大阪府警“スパイ”の告白、拳銃売買『囮捜査事件』の闇――現在公判中のある事件は“重大な事実”を隠蔽している…被告人は『エス』、長らく警察の為に穢い仕事をさせられてきた男

昨年5月2日、大阪市内に住む52歳の男が奈良県警に逮捕された。男のマンションを捜索し、拳銃3丁と実包72発を押収したのだ。「他府県警の管轄区域で捜査する時は、予め連絡する」と定めた犯罪捜査共助規則を無視してまでも大阪府警の鼻を明かした大手柄の筈だったが、事態は忽ち暗転した。調書作成に応じない被疑者の雑談から、「大阪府警の囮捜査ではないのか」との疑念が浮かんだのである。銃器や薬物の売買には被害者がいない。関わる全員が被疑者だ。捜査員が身分を明かしては近付けない犯罪集団に接触し、情報を取る協力者を『エス』と呼ぶ。暴力団関係だけでなく贈収賄や談合・公安事件の捜査にも不可欠といわれる。捜査員が潜入して偽装身分が露見すれば、抹殺されるか“二重スパイ”として逆利用される。危険な職務のアウトソーシングをエスが引き受けるが、成果は警察だけのもの。エス=裏切り者への報復が及ばないようにと、警察はその存在を秘匿する。疑念を抱いた瞬間から調べは迷走。大阪府警捜査4課への事情聴取、銃器取引の確認に追われ、勾留期限の20日が経過した。引くに引けない奈良地検は“拳銃3丁と適合実包等実弾60発の所持”という新たな犯罪事実(銃刀法違反)で起訴に踏み切ったが、公判前整理手続きに8ヵ月余りを要した。

2月の初公判冒頭、奈良地裁葛城支部の裁判長は、

①被告人の銃器所持は正当行為か否か?
②違法性の認識欠如に理由があるか否か?
③違法収集証拠が存在するか?

と3つの争点を挙げ、次の2点を前提として審理を進めた。

①押収銃器は、昨年2月に被告人を介して売買された6丁の一部である。
②被告人を運用する大阪府警捜査4課の警部が売買現場に臨場した。

裁判長の争点整理を言い換えると、

①大阪府警の捜査に協力した銃器所持だと評価できるか?
②協力者の銃器所持が許されるか?
③証拠の違法収集は事実か?

となる。1995年の銃刀法改正で、“コントロールドデリバリー”と“拳銃等の譲受等”が立法化された。2つの条文を組み合わせ、「捜査員が銃を買い、偽物に摩り替える等して売り渡し、売買双方を検挙する」囮捜査が合法化されたのだ。だが、その実態を警察は公表せず、外部から検証する仕組みも無い。この裁判が闇を照らす最初で唯一の機会となるのかもしれない。証人出廷した大阪府警幹部は、被告人が協力者であることは認めたが、「捜査に関わることは話せない」と常套句を連発。「昨年2月の現場で、銃器売買は確認できなかった」と大前提の部分で身を躱した。偽証の誹りを受けようとも核心部分には触れさせない、との強い意思表示だ。協力者には懲役を、不始末を仕出かした末端捜査員には懲戒処分を与えることで、恐らく事態は沈静化する。それを待つのが日本警察の佇まいである。法廷に臨んだ大阪・奈良の3警官は氏名を伏せられ、エス運用者である警部は遮断幕で姿まで隠された。囮捜査を仕掛けられた暴力団関係者からの報復を警戒し、今後の捜査活動に支障を来さない為だ。にも係わらず、被告人だけが実名である。本稿は、最も危険な立場に晒される人物を『赤石基樹』と仮名で呼ぶ。




赤石がエスの世界に足を踏み入れたのは1992年6月。30歳の時である。兵庫県警に取り込まれ、2001年12月までの9年半、銃器携査のエスを務めた。筆者との出会いは1994年10月。飛び込みの電話1本で繋がった。「京都にある金融会社の経理部長が恐喝されて、会社の金を横領した。上場目前の会社と京都府警が癒着して、強制捜査を先送りしている。調べてくれ」。赤石は知人に頼まれて、銀行から300万円を引き出す手伝いをしたが、これが知人らによる初回の喝取金(脅し取った金)だと知って憤激、兵庫県警を通じて京都府警に通報したというのだ。その赤石は、兵庫県警が同年9月に大阪府堺市の泉北港で拳銃61丁と実弾255発を押収した事件で、100万円の報酬を約束して銃器を運ばせたタイ人船員に、県警が受け渡しのタイミングを知らせる携帯電話を提供させられていた。神戸地検の捜査で「携帯の名義人を追え」となり、県警から「逃げろ」との指示が出て逃亡中だという。荒唐無稽な話で俄かに信じられない。タイ人への1審判決で逃亡指令が解除された同年末、赤石は恐喝被害者であり業務上横領の被疑者でもある経理部長を説得、部長の手になる送金一覧表と脅迫電話の録音テープを持参した。だが、年が明けて阪神淡路大震災・地下鉄サリン事件・警察庁長官狙撃事件が続発。取材に手を着ける暇もない。オウム教祖の逮捕で世間が落ち着いたころ、8億円の業務上横領と1億5000万円の恐喝事件を伝える記事が社会面の片隅に小さく載り、筆者は敗北を悟った。これが赤石との20年に及ぶ付き合いの第一歩である。

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「警察庁長官賞はエエけど、61丁と255発はオカシイやん。1丁に弾4~5発では買い手がつかん。1000発くらいは必要でしょ」「自分はエエとこ見とうなあ。拳銃だけが目的やから、弾なんてどうでもよかったんよ」。捜査員との会話を赤石から昔話のように聞かされた。6年後の2000年12月、赤石は知人から紹介された男が強盗務人犯だと知り、「殺人使用銃とは知らずに銃口を加工した」と逮捕覚悟で兵庫県警の捜査本都に出頭した。殺人犯は指名手配中だが、携査本部は証拠隠滅行為と自首には興味を示さず、「お前が捕まえて来い」と突き放した。赤石が提供した逃亡先や使用車両の情報で殺人犯は逮描されたが、「赤石から別の拳銃を譲り受けた」と供述し、今度は赤石が指名手配されたのだ。一心同体とも言える運用者からの連絡で逃亡に成功したが、1年後に高速道路通行券の不正使用をきっかけに逮捕された。赤石は自身の裁判で自首を主張、殺人犯への拳銃譲渡を否認した。ところが、自首を仲介した高校時代からの知人である県警警部補がこれを否定する証言をし、自首調書も隠滅された。赤石は意趣を返して警部補への金品供与を暴露。警部補は小遣いせびりの過重収賄罪で起訴戒免職となり県警は大混乱に陥ったが、結果は贈賄罪でも追起訴されて懲役8年。赤石の量刑が重くなっただけである。これだけでも十分に穢い話だが、赤石は9年半に25回の協力事件と100丁近くもの銃器摘発に関与した体験を、200通余の封書と20数冊のノートに綴り、獄中から筆者に送り届けた。会話を軸にした詳細な記憶を精密に書き出す筆力にも驚かされたが、記載事項の裏付けを重ねるにつれ、捜査の裏に潜む闇の深さと報道の弱さを思い知ることになった。筆者は読売新聞社を2012年8月に退職したが、赤石の手記は今以て我が記者人生に充足感を許さないトラウマである。

2011年6月4日、その朝に大阪刑務所を出所した赤石が顔を見せた。昼飯を共にしながら「元のエスに戻るなよ。できることなら応援するぞ」と声を掛けたが、甘える男ではない。「逮捕前年に逝った母親が遺した資金で生活を立て直す」と言い、母への感謝の言葉を何度も繰り返した。赤石からの近況報告は随時入った。

①以前にガサ(捜索)を打たれた大阪税関の下級幹部と思いがけなく再会した。
②ハマーを運転中に職務質問された。その警官がタイ人事件の現場にいたことや、税関の下級幹部と飲み友達とわかり、雑談で盛り上がった。
③名刺を見直すと、大阪府警の刑事課長で警視。電話を入れたら、「まあ、3人でメシでも食おうや」と誘われた。
④後日の会食にもう1人、捜査4課の情報担当警部もいて親しくなった。

これが後に赤石と“兄弟分の契り”を結ぶ警部との出会いである。赤石は「偶然だ」と言うが、どうにも不自然だ。銃器マニアの赤石はアメリカの射撃スクールに2度入り、並の警察官を遥かに凌く射撃体験を持つ。拳銃と実弾の扱いに習熟し、これが自慢の種である。得意になって説明し、相手の期待に応えようとする。電話やメールの交換に喜びを覚え、自分の存在を認めてくれる相手には必要以上にサービスする。人懐っこくて、人恋しがり。この性格が利用される。赤石を大阪府警のエスに取り込むリクルート作戦が仕組まれたに違いない。警視が公道に出て職務質問するか――そこに疑念を覚えていたころ、既に赤石は幾つかの捜査協力をしていた。逐一報告は無かったが、警部から50万円を渡された日には顔色を変えて筆者宅に駆け込み、テーブルの上に1万円札を広げて見せた。「写真撮ってくれ。兵庫の時はこんなん無かった。大阪は腹が太いんかな。家賃の面倒も見るちゅうんや。兵庫の時も(謝礼か報奨金が)出てたのに、ピンハネされてたんやろか?」「おう、これでまたエスに逆戻りやな。今度は大阪に飼われるわけや。一生面倒見てくれるんならエエけど、具合悪うなったらポイ捨てのチャイなんは、お前が一番よう知っとるやろうが。写真もコピーも意味無いぞ。さっさと口座に放り込んで、通帳に記録するンが一番や。せいぜい気ィ付けて付き合えよ。くれぐれも言うが、危ない橋を渡ったらアカンで」。ボイスレコーダーを置くと、“本籍・現住所・氏名・生年月日・年齡”と供述調書を読み上げるように前置きし、出所後間もなく始まった大阪府警からの飲食接待と誘いの言葉の詳細なニュアンス、大阪府警流の供述調書にアドバイスを求められた時のやり取りを赤石は一気に喋った。「大阪府警に裏切られることになったら、弁護士に届けてくれ」。その日がこんなにも早く来ようとは思いもしなかった。

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「また、やってしもた。(エスは)終わりのない旅や」。昨年2月23日夜、赤石から電話が入った。長い嘆息の後、疲れ果てたような声で告白が続いた。今回、赤石が逮捕時に持っていた銃器の売買オペレーション直後のことである。その売買を赤石は『コントロールドデリバリー(CD)』と言う。CDとは、密輸入された麻薬・覚醒剤等を税関検査で発見した際、応酬せずに無害な白い粉末に摩り替えて通関させ、ダミーを違法薬物と認識して受け取った者も処罰できるという考え方だ。銃器捜査への応用だというが、筆者は納得できない。“コントロールとは程遠い極め付きの違法捜査”ではないのか。事実関係を質すべく、昨年10月22日に大阪府警に取材を申し入れた。玄関受付の電話を介して応対した広報課員は筆者の経歴を確認した上で、「取材の意図も聞く必要が無い。それくらいはわかるでしょ」と門前払い。現在警部補だとすれば、将来は警視正間違い無しと思わせる小賢しい応対ぶりだった。致し方なく一方的になるが、赤石から聞きとった話を基に、昨年2月23日までの経緯を再現する。

2月20日 赤石が兵庫県警のエス時代に知り合った組員Aから入電。「赤石さんの好きなカタイヤツ(拳銃)の話が……」と売りの相談だ。「もっと詳しい話でないとダメやな」と退けたが、その後の電話で拳銃6丁の種別と弾数・売主の組関係や人間関係を聞き取った。
同日午後10時半 警部に電話報告。「6丁を売りたいという話が入ってきました。売主の代理人Aの携帯電話番号と売主の所属組織○○会(暴力団組織)を伝えておきます。売主の氏名はまだ聞き出せていません」「ホゥ6丁でっか。そんだけあるちゅうことはどこかに倉庫がある筈や。この話、上にあげてもよろしいか?」「まだブツを見てないが、それでもいいんですか?」「○○会の名前が出た以上、情報はあげておきたい」
21日朝 赤石が旧知の組員Bに架電。AとBは知り合いである。「最近Aから拳銃の話、聞いてますか?」「聞いてないけど……」「『6丁売りたい』と電話あったんですわ」「あいつの話はテンプラ(衣だけ)やからなあ」と、BはAを信用していない様子である。
同日夕 Aから赤石に入電。「昨日の話、手応えありましたか?」「いや、どうもエエ返事ないなあ」「値段下げますから、何とかお願いします」。Aの説明で捜査に必要な情報が出揃い、テンプラが天丼に化けた。Bも買う気持ちを固め始めた。
同日午後7時 警部のP電(警察専用の携帯電話)に再三掛けるが繋がらず、警部からメールが入った。「会議中。出られず。何か?」「6丁の件、買い手が決まったので話したい」「この後、送別会。終わり次第に電話する」。その後のA・Bとのやり取りで「取引は23日(日)午後3時、ホテル日航大阪」と決まったが、警部から連絡が無い。電話とメールは依然として不通。警部に番号を知られていない携帯から私用携帯に掛けて、漸く繋がった。
同日午後10時45分 「もしもし、どちらさん?」「赤石ですよ。もう、ずーっと連絡待ってたのに。メール見てもらいましたか?」「ああ、誰やと思うたら番号変えたんかいな」「6丁の取引が全て決まりましたよ。どうしますか?」「ああ、そない書いてましたなあ。送別会から2次会行って、酔うてしもうてフラフラですワ……」「どないしますのん? 現場で押さえるんですか?」「今回、現場でやるんは止めとこうと思いますねん。折角こんなエエ話持って来てくれはったのに、不細工な話して済んませんなあ」「それなら僕も目利き(見分役)で行くのん止めときますワ。職務質問にでも引っかかったら一緒に括られますやん」「見てるだけなら大丈夫でっしゃろ?」「そんなアホな……」「そしたらワシも現場まで行ったげまひょか? 何があっても本部のワシが行っとんやさかいに、文句言わせまっかいな」「そんな判断、勝手にやってエエんですか? 上に聞いたほうがエエんと違います?」「今夜はもう遅い。明日、上に相談して決まったら電話しますんで……」
22日午後1時 警部から赤石に入電。「上に報告した結果、『今回は行確(行動確認)で流せ』と許可が出た」「それなら僕も目利きで行きます。お金(取引代金)を僕が立て替えてもいいんですね?」「それも確認した。OKです」「今度の課長、どない言うてはりました?」「いや、課長やのうて調査官に言いましてん」「何で課長と違いますのん?」「絶対人に言わんといてくださいや。課長は今日、結婚式に出とるさかいに電話しにくいんですわ」「そんなんで大丈夫ですか? 後で『ワシは聞いてない』てなことになりませんか?」「絶対に大丈夫。本来、報告は調査官を通して課長にあげるモノ。問題なしですワ」「何かあっても、絶対に裏切らんといてくださいね。約束してくださいね」「そんなことしまっかいな。兄弟分でっせ」(なるほど、22日は大安である。警部は靖国神社の携帯ストラップを“兄弟分のしるし”として赤石に贈っていたのである)。警部が付け加えて言った。「ああ、明日は日曜か。人手が足らんかも……。まあ誰か若い衆でも探して何とかしまっさ。万が一、他府県警に職質されたりパクられ(逮捕され)たりしても、大阪府警が助けに行くまで黙秘でっせ。協力者のことも絶対調書に残さんようにしてください」「そんなことになったら、僕は弁護士の先生呼びます。先生の名前、覚えといてくださいね」「○○先生でんな。今控えたから大丈夫。安心してください」

以上が売買前夜までの連絡状況だ。警部は奄美大島出身だというが、相当な大阪弁フリークのようだ。

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当日朝、赤石は風邪による発熱で身動きできないほどに弱っていた。Aに延期を申し入れたが、銃器を持った売主と連絡がつかず、決行止む無し。警部にはその都度2回、報告電話を入れたという。午後3時前、見分役の赤石はホテルの2階ロビーで初めて会う売主と打ち合わせ通りに接触。トイレの個室で6丁とビニール袋に入った実包を点検しながら、携帯電話のカメラで撮影した。「全品間違い無し」と判断した赤石は、自ら用意した215万円を支払って売主と別れ、ホテル近くの路上で待機していたBの車に銃器が入ったザックを運び込んだ。これにて完了。Bの車で自宅近くまで送らせた。自宅に戻った赤石は、携帯電話の撮影データを警部と(警部を紹介してくれた)警視に宛てて送信。確認の電話に出た警部は、「今見てます。ワシも居ったんでっせ。あんたがトイレに入っている間、ワシは男と背中合わせに座って連れの男と話してんのん聞いたったがな。これから人定(人物確認)かけて進めていきます」と得意気に話したという。赤石から「終わりのない旅や」と電話が入ったのはその夜のことである。そこで初めて、筆者はこの取引を知った。「とうとう橋を渡ってしもたか……」「毎月の家賃が重荷やったんや」。赤石は2月19日、大阪府警本部南側の大阪歴史博物館1階のレストラン『スターアイル』で、警部から10万円を受け取ったばかりであった。「ところでな、コトがマトモに運んだとして、一斉検挙となったらどうなるねん?」「俺もパクられたほうがゴマカシが利くやろな」「それでエエんか?」「いいや、どっかで握ってくれるやろ」「ニギル? それ、甘いことないか?」「裁判所で洗い浚いブチまけられたら困るやろ?」。確かに困るだろう。エスと、これを運用する捜査員との関係は全人格を賭けた信頼であり、裏切りだ。闇の中で結び合い、明るみに出て共に滅ぶ……。こうして、筆者のパソコンには「コルト・ディテクティブ×2、タウルス、ロッシ、ベレッタ、タイタン、90発」との一行メモが残った。




ところが、事態はこの後も転変した。一旦銃器を持ち帰ったBが「保管場所に窮した」として数日後、6丁全部を赤石宅に持ち込んだのだ。拒否する選択肢が赤石には無かった。その日に回転式のロッシ1丁(実包10発)、2回目にコルト・ディテクティブ2丁(同50発)が持ち去られ、赤石はその都度警部に連絡、売り先情報を克明に報告した。真っ当なCDであれば、大阪府警が既に把握していてもおかしくはない。警部は赤石の立て替え金回収を心配してくれたという。「銃器取引があったこと自体を関知せず、捜査態勢を取ることも無かった」――。大阪府警の警視と警部は証言台で、裁判長が掲げた争点を外して逃げを打った。だが、その証言は綻びだらけである。

①「買主が決まったという報告は無かった」=決定的な偽証か? 「買主が決まらずに、売主が行動を起こすか?」との疑問を解消するプロセスが無い。
②「23日の接触は買い手を探す交渉と捉え、警部1人がホテルへ行った」=警部がホテルで第三者と接触し、隠しきれないと判断したのか? ホテルに再就職したOBに、防犯ビデオの回収を依頼したのかもしれない。
③「送信された写真を見たが、当日売買された銃器とは認識できなかった」=銃器の撮影データもまた証拠として提出されており、理解不能である。
④「その後、この件での情報提供は無い」=客観的に証明できない主張である。

銃器売買を見逃し、銃器所持を承認したとする非難から逃げたいだけの狡猾な願望が透けて見えるが、決して巧妙では無い。証言が真実ならば、赤石が日時と場所を警部に知らせた上で銃器売買に関わった行動が誰にも理解できない。

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県警が大阪市浪速区内の赤石宅を捜索したのは、昨年5月2日。4日送検・2勾留20日間で捜査を終結。起訴後、すぐさま身柄を拘置支所に移した。取り調べの模様が日弁連(日本非護士連合会)の『被疑者ノート 取り調べの記録』に残っている。ノートの差し入れは3日だが、逮捕当日のことも書き込んである。赤石宅内で銃器発見後、捜査員の1人が「ハマーはどこに置いてんねん?」と唐突に尋ねた。ハマーは大阪府警の警視から職務質問された際に乗っていた車だが、これを赤石は2012年9月に転売している。その事実を知らない人物が赤石宅の捜索容疑捻出に協力したということだ。同じ捜査員が、「大阪と何かやっとったやろ? 今日も電話で話しとるやないか」と畳み掛けた。「今日も電話で」の一言が警部のP電をリアルタイムで盗聴していたことを、はからずも暴露したことになる。『被疑者ノート』は、日弁連が取り調べ可視化を刑事司法制度改革の最重要課題とし、2004年3月から活用を呼びかけているツールだ。取調官がノートを検閲することはできない。粗雑な記入や独り善がりの書き込みもあるだろうが、赤石のように端的・克明に書き込めば、調べの様子が手に取るように把握できる。勾留直後は取調官との腹の探り合いである。雑談だけで調書作成に応じない赤石を持て余す気配が行間に窺える。

5月7日 「もう銃器が無いやろと思ってたのでびっくりした」「ガサは本気ではなかった」「(赤石宅の)ドアが開いていてびっくりした」「盗聴は絶対にやってない」と取調官(弁解が先に立ち、調べの主導権が逆転している。「もう無いやろ」「本気ではなかった」の真意を赤石は測りかねている)。
8日 「昨日、あんなことを言ったが、マンションの中には入ってない」(建物の中か部屋の中か。これも弁解だ)。
9日 「長く内偵していたのか?」との質問に、又も「今回の内偵は本気ではなかった」と取調官(県警自身が捜索差し押さえ許可状の容疑事実を信じていなかったことが窺える。“ハマー質問”で古い情報だと露見したが、手柄を焦るあまり、確度の低い情報に飛びついたのだろうか? 取り調べ慣れした被疑者は、「他人の犯罪行為なら気軽に喋る。ネタをやるから目溢ししてくれ」との期待だ。これを利用・活用するのがデキる捜査員だ。大抵は1回きりで終わるが、確度の高い情報を提供した被疑者は信頼され、継続的なエスとして育てられることもある)。
10日 「1つだけ確認させてくれ。このチャカ(拳銃)は大阪のコントロールドデリバリーやないよな?」「違うけど、なぜ?」「いや、そうやないと確認しただけで」(調書を取らせない赤石の応対に、県警は最悪のケースを描き始めた。赤石が否定したのは、警部の言葉である「職質されたりパクられたりしても、大阪府警が助けに行くまで黙秘でっせ。協力者のことも絶対調書に残さんように」を守ったからか? だが、大阪府警の助けが入る気配は無く、赤石もまた疑心暗鬼を募らせている)。
12日 初めての検事調べ。赤石は警官の立ち会いを拒んだが受け容れられず。筆談で、①自分は大阪府警の捜査協力者。②拳銃は大阪府警のCD案件。6丁の売買を仲介し、3丁が手元に残った。③大阪府警捜査4課の情報担当警部に事情を聞いてくれ――と初めて明かした。検事は、「大阪府警の警部を早急に呼ぶ。2月22日の裏付けを県警にやらせる」と応えた。「『赤石は大阪のエス』と県警に言い触らされるのを警戒した」との書き込みがある。
13日 赤石の携帯から銃器撮影データを取調官が発見。「大阪府警の協力者とわかっていた」「押収の際、大阪府警に照会していればこんなことにならずに済んだ」(取調官は検事から筆談内容を聞き、携帯電話を再点検したのだろう。「大阪府警に照会していれば」は犯罪捜査共助規則を無視したことへの後悔か? 「こんなことにならずに済んだ」は、「捜索に着手しなかった」「逮捕しなかった」「逮捕しても即刻釈放した」の何れであろうか?)。
同日 検事が留置場に来て、大阪府警の協力者となった経緯・時期・2月23日の取引の詳細・金の流れを質問した。「23日の防犯ビデオは消滅していた」「23日午前1時と正午の2回、赤石から担当警部への発信履歴を確認した」と明かした検事に、「防犯ビデオは大阪府警が回収済みと聞いている」と説明した。
14日 取調官が2月23日の写真送信先の2人の実名を指摘。赤石は答えず。「これなら完全に捜査協力や」「奈良が大阪に確認せずに強行したからこんなことになった」と取調官。
15日 「大阪府警の協力者とわかっていてこんな形になり申し訳ないが、まさかここまでやってくれているとは思わなかった。この先、どうなるんやろか?」と取調官(最早、調べの体をなしていない)。
同日 検事が「大阪府警の担当警部を呼んだ。君が協力者だと認めてくれた。君の行為は社会正義と信じるが、それでも起訴は免れない。売主・買主を明らかにして捜査続行に協力するなら、情状面で何とかする。非公開裁判は難しいが、考える」と話しかけた(大阪府警は赤石を切り捨てなかったが、救出も無いことが判明。赤石にとっては、大阪府警の事件を奈良に譲るのは「仁義に悖る」「かといって懲役もイヤだ」とのジレンマが始まった)。
16日 「まだ起訴とは決まっていない。検事さんは悪い人と違うから悩んではる」と取調官。
17・18日 調べ無し。「堂々巡りの考えばかりが浮かび、しんどい」と赤石。
19日 「非公開が無理なら、自分で呑む(1人で罪を被る)しかない。それに備えて、身上調書だけでも作りたい」と取調官。「非公開裁判の約束が取れてからでないと調書はダメ。事実のみで起訴されて、大阪府警に切り捨てられたら、法廷で全てを話す」と赤石。「大阪府警に対してそんな気持ちなんか?」「そうなりたくないから悩んでいる」(2人の関係は、一種のストックホルム症候群だろうか?)。
20日 「所持を認める調書だけはあったほうがエエんと違うか」と取調官。
同日 「協力者であったことを公判で表に出すつもりは無い。上から『不起訴』と言われたら検事を辞める。何の為にこの仕事をしているのかわからんでしょ? 売主と買主は通話記録で割れているが、流れを供述すれば捜査協力をしたと評価したい。だからといって減刑するような取り引きはしたくないが」と検事(検事もまた進退を賭して悩んでいるようだ)。
22日 「今日は覚悟を決めて調書を取るつもりで来た。サインをするかしないかを決めるのは赤石自身だろう」(「取調官の面子も立てろ」という威迫である)。
23日 「これが最後なので、事実認否の調書だけは取らせてほしい。求令起訴の前に認否だけはしておいたほうが絶対にいい。赤石の筋通すためやんか!」(前日は威迫だったが、この日は哀願だ)。

取調官は「知人から預かり、6丁を保管していた」旨の調書を用意して署名を迫った。「(裁判の)確定記録から供述調書を抜き取られる不安がある」と赤石はサインを拒否。「調書が1枚も取れんなんて、刑事として失格や」と嘆く取調官。「根気よく付き合ってくれ、理解もしてくれた唯一の刑事。感謝!」の言葉で、赤石はノートを締め括っていた。以上の経緯を踏まえて、奈良県警にも取材を試みた。大阪府警への取材と同じ日、一足早く昼前に薄暗い庁舎を訪れた。『組織犯罪対策1課次席兼課長補佐(警部)』が用意した回答は極めて簡明。捜査共助規則を無視したことも、拳銃入手先の突き上げ捜査をしてないことについても、「奈良県警は適正な捜査を精一杯進めております。その結果が現状です。大阪府警のことは知る由もありません」。「大阪・奈良の話ではなく、日本警察としてどう考えるか?」と筆者が質すと、「奈良県警がお答えすることはできません」。居心地悪そうに顔を歪めていた次席が、「まだ裁判が始まらないんですよね」と一言添えて見送ってくれた。大阪府警への取材を先にすれば、県警はこれ以上に口を噤んだであろう。県警からの連絡で取材の意図を知り、聞くことさえも拒んだのかもしれない。

CDは、国連が1988年に採択した『麻薬新条約』に、マネーロンダリング規制と共に盛り込まれた。批准を迫られた日本は、薬物捜査に関しては1991年の『麻薬特例法』、銃器捜査では1995年の『銃刀法』改正で“罪を犯す意思を持って拳銃等(実包・部品)を所持・譲受・貸借した者の処罰=CD”(第31条の17)を作った。同時に規定した“拳銃等の譲り受け等”(第27条の3)で実質的な『囮捜査』が可能となったと言われている。“譲り受け”とは、単なる売買ではない。身分を秘した捜査員が客となり、譲った相手を騙し討ちにして検挙することが目的である。CDには、本物を偽物に摩り替えるクリーンCD(CCD)と、本物をそのまま通関させるライブCD(LCD)があ る。警察庁は「拳銃の不正取引に関与している者を一網打尽にして、密売組織の壊滅に有効な捜査手法」とし、「CCDは囮捜査とは性格的に違う」と説明する。現実の捜査現場では、既に国内に入った銃器の摘発こそが重要課題。水際CDが国内CDに変形するのは時間の問題だ。だが、真正拳銃をモデルガンに置き換えても銃口を覗けば一目瞭然。銃器捜査にCCDは現実的ではない。捜査員が銃器売買の現場に潜入してCCDを試みたら……悍ましい結果を招くだろう。赤石が実行した仕事は、“囮”となるべき警察官の代役として銃器売買に関与したと観るべきではないか。売主側からの電話連絡で買い手を探し、売買計画全体をアレンジして大阪府警に情報提供した。それに止まらず、売買行為の真っ只中に飛び込んで円滑な進行を図ったのだ。ここまでやるのは極めて特異なエスである。我が身の逮捕、或いはエスの露見という危険も厭わず、究極の緊張感を楽しむ赤石の特異性が、大阪府警にとっては有難迷惑になったのかもしれない。

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ところで、銃刀法は1993年にも改正があった。「拳銃等及び拳銃実包を提出し自ら届け出た者は、必ずその刑が減軽又は免除される」(第31条の5・10)。警察庁保安部長が同年6月3日の参議院地方行政委員会で、「重罪を犯した者に一度犯した罪を中断する道を与える、聊か文学的だが、後戻りの為の“黄金の橋”を架けてやることにより、拳銃等の提出を促し、以後の使用を防止する」と説明 した“自首減免”である。赤石はこの法律にも深く関わった。改正法施行は1993年7月15日。同年10月28日付朝刊に「『刑軽くなるなら』と短銃所持して自首 近畿で減免初適用」(朝日新聞大阪版)、「“拳銃持ち自首”で罪減免 自営業者、納得の逮捕」(毎日新聞大阪版)という記事がある。兵庫県警のエス・赤石がトカレフ1丁を持って西宮署に自首したのだ。本文はこう書いている。「署は『説得した甲斐があった』と話している」(朝日)。「同署はこの日のうちに業者を釈放し、送致書類には寛大な処分を望む意見書を添付するという」(毎日)。真相を知れば先の国会答弁も噴飯ものだが、こちらは警察発表を鵜呑みにした茶番である。捜査員は大阪府高槻市内の赤石宅でトカレフを預かり、西宮署内で赤石に渡して出頭させた。逮捕、即釈放。赤石の忠誠心を試し、エスにのめり込ませるジャンプ台となったヤラセ事件である。書類は翌年6月に地検尼崎支部に送致されたが、検事も委細承知の様子で30分もかけずに赤石を放免したという。“自首減免”の事例を精査すれば、真面な運用よりも不祥事のほうが圧倒的に多いのではないだろうか? 「クビを賭けてまで取り組みたくない」と内心で敬遠する捜査員は少なくないと推察する。得意気なコメントを書かせた西宮署保安課長は赤石に釣竿を贈り、警視正に登り詰めて退職。赤石を飼いならした捜査員は、9年半の間に巡査部長から警部へと昇進したが、赤石との関係を法廷で認めたことで肩身の狭い末路を辿り、それでも無事に退職した。これが警察社会の微笑ましくも醜悪な美風である。

1990年代、バブル崩壊後の日本社会は一般人までもが手を出す銃器の脅威に晒されていた。電鉄・銀行等の幹部や社屋への発砲・射殺といった企業テロ事件が1992年頃から頻発、1994年秋には住友銀行名古屋支店長射殺事件・都内私鉄駅での医師射殺事件が続発、1995年3月30日には警察庁長官が狙撃された。囮捜査を導入する銃刀法改正法案が国会に提出されたのは同年4月。衆参両院の地方行政委員会は警察官僚の思いのままに操られ、各々1回だけの審議で法案を原案通りに可決・成立させた。法改正から20年が経過したが、銃器捜査のCCDがLCDへと移行・拡大したとは聞かない。だが、捜査の現場では既に一線を越えたと観るべきだろう。銃刀法にせよ通信傍受法にせよ、特定秘密保護法や憲法改正でさえ一旦枠組みが出来上がれば、運用は当局任せとなり外部の目が届かない。法の粗製乱造を許し続ける国会が、国民の信頼を得られる筈もない。日本では法運用の暴走に歯止めを掛け、監視する仕組みが働かないことを知らねばならない。「(銃器売買を)行動確認で流す」と赤石が聞かされた言葉が真実ならば、それが酔った警部の戯言なのか、大阪府警捜査4課の組織的判断なのか、或いは捜査の専門家がエス1人をコントロールできなかった言い訳だったのか――。軈て言い渡される判決が事件の真相を解き明かし、犯罪捜査の公益性に光明を齎すことを期待して、この稿を結ぶ。


森榮徹(もりえ・とおる) ジャーナリスト・『OfficeM』代表。1951年、大阪府出身。京都大学文学部哲学科卒。読売新聞大阪本社で兵庫県警・大阪府警キャップ。社会部次長・奈良支局長・京都総局長・写真部長等を歴任。大阪経済法科大学客員教授。


キャプチャ  2015年4月号掲載


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