作家・麻生幾、特別寄稿――日本版NSCは本当に国を守ることができるのか

軍事力の増強を図る中国や、核をちらつかせて挑発する北朝鮮など、周辺国からの脅威にさらされている日本にとって、国家と国民の安全を守るには“質の高い情報”が重要な武器になる。日々どのように情報収集がおこなわれ、どのように首相のもとに届くのか。実情に迫った。

《安倍首相は、日本版NSCの創設に向けて――》。今年初め、この言葉をニュースで耳にした方も多いはず。弾道ミサイル攻撃や、領海侵犯事態など、国の安全保障に関する重大緊急事態への対処を審議し、内閣総理大臣の政治的決断を支援する――。それが『日本版NSC』だと大々的に取り上げられた。外交交渉・安全保障政策の新しい司令塔と表するマスコミもあった。じつは、この言葉は、8年前もテレビで何度か流れたことがある。安倍晋三首相が、2006年に初めて首相に就いたときのことだ。『日本版NSC』の組織構成プランもできあがり、実務を担当する『国家安全保障局』のスタッフの選定もすでに始めていた。だが、このニュースはほとんど長続きしなかった。安倍首相の辞任とともに完全に忘れ去られていた。それから6年。安倍氏は再登場した。かつての健康問題を忘れさせるほどのエネルギッシュな姿で。安倍政権は、経済再建への新しい政策を次々と発表。アベノミクスという言葉は、日本のみならず、世界を席巻した。だが、安倍首相の思いはそこに留まらなかった。かつて自分自身の健康問題から、任期途中で退陣せざるを得なかった安倍首相にとって、安全保障分野での自分の思いを果たせなかったことこそ“痛恨の極み”であった。






再び官邸に戻ってから約1年後。安倍首相は、ついに『日本版NSC』(正式名称は、国家安全保障会議)の実現を果たし、それを支えるスタッフたちが詰める国家安全保障局を設置した。各省庁から結集した国家安全保障局スタッフには外交・安保に関する企画立案や国際情勢の分析の任を与えた(“日本版”としたのは、アメリカ大統領を支える政策提言機関『NSC』をモデルにしたからである)。『日本版NSC』の誕生は、安倍首相みずからがずっと温めてきた、いわば政治家としての“信条の達成”であったであろう。しかしそれだけだったのだろうか。安倍首相にとって『日本版NSC』は、政治家としての激しい“執念”ではあったであろう。しかし、安倍首相のその“執念”は、彼自身すら意図しなかったものかもしれない。歴代、首相の座に就いてきた政治家たちがこの世に残した“怨念”が成さしめたものだと私には思えて仕方がない。霊的な話をしたいわけではない。日本の政治指導者たちが“国家の情報”という分野で、いかに苦悩してきたか、その実態は凄まじいからだ。

戦後、官邸は、国家の情報の脆弱さに絶望しながらも、アメリカとの安全保障体制の枠組みに安穏とし、その問題を真剣に直視しようとしなかった。しかも、日本が矢面に立つような安全保障上の問題も発生しなかった。その情勢がガラッと変わったのは、1990年夏の湾岸危機(イラクのクウェート侵攻)から、翌年1月の第1次湾岸戦争(アメリカ軍をはじめとする多国籍軍vsイラク軍)だった。日本は自衛隊を送るのか、巨額な資金を支援するべきか、ペルシャ湾の機雷を除去する掃海艇を出すべきなのか――官邸は揺れに揺れまくった。当時の首相が直面したのは、国家の決断に資する情報がまるでなく、入ってきたとしても各省庁からバラバラに寄せられ、国家の戦略のための情報ではない、という現実だった。そして、1993年の北朝鮮の核開発疑惑から始まった『第2次朝鮮戦争危機』、金日成氏の死去、さらに、地下鉄サリン事件、北朝鮮弾道ミサイルの脅威、中国軍の台頭――日本が当事者となった安全保障上の情勢が矢継ぎ早に官邸に襲いかかった。そのたびに、首相は、国家の情報の枯渇に苦悩し、自衛隊にしても陸海空と別々に届けられる情報に混乱を極めた。そうかと思えば、各省庁の局長たちが、深夜になって、こっそり首相公邸を訪問し、「総理のお耳にだけに」と囁いてゆくという泥臭い光景も続いた。

通常の緊急情報を首相に報告していたのは、官僚のトップと称される『事務担当の官房副長官』。しかし、はっきり言って70歳前後の御仁にとって、深夜や早朝の緊急情報に毎日対応するのは体力的にもたない。自然と能力の限界を意識し、ひいては――。総理直属の情報機関として存在していた『内閣情報調査室』は、そのトップたる『内閣情報官』が毎週1回、首相や内閣官房長官に情報報告をおこなっていた。しかし、スタッフが少ないので自らの情報収集に限度があった。ゆえに各省庁から集めるのだが、各省庁が内閣情報調査室へ情報を提供しなければならないという法律がなかった。そして何より、首相たちが苦悩したのは、“真に価値があり、極秘である情報(クリティカルなインテリジェンス)”がほとんど入ってこなかったことである。その現実は、ときには、首相を屈辱的な思いに陥れた。北朝鮮の核施設についての危機が高まっていた1990年代後半、日本は独自の画像情報を持たなかった。そこで、“これまでどおり”アメリカに頼った。CIA本部からやってきたブリーファーと自称する担当者は、北朝鮮の核施設について説明するとき、イラストだけを手にして語り始めた。偵察衛星の写真は安全上見せられないと言われて。2001年の米同時多発テロの時も、じつは官邸がターゲットにされている、という情報でさえ、日本の首相に関係省庁から伝わらなかった。何十年という歴代の首相たちの苦悩は積み重ねられてきた。そしてその苦悩は、国家の情報をめぐる苦悩が続くたびに化学反応を起こし、“怨念”へと変質していったのである。祖父が首相であり、外務大臣を父に持ち、秘書官や官房長官などを務めてきた安倍首相であるからこそ、その“怨念”に突き動かされたのだった。

“怨念”から誕生した『日本版NSC』。はたして、何が変わったのか。まず、注目するのは、67名というマンパワーだ。情報のキャッチアップセンサーが多ければ多いほど集まりやすいのは算数の世界である。しかしそれより重要なのは、各省庁のエースが投入されたことである。情報の流れの3原則に、“地位・能力・金”がある。そのうちの2つは達成されたが、ここで重要なのは“地位”だ。各省庁のエースならば、元の省庁に戻ったとき、最高幹部へのルートが開いている。各省庁は当然そのエースを重要視する。そうなれば、情報を漏れなく伝えようとする心理が働く――。さらに重要な点は、センシティブかつクリティカルな情報――早い話が、本当に価値のあるインテリジェンスを各省庁は提供しなければならない、と明文化されたことだ。

これまで官邸に乏しかったのは、ホット・インテリジェンスだった。北朝鮮のミサイルや工作船、領海内への侵入や近接を繰り返す中国船舶や軍艦、また日本周辺に潜航したまま出没する正体不明の潜水艦――これらのオペレーションに関わるインテリジェンスを取り入れることも可能となった。それだけではない。アメリカ太平洋軍のインテリジェンス部門とも、間接的ではあるが、事実上、リンクしたのである。『日本版NSC』が発足する前とでは、情報の量もさることながら、“質”が圧倒的に飛躍した。それらの情報は、いずれも日本の最高機密である。情報を見る場所やスタッフさえ限定されるし、アイズオンリー(見る限りで、配布もコピーも厳禁)ばかりである。たとえ見ることができても、その部屋の構造さえ厳格に指定される場合もある。秘密保護法の制定を急いだ大きな理由のひとつがここにあった。その結果、安倍首相が政策決定と決断をおこなうために、かつてない“国家の情報”を使うことができるようになったのだ。情報の枯渇に苦悩し、怨念へと化学変化を起こした歴代の首相はさぞかし恨めしがっているに違いない。

しかし、問題点がないわけではない。危惧の芽が顔を出し始めている。インテリジェンスの世界では、常に葛藤となることである。ふんだんな量と高い質の情報が国家指導者の前に提供される時、はたして、その情報は、“サニタイズされるべきか、そうでないか”という問題だ。ナマの情報をそのまま首相に渡すのか、それとも専門家が分析を加えた上で=消毒(サニタイズ)した上で渡すべきなのか、常に政府内で葛藤が起きる。先進国では、サニタイズされるケースが多い。たとえば、潜航する正体不明の潜水艦の航跡データをそのまま見せられても、軍事専門家でない首相は戦略・戦術的な重要性などわからないからだ。一方、専門家の分析と一口に言っても、現場のプロが直接、首相に渡すわけではない。国家安全保障局には、そのために防衛省の専門家が配置されたが、その人物とて単独では会えない。『日本版NSC』など、国家中枢で働く者は、官僚化するリスクがある。自衛隊員とてそうだ。官僚は、バランス感覚や政治的な思惑を重要視する傾向がある。それによって、情報が歪められる危険性があるからだ。そのために、国家安全保障局には、ブリーフィング専門チームの創設が求められる。報告するのは首相だけではない。官房長官・官房副長官・官房副長官補、また自民党幹部など幅広いからだ。対応する担当者によって、異なった分析によるリリースは危険である。

だがそれよりも、根源的な問題がある。問題というのは正確ではない。これから達成されようとするテーマだ。昨年秋、国家安全保障局の発足を目前にして、内閣官房の政府高官は、ある極秘の報告書の一文に次のような内容の一節を書き加えた。《国家安全保障局の設置においては、対外情報の人的手段による収集体制の構築と、その要員の確保こそ検討すべきである》。指摘されたのは、対外(海外)情報収集部員の確保の必要性だった。集約して分析するのは体制が整った。しかし、そもそもの海外の情報ソースを開拓しなければならない。なぜなら、日本版NSCは情報収集活動(オペレーション)はできないからだ。オペレーションをおこなう機関の設置によってこそ、日本は真の国家となる――それもまた、歴代の首相が果たし得なかった“怨念”である。日本版NSCの発足は、実は、対外情報収集機関の設置の布石でもあるのだ、という切実な思いが込められたのだ。

現在、日本の対外情報収集は、外務省の在外公館が主体である。国際的にも、外交官が情報収集をおこなうことは条約によって認められている。しかし外交官の動きは目立ちすぎ、監視の対象となる。ゆえに、外交官の身分を持たず、民間業者に偽変して、ある国に入り(それが正規の入国であっても)、その国民を密かに協力者に仕立てて情報を得ることが必要となる。ところがそのこと自体が、その国にとっては、違法行為となる。逮捕されても文句は言えない。中国や韓国の情報機関の活動は、大使館以外でもおこなわれていることは想像に難くない。特に、中国は、総参謀部2部・国家安全部や北京市公安局が互いに功績を競いながら激しい情報収集活動をおこなっていることが疑われているが、民間人に偽変しているイリーガル工作員はその3倍以上ではないかと観測する当局もある。中国の情報収集活動は、想像を絶するほど泥臭い。かつてある日本人の中国専門家のもとへ、“超絶美形”の若い女性3名が姿を現わした。留学生として預かってほしいと中国大使館が斡旋したのだが、ハニートラップ的な活動は日常茶飯事だ。

イリーガル活動は、アメリカなど同盟国でも同じ現状だとする分析もあるが、いずれにしても共通している重要なことは、派遣する国の国家と国民が支えている、ということである。海外で任務中のイリーガル工作員が、襲われて、それに対抗して相手を負傷させても、それを正当実務行為として全面的に認める国民の支えが多い。脱出においても国家が乗り出す。また、任務の結果、死亡したとしても、殉職であると素直に受け止める国民的なコンセンサスが――すべてとまでは言えないにしろ――それがある。日本を振り返る。国家の支え・国民の精神醸成、どうだろうか。じつは、それよりも残念きわまりないことがある。もっとも危惧されるのは、首相を支える政治家の腹の括り方、そう言わざるを得ないことだ。


キャプチャ  2014年10月25日増刊号掲載
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