「実はヤマハのプラン」「トヨタが日産から戴いちゃった」――誕生50年後のスクープ証言…今だから話そう! 都市伝説だけが独り歩きしてきた、世紀の名車『トヨタ2000GT』の真実

名車であるが故に、数多の“根拠無き俗説”に包まれてきた『トヨタ2000GT』。その“試作車”が誕生して半世紀を迎えた今、開発ドライバーとして現場に身を置き製作過程を見てきた細谷四方洋氏が、「これだけは言っておく」と名乗りを上げた!

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1965年に試作車が完成し、その2年後の1967年5月に当時としては破格の238万円で市販が開始された。庶民にとって“高嶺の花”だった当時のクラウンが2台も購入できたという超高級車だ。おまけに、その実力は“自動車速度世界記録”を幾つも樹立したり、映画『007は二度死ぬ』で使われたりと、日本の技術力を世界に知らしめた。そして、生産台数は僅かに337台。その希少性と日本車離れした美しいスタイル、そして現代でも通用する高性能ぶりで、今でも“復活させたい名車”や古い車の人気投票では筆頭に来るほどの注目度を維持している。先日も、日本車としては最高額の約1億1800万円で落札されたことが話題になり、その周辺は半世紀過ぎた現在でも賑やかだ。当時、トヨタが威信を掛け持てる力を全て注ぎ込んで開発した、日本を代表するスポーツカーであることの証明である。しかし、一方ではヤマハとの共同開発という生い立ち故に、「トヨタが開発を丸投げした車」とか「日産のスポーツカープランをパクった」等、その名声に影を落とすような都市伝説がいつの時代にも必ずついて回ってきた。今回はそうした風聞に対し、開発現場を見続け、自らもトヨタ2000GTのハンドルを握り、輝かしい伝説を生み出してきた名レーサーの細谷四方洋氏が、「真実は1つである」と断言。その貴重な証言と写真で早速検証してみよう。




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都市伝説①「ヤマハのプランをトヨタが丸々戴いた」
証言①「確かに、ヤマハなくして伝説は生まれなかったが…」

開発がスタートしたのが1964年9月。そして試作車の1号車と2号車が完成し、トヨタのテストコースに運び込まれたのが翌1965年の8月。都市伝説では、「僅か1年で車が作れる筈が無い。元々、ヤマハが持っていたスポーツカー計画をそのまま戴いたから可能になった」となる。実は1964年末のことだが、ヤマハはトヨタに対して“スポーツカーの共同開発”を持ち掛け、直後に合意。翌1965年1月から本格的に共同開発が動き出して、試作車まで完成させた。これが“ヤマハのプランを丸ごと戴いた説”の根拠になっている。それに対して、細谷氏はこう証言する。「勿論、我々にとってヤマハの協力は大変嬉しいことだったし、製造面での技術協力が無ければこれほど短期に完成していなかった」と、ヤマハの製造能力を高く評価。「ただ、合意した時点で既にトヨタ側の初期設計は5分の1の全体図も完成し、強度設計まで済んでいた。後は『これをどこで作ってもらおうか?』という段階にまで進んでいて、関東自動車(現在のトヨタ自動車東日本)等の名前も挙がっていた。そこに、ヤマハからの申し出である。『大量生産を主眼とせず、仕上げの良さを旨とする』というコンセプトの2000GT、トヨタとしてもヤマハの技術力はまさに“渡りに舟”ということで、申し出を快諾した」。こうして、トヨタ主導でヤマハとの共同開発が始まったのであり、初期段階ではヤマハが関与する余地は無かった。では、ヤマハの役割とは? 「トヨタの量産エンジンをベースにDOHCを開発。更に、あの美しいメーターパネルはピアノ等に使用するローズウッドの特級品、スイッチレバーは操作時に雑音が出ないというエレクトーンの最高級品等、ヤマハの技術と製品をふんだんに使用することができた。これが無かったら、あれほど高いクオリティの車を完成させることはできていなかっただろう」と細谷氏は証言した。

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都市伝説②「日産の2000GT計画をそのまま戴いた」
証言②「類似点は確かにある。しかし…」

ヤマハと日産が進めていたスポーツカー計画が、日産2000GT(A550X)のプロジェクト。トヨタと組む直前までヤマハが日産と進めていたプランだが、突然中止に。そこで困ったヤマハはプランを丸ごとトヨタに持ち込み、トヨタは何もかも真似したというのが都市伝説。「開発がスタートしたのは、1964年の夏頃だったと思う。『トヨタとして、しっかりとした技術的象徴を作りたい』という思いの下、プロジェクトリーダーの河野二郎さんを中心に、デザイナーの野崎喩さん、エンジンの高木英匡さん、足回り担当の山崎進一さん、ドライバーとして私が参加。後に、私はデザイナーの野崎さんのアシスタントも務めることになる。そんな我々の元に共同開発の話があったのは、1964年10月末。その後にヤマハを訪れ、我々は中止になった日産A550X計画の試作車を実見している。が、既に我々は初期開発が一段落していた頃。スタイルもほぼ出来上がっていた」という。A550Xの写真と比べてもらえればわかるが、デザインは似て非なるもの。「共通していると言えば、ヘッドライトがリトラクタブルであったりと幾つかあるかもしれないが、それはタイヤが4個あるのと同じ程度の問題」と、細谷氏は一笑に付す。「私が元気なうちに真実を語らなければいけない…」。未だネット上には多くの都市伝説が蔓延るが、これこそ生きた証言だ。

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■50年後の奇跡か…最先端を移植した伝説の名車が!
オリジナルのトヨタ2000GTは、簡単には手が届かない高価なヴィンテージ。美しいスタイルに乗りたくても、簡単に手に入るものではない。そこに登場したのが、現代の技術で完全に再現されたレプリカ『Rocky HV Special』。重要なスタイルの再現には各部のオリジナルパーツを型起こしし、更に細谷四方洋氏の監修の下、細部まで精巧に再現。そして、ボディの中身はトヨタのハイブリッドシステムという最先端技術が走りを支えている。既にオーダーを1680万円で受付中。その価値からいえばお買い得!?


キャプチャ  2015年3月31日号掲載


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