメリカでは、確かに資産格差の拡大以上に富裕層の富裕化は著しく、そこにはアメリカ型の企業統治(コーポレートガバナンス)や有名経営者への法外な報酬という特有の事情を見逃せないでしょう。これに対して、ヨーロッパは元々階級社会だったので、資産の分配はかなり歴史的なものを背負っている。また、フランス・ドイツとアングロサクソン(アメリカ・イギリス)の間には、市場経済についての考え方の違いがかなりあるのです。同じ資本主義といっても、国によってそれは随分と異なっている。これは極めて大事なことです。しかし何れにせよ、ピケティが注目するのは資本格差であり、それが所得格差を生み出し、それがまた資本投資を通じて資産を増大させるということなのです。しかも、それが相続によって代々受け継がれる。斯くて格差は固定されていきます。しかも、「このメカニズムは今日、殆ど自動化されてきた」とピケティは言う。それを示すのが、この本の代名詞のようになっている“r>g”という不等式です。

このメカニズムは極めてわかりやすいもので、資本からの収益率(r)が成長率(g)を上回る限り、資産を通じた格差は益々拡大するという。どうしてか。労働者の賃金は精々国民所得の増加に応じてしか増えません。従って、賃金は所詮成長率と同じ程度にしか上昇しない。ところが資本からの収益はこの場合、成長率以上に増加するので、資本の保有者は労働者よりも益々裕福になるのです。こうして、資本収益率が経済成長率より高い限り益々格差は広がる。歴史的に言えば、20世紀の前半から1980年辺りにかけて成長率は収益率を上回っていました。だから格差は拡大しなかった。しかし1980年代以降、収益率は成長率よりも高くなっています。しかも人口減少社会に入り、成長率の低下が予想される今日の先進国では、どう見ても格差の拡大は避けられないということになるでしょう。これは確かに重要な結論です。実は、我々の多くが何となく感じてはいることを統計的に立証してくれたということでしょう。しかし、ピケティのこの本が読ませるもう1つの理由があります。それは、この書物は19世紀からの、つまり資本主義の成立以来の格差を大掴みに提示しているからです。これも大雑把に言ってしまうと、次のようになるでしょう。先ず所得格差は、どこでも20世紀の初頭に最も大きく、そして第2次世界大戦を経て戦後へかけて下がっていく。1910年にアメリカではトップ1%のシェアは18%だったのが、1950年には11%辺りまで下がる。イギリスでも22%辺りから12%辺りまで下がる。フランスでは20%辺りから9%まで下がる。日本では19%から8%辺りまで下がるのです。また資本のシェアを見ると、アメリカでは1910年にはトップ1%が45%を保有していたのが、1950年には30%へと減少し、イギリスでは70%から50%弱へと低下し、1970年には20%強まで低下する。フランスでは60%から35%へ、更に1970年には凡そ20%まで低下している。明らかに、ヨーロッパでは階級社会が崩壊へ向かったのです。

まとめるとこういうことになる。どの国でも、戦前には所得格差・資本格差はかなり大きく、この格差社会がとりわけ1929年の世界恐慌から第2次世界大戦によって崩壊しその後、戦後30年ほど格差は然して変化しなかった。ところが1980年代以降、所得格差も資本格差も再び上昇し、アメリカの所得格差はほぼ戦前の水準に逆戻りしているのです。イギリスも同様です。ただドイツや日本は、戦後の平等化の傾向をかなり保っています。しかも戦後の30年ほどは、福祉政策やケインズ主義によって、政府による市場への介入政策が行われた時期であり、1980年代以降は政府の介入を排して市場競争中心の政策が採られた時期になります。こうなると、今日の格差拡大は市場中心的政策の結果だとも言えるでしょう。先進国がケインズ主義や福祉政策を採用している間、格差は縮小し、新自由主義的な市場中心的政策を採るようになると再び拡大し出したのです。しかも、「この格差は成長率が下がるほど拡大するために、今後介入政策を採らなければ格差は益々拡大するであろう」と言う。だから逆説的なことに、個人の自由や能力主義を最大限に発揮させようという今日の新自由主義的な政策が、却って社会を19世紀風の階級社会へと逆戻りさせているというわけです。少し丁寧に(といっても何せ大部の本ですから、ほんの骨格だけですが)紹介をしましたが、確かにこの書物は今日の大きな潮流である市場中心の経済論に対する強い批判になっている。ポイントは繰り返すと、資本(資産)の格差が我々をもう一度19世紀から20世紀初頭の階級社会型の格差社会へ連れ戻そうとしているというのです。これは確かに大胆な主張でしょう。歴史は決して一方向へ進歩せず逆戻りしつつあるのです。勿論、この本はマルクスの『資本論』とは違っています。資本主義の歴史の必然的崩壊を描いたものでも無ければ、階級闘争を鼓舞しようという訳でもありません。抑々の“資本”の意味もマルクスとは大きく違います。マルクスが「資本主義が行き詰まる」と考えたのは、飽く迄利潤率が極限まで低下するからでした。

それにもかかわらず、どうしてもこれがマルクスを連想させるのは、資本主義がこのまま自由な市場競争を続ければ、軈てはとんでもない格差社会を生み出し、その中で民主的な政治ももたなくなるだろうといっているからです。それが今日の政治の不安定や若者たちの不安、そしてもっと言えば今日の時代的な閉塞を言い当てているからでしょう。という訳で、アメリカでも日本でも本書は今日、グローバリズムや構造改革を推進する新自由主義路線への強烈な批判と見做されることになりました。市場競争条件を整え、それをグローバル化すれば万事ハッピーというアメリカ経済学の根拠無き楽観を打ち砕いたということになります。繰り返しますが、本書はデータの上から「近年の新自由主義の中で経済格差が確実に拡大しており、下手をすれば我々は戦前のあの階級社会へ逆戻りするだろう」というメッセージを発した訳です。「とりわけヨーロッパは、相続財産によって守られてきた階級が戦争によって漸く崩れ、戦後の福祉政策によって平等化が進展したにもかかわらず、階級がまた再現されようとしている」と言ったのでした。斯くて、リベラル派やサヨクが本書に飛び付くのは当然でしょう。無用の長物になりかけていたサヨクに強力な援軍が現れた訳です。序でに言えば、我が国の昨年の総選挙における共産党の時ならぬ躍進も、こうした流れと無関係ではないでしょう。しかし、この書物のインパクトはサヨクだけに限りません。「過度なグローバル市場競争が社会秩序を不安定化させ、政治も不安定化させる」という主張は、実はリベラル派よりも一部の所謂保守派の人たちが強く唱えていたことで、彼らが本書に共感を寄せるのもまた当然でしょう。

しかしまた、「あまり喜んで飛び付くのは早計だ」とも言っておきたいのです。本書には幾つかの問題がありますし、それをそのまま日本に当て嵌めることはできません。何よりも、本書は飽く迄財産相続によって階級を維持してきたヨーロッパ(特にフランス)を主たる事例として書かれたものです。しかし本書が述べるように、資本主義の形は国によって違うのです。理論的に言えば、先ず本書で定義されている“資本”の概念はあまりに広いのです。企業が生産に使う建物や機械から我々が持っている金融資産や不動産・政府資産まで、市場価値で評価される資産は全て一括して“資本”と呼ばれているのです。だから、資本格差と言ってもどの資産が格差を生み出しているのかはよくわかりません。資本も資産も同じ扱いになっている。資本の収益と言っても、企業の投資収益なのか、不動産の賃貸料なのか、ヘッジファンドが扱っている金融商品なのかよくわかりません。それらを一纏めにしているのです。企業の資産なのか、それとも我々個人の資産なのか。民間の資産なのか政府の資産なのか、よくわからない。しかし、それらによって格差構造は違ってくるでしょう。企業が装置や機械をいくら持っていても、別に格差社会にはなりません。しかし、金持ちが資産を金融商品や土地で持っていると様相は違ってくる。しかもこの場合、資産保有者は常にそれを投資して利益を上げることを目論んでいると想定されている。いくら金持ちでも、先祖代々の土地を後生大事に守っているだけでは収益率はゼロです。しかも、仮に財産を株に注ぎ込んだとしても、株価暴落によって資産を一夜で失うこともある。折角の財産を株で全部摩るということも起こるのです。この辺りが曖昧なのです。恐らく、著者が想定しているのは次のようなことなのでしょう。「1980年代以降、先進国経済が自動車や機械や電気製品のような装置型のモノ作りから、金融中心へと移行していった。金融市場が自由化され、金融工学等というものが使われ、誰もが金融市場で資産運用をすれば大きな利益が上げられるようになった。こうなれば、富裕層は手持ちの資産を金融市場や不動産市場で運用して更に増やすことができる。つまり、金融市場の整備や自由化が富裕層を益々有利にした」ということでしょう。問題は“生産活動”と“金融の分離”にあるのです。しかし、先の資本の定義ではそこは必ずしも明快にはならないのです。




更に、この書物をそのまま日本へ持ち込む訳にもいきません。抑々、本書のデータからすると「日本はまだ十分に平等社会だ」ということになります。1980年代以降の資本格差もそれほど大きなものではないのです。しかも、本書は資産格差の解消として累進課税の強化や相続税の強化を提唱していますが、これも日本はかなり高い。とりわけ相続税など、先進国でも最も高い部類であり、どう見てもヨーロッパのような遺産相続によって受け継がれる巨大財産主や土地所有者等という途方も無い資産家は日本には先ずいません。それに、本書では資本の収益率は戦後で凡そ5%前後としているのですが、果たして日本の資産保有者が5%で資産を運用しているかどうか、かなり怪しいでしょう。「多少でも資産ができれば、金融商品や不動産に投資して泡銭を稼ぐ」という金銭的文化が徹底しているのはアメリカであって、日本はまだそこまではいっていない。確かに、企業の収益率も生産活動の利潤率も極めて低い水準になっているので、資本収益率を引き上げているものは我々の飽くなき貪欲であり、ちょっとでも泡銭を増やしたいという情けない懐勘定です。資産の収益率を上げているのは、金融市場での資産運用でしょう。こういう“アメリカ型の日本人”も随分と増えてきました。殆ど“アメリカ人”のような人も出て来ました。また『NISA』などといって、あろうことか政府がこの“アメリカ型日本人”を躍起になって育成しようとしたりもしている。にもかかわらず、「日本はそこまでの金銭主義には浸されていない」と思いたいところです。アメリカの高名な経済学者のフリードマンは嘗て「金を儲けるチャンスがあるのに、それを利用しない者はバカ者だ」と嘯いたことがありますが、まだ日本人の多くはこのフリードマンの歪んだ合理主義には反発するのではないでしょうか。という訳で、ピケティの議論をそのまま日本に持ち込んで「そらみたことか、これから福祉や所得再分配の時代になる」と簡単に話をまとめる訳にはいきません。確かに、新自由主義者は批判されるべきです。構造改革・市場競争強化型の政策は失敗した。だからと言って、そのままそれがリベラル派の勝利であり、社会民主主義の勝利等と言う訳にもいかないのです。

本書において私が最も印象的だったのは、実は格差問題ではありません。格差が拡大していることは十分に予想できたことでした。そうではなく、本書は基本的に「資本主義は然して経済成長を生み出さない」という前提で書かれているのです。これは私には大変に面白いことだったのです。ヨーロッパは戦後、少なくとも1970年代までは1人当たりGDPで年に3~4%で成長しています。日本は勿論もっと高い成長率です。これは日本だけではなく、ヨーロッパにとっても“栄光の30年”だったのです。ところが北米を見てみると、抑々“栄光の30年”等というものは無かった。この間の成長率は2~2.5%なのです。そして、アメリカもヨーロッパも新自由主義路線が支配的になる1980年代以降、1人当たり成長率は共に2%から更に1.5%へと落ちていく。日本の場合、1980年代のバブルが終わった後はゼロに近い水準で推移したことは言うまでもありません。つまり、戦後の30年が例外的な時期だったのです。そして、その理由ははっきりしている。それは、戦争によって生産施設や資本が破壊されたからでした。だから、戦争での打撃の無かったアメリカは然して成長していないのです。このことからわかるのは、市場競争には成長を促すような特別な機能が備わっているのではないということです。実際、政府が経済に介入していた戦後30年のほうが成長率は高く、市場中心主義になったこの30年のほうが低いのです。だから端的に言えば、戦後の日欧の成長を生み出したものは戦後復興に他ならなかったというだけのことになる。出発地点がかなり低い水準だった。まだ栄養の十分でない子供のほうが多少の食料によって一気に成長するようなもので、別に何ということでもありません。そして、今日の中国を始めとする新興国の高成長も同じことで、出発点が低いのです。彼らは先進国から技術を導入できます。こうしたキャッチアップ型であれば、当然成長率は高くなります。しかし、何れキャッチアップするに連れ成長率は落ちるのです。

「超長期で見ると、世界の1人当たり成長率は18世紀には精々0.1%、19世紀には0.9%、そして20世紀には1.6%だ」とピケティは言います。経済成長が目に見える形を取るのは精々20世紀、それも戦後の一時期のことに過ぎないのです。そして、GDPの成長率そのものの原因のかなりは人口の増加にあった。ところが、世界の人口増加率は1970年辺りをピークとして減少に転じます。それでも、1970年から1990年にかけては世界人口は年に1.8%、1990年から2012年にかけては1.3%で増えていますが、2030年代には0.4%まで下がるだろうというのです。経済成長率は“労働人口の増加率”と“技術進歩による生産性の増加率”によって決まりますから、人口増加率の低下は明らかに成長率を押し下げるでしょう。抑々、資本主義経済とはそれほど成長するものではないのです。人口が増加しており、新しい技術が生み出され、しかももっと歴史的に言えば、戦争からの復興やキャッチアップという特異な事情の中でのみ急激に成長するものなのです。況してや、今後の人口減少社会に入る先進国にあって、「頑張れば成長できる」等と言うほうが無理な話なのではないでしょうか。

だから、ここで本当に我々に必要なことは考え方の大転換なのです。「新自由主義的な政策の為に格差が拡大した。では、再び福祉主義的・社会民主主義的な政策に戻せば良い」というような話ではないのです。経済学では伝統的に、市場競争主義と政府による介入主義が争ってきました。市場主義が効率性を重視するのに対して、介入主義は平等性や安定性(雇用確保)等を重視しました。そして、一方に振れ過ぎるとまた逆への動きが出て来るのです。だから、1980年代以降の市場主義の行き過ぎに対して介入主義が強くなるのはよくわかることです。“効率性”に対して“平等性”が逆襲している。しかし、本当に大事なことはそこにあるのではありません。「最早、成長第一型の政策を採ることがほぼ不可能だ」という認識を持つべきなのです。言い換えれば、経済成長に代わる一層重要な価値を設定することこそが必要とされているのです。勿論、福祉主義的な平等化政策への舵取りが無ければ格差が社会を破壊するということもあるでしょう。ピケティが言うように、成長率が下がれば益々格差が開くかもしれません。新自由主義から介入主義(社会民主主義)への揺れ戻しも必要かもしれません。しかし、新自由主義を採ろうが社会民主主義を採ろうが、何れにせよそれは経済的な物質的な富の増加と配分を巡る綱引きなのです。より本質的な問題は、この種の“経済的議論”から抜け出ることです。そうでないと、どこまで行っても“効率性”と“平等性”の間を振れるだけのことで、このどちらにもそれなりに言い分はあるのです。低成長社会において過度な自由競争を行うと、格差が耐え難いレベルまで拡大することは十分に予想できることです。全体のパイが増えないのですから、どうしても弱肉強食型になるでしょう。このような社会では、自由な競争そのものを抑制する他ないのです。競争ではなく、共生を目指すべきなのです。だから、問題は市場競争主義が良いのか、介入主義による所得分配が必要なのかといった点にあるのではない。成長に基づいて、物的な富の蓄積を良しとする今日の価値観の転換が必要だということなのです。

今日の自由競争の資本主義社会は、基本的に2つの価値観によって支えられています。1つは、物的な富や利便性の追求は無条件で望ましいという“拡張と利便性への願望”。端的に“拡張願望”と言っておきましょう。もう1つは、人間の活動の可能性を無限に広げる、つまり自由の拡大を無条件で良しとする“自由への欲求”です。こうした願望なり欲求に囚われている限り、何れ“効率性”と“平等性”のスパイラルから抜け出ることはできません。この2つの欲望が資本主義を牽引してきたのです。そして、資本主義とは飽くなき利潤を求めて経済を拡張するものであり、成長を追求するものなのです。しかし今日、経済成長は難しくなってきている。ということは、確かに本誌の連載で水野和夫さんが書かれていたように、「資本主義は終わった」ということにもなるのです。“資本主義の終焉”にもかかわらず、我々がいつまでも“拡張願望”や“自由への欲求”に囚われている限り、フラストレーションや苛立ちから抜け出ることはできません。この問題を解決の方向へ向けるものがあるとすれば、それは“拡張願望”や“自由への欲求”という近代を突き動かしてきた価値観を見直す他ないでしょう。それは、決して新自由主義的競争でもなければ、また福祉的な社会民主主義でもないのです。ピケティの本にはそんなことは全く書かれていないのですが、我々に突き付けられているものは経済への関心を超えた別の価値観の可能性なのです。


佐伯啓思(さえき・けいし) 京都大学大学院人間環境学研究科教授。1949年、奈良県生まれ。東京大学経済学部卒。東京大学大学院経済学研究科博士課程単位取得。『反・幸福論』『日本の宿命』『西田幾多郎』など著書多数。


キャプチャ  2015年3月号掲載


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