不安定化する社会に対応できない日本の選挙――選挙区民ばかりを追う政治家と、変化する社会に対応できない政党…衆議院選挙制度改革は“政党本位の選挙”を生んだか?

2014年末に行われた衆議院議員選挙の投票率は、52.7%と戦後最低を記録した。白票等の無効票を除いた有効投票率は50.9%(選挙区)であることから、昨年の総選挙は有権者の半数が参加しない行事であったと言うことができるだろう。このようなデータを目の当たりにすると、選挙という現代の民主主義国家の根幹をなす制度に対する疑問、疑念が呈されることになる。「このような低投票率で政権を維持した安倍内閣に正統性は無い」といった議論も、一部ではなされている。勿論、これは負け惜しみの類ではあるが、選挙という営みに対する不満・不信が醸成されていることに違いはない。尤も、昨年の選挙結果を「現代の選挙一般の特徴」と述べることは難しい。例えば、数年前の衆議院議員選挙で70%近い投票率が記録されたことや、20年前の参議院議員選挙では投票率が45%にも達しなかったということを皆忘れている。生きている間に数多くの選挙を経験する為、我々は現代の選挙の像を結べないのである。公職の選挙は一定期間内に必ず行われる。また、衆参両院の選挙と地方選挙は其々別個に行われる。この結果、投票の機会が我々有権者に絶え間なく訪れる。戦後70年の間で、衆院選・参院選・統一地方選の主要3選挙、計65回の間隔が2年以上空いたことは4度しかない。1000日を超えたのも、1980年衆参同日選挙と1983年統一地方選挙の間だけである。因みに、21世紀に入っての3選挙の間隔は、2007年参院選と2009年衆院選の、即ち自民党政権が迷走を続けていた間の762日が最長であった。一方、投開票が終わると選挙への関心は急速に失われる。昨年の衆院選を見ても、投開票後一週間は低投票率を嘆き、今後の日本の行く末を案じる記事等が紙面を飾っていたが、年末年始を挟み衆院選の話題は目にすることが無くなった。どの選挙でも極短い選挙期間中は盛り上がるが、選挙後にその結果について分析し、その意味について考えるような丁寧な選挙報道は稀である。現代日本において選挙は、直ぐに忘れられ、省みられない行事となっていると言える。この報道の現状の背後には当然、読者・視聴者の関心や欲求があると考えられる。総じて、現代の日本社会においては、選挙というものの価値・必要性、或いは存在感が低下しているように感じられるのである。

このような問題意識を背景として、本稿では現代日本における選挙と社会の関係について論じることとする。選挙と社会が乖離している現状を示し、なぜこのような状況が生じたのかを考えていくのである。ところで、現代の選挙に関する議論や印象の形成は、直近の一部の衆院選の結果に引き摺られる傾向にある。直ぐ忘れ去られ、省みられないという傾向は、衆院選・参院選・地方選の順に強くなる。だが、現代日本の政治制度は、参議院や地方議会にも多くの決定権・拒否権を与えており、何れも重要な役割を担っている。本稿では、1つの選挙結果に着目するのではなく、衆院選・参院選・地方選の3つについて長期的なデータを示すこととする(※1)。 また、選挙は否応なくその結果、つまり議席数や得票率に注目が集まる。だが、選挙とその背後にある社会との関係について、結果自体から理解できることは実は多くない。現代の選挙は投票率が低く、棄権者が多くを占める為である。結果自体、選挙制度と選挙制度の作用による政党・候補者・有権者の行動によって解釈が難しいものとなっている。そこで本稿では、人々の政治意識や行動について直接確認できる世論調査結果を主に用いることとする。但し、本稿で示すデータは限定的であり、数字の傾向を確認してその背景について仮説的に論じるような部分が多い。より説得的な議論の為には、更に詳細なデータにより分析を積み重ねていく必要があるということを先に述べておきたい。とはいえ、ここで提示するデータは、筆者の議論とは無関係に読者にとって広く有益だと思われる。現代の選挙の変化を捉え、その背後にある社会の変化との関係について整理し議論を提起することで、来る統一地方選に向けて考える材料を提供できればと考える。




近年の選挙について考える際に、避けて通れないのが衆院選挙制度改革である。1994年に導入され、1996年選挙から実施された小選挙区比例代表並立制(以下、並立制)は、日本政治の変化の要因としてよく指摘される。尤も、その多くは慎重な分析の結果として導かれたような議論ではなく、べテランの政治家や評論家・記者がスケープゴートとして小選挙区を槍玉に挙げているような場合が多い。例えば、「小選挙区で政治家が小粒になった」という議論はその典型である。本誌2013年3月号の北岡伸一・飯尾潤両氏の対談でも指摘された通り、この“理論”で言えばイギリスの政治家は皆小粒ということになるだろう。ここでは思い込みによる議論を排し、新制度によって有権者の側にどのような変化が起きたのかという点について、データから確認する。衆議院選挙制度改革には様々な目的が盛り込まれたが、政党中心・政策本位の選挙の実現が有権者に関係する、或いは期待された変化である。これは有権者が候補者個人ではなく政党や政策を判断材料として重視し、投票行動を決定するようになるということを意味する。

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嘗ての中選挙区制は同一政党(=自民党)候補者間の競争が発生する為、政党間・政策間の選択になっていなかったという“反省”が背景にある。ここでは、投票行動の判断の変化を示すのに中北浩爾『現代日本の政党デモクラシー』(岩波新書)等でも用いられている『明るい選挙推進協会』(明推協)の調査を参照しておきたい(※2)。同協会は前身組織時代から、国政選挙・統一地方選挙の度に有権者の投票行動について詳細な調査を行っている。この調査では、「貴方は政党のほうを重くみて投票しましたか、それとも候補者個人を重くみて投票しましたか」という質問を投票者に一貫して尋ねている(※3)。選択肢は、「政党関係を重くみて」「候補者個人を重くみて」「一概にいえない」の3つである。この内、政党重視の割合の推移を衆院選・参院選(地方区・選挙区)・統一地方選(道府県議選)の別に示したのが左図である。逆立制が導入された1996年以降に絞って確認すると、3つの選挙全てで政党重視割合は上昇している。衆院選では1996年から2009年まで継続的に、参院選では2001年以降、道府県議選では2011年に急激にというように、其々動きは異なるが上昇基調ということで間違いは無い。

しかし、ここから選挙が政党中心になったと判断することはできない。1996年以前のデータと比較すれば、数値は然程大きく上昇していない為である。衆院選の場合、1993年に大きく数値が低下し、これが徐々に回復している道程と捉えられる。道府県議選の数値も1995年に急落し、これが戻った格好である。1993年衆院選や1995年道府県議選の急落は、当時の自民党の分裂が影響していると考えられる。それまで投票していた議員が新党に移籍、或いは無所属となった場合、それまでであれば「政党」と答えた人々のうち、一定数が「候補者個人」と答えるようになったのである。それまで「自民党の小沢一郎」に投票していたが、政党はともかく「小沢一郎」に投票するようになったというイメージである。尚、1995年参院選でこのような影響が強く見られないのは、参院議員と支持者の結びつきが弱いこと、自民党から新党に移籍して1995年参院選選挙区で出馬した議員が1名しかいなかったこと、そして1994年末に結成された新進党の候補に投票した人々が多かったこと等が背景として考えられる。この調査は、投票行動の後でその行動をうまく説明できる選択肢を選ぶことになる為、その時の投票行動によって回答傾向が変わる。1989年参院選・1990年衆院選・2007年参院選・2009年衆院選も、自民党ではなく当時の野党に投票した人々が多かった為、政党重視割合が上昇したと考えられる(※4)。何れにしても、中選挙区時代から並立制時代になって、政党を重視して投票する有権者が大幅に増えたわけではない。現状では、並立制が政党本位の選挙を実現したと主張することは難しいだろう。

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政党を重視して投票する人々が多少増えていたとしても、それは政党の存在感や重要性が増したということを意味しない。寧ろ様々なデータが、人々が政党から距離を置き始めていることを示している。これを最も端的に示すのが、世論調査の支持政党の質問に「無し」と答える人々の増加である。メデイアではこうした人々のことを『無党派層』と呼ぶことが多いが、「支持政党無し」と答える人は全員が常に“支持政党無し”という訳ではなく、自民党や民主党を支持していると答えることもある。各党の固定的な支持者が少なくなり、残りが“支持政党無し”と各党支持の間を行き来している状態である。従って、『無党派層』という有権者集団を想定することは難しく、語弊を避ける為ここではこの言葉は用いない。左図は、時事通信の世論調査における“自民党支持”と“支持政党無し”の割合を示している(※5)。この図からは、1993年から1995年にかけて“支持政党無し”の割合が大きく上昇していることがわかる。その後、主に選挙前後の上下動を含みつつも、50~60%程度で安定的に推移している。民主党が支持を伸ばした2006年から政権交代直後の期間では、同時に自民党が支持を失い続けており、“支持政党無し”割合は減っていない。そして民主党が支持を失い始めた2010年後半以降、“支持政党無し”の割合は一層増加を続け、2012年7月には71.4%となっている。自民党支持率の回復でこの上昇は収まったものの、現在でも60%前後という高い値で推移している。

この“支持政党無し”割合の増加の背景にあるのは、政界再編である。1993年から1994年の急上昇期には、自民党が分裂して新党が生まれ、既存政党であった公明党の一部、民社党等が新生党や日本新党と合流して新進党を結成している。これらの動きによって、支持政党の調査では自民党の支持率が低下し、公明党などの選択肢は無くなる。だが、これらの数字は議員の行き先である新進党に流れず、多くが「支持政党無し」と答えることになったのである。これは、1993年選挙で“政党重視”が“候補者個人重視”へと移行したという先のデータと並行した動きである。支持している地元の自民党議員が党を離れて敵対する立場となった為、支持者は自民党支持を止めることになる。しかし、だからといって新生党や新進党に支持を移す訳ではなく、世論調査では「候補者個人を重視」「支持政党無し」と報告することになる。これは、政党本位の選挙を日指した選挙制度改革が、政界再編を通じて人々を政党から引き離す結果となったという点では皮肉と言える。但し実態としては、元々の自民党への支持自体、政党への支持というより候補者や議員個人への支持を強く反映したものであり、政界再編でこれが露わになったというだけである。何れにしても、衆院選挙制度改革とその後の政界再編は、政党と有権者の結びつきを強めてはおらず、寧ろ弱めたように見える。

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この“支持政党無し”の高止まりというデータを見た後では、近年の投票率の動きは奇妙に思えるかもしれない。先に述べたように、2014年総選挙の投票率は過去最低を記録している一方、近年の投票率は取り立てて低い訳ではなかった。以下、こうした数字の動きとその背景について見ておきたい。左図は、衆参両院選挙と統一地方選(道府県議選)の投票率を示している。並立制導入以後の衆院選投票率を見ると、1996年に59.6%という過去最低の数字となり、2000年・2003年と60%前後の低水準が続いている。しかし、2005年・2009年には70%近くに上がり、中選挙区時代後期と然程変わらない水準にまで回復している。言うまでもなく、2005年は郵政民営化法案の否決に対して小泉純一郎首相が衆議院の解散を断行して行われた選挙であり、2009年は自民党が下野し民主党に政権が移った選挙である。一方、参院選の投票率は1998年から2010年まで5回連続で50%代後半の数字が並んでいる。これらは昭和期の参院選から見ると最低レベルではあるが、1992年(50.7%)・1995年(44.5%)と急降下を辿ったことを考えると、その後投票率は回復し、その水準を維持しているという表現が適切かもしれない。2013年参院選では52.6%へと下落しているが、1992年・1995年よりは高い値に留まっている。戦後全ての選挙の中で見ると、1990年代以降の投票率は両院ともそれ以前に比べて低下傾向と言える。しかし、継続的に低下しているのではなく上下動を伴ったものである。

この動きは、“支持政党無し”割合の増加・変動のパターンとは呼応していない。言い換えると、“支持政党無し”割合の急増が示す有権者の政治離れという印象と、投票率の動きはずれている。このことは、“支持政党無し”の割合が示すほどには、人々は政治を忌避している訳ではないということを示す。政治への期待や要望を寄せることのできる選択肢があれば、人々は投票所に足を運ぶ。その意味で問題は、こうした期待を固定化できていないことにあると言える。有権者の多くが、継続的に支持できるような政党を持つことができないという政界の状況が問題なのである。この結果、その時々の選挙の論点・競争状況、或いは天候等によって投票率と選挙結果は左右されることになる。政党の側も、地道に党員・党に属する活動家の獲得を目指すのではなく、メディアを通じて支持を呼びかける“空中戦”への依存を強めている。民主党や維新の党だけでなく、自民党や共産党もテレビやインターネットを通じたイメージ戦略を重視しているのは周知の通りである。尤も、政党にはこれしか『無党派層』にアプローチする手段がないのだから仕方が無いとも言える。この点については、最後に論じたい。

国政選挙の投票率の動きに比較すると、継続的に低下しているという点で統一地方選挙の投票率の動きは興味深い。この傾向の要因の一部としては、無投票区の増加が想定できる。無投票区は定数が少ない農村の選挙区に多く、仮に選挙が行われれば投票率は高いと考えられる。そうした選挙区が無技票により除外され、またその数が増えると、継続的な投票率の低下が生み出されるかもしれない。或いは、統一地方選の“統一率”の低下も理由として考えられる。同時に行なわれる選挙が減れば、投票に行く意欲が低下する人もいると想定できる。同様に、接戦選挙区の減少も一因と想像することができる。尤も、これらの仮説を積極的に肯定するデータは発見できず、どちらかと言えば否定的なデータが見つかる。先ほどの図を見ると、統一率が低下した時期(昭和・平成の大合併の最盛期である1953~1956年・2004~2006年)にも投票率は顕著には低下していない。統一選には含まれていないが、競争が激しい東京都議選でも、先ほどの図ほど滑らかではないものの低下傾向が確認できる。一部の県議会や選挙区について、知事選や市長選のタイミングとの関係を確認したが、やはり明確な関係は見い出せない。市町村議選・首長選の投票率も継続して同じように低下しており、地方選全般の傾向と考えられる。このような地方選の投票率の継続的な低下は、選挙の実態やその制度の側に原因があるというより、社会的な要因が関係していそうである。




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左図は、『明るい選挙推進協会』調査の回答者を現住所での居住年数別に分け、其々の投票率の推移を示したものである(※6)。このグラフからは、居住年数が長い人々ほど投票率が高いという基本的な傾向と、この居住年数による投票率の差が年々拡大しているということが確認できる。20年(15年)以上に亘って同じ場所に居住している人々は、 概ね8割から9割が「投票している」と回答しており、1970年代以前と比較してもその割合は微減傾向に留まる。その一方で、居住年数3年未満の人々の投票率は上下動を伴いながら大きく減少している。1967年には14ポイント、1971年では23ポイントであったこの2つの層の間の最大差は、2011年には42ポイントへと広がっている。但し、居住年数は年齢と密接に関係する要素である。実際、同様のデータと方法で年代別の投票率のグラフを描くと、高齢層と若年層の投票率の差の拡大が確認できる(※7)。ここで居住年数に着目するのは、投票・棄権に関して居住年数は年齢と独立して影響する部分もあるというのが1つのの理由である。言い換えれば、同年齢でも居住年数が長い人は投票に行く確率が高く、居住年数が短い人は投票に行く確率が低いのである。より強い理由としては、年齢をこの現象の因果の終着点と理解しない為である。低投票率を若さに還元するのではなく、なぜ若年層が地方選に投票に行く割合が低くなったのかという、更にその後ろにある要因をここでは考えたい。その背景を代表する変数として、居住年数を見たのである。

地方選に関して言えば、居住年数が短い人々が投票に行かないのは当然とも言える。移住してきたばかりの人であれば、地元の政治も政治家もまだよく知らず、投票の判断材料が少なく、投票の勧誘や宣伝も受けにくい。将来的に再び他へ移住する見込みであれば、現住地の地方政治に関心を払う誘因も無い。逆に居住年数が長い人は、その地域の政治について知識があり、支持する政治家もいるかもしれない。長く居住している為、その地域の政治との関わりが強い人も多いだろう。神奈川県川崎市宮前区の市議補選を取り上げた想田和弘監督の映画『選挙』(2007年)は、この点で示唆を与える。主人公で落下傘候補の山内和彦氏は、自民党公認候補として同党国会議員・県議・市議らの組織やネットワークに依存して選挙を戦う。幼稚園の運動会・高齢者のスポーツ大会・神社の祭等を回って顔を売り、農協関連施設で講演を行う。 だが、宮前区の有権者の多くを占めるのは、他地域に通勤する被雇用者とその家族である。山内氏は駅頭でそうした人々相手に演説を行うが、立ち止まって聞き入る人はいない。候補者の側も、只管に名前と政党・当たり障りの無い通り一遍の政策を訴えるだけである。同様のことは、全国の都市部の駅頭で見られるだろう。その地域に定着し、政治に左右される、依存しているような職業に就いているのであれば、政治に対して熱心になる。しかし、居住地と従業地が異なり、職場も住所も一定とは限らないような人々はそうでは無いだろう。この“政治との繋がりが強い人々”と“弱い人々”の差が明確になってき たというのが、先ほどの図の意味と考えられる。

では、なぜ嘗ては居住年数の短い移住者でも、或いは若年層でも、地方選挙の投票率が高かったのだろうか。1つの理由としては、政策的な課題が挙げられる。嘗て、地方の政治と行政には解決しなければならない問題が山積していた。都市部では、住宅不足と家賃の高騰・公害・ごみ処理問題・上下水道の整備・交通事故の増加等、経済成長と都市化に伴う政策課題が発生していた。こうした問題は、移住者にも直接関わってくるものである。また、移住者に対して政治の側も積極的に接触していた。例えば、公明党の支持母体である創価学会は、高度成長期に農村から都市に移住した低所得者層によく浸透した(島田裕巳『創価学会』・新潮新書)。東京都では足立区や八王子市等、東京の都市部の東西の端に公明党が厚い支持基盤を持つのはこの為である。また共産党は、当時の郊外における集合住宅での活動を通して支持を獲得した(原武史『レッドアローとスターハウス』・新潮社)。このように、都市部の新住民をターゲットとして、公明党と共産党は共に高度成長期に支持を大きく伸ばすことになった。都市部で数多く誕生した革新自治体も、こうした基盤の上に生まれたものである。現在、公害問題等は沈静化し、必要なインフラが十分に整備される一方で高齢化が進み、人々の悩みも地域というより個人に纏わるものが中心となっている。年金・医療・景気のような地方の政治行政というより、国全体に関わる間題の解決が政治に期待されるようになったのである(※8)。そして現代では、地域や職場の繋がりの中で政治に勧誘することも難しくなっている。非正規雇用であれば屡々職場を変え、労働組合への加入も進んでいない。集合住宅の在り方も変わり、晩婚化・未婚化・共働きの進展もあり、団地の専業主婦の活動を通して支持を広げるという嘗ての解は通用しない。人々の職場や住居・生活が安定しない、謂わば人生の不安定化は、現代の日本では政治との結びつきの弱さに繋がる。

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この意味で象徴的なのは、待機児童の問題である。映画『選挙』の山内氏のように、都市部の地方選挙ではこの問題の解決を目指すと訴える候補も多い。だが、数十年来この問題を放置してきた地方の政治と行政が、今直ぐにこれを解決するとは誰も信じていない。当の共働き世帯は自治体による解決を待たず、待機児童の少ない他の自治体に移住してしまう。政治と共働き夫婦との接点が少なくなり、問題が潜在化し、解決への動きが鈍るという構図である。この人生の不安定化を端的に示すのが、人々の移住なのである。移住というと、中高卒業時に農村から都市に働き口を求めてという『高度成長期』の印象が強いかもしれない。だが近年では、より高齢になって都市内・間を移動するような移住が多くなっている。10年毎の大規模国勢調査では「5年前の居住地」という項目があり、これを用いることで現代の移住の実相の一端を示すことができる(※9)。左図は、1970年・1990年・2010年と20年間隔の国勢調査について、年代別に5年前の居住地が現住地と異なる割合(以下、『移住率』と表現する)を集計して折れ線グラフで示したものである。この図を見ると、高度成長期末期の1970年の調査では各年代とも移住率が高いことがわかる。1970年のピークは25~29歳の67%であり、20~29歳の間に移住した人がかなり多いことになる。50歳以上でも2つの時期に比較して高い移住率となっており、高齢者でも移住していたことがわかる。貧村から都市に一家で脱出した場合や、移住した人が家族を呼びよせた等、様々な理由が想定できる。何れにしても、高度成長期は移住者が数多くいた時代だったと言えるだろう。

これに対して1990年は、80歳以上を除き何れの年代でも移住率が低下している。バブル経済の時期に当たり、高度成長期に比して“出稼ぎ”が象徴するような地方の貧困は沈静化し、地方でもある程度の雇用が確保されていたのだと考えられる。但し、折れ線の形は1970年と大きく変わらず、20代前半での移住の割合が大きい。一方、2010年の折れ線は2つの折れ線と傾向が異な っている。移住のピークが25~29歳から30~34歳へと伸び、更に35歳以上の移住率が1990年に比べて軒並み上昇しているのである。35~39歳から50~54歳の4つの年齢層で移住率が1.3倍以上となり、20代後半以降に定住しない人々が増えていると言える。移住の多かった1970年の移住率を比較しても、30~34歳から45~49歳の4つの年齢層で高くなっている。30代から40代にかけて移住率が特に上昇した理由としては、不況やリストラによる失業・非正規雇用化・晩婚化・初産の高齢化等が考えられる。何れにしても嘗てと異なり、文字通りの“安住の地”を早くに得られる人々が少なくなってきているのである。他には5~9歳の移住率の上昇も目立つが、これは子供が生まれてから引っ越す人々が以前よりも増加していることを示す。広い家への住み替えに加え、都市部では先に述べた待機児童問題への対応もここに含まれると考えられる。一方、国政選挙では投票率の継続的な低下は起きておらず、地方選のような居住年数による投票率の差の拡大も確認できない。データを確認できる中で最新の明推協調査では、“20年(15年)以上”と“3年未満”の層を比較した場合、衆院選(2009年)で15ポイント、参院選(2010年)で12ポイントの差しか生じておらず、以前と比べて広がっている訳ではない。

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その代わりに確認できるのは、投票行動の流動化である。左図は、自民党と民主党の2大政党の対決構図が定着化した2003年から2009年の3回の選挙における、居住年数別の自民党(横軸)と民主党(縦軸)の得票率の動きを示している。どの層でも、最も左上が2009年、右下が2005年、中間が2003年という結果になった。この図では、居住年数3年未満の人々は、他の層に比べて投票行動の変動幅が非常に大きいという傾向が確認できる。例えば、どの層でも2003年から2005年は左から右への動き(自民党への投票率の増加)が見られるが、この幅が3年未満は16.6ポイントであるのに対して20年以上 は2.2ポイントとなっている。自民党の2003年と2005年・2005年と2009年、民主党の2003年と2005年・2005年と2009年という計4つの変動幅の絶対値を居住年数別に合計すると、20年以上47.6・10年以上53.8・3年以上56.1・3年未満76.3となっており、居住年数と投票行動の変動の大きさは相関しているように見える(※10)。 この分析からは、地方選に参加しないような人々が、国政選挙では選挙結果の流動化に寄与している可能性が高いと言える。政治との結びつきが弱く、地方選に行かず、「支持政党無し」と答えるような人々が国政選挙では投票に行くこともあり、近年の劇的な選挙結果を生み出す原動力の一部となっていると考えられるのである。

以上の分析結果と議論は、現在の日本の選挙、或いは政治による社会全体を把握する力が弱まっているということを示す。議会に人々の多様な利害が代表されることや、異なる立場の政党・政治家が様々な人々に接触すること等を通して、選挙を中心とする間接民主制は社会全体を包摂することが期待される。しかし、現在の日本では信頼できる政党を見つけられず、地方選では投票に行かない人々が増えている。期待を感じ国政選挙で投票したとしても、政治の側がこれを裏切り固定的な関係に繋がらない。政党や政治家によって意見を反映されることの少ない、政治との繋がりが切れた人々が増えている。政治がこうした人々を取り逃がすのは、政党組織と選挙制度の影響が大きいと考えられる。日本の主要政党は、党として個々の有権者に接触し支持を拡大する機能が非常に弱い。自民党・民主党・維新の党等の国会議員は、選挙区という限られた範囲を守備範囲とする議員の集合体である。議員や候補者は自らの名前を売り、自らの支持基盤を醸成することには熱心であるが、党そのものの支持者・活動家の獲得を目標としない。精々、党内での出世の為に必要な“数”としての党員獲得を目指す程度である。政党の議員や候補者は、次の選挙で自らに投票してくれる人々の獲得と維持には熱心になる一方、数年後には他地域に移住するような人々を積極的に開拓する誘因を持たない。この結果、政治に依存し、見返りを期待する定住者が政治家の周囲の“支持者”を構成することになる。政治家も、平日昼間に選挙を手伝ってくれる“資産家”の意向を反映した行動を取るようになる。選挙区単位で人を選ぶという我々にとって当たり前の選挙の方式が、政治と有権者の関係に“格差”を生んでいるのである。

そうだとすれば、この状況は今に始まったことではない。高度成長期に野党各党はある程度の支持層を掴むことに成功したが、当時の産業構造の変化にはうまく対応できず、多くのホワイトカラー層が“支持政党無し”へと流入している。メディアで『無党派層』という言葉が流行する以前は、『浮動票』という言葉でこうした人々を呼んだ。こうした票を掴んだ勢力がその時々で議席と支持を伸ばしたが、長続きはしなかった。新自由クラブやサラリーマン新党、1989年参院選の社会党、政界再編の途上で出てきた各新党等が、一時は期待と票を集めるのに成功した。ただ、各党ともそうした有権者との関係を固定化できず、程なく期待は萎んでいる。経済不況と非正規化が進展し、『無党派層』が増えた近年はこの動きが更に大きくな っている。民主党・みんなの党・維新の会、或いは小泉時代の自民党などの伸長もこの流れの中にある。『浮動票』を掴む為に、国政選挙では“改革”イメージの奪い合いが続いている。「居住年数の短い人々が棄権するのは当然では」と先に述べたが、本来これは当然と受け止めてはならない問題である。特に政党や政治家は、「若い人が投票に行かない」といった形で問題を理解してはならない。こうした層を代表して意見を述べ、政策を動かす政治家が不足していたからこそ、共働きが一般化した今に至るまで待機児童問題が深刻なまで放置されてきたのである。その意味では、多くの政治家が一部の“持てる者”に囲まれ移住層とは接触しない現代の政治と選挙は、国の在り方にも関わる重要な問題だと考えられるがどうだろうか。


菅原琢(すがわら・たく) 東京大学客員研究員。1976年、東京都生まれ。東京大学法学部卒業、同大学大学院法学研究科博士課程修了。博士(法学)。著書に『世論の曲解』『平成史:増補新版』(共著)等。議員の議会活動データベース『国会議員白書』をインターネット上で公開。

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■注釈
(※1) 地方選についてはなるべく同じ範囲で比較する為、統一地方選挙の中で統一率の高い都道府県議選のデータを基本に用いることとする。47都道府県議選の内、東京都と茨城県が1967年以降、沖縄県は復帰当初から、統一地方選挙と同一日程で行われていない。
(※2) 尚、近年は各質問項目と他の質問項目や個人属性別の分布(クロス表)を収録した『原資料』が公開されていない。この為、後の一部の分析では近年のデータが抜けているという点に留意されたい。
(※3) 但し、質問文には屡々細かい変更が加えられている。ここでは、これらの相違の影響は軽微と考えた。
(※4) 尚、2011年道府県議選については、民主党への投票者が増えたことに加え、東日本大震災の影響で太平洋岸3県(岩手県・宮城県・福島県)の調査が見送られたことと、実施時期が普段よりも1ヵ月以上遅くなったこと等が影響しているのではと考えられるが、詳細な報告書が公開されておらずあまり強く主張することはできない。
(※5) 近年、多くのメディアは定例世論調査の方法を変更しているが、時事通信は従来からの方法で調査を続けており、他社に比較して経年比較に耐えるデータを提供している。尚、時事通信の“支持政党無し”は他社に比べて高い傾向にある。例えば、2015年1月調査では56.5%であったが、朝日新聞は38%・日本経済新聞は36%(重ね聞き前は50%)であった。
(※6) 一般に、世論調査における投票率は実際の投票率より高めに報告されることに注意されたい。
(※7) 20代投票率については他の年代と比較して常に低いものの、該当者数が少数ということもあり、その動きは若干不安定である。具体的には、1995年に最低の値を記録した後に回復傾向が見られる。これは、1998年参院選以降実施された投票環境の改善も影響していると考えられるが、ここでは詳細な分析は行わない。
(※8) 2011年統一地方選挙の道府県議選における投票者の考慮争点(21択・複数回答)で30%を超えたのは、医療や介護(41.0%)・景気や雇用(38.1%)・年金(30.6%)・高齢化(30.5%)・税金(27.2%)であった。道府県議選で同種の質問が設定されたのは最近であり、過去との比較が難しい為、1972年衆院選のデータ(具体的政策は7択・複数回答)を参照すると、物価(53.1%)・福祉(50.9%)・公害(31.7%)が30%を超え、突出していた。尚、「公害」の選択率は1989年参院選には7%を切っており、1990年衆院選以降「環境問題」に吸収されている。
(※9) 人口移動を把握するデータとしては、一般に『住民基本台帳人口移動報告』が用いられることが多い。しかし、同データでは同一自治体内の移動を捉えられないので、10年間隔になるが国勢調査のデータを用いた。
(※10) この傾向の一部は、居住年数が3年未満の回答者数が100人前後とやや少ないことによって生み出されている可能性もある。但し、例えば2005年における若年層を中心とした投票率の上昇(拙著『世論の曲解』第1章参照)等、他のデータと符合する動きであることから、概ね現象を捉えていると考えられる。


キャプチャ  2015年4月号掲載


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