石原慎太郎、独占手記――国を貶めて新聞を売った『朝日』の罪と罰

これまでも朝日新聞に、歯に衣着せぬ議論を挑んできた次世代の党最高顧問の石原慎太郎氏(82)。慰安婦問題の誤報が明らかになって以後は、しばし沈黙していたが、ここにその“罪と罰”について、鋭く切り込む手記を寄せた。曰く「朝日は廃刊するしかない」。

朝日新聞は従軍慰安婦についてデタラメな記事を何度も流し、それがデマだったとわかってからも、訂正しないで長く放置しました。その責任を、いったいどうやって取るつもりなのでしょうか。その罪は万死に値しますから、もはや廃刊するしかないと思います。

実は、朝日新聞の一連の誤報について、言いたいことがたくさんあったという石原氏。今年になってからも国会で、河野談話を槍玉に挙げてきただけに、ことに慰安婦誤報に対しては、舌鋒も鋭くなる。それが当を得ているのは、長年、論を戦わせる中で朝日の“体質”を感得していることと無縁ではないだろう。

私は過去にも、朝日新聞とは2つのことで戦ってきました。ひとつは南京虐殺問題をめぐって、朝日の編集委員だった本多勝一のバカが、ギャンギャン言ってきていました。






本多氏は、南京事件で日本軍が殺した中国人の数について、中国側の発表の40万人という数字を引用するなどしていた。

彼は私のことを《“ウソつき”と“卑劣な小心者”とをこねて団子にしたような男》などと度々書いて誹謗中傷してきましたが、その本多が言っていることは段々辻褄が合わなくなってきて、最後は、40万という数字は日本軍が杭州湾に上陸してから南京を陥落させるまでの戦闘での相手の死者の数だ、などと言い出しました。私は「当時の日本軍の装備で短期間にそんなに殺すことは、物理的に不可能だ」と反論し、議論になっていたのです。戦時中、従軍記者として南京に渡った大宅壮一さんや石川達三さんも、「40万人もが殺されるような現場は見ていない」と話していました。たしかに、日本兵がゲリラなどを捕まえて処刑するような現場は見たのかもしれませんが、「大虐殺と呼べるようなものはありはしなかった」と言っていました。ところが、本多は執拗に私を攻撃し続け、議論するうちに辻褄が合わなくなって、それでも今なお、「石原が歴史をまげた」などとほざいています。もう20年以上も前のことですが、私は日本軍が南京で30万人も40万人も殺したといういわれについて公開の場で問いたくて、朝日新聞の『論壇』に原稿の掲載を申し入れたことがありました。ところが、「協議の結果、この時期にこの問題について石原の意見は載せられない」という返事がきました。朝日には、彼らの政治的な目的のために都合が悪い発言は封じ込むという体質が、昔から染み付いている。

もうひとつは、私が運輸大臣をやっていた1988年に持ち上がった、石垣島の白保地区の埋め立て問題です。当時、新石垣空港を建設するために、そこに広がる珊瑚礁の海を埋め立てて空港を造ることが決まっていました。私は石垣島が好きでよくダイビングに行っていたので、あんなに美しい珊瑚礁を埋め立てるなんて正気の沙汰ではないと思いました。それ以前に、環境庁長官を務めたこともありましたしね。それで、沖縄開発庁長官だった粕谷茂君と口論になりました。彼にすれば、すでに決まっている空港建設を、所轄官庁のトップである私がひっくり返すような発言をしたのだから、困ったと思います。しかし、私は本心から「あの美しい珊瑚礁を守らなければいけない」と発言したのです。

ところが、朝日新聞は私に下手な因縁をつけてきました。沖縄県は白保地区より北方の平野部を空港の代替地として物色し始めたのですが、その近くにはたまたま、私が人を介して購入していた別荘用地がありました。それを知った朝日は、私が白保案に反対したのは、自分が所有している土地の値段を吊り上げるためだった、と匂わせる記事を書いたのです。濡れ衣もいいところだ。その後、朝日新聞のバカな記者がその白保の美しい珊瑚礁の近くの海で、自分の手で大事な珊瑚に傷を負わせ、その写真をもとに、日本人のモラルの低下を憂うような捏造記事を掲載したのは、新石垣空港の騒動直後の1989年でした。このとき一柳東一郎社長の首が飛びましたが、朝日は慰安婦報道でもやはり記事を捏造して日本人を貶めました。両方とも構造はまったく同じで、朝日新聞特有の売名行為で、日本人の名誉を傷つけてはばからない。珊瑚事件でも、慰安婦記事でも、ちゃちな英雄主義なのか知らないが、国と民族を貶めてまで新聞を売ろうとするのが、彼らのいつものやり方だ。日本人のモラル低下を嘆く前に、自分たちの下劣さを嘆いたらいい。

朝日新聞はもともと、時流や権力になびくという体質を持っています。特に戦時中は、軍部に非常に協力的な報道をし続け、終戦間もない1945年9月19日から2日間、GHQによって発禁処分を受けたことがあるほどです。そうしたら彼らは、それまでの右寄りの主張から、一気に左寄りに転換したんです。その後は、中国の文化革命を評価し、それを主導した江青ら4人組を礼賛するような記事を書いてきたわけだ。どういうわけか日本のインテリは、その手の記事が好きなんですな。困ったものですが、朝日新聞は、そういう連中が喜ぶような記事を書き続けてきました。私と親しかった右翼活動家の野村秋介さんが、朝日新聞東京本社に乗り込んだ事件がありました。1993年10月のことで、当時の中江利忠社長らに説教して謝罪させたあと、社長の目の前で自分のわき腹に向けて拳銃を放ち、自殺してしまいました。私は通夜に行って、「野村、なんでこんな死に方をしたんだ、なんで相手と差し違わなかったんだ」と言いました。彼は朝日新聞に対して、命がけで決着をつけるべきだったのです。そうすれば、彼らはもう少しまともな会社になっていたのではないか。朝日が国を売った慰安婦報道をひっくり返した今、なおさらそう思います。

朝日新聞は、これだけ国家と民族を貶めました。彼らがやったことは国家を殺すのと同じことで、国家を殺すというのは、同胞民族を殺すことと同じです。彼らはいつもああいうマゾヒズム的な姿勢をとることで、エクスタシーを感じているのかもしれませんが、朝日の木村伊量社長は、世が世なら腹を切って死ななければならないはずだ。彼らの責任はそれくらい重いと思います。三島由紀夫は生前、「健全なテロがないかぎり、健全な民主主義は育たない」と言いました。私は、これにはパラドックスとして正しい面があると思います。野村秋介は1963年に、当時建設大臣だった河野一郎邸に火をつけました。河野は代議士になる前は朝日新聞の記者で、典型的な売国奴のような男でしたが、那須の御用邸に隣接する土地を持っていて、御用邸との境界線争いが起きたとき、境界をうやむやにするために雑木林に火をつけさせたといわれた。それで御用邸の森の一部も燃えてしまい、泉も涸れてしまい、天皇陛下も大変悲しまれました。そのことが右翼全体の怒りを招き、結局、児玉誉士夫が騒ぎを収めたのですが、野村はそれでは納得できず、河野邸を燃やしたのです。野村はそれで12年間、刑務所に入りました。もちろん放火という行為は推奨できないが、命懸けだった。少なくとも昔の言論人は命懸けで、最近、そういう志の高い右翼はまったくいなくなりました。今は、朝日が何をしようと安穏と過ごせる、結局うやむやにして過ごせる時代です。

もはや一新聞社では抱えきれないほど大きくなりすぎた朝日新聞の“罪と罰”。そこに石原氏が裁断をくだす。

慰安婦問題で捏造記事を書いて、日本が性奴隷国家であるかのような誤った認識を世界中に蔓延させ、日本と日本人の名誉を取り返しがつかないくらい失墜させた朝日新聞の罪は、万死に値します。だから、もはや朝日に新聞としての存在価値なんてありはしません。そうは言っても、現実的に朝日新聞社がなくなることはないでしょうし、彼らが今までの姿勢を改めるとは、私には思えません。第三者委員会を設けて、慰安婦報道や、その誤報が世界に与えた影響などについて検証すると言っていますが、どうせ身内を集めて、シャンシャンシャンで終わりにするのでしょう。長く朝日をウォッチしてきた経験から言っても、そんなものが機能するわけがない。もし、万が一、朝日新聞から私に、第三者委員会に加わってほしいというオファーがあれば、必ず引き受けます。

朝日は、吉田清治の証言がデマだったとして記事を取り消し、軍による慰安婦の強制連行はなかったとやっと認めたこの期に及んでも、まだ“狭義”の強制はなくても“広義”の強制性はあったのだ、などと屁理屈をこねて、本当に姑息極まりない。池上彰さんのコラムの掲載を拒否した問題も、世間の批判を浴びたら、言いわけを連ねて一転して掲載するなんて、姑息極まりない。昔から、言いようもないほど卑劣な会社なんです。これからも、朝日新聞は言を左右して、自分を、そして自分の主張を守ろうとするでしょう。これまでも朝日はそういう会社でした。今また慰安婦問題において、一部の誤報は認めても、残りは守ろうと必死になっている。我々日本国民が今なすべきことはなにか。それは、売国奴の朝日新聞は買わない、読まない、ということです。もっとも、私がわざわざ言うまでもなく、もう始まっているようだが。


キャプチャ  2014年10月9日号掲載
スポンサーサイト
Categories
Profile

KNDIC

Author:KNDIC
Welcome to my blog.

Latest articles
Archives
Counter
I'm participating in the ranking.

FC2Blog Ranking

information
Search
RSS Links
Link
QR Code
QR