復活したファンド王の実像――村上世彰“寂しきカネと血脈”

「この国の企業風土を変える」「お金を稼ぐのは悪いことですか?」。刺激的な言葉を連発し、2006年に表舞台から去った村上世彰。その名が久々に取り沙汰されたのは今年1月、スカイマークを巡ってのことだった。逮捕前から村上を追い続けるジャーナリスト・高橋篤史氏が綴るこの10年。

3月18日、横浜市港北区にある自動車部品メーカー『ヨロズ』の本社に、シャンパンゴールドの光を放つ派手な高級外国車が滑り込んだ。颯爽と降りてきたのは4人の男女。白髪に髭を蓄えた小柄な男性は、世間を賑わせた9年前とは異なる印象だが、ギョロッとした目つきだけは変わらない。あの村上世彰(55)だ。引き連れているのは、側近の三浦恵美(39)と顧問弁護士の中島章智(54)、それにまだ20代半ばの長女・絢である。三浦が代表を務める金融会社『レノ』がヨロズ株を買い占めていることが明らかになったのは、昨年9月。買い増しは続き、約54億円を投じ持ち株比率は12%に達した。三浦とその部下の絢がヨロズ本社を初めて訪れたのは、今年2月のことである。その時、前触れ無く一緒にやって来た村上は、名刺を切る素振りを見せなかった。「私どものオーナーです」。三浦は村上のことをヨロズ側にそう紹介したという。村上は表に名前を出すことは無い。が、予てからの噂通り、レノの“本尊”が村上であることをヨロズ側が知った瞬間だった。この日、応接室に通された村上ら4人は、創業家2代目の志藤昭彦会長を始めとするヨロズ側の数人と対峙した。故・志藤六郎が軍需品生産の為、ヨロズの前身を創業したのは1940年。戦後は自動車の足回り部品に再出発の道を求め、日産自動車の系列下、数銭単位のコストダウンに心血を注いできた。今、世界各地の工場では6000人以上の従業員が働き、売上高は1300億円を超える。会談の内容は詳らかでないが、村上はヨロズが9日前に発表していた中期経営計画を難詰し、更なる株主還元を要求したようだ。会社側は中計で配当を今後引き上げる方針を示し、ほぼ倍増の年50円配当を実施するとしていた。が、村上はそれでも不満だったらしい。6月の株主総会に向け、両者の緊張が高まっていくことは必至だ。




ニッポン放送株を巡るインサイダー取引事件で、村上が東京地検特捜部に逮捕されたのは2006年6月のことだった。通産省のエリート官僚から“物言う株主”へと転身した村上は、通称『村上ファンド』を率い、阪神電気鉄道や大阪証券取引所の株を買い占めてはマスコミの前で投資先企業のだらしなさを論った。株主価値の向上を求めるそのポジショントークは、折からの相場活況もあり投資先銘柄の値上がりを呼んだ。ファンドの運用資産はピーク時4000億円を超えた。「ムチャクチャ儲けましたよ」――。逮捕直前のラスト会見、村上は誰憚ることなくそう吠えた。そして、さり気無くこうも言った。「僕はこの世界に戻って来ないと思う」、と。あれから早10年近くが経つ。インサイダー事件は、懲役2年・執行猶予3年の有罪判決が2011年6月に最高裁判所で確定した。その公判に出廷していた以外、村上が世間の前に姿を現すことは無くなった。表向きの居所はシンガポールへと移している。が、あの時の“引退宣言”とは裏腹に、村上が株式投資の世界に舞い戻っていることは今や多くが知るところだ。例えば、今年1月末に経営破綻した国内航空業界3位のスカイマーク。綱渡りの資金繰りが続く中、社長の西久保愼一が頼ろうとしたのは村上だった。関係者によると、西久保が保有するスカイマーク株を担保に村上側が100億円を支援する話が殆どまとまっていた。が、土壇場で東京証券取引所が村上の関与するスキームに難色を示したことで、話は幻に終わった。現在、レノとそのグループ会社は、ヨロズの他に少なくとも上場企業5社の株を買い占めている。ゴルフ場チェーン大手の『アコーディアゴルフ』株の約15%(投資残高154億円)を握り、電子機器商社の『黒田電気』も約10%(同じく62億円)を持つ大株主だ。過去には家電メーカーの『JVCケンウッド』や、北尾吉孝が率いる『SBIホールディングス』の株を買い占めたことが知られている。それと共に今、村上が熱を上げているのが不動産投資だ。実は、復活劇が水面下で始まったのはそちらのほうが先だった。如何にして村上は復活の道を這い上がったのか。

ここで、時計の針をインサイダー事件の前後に巻き戻し、その軌跡を辿ってみよう。「そうですね。(誘いは)ありましたね。でも、僕は一緒にやりたくなかった。不動産なんてわからないし」。嘗て村上ファンドで強力なパートナーを務めた丸木強は、村上から不動産投資に誘われた時のことをそう振り返る。2人は関西の名門校である灘中学・灘高校で共に過ごし、その後丸木は現役で東京大学に進み、村上は一浪して後に続いた。ある同級生によれば、「学年230人弱の中で丸木は成績が50番台、セショウ(※村上の愛称)は100~150番台くらいだった」という。同じコースを歩んだ2人だが、学生時代に全く縁は無く、野村證券に就職した丸木が通産省に出向したら、そこに村上がいた。やがて2人は意気投合する。野村に戻り資本市場部次長となった丸木は、内部留保を生かし切れていない企業等を洗い出し、有効策を会社側に働きかけていた。ニッポン放送や昭栄等、後に村上ファンドが手掛ける銘柄の多くはそこに含まれていた。1999年に活動を始めた村上ファンドの基本戦略は、丸木が発案したようなものだった。それから7年。村上ファンドがシンガポールへの移転を急いでいた2006年4月、日本の責任者として残ることが決まっていた丸木は、『リビルド』という会社を資本金1000万円で設立していた。が、事業を始める事無く1ヵ月後、「不動産投資の受け皿に使いたい」と言う村上に譲った。その頃、既に村上は不動産投資への布石を打っていた。移転により六本木ヒルズに借りているオフィスが空く為、そこを日本人幹部が責任者を務める外資系不動産ファンドに転貸し、共同投資を進める構想を温めていたのである。が、その矢先事件が弾けた。

「あの時は厭世的気分になりましたよ。暫く何もやる気が起きなかった」。そんな丸木の一方、村上は違った。逮捕・起訴の直後から不動産投資を実行に移したのだ。2006年11月、東京・銀座にある老朽ビルの地上げ話がまとまり、前出のリビルドが約33億円の大金を投じる窓口会社に使われた。既に会社譲渡から半年経っていたが、登記簿上その時点でも代表取締役に丸木の名前が残ったままだった。「えっ、本当なの? (名前が残っていたことが)本当なら酷い話だよね」。丸木はこの取材で訊かれるまで、自分が譲った会社がその後どう使われたのか知らなかった。それ程、村上との関係は疎遠になっていた。最後に会ったのは3年前。村上ファンド時代から塩漬けになっていた投資銘柄があり、それを清算した時だ。「彼は手ガネでやっているけど、僕は投資家からお金を預ってやっている。ああいうことがあったので、(村上との関係は)仕事に支障が出かねない。会いたくない訳じゃないけど、会わなくなるよね」。現在、丸木は都内で投資会社を経営している。運用資産は数十億円規模。村上ファンド時代に比べれば細々としたものだ。「最近、自己肯定感が強くなって、『自分はこんなものかな』と思うことが多くなった」と丸木は静かに語る。他方、巨額の“手ガネ”を得た村上は、丸木と対照的なその後を歩んでいる。2007年1月、村上の個人会社『オフィスサポート』の銀行口座に151億円ものカネが振り込まれた。事件後、村上ファンドは手仕舞うこととなったが、複雑な経路を経て村上は巨額の配当金を受け取った。丸木が受け取った金額はその10分の1にも満たず、共に側近を務めた警察庁出身の瀧澤建也も同じような額だった。ファンドは村上・丸木・瀧澤の3人で始めた共同事業と言えたが、村上が儲けを独り占めするような終わり方だった。

この巨額配当等で、村上は200億円とされる軍資金を得る。前歴の付いた村上に資金を出す投資家はいない。後見人だった宮内義彦率いるオリックスとも、事件直前に喧嘩別れしていた。村上の頼りは“手ガネ”だけだ。そうして突っ込んで行ったのが不動産投資だった。リビルドは、東京・西麻布にある『メンテルス六本木』の区分所有権を2006年暮れにまとめ買いし、半年余りで転売に成功した。滑り出しは上々だった。他方、この頃の村上は周囲に慈善家の顔を振り撒くようになる。NPO法人『チャリティプラットフォーム(CP)』のスポンサーとして、だ。多方面から浄財を募り、それをボランティア団体に配分するというCPに、村上は少なくとも13億円を寄付したという。月一度の会議にはシンガポールから帰国して加わり、20人近いスタッフに直接指示を飛ばした。「なぜこの数値目標なのか、根拠を言え!」。そう苛立つ村上の姿を見て、ある女性スタッフは「まるで営利事業みたい」と内心反発を覚えたという。CPに対する村上の熱意は、最高裁で有罪判決が確定した頃を境に急速に冷めていく。2年前、残った資産のほぼ全額である5億5000万円をCPは親密団体に引き渡し、活動を大幅に縮小した。慈善家ぶっていたのは、情状酌量を狙った公判対策だったのかもしれない。翻って、不動産投資ではその手を着実に広げていた。2008年夏、村上は投資の中核会社にその後据えたレノを共同経営体制に移行させた。新たなパートナーに選んだのは、村上ファンドで企画部課長だった三浦、東大時代から親交の深い顧問弁護士の中島、それに顧問税理士の赤根豊(45)だった。役職に就かない村上は「大将」と呼ばれた。




実は、その頃から不動産投資では失態が続いていた。『勝村建設』に貸した15億円や、都内のゴルフ場会社にトンネル融資した2億円が焦げ付いていたのだ。ゴルフ場会社の経営者は、山口組系暴力団と近い人物だった。また、灘高の後輩である姜裕文が経営する『リプラス』に約50億円を貸した直後、同社には破産されてしまっている。共同経営体制は、責任を明確化するという村上一流の組織引き締め策だったに違いない。他方、大型案件も暗礁に乗り上げていた。東京・南青山に、30年近く駐車場になったまま権利関係が複雑に絡み合う有名な再開発案件がある。権利がまとまれば600億円規模のプロジェクトに化けるとされる「都心に残る最後の一等地」(不動産関係者)だ。2007年夏、レノはダミーの合同会社を立て、この地にある『第2宮忠ビル』を高値で買収し地上げに参入した。が、全体をまとめるほどの資金力は無い。それでも村上は2013年3月に関連会社を通じ、都市再生機構が実施した入札で対象地の中央部分を落札した。投下資金は約130億円に膨らんだ。現状、土地は依然虫食い状態で、含み損を抱えたまま。「村上は『10年戦争だ!』と言っているらしい」と、競合する不動産業者は呆れ顔だ。2009年から、村上率いるレノは破綻した新興不動産会社を丸ごと買収する戦略に切り替え、相当程度それは成功した。2012年5月、ジョイントコーポレーションの転売では50億円近い利益を手にしている。そして、勝手知ったる株式市場に村上は舞い戻った。アコーディアゴルフ株の買い占めではピーク時365億円もの大金を投じ、身動きが取れなくなるほどの無謀な賭けに出た。それでも、昨年秋に会社側を自社株買いに追い込み、300億円近くを回収したことで一息つくことができている。その余裕資金を冒頭のヨロズ等に投じているのが、現在進行形の買い占め劇だ。株と不動産全てをひっくるめた投資残高は今、少なく見積もって450億円を軽く超える。

しかし、村上の孤独は寧ろ深まった。周りから次々と人が離れているのだ。嘗て脇を固めた丸木は距離を置き、瀧澤に至っては利益配分を巡るいざこざが元で険悪な関係にあると伝わる。新たなパートナーだった赤根は、2010年暮れになり突然出社しなくなった。実質保有するレノ株の買い取りを求める赤根との間では、その後泥沼の裁判闘争が続いている。女性には優しいがそれ以外には厳しく当たり散らすというのが、よく語られる村上評だ。「村上さんが最後信じられるのは家族だけですよ」。外資系投資銀行の元幹部はそう吐き捨てる。村上と共同事業を始める約束でシンガポールに渡ったものの、袂を分かった人物だ。その言葉通り、一昨年秋、慶應義塾大学を卒業して外資系証券会社に2年半勤めた長女の絢を、村上はレノに呼び寄せた。投資先の株主総会等では三浦を付き従わせ、物言う株主の英才教育を施している。村上派東大時代、聖心女子大学に通う今の夫人と知り合い結婚した。程無く絢を筆頭に二男二女に恵まれた。10年ほど前には、年の離れた5番目の子供も儲けている。「奥さんは嫌がってたらしいけど、彼は欲しがっていたね」と語るのは丸木だ。村上は東京・南平台に地下1階・地上3階建ての豪邸を2006年に建てたが、それは第5子を高齢出産した妻へのご褒美だったともされる。物件の所有名義は、資産管理会社の『ATRA』。絢ら子供4人の頭文字から取ったものとみられる。

“ファミリー”。それは村上を読み解くキーワードだ。シンガポールの中心部を東西に走る目抜き通り、オーチャードロード。見上げると、3次元の曲線が奇抜な外観を形作る賑やかな商業施設の上に、天を突き抜けるほどの高層マンションが乗っかっている。日本では考えられない巨大複合建造物だ。その住居部12階に、村上の実兄・世博は住んでいる。登記簿によると、広さ168㎡。数億円は下らない物件だ。2006年の村上の逮捕直後、世博は勤めていた三菱商事を突然辞めシンガポールに移住した。その後、妻と共に永住権まで取得している。2012年11月、世博は焼き肉店チェーン『牛角』の創業者である西山知義と現地法人『ダイニングイノベーション』を設立し、焼き鳥レストラン『すみれ』や鯛焼き風パフェ店の展開を始めている。現在4店舗。すみれのランチは1300円以上と、現地ではかなり高めの店だ。インドネシアのジャカルタにもしゃぶしゃぶ店等2店がある。下町地区のブギス。300円の昼食を胃袋に掻き込む老若男女で溢れ返るフードコートの脇を抜け、小綺麗なビルの12階に入居するダイニングイノベーションの事務所を訪ねた。「世博さんですか。たまにしか来ないですよ。こちらでは日程も把握してません。ここができてから、世彰さんが来たのは1回だけです」。店舗責任者の若い日本人は、そう話しただけで奥に引っ込んでしまった。世博は、昨年1月に『ブラッサムインベストメント』という会社も設立している。中古マンションを買い取り、改装して賃貸に出すという、日本で言えばワンルーム投資みたいなことをしているようだ。電話したところ、「取材はお断りしています」と世博の対応はつれないものだった。

実は、村上本人も現地に『CARON』なる会社を設立している。役員に立てているのは世博だ。が、登記されたオーチャードロード沿いのビルにその姿は無く、代わりにあったのは『ブリッジングキャピタル』という投資会社だった。調べると、同社は3年前に設立され、代表の磯崎英一は元通産官僚だ。「イソザキさんは今、ジャカルタです」。留守番役の現地人女性によると、生憎磯崎は出張中だった。村上が住む超高級マンションは、世博の自宅から歩いてほんの数分のところにある。最上部の34階で、内部は3層構造。屋上にはプールもある。広さは実に657㎡に及ぶ。車寄せには噴水が高々と湧き上がっていた。守衛が目を光らせている為、ゲート内に立ち入ることはできない。腕っ節の強そうな黒人ガードマンに取り次ぎを頼むと、誰かと話したような素振りの後、受話器を渡された。が、何も通じない。もう1人のガードマンがやって来て、「立ち去りなさい」と追い払われた。今回、村上には様々な方法で取材を試みた。不意に返ってきたのは、弁護士の中島からのメールだ。「不当な取材は勿論、貴殿からの取材は一切お断りします」。マスコミの寵児だった嘗てと異なり、今の村上には閉じ籠った殻を出る気は無いようだ。村上や兄・世博がシンガポールで積極的にビジネスを展開している気配は無い。利殖に少し毛が生えた程度だ。投資家として奔放に振る舞える新天地をシンガポールに求めたとは思えない。最初は妻と幼い末っ子も一緒だったが数年前に帰国し、いま村上は家族から離れ現地の摩天楼にひとり居を定めている。そして頻繁に帰国しては、日本で投資家稼業に勤しんでいる。

華僑を中心に、インド系やマレー系が入り交じる人工的な金融都市国家に、村上は兄をも巻き込んで何を求めているのだろうか。「お兄さんには子供がいない。村上さんはお兄さんに一旦資産を贈与して、将来自分の子供たちに無税で相続させたい考えではないか。でなければ、お兄さんが永住権まで取った理由がわからない」。前出の外資系投資銀行の元幹部は瀧澤と話し合った結果、そんな結論に落ち着いたという。前歴がある村上の永住権取得はまず不可能。実兄を介在させるスキームの有効性は不明だが、シンガポールが相続税も贈与税もかからないタックスヘイブン(租税回避地)であることは富裕層の間で広く知られる。村上家のルーツは台湾華僑だ。国を捨て、財産継承を旨に一族繁栄を至上の喜びとする生き方は、そんなDNAから来ているのだろうか。 《文中敬称略》


キャプチャ  2015年4月2日号掲載


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