【中外時評】 “最年少の政治犯”の20年――チベット激動と共に

1995年5月14日。チベット仏教の最高指導者であるダライ・ラマ14世は、「中国チベット自治区ナクチュで、パンチェン・ラマ11世が見つかった」と発表した。ゲドゥン・チョエキ・ニマという6歳の少年だった。パンチェン・ラマはダライ・ラマに次ぐ高位の“活仏”とされる。1989年1月に亡くなった10世が生まれ変わった“転生霊童”と認定されたニマ少年は、聖職者の道を歩むはずだった。3日後、その道は大きくそれた。「ダライ・ラマに転生霊童を認定する資格は無い」と主張する共産党政権の手で、世間から隔離されたのである。あれから20年になろうとしている。海外メディアから「最年少の政治犯」とも呼ばれたニマ少年は、25歳の青年になっている筈だ。稀に、当局者が「1人の市民として健やかに暮らしている」とコメントすることはあるが、具体的な消息は全くわからないままだ。

この間にチベットの経済・社会・文化は激しい変動を経験してきた。共産党政権は国内のメディアを統制し、海外のジャーナリストのチベット入りを制限しているが、それでも激動を実感させる情報は少なくない。1つは、チベット仏教への露骨な干渉だ。ニマ少年とは別の少年をパンチェン・ラマ11世と認定し、共産党政権が期待する“愛国的な活仏”となるよう育成してきた。転生した活仏の認定には当局の批准が必要とする政令を2007年に定める等、法的な枠組みも整えてきた。チベットの経済や社会に影響する変化としては、チベットで初めての鉄道である青蔵鉄道の開通を思い浮かべる人が多いだろう。恐らく、それに劣らず深刻な衝撃を齎しているのが『安居工程』と呼ばれるプロジェクトである。青蔵鉄道が開通した2006年から、チベット自治区の農村部で進められてきた住宅改造事業だ。中国メディアによれば、2013年末までに累計278億元(約5300億円)を投じて46万戸を改造または新築したそうだ。「自治区全体の農牧民たちの1人当たり平均居住面積は、20~30%増えた」。共産党政権の統制下にある中国メディアは成果を自賛する。が、チベットの内側からは違った声が届く。




本人の希望を踏まえるという建前とは裏腹に実態は強制だった。伝統的なコミュニティーが失われた。転居に伴って日々の暮らしにかかる費用がはねあがった……。一例を挙げれば、チベットの農村地帯では伝統的に家畜の糞を燃料として利用してきたが、新しい住居では現金によって燃料を賄わなければならなくなったという。国際的な人権擁護団体であるヒューマンライツウォッチによると、安居工程の為に転居を余儀なくされたチベット人は200万人を超えた。自治区のチベット人の3分の2に当たる人たちが8年の内に伝来の住居を離れたわけで、伝統的な生活と社会が大きく揺らいだことは容易に想像できる。チベットでは、2008年春にラサなどで大規模な騒乱が起きた。翌年からは焼身自殺が各地で相次ぎ、これまでに130人以上が亡くなった。やりきれない凄惨な出来事の数々は、チベット人を取り巻く環境が激変した延長線上にあるのではないか。そんな推測を禁じ得ない。中国全体を見れば、この20年は経済の高成長と国際的な存在感の高まりを実現した飛躍の時代だったといえるかもしれない。少なくとも共産党政権はそう位置づけているようだ。その一方、ダライ・ラマが認めたパンチェン・ラマ11世の消息が途絶えたままになっていることは、多くのチベット人にとって苦難の20年だったことを象徴しているようでもある。

「無くなってもいい」「チベットの人たち次第だ」。2日に来日したダライ・ラマは札幌で講演した際、活仏が転生する仕組みについてこう語った。パンチェン・ラマ11世に対する当局の干渉、チベットの経済や社会の激変を踏まえて、400年を超す歴史を持つとされる仕組みに終止符を打つ可能性を示唆したのだ。ダライ・ラマは今年7月で80歳になる。自分が亡くなった後の生まれ変わり、つまりダライ・ラマ15世を共産党政権が選ぶつもりであることを十分に見越した上で、牽制球を投げたとも言えよう。チベットの未来は濃い霧に包まれている。 (論説副委員長 飯野克彦)


≡日本経済新聞 2015年4月12日付掲載≡


スポンサーサイト

テーマ : 国際政治
ジャンル : 政治・経済

Categories
Profile

KNDIC

Author:KNDIC
Welcome to my blog.

Latest articles
Archives
Counter
I'm participating in the ranking.

FC2Blog Ranking

information
Search
RSS Links
Link
QR Code
QR