【トマ・ピケティの罠】(01) 『21世紀の資本』が問う読み手の“知”――何がわかり、何がわからないかを区別せよ

歴史・思想・社会科学分野の作品の評価や位置づけには、少なくとも2つの視点が必要だと思う。本自体の洞察の深さと、その本が読者や社会に与える影響力である。深い洞察に満ちた書物が多くの読者を得るとは限らない。他方、影響力は内容そのものよりも読者を取り巻く社会の雰囲気等に左右される。従って、どの視点から評価するのかを自覚することが重要になる。筆者は昨年5月、トマ・ピケティ『21世紀の資本』の書評を労働関係の専門誌『日本労働研究雑誌』の編集者から依頼された。その厚さにもかかわらず、読ませる経済書として興奮気味に読了した。と同時に、「社会科学書としての評価は難しいな」というアンビヴァレントな読後感を持った。その為、依頼された書評では「評価する点と疑問に思う点」を書き出すに止まった(同誌2014年11月号)。また『読売新聞』(8月24日付)では、「世襲による富の集中は経済の活力を奪う」という同書の中心的メッセージを紹介する好意的なコメントを綴った。入念な邦訳が刊行されると、日本でもピケティブームが巻き起こった。そのおかげで筆者自身のピケティ理解も進んだので、改めて本書のプラス面とマイナス面を検討してみたいと思う。

同書は著者の15年余りに亘る研究を総括する力作であるから、その問題意識の“持続”と研究成果の“蓄積”から滲み出る魅力は読者を引きつけずにはおかない。中心テーマは“資本主義の未来”であり、資本主義体制によって所得や富の不平等化が進めば経済成長は将来どうなるのか、或いは低成長下では格差は拡大を続けるのか――という“ビッグクエスチョン”である。格差や不平等に、リベラルデモクラシーの下では人々が最も敏感に反応する。ピケティはその不平等を 正面から問うのだ。この難問に答える為に、資本・産出量・所得分配・資本取益率・物価・相続遺産額等の100年余りの長期の年次のデータべース(国によって長短の差はある)を20以上の国々について作成する(この大作業は経済学の共有財産となろう)。ただ、ピケティが定義する“資本”概念には、機械等の物的資本だけでなく、住宅(これをピケティは重視)・土地・金融資産(現金・債券・株等)・知的財産権・奴隷の価値等も含まれており、“富”の概念に近いことに注意したい。実際、資本・富・資産をピケティは殆ど同義に用いている。順序として、先ず資本/所得比率(β)を長期に亘り観察し、次いで資本取益率(r)と経済成長率(g)の大小関係に注目する。その結果、1つの世界大戦から戦後の復興期までの50~60年は、19世紀の“古典的資本主義”の時代や1980年代以降の新自由主義が強まった時代と比べ、極めて特異な時期であったことを見出す。βは低く、高所得者の限界税率や相続税の税率は高く、所得分配が労働側に有利に傾斜しているのだ。βが低かったのは、戦争によって物的資本が破壊され、インフレで金融資産が減価し、国有化で民間資本が減少したことが影響した為だ。ところが1980年代に入ると、高所得者の限界税率の引き下げ、相続税の廃止や減税によって再び資本蓄積が進み、金融資産からの収益が増大して資本収益率(r)も再上昇、労働所得のシェアは低下し、先進資本主義国の経済成長も減速する。トップ高所得者層の所得シェアの上昇が目立ち始めるのだ。トップ高所得者の多くは、金融サービス業の所謂“スーパーマネージャー”たちである。彼らの高い所得は投機によって得られたものであり、資本蓄積によって収益率(r)は低下しないで、寧ろ高水準を維持し、経済成長率(g)を常に上回る。この“rがgを上回る”という点が、『ピケティの不等式』として資本主義の格差拡大メカニズムの根拠となっている。だが、この「資本収益率が国民所得 の成長率を上回っていれば、格差は拡大する」という命題は、理論的にも現実面でも十分議論の余地がありそうだ。




ピケティは、国毎に高所得者のトップ1%、或いは0.1%の所得が全国民所得に占めるシェアを約2世紀に亘って計算し、その経年的なプロファイルを求めた結果、次のような興味深い結果を得ている。アメリカ・イギリス・オーストラリア・ニュージーランド等の英語圏では、1980年代から所得と富の集中と不平等化が進行している。これらの国々では21世紀の経済は、19世紀の“古典的資本主義”の時代に回帰していると指摘するのだ。それに対して、大陸ヨーロッパや日本等は1980年代以降、所得分配の不平等化はそれほど進展していない。こうした差は何に起因するのか。後者のグループに属する国々は今後どうなるのか。特に明確な仮説が議論されている訳ではない。「一般化して推論はできない」というのが、恐らく真実なのではないか。この時点でのピケティは、かなり禁欲的に見える。しかし、今回の来日時のピケティの発言をメディアで読むと、かなり大胆に日本の富の集中化(不平等化)を予想 している。ただ、税の専門家によれば、今年から改正法が適用される日本の相続税と贈与税の制度は網羅的で累進性も高いとされる。その日本の相続税体系を国際的な比較の観点から論じない限り、世襲財産(patrimony)がどの程度世代を越えて継承され、“格差の固定化”を齎すのかを論じることはできない。人口減少下の日本で、土地を始めとする不動産の価値がこれから上昇するとは予測し難い。土地や住宅が資産の多くを占める日本で不平等化が進むと推論する根拠は希薄なのだ。加えて、日本の高齢者が保有する資産ストックとしての貯蓄は、高齢者層が食い潰していく傾向にある。従って、ピケティのいう“資本”の増加と収益率の高位安定、そして富の集中という変量の連関を想定することは難しい。

抑々、格差拡大は如何に進行するとピケティは考えているのか。少し面倒かもしれないが、重要な点なので彼の論理の連鎖を押さえておきたい。それは次のようなものだ。資本収益率(r)が経済成長率(g)を常に上回るとすれば(この“前提”に全てがかかっている!)、全所得のうちの資本の取り分(α)は当然増加する。“古典的資本主義”の時代のように、資本/所得比率(β)がこれと同時に上昇すれば、正のフィードバックによってαは更に大きくなる。つまり、αが上昇すれば資本所有者が富裕度を増すだけでなく、その収益の一部を貯蓄し再投資する可能性は高くなる。再投資によって資本の成長率は上昇し、経済の成長率(g)を益々凌ぎ、資本/所得比率(β)を上昇させるというのだ。ここに資本のシェア(α)の増大と資本/所得比率(β)の間の相乗効果と、正のフィードバックが生まれると考えているようだ。ただ、このメカニズムは言葉で説明されているだけで、厳密なモデル分析が行われている訳ではない。少なくともこの推論は、「資本蓄積が進めば、資本の収益率は低下する」と考える標準的な経済学と両立するものではない。それにしても、「rがgを上回れば格差が拡大する」という論理は、如何なる成長論と分配論の結合から出てくるのか。この重要な点は、『21世紀の資本』で明確に論じられていないのだ。 経済成長率(g)が外生的に与えられるとすれば、“g=r”の均衡を回復する為には資本収益率(r)を下げ ねばならない。金融サービス業の高い資本収益率を低下させる為に、「グローバルな資本課税を強化すべきだ」という政策論はここから出ている。こうした政策を打たない限り、金融ビジネスから生まれた所得は高所得者に高い割合で集中し続ける。その結果、企業家精神に溢れた生産者が経済活動の場から退出し、金融資産の取り引きで高所得を食む者、その富を相続して生活する者が多くなり、経済の活力が損なわれかねない。こうした“遺産”で生活する人々が多くなるのが“世襲資本主義(patrimonial capitalism)”だと、ピケティは言うのである。

経済成長と所得分配の関係については、これまで1950年代に提示された『クズネッツ仮説』が有力であった。工業化初期の段階では所得は不平等化するものの、経済成長と共に所得分配は次第に平等化するという仮説だ。これに対してピケティは、資本主義自体にはそうした所得平等化を齎すメカニズムは内包されていないことを強調、『クズネッツ仮説』は自由主義経済を擁護する為の冷戦時代のドグマだったと批判する。ただ、クズネッツの観察期間(20世紀前半のみ)と所得概念の相違を考えると、この批判にはピケティのイデオロギーがかなり強く出ているように思える。だが方法としては、租税データをべースにして元の所得を推定・復元するというクズネッツの手法を、ピケティも踏襲している。この方法は、労働所得と資産所得の分離が可能な為、トップインカム層に焦点を当てるには都合が良い。しかし、計算にはかなり大胆な仮定が必要とされる。この点について、ピケティは共同研究者(Atkinson, Saez)との論文で、英国の例を用いて具体的な推定方法を説明している。英国の1911~1912年の所得税(super-tax)データでは、1万ポンド以上の所得税を納めた者は約1万2000人。これは当時の英国の人口を約2000万人とすると、人口の僅か0.06%に過ぎない。その他の所得階級の分布状態についての推定は、パレート分布の当て嵌まり方次第ということになろう。これは、『家計調査』を用いて『ジニ係数』の動きで所得の不平等度を論じるアプローチ(日本では大竹文雄氏らが用いている)とは問題意識が基本的に異なる。ピケティは、ジニ係数は「格差について抽象的で、生気の無い視点を与える」と切り捨てている。確かに、彼の用いる“トップインカムの割合”は具体的で人の関心を刺激するかもしれない。しかし、人々の嫉妬心と結びつきやすい力を持った概念のように思える。格差や不平等を論じる時は基本統計量として、先ず所得分布の平均と分散が必要であり、社会の安定性に関わる“中間層の厚み”について検証できる手立てが求められるのではないか。トップインカム1%の比率の動きだけでその国の格差を論じることは、問題を狭めたように思う。

経済成長率(g)が低迷してくると、 資本収益率(r)との差は拡大する。資産から所得を得ている人と資産の無い人との所得格差が広がるからだ。こうした所得格差の拡大に対して、rを低下させねばならない。その為に、グローバルで累進的な資産課税をピケティは提案する。ただ、一国だけの資産課税では必ず資本流出が起こるため、国際的な政策協調が必要となる。これが難しいことは言うまでもない。 しかし国際協調の難しさ以外に、この提言には重要な視点が欠落している。それは、資産の価値の確定が極めて困難だという歴史的事実だ。相税の歴史は、なぜ資産課税が実現しないか、なぜ所得税の導入にこれほど長い時間を人類は必要としたのかを語っている。新しい資産は通常、所得から徐々に形成されていく。その所得への効率のよい課税環境が整ったのは、長い歴史の中でもごく最近のことなのである。所得という概念が、極めて面倒な問題を含んでいるからだ(J・R・ヒックス『経済史の理論』第6章参照)。“所得”を確定する為には、先ず利潤を知らねばならない。しかし、“有限責任制度”が確立するまで利潤の額は確定できなかった。その理由は、出資者(株主)の責任が有限であるならば、会社への債権者を何らかの方法で保護しなければならないことによる。それは、「資本金から配当金を支払ってはならない」という義務を会社に課したことだ。会社が配当できる利潤の額が確定されて、初めて課税が可能になったのだ。理想的な財産税が実現する為には、その財産が適切に評価されなければならない。財産の保有形態・評価の頻度・インフレーションの調整等を考えれば、この“適切な評価”が如何に困難かは想像がつく。事実、税の歴史は全く機能しなかった財産税の事例に満ちている。一国内でさえ困難を極める財産税が、グローバルに実現できるとは到底思えないのだ。格差是正の為、ピケティは資産課税の強化を主張し、人的資本への投資(即ち教育)を最優先の政策としては提言していない。彼が新古典派的な人的資本理論に冷たいことはわかるが、かといって格差が能力の差だけを反映しているという理論を支持している訳でもない。活力ある社会では、ある程度の格差の発生は避けられない。では、どの程度なら許容できるのか。その検討無くして、適正な政策の議論は成立しない。

経済的な活力の無い社会を生み出す“世襲資本主義”の典型例として、ピケティはバルザック『ゴリオ爺さん』(1835年)の世界を引き合いに出している。世襲財産で豊かな生活ができた19世紀のフランスでは、刻苦勉励して良いキャリアを身に付けるよりも、世襲財産の多い配偶者を見つけるほうが働かないで豊かに暮らせた。地方からパリに出てきた若き貧乏貴族ラスティニャックに、同じ下宿に住むシニカルな前科者ヴォートランが「勉強・才能・努力で社会的成功を達成できると考えるのは幻想に過ぎない」と説教する。金持ちの結婚相手を見つけるか、教育を身に付けて出世をするか――“ラスティニャックのジレンマ”と呼ばれる状況だ。このジレンマの解が、教育重視の“人的資本の理論”の教えるところと大きく隔たっていたことは明らかであろう。日本にも、尾崎紅葉『金色夜叉』のような例がある。学士エリート・間寛一の許婚の鴫沢宮が、富豪銀行家の息子・富山唯継に乗り換えて貫一を捨て去る話だ。貫一は復讐心に燃え“高利貸し”となり、宮の結婚も幸せを齎しはしない。バルザックやジェーン・オースティンと違って金色夜叉の場合、金と恋愛の問題を市民的倫理感覚に訴えつつ、多くの読者を勝ち得ている。日本においては、“世襲資本主義”が19世紀の英米のように浸透することはなく、“勉強・才能・努力”を重視する姿勢 が主流であり続けたのは、資本蓄積が十分ではなかったからだと想像すればよいのだろうか。ピケティの野心的な試みは、「経済学は大事な問題を扱う学問なのだ」というメッセージを発信する上で大きな効果があった。ただ、科学的著作としての『21世紀の資本』の評価が確定したとは言い難い。筆者も彼の膨大なデータ作成への讃辞は惜しまないが、“格差拡大メカニズムのモデル分析”に成功しているとは考えていない。冒頭で区別した視点からすると、ピケティが“影響力”という点で21世紀の民主制社会の多くの読者を魅了したことは確かだ。しかし、この本によって何が新たにわかり、何がわからないのかを丁寧に、そして慎重に区別しておくことが読者に求められていると痛感する。


猪木武徳(いのき・たけのり) 青山学院大学特任教授。1945年、滋賀県生まれ。京都大学経済学部卒業。マサチューセッツ工科大学大字院博士課程修了。大阪大字教授・経済学部長や国際日本文化研究センター所長等を経て現職。著書に『戦後世界経済史』等。


キャプチャ  2015年4月号掲載


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