【中国の不都合な真実】(上) 中国全土で横行する“子供誘拐”と“人身売買”――救出された子供だけで年間8600人超、闇に消えた子の実数は把握できない

中国では、親が子供を学校に送り迎えする。下校時間が近づけば、我が子を待つ親たちが校門の外に鈴生りになっていることを目にするのも珍しくない。最近、そんな中国の親たちの胸に一抹の不安が過っている。誘拐だ。なぜなら、中国全土で子供の誘拐が横行しているからだ。中国公安省が発表した統計によれば、2011年に摘発された子供の誘拐売買事件は5320件、誘拐されたものの救出された子供は8660人に上ったという。また、国連薬物犯罪事務所(UNODC)の『人身売買に関する報告2014年版』では、2011年に中国で児童売買により289人が逮捕、254人が起訴されたと指摘している。これらの数字として公表されるのは、摘発されたものだけだ。それ以外の未解決案件がどれだけあるのか、一々報じられることもない誘拐案件の全体像を明らかにするものはない。わかっているのは、我が子を連れ去られた親たちの被害者団体が幾つも存在し、インターネット等で情報を求めたりするが、手がかりを得られることのほうが寧ろ稀だということだけだ。

2014年1月14日。中国西北部の陝西省で開かれた裁判のニュースに、私は注目していた。陝西省は、中国史上初 めて国家統一を遂げた秦の首都があったことや、その王である始皇帝の墓の一部とされる兵馬俑で知られ、観光地としても馴染みが深い。その裁判で、被告として法廷に立ったのは55歳の女性・張淑俠。中肉の体軀を小豆色のダウンジャケットに包み、長い髪を後ろで束ねた丸顔の張は、中国の田舎でよく見かける“善良な農家の女性”といった風に見えなくもなかった。法廷はその張に対し、執行猶予付きの死刑判決を言い渡した。罪は児童誘拐。張は産科医として病院に勤務していながら、出産に立ち会った嬰児を売り飛ばしていた。「子供に先天性の障害があった」等と嘘をつき、自分に嬰児の処理を任せるよう親に認めさていたという。合わせて6件7人の嬰児(うち1人は後に死亡)を約2万~3万元(取材当時の相場で約34万~51万円)でブローカーに売っていた。嬰児はブローカーを介し、更に農家等に売られた。最終的な売値が約6万元(約102万円)に上ったケースもあった。被害者らを取材した地元の報道によれば、張は子供が生まれた直後に農村出身の家族に対し、「母体がB型肝炎と梅毒に感染していた為、子供も感染してしまっている」と通告。動揺する家族から、追い討ちのように子供の処理費用として100元(約1700円)を受け取っていた。「子供が死んでしまったなら、遺体でもいいから面会させてほしい」と家族等は求めたが、張はそれを拒み続けていたという。この事件が中国で最初に報じられたのは、前年8月。農家に売られていた子供が保護され、張を含む児童誘拐・売買グループが摘発された時点で、大きなニュースとして扱われた。その裁判の行方が気になったのは、ちょうどその頃に中国で多発する誘拐事件の実態について取材をしていたからだ。このニュースを初めて目にしたにも、誘拐事件の被害者を取材する為に訪れていた広東省のホテルでパソコンを開いていた時だった。




Kidnapping 01
中国南部の広東省の深圳に住む孫海洋さん(40歳。年齢は取材当時。以下同じ)。誘拐事件の被害者だ。早くから改革開放政策の恩恵を受け発展した深圳は、一攫千金を夢見たり、職を求めたりする多くの余所者たちを周囲の省から吸い寄せてきた。長江中流域の湖北省からやって来た孫さんもそんな1人だった。湿気が高く肌がべたつく南方特有の暑さの中、私は賑やかな商店街の中にある雑居ビルに向かった。孫さんはそこに住み込んで、管理人をしていた。事件が起きたのは2007年。孫さんの息子である卓君が突如、行方不明になった。何者かに誘拐されたと見られ、その行方は生死も含めて杳として知れない。4歳だった。孫さんは、6年経っても決して癒えることのない苦悩を吐露した。「今でもよく深夜2時や3時に目覚めて、街をうろついてしまいます。何時間も子供を探します。でも息子はいないのです」。当時、孫さんは幼稚園の近くで小さな饅頭店を開くことを決めていた。商売をしながら、店から卓君を幼稚園に通わせることができると思ったからだ。そして、中国で祝日となる10月1日の国慶節(建国記念日)に開店。売り上げは上々、滑り出しは順調だったという。慣れない商売に忙殺される中、国慶節の休暇が明け、卓君が幼稚園に通い始めて2日目、10月9日のことだった。経済都市・深圳の夜は遅い。茶器を載せた小さなテーブルを道端に出して、猪口のような茶杯を啜りながら世間話をする人や、日本の縁日のように買い食いを楽しみながら目的も無く漫ろ歩く人たちで、街は午前0時頃まで賑わう。そんな喧騒を感じたのか午後7時頃、卓君は「眠れないから外で遊びたい」と訴えたという。孫さんは「外に出てはいけないよ」と卓君を論し、店の奥で仮眠を取った。それを最後に卓君は姿を消してしまった。

「夢を持って、息子を連れて深圳に来ました。これからどのように商売しようか、息子がどのように育っていくか、どうしたら私の幼い時のような苦しい生活を息子に味わわせずに済むか、色々考えていたところでした。私たちの生活は素朴です。将来、子供が教授や(国の)幹部になってほしい等とは望んでいませんでした。大きくなったら出稼ぎに行き、結婚して子供を産んで、平穏に暮らしてくれればいいと思っていました。子供がいなくなった時、私は夢の全てを失いました」。実は、卓君が失踪した当日の午後7時半から8時頃にかけ、孫さんの饅頭店から数十mしか離れていない雑貨店の監視カメラが、卓君とみられる少年の姿を捉えていた。私は孫さんが保存していたその映像を見せてもらった。高い位置に据えられたカメラが記録したその映像には、雑貨店の前の歩道が写っていた。歩道の向きは縦、つまり人の動きが上下方向になっている。歩道に沿って人の膝くらいの高さ、幅30cmくらいのコンクリートの壁のようなものがあり、歩道と平行に走っている植え込みとを仕切っている。映像に記録された時刻で午後7時31分過ぎ、黄色い服を着た卓君らしき少年と、その横に並ぶように白いシャツの男が画面下から上へ通り過ぎる。男は左手に黒いビジネス鞄のようなモノを下げていた。その5分後、男が画面上から一瞬姿を現し、歩道と植え込みを仕切る壁を指し示すような仕草をする。その20秒後、少年が画面上から現れ、男に示された辺りで壁に乗って遊び始めた。玩具のような物でも与えられたのだろうか。残念ながら、映像はそれを判別できるほど鮮明ではなかった。警察は、後に白シャツの男の似顔絵を作成。しかし、今も男と卓君の行方はわかっていない。

孫さんは、自身が人見知りの激しい子供だった為、「息子にはそうなって欲しくない」と他人にきちんと挨拶するよう教えたり、なるべく外で遊ばせたりするよう努めていた。その甲斐あってか、卓君は人見知りをしない子だったという。孫さんが写真を見せてくれた。写真の中の卓君は、得意げな表情をカメラの方に向け、男の子らしい腕白さを一杯に放っていた。可愛い盛りだったことだろう。孫さんは、今も自宅に卓君の衣服を残したままにしている。が、まだ4歳だった息子が戻って来たとしても、当時の記憶は薄れていることだろう。「家のことを思い出せるように」と孫さんは言った。色取り取りの子供服の中にイルカの絵がついた幼稚園の長袖の制服を見つけると、孫さんは悲しそうに微笑んだ。「でも、これを着たことはありません。2日間しか幼稚園に行っていないし、誘拐された時はまだ半袖の制服を着ていましたから」。孫さんの今の自宅から車で10分ほど。当時、饅頭店を開いていた場所に連れて行ってもらった。そこは“子供が密かに連れ去られる寂しいところ”という私の勝手な思い込みに反して、人通りの多い賑やかな通りだった。車道を挟んで、道の両側に食べ物店や洋服店等商店が並んでいる。日本で言えば、地方都市のバス通り沿いに出来たちょっとした撃華街といった感じだろうか。大音量の車のクラクションや通行人の大声が頻りに飛び交い、会話をするならそれに負けないくらいの声を張り上げなければならないほどの喧噪だった。孫さんの饅頭店は主が変わったものの、今でも店先では饅頭の蒸籠が湯気を立 て、蒸気で曇った保温ケースの中には狐色のフライが並んでいた。通行人を相手に食べ物やジュースを売る店であることが一目でわかった。そして、店が入る建物の外壁を見上げると、20万元(約340万円)の懸賞金と共に卓君の情報提供を求める大きなポスターが掲げられていた。

Kidnapping 02
店の直ぐ近くの道端で、靴を売っている初老の男性がいた。当時もここで商売していたという。男性は、失踪した当日の卓君を目撃していた。孫さんの饅頭店だった店舗の前の歩道を指差し、そこで見た様子を証言してくれた。「男の人が鞄を持って、玩具を出して子供に渡そうとしていました。『欲しいなら向こうに行こう』と子供に言っていました。子供はその人について行きました。車の玩具が好きだったみたいで、遊びながら男の人と向こうに行きましたよ」。私は、卓君らしき少年と一緒に監視カメラに写っていた白シャツの男の静止画を、この男性に見せた。「そうです。玩具を持って鞄を持って」と、目撃したのはこの男であることを認めた。靴売りの男性が「向こう」と示した方向に数十mほど進むと、監視カメラを備え付けていた雑貨店があった。当時、孫さんが「そのカメラに何かが写っている筈だ」と気づいた時には、卓君が行方不明になってから既に6日が経っていたという。そこで初めて、孫さん自身が雑貨店のオーナーに頼み込み映像を見せて貰い、卓君らしき少年と白シャツの男が写っていることが判明した。孫さんは苦悩と後悔が入り交じった表情を見せ、自分を責めるかのように語った。「監視カメラの映像が見つかったのが遅かったのです。24時間以内なら、その映像を利用して案件を早く解決できたと思います」。ここで、「警察は何をしていたのか」という疑問が湧く。勿論、孫さんも直ぐに警察に通報した。しかし孫さんによれば、警察は失踪から24時間が経たないと誘拐事件として受理してくれず、その後も中々重い腰を上げようとしなかったという。「子供を誘拐された家庭は貧しい庶民ばかりです。出稼ぎやちょっとした商売をする家庭が殆どです。このような貧乏な家の子供が誘拐されても、政府は重視する訳はないでしょう。警察官の子供が誘拐されますか? 誘拐されたとしても探し出せませんか? 絶対探し出してみせるでしょう」と孫さんは慣る。

私には、孫さんの言い分が、客観的な根拠に基づいているかを検証する術は無い。冒頭に書いた産科医のケースのように、警察が誘拐グループを摘発することもある。しかし、必死で息子を探す孫さんに警察の態度はそう映った。その為、孫さんは自分自身で子供を探そうと決意する。店の建物に貼ってあったポスターもその1つだった。孫さんは自力で息子を探す内に、子供を誘拐されたとする親たちと連絡を取り合うようになる。そうして孫さんが集めた情報だけでも、行方不明の子供は3000人に上った。孫さんが作ったリストを見て、私はあることに気づいた。リストの多く は男の子だ。中国では、伝統的に男の子を重んじる価値観がある。特に、農村では今でもその考えが根強い。孫さんによれば、多くの親たちは子供がそうした農村へ売られていったと考えているという。続けて孫さんが口にした言葉に、私は耳を疑った。「でも、全ての親たちが必ずしも子供を取り戻そうとしている訳ではないのです」。そして、孫さん自身も現在の心境について次のように語ったのだ。「願っているのは、子供が良い家庭に暮らして学校にも行って、怪我をさせられたりすることも無いことです。私の息子を買った人がいるなら、『息子を買いましたよ。ここにいてちゃんと生きていますよ。良い生活を送っていますよ』と教えてくれれば、それだけでいいのです」。我が子の生死さえわからぬ、途切れることの無い焦燥感から解放されたいという思いなのか? それとも男の子だからこそ誘拐され、買われて行ったであろう息子が、誰かの跡継ぎとして大事に育てられ、孫さんが饅頭店を切り盛りして何とか与えてやろうと思った平穏な暮らしを、より裕福かもしれない家庭でごく普通に享受していてほしいと考えることこそが、より自然で納得できる結論ということなのか? 駆けずり回って息子を探し続けて6年、「中国は広過ぎます」と溜め息を吐く孫さんが達した心境に、私は言葉無く頷くしかなかった。




子供が誘拐され何処かに売られて行く。この国ではそんな信じ難いことが実際に起きている。そんな中、誘拐された子供が売られる前に保護されたケースがあった。深圳で孫さんに会った同じ月、私は長江中流域、中国南東部の湖南省に向かった。北京を朝に発つ飛行機で中心都市の長沙に先ず到着。そこから鉄道で1時間。更に車をチャーターし、途中で携 帯電話が圏外になったりするのにやきもきしながら、目的地の藍山県に辿り着いた頃には夕方になっていた。彭俊祥さん(33歳)が住んでいるのは、田舎街といった風情の場所だった。車の通る道路から、民家が並ぶ路地が伸びている。その路地の1つを入り、コンクリートで出来たアパートのような建物の2階に上がると、そこが彭さんの家だった。彭さんの息子の才進君は2012年10月、自宅の近くで誘拐された。まだ2歳1ヵ月の時だ。そして、その9ヵ月後の翌年7月、省を跨いで広東省の東莞市で見つかり警察に保護された。2つの省は一部で境界を接しているものの、才進君が連れ去られた藍山県と見つかった東莞市は少なくとも500kmは離れている。私が彭さんを訪ねたのは、才進君が見つかって1ヵ月経つか経たないかの頃だった。「1日中、私かお母さんにべったりついて離れません。どこかに連れ去られたことを息子は覚えています」。才進君は、くりっとした目の可愛らしい男の子だ。母親の阮会紅さん(34歳)に抱かれた才進君に思わず「您好(こんにちは)」と声をかけたが、どこか不安げな表情を見せ、私から逃げようと母親に縋る仕草を見せた。「他人に触られるのを怖がっているみたいですね」と父親の影さんがその場を取り成してくれた。事件の後、知らない人を怖がることが増えたそうだ。

Kidnapping 03
事件が起きたその日の午後5時前、才進君は自宅近くで1人で遊んでいたという。母親の会紅さんがその場所に私を案内してくれた、自宅の前の路地を歩いて、ほんの数秒の目と鼻の先だった。自宅の前から続く、比較的大きくて明るい路地から、T字路状に細い路地が出ている。その細い路地は民家の壁に挟まれている為、会紅さんが料理をしていて目を離したほんの4~5分の隙に、才進君はそこから連れ去られたという。「『子供の面倒をきちんと見ていなかった』と私が妻を責めて、2人はよく喧嘩もしました。子供が帰って来ない限り、夫婦の仲は良くならなかったです」。彭さんは妻との離婚も考えたという。決して家具が多くない彭さんの家に、サムスン製の真新しいパソコンがあった。聞けば、才進君が誘拐された後、これまで使ったことの無かったパソコンを購入し、妻の会紅さんが使い方を覚え、ほぼ毎日ミニブログを発信して情報を求め続けたという。電源を入れてもらうと、才進君が家に戻った時に記念撮影でもしたのであろうか、彼を片手で軽々と抱き上げている警察官を真ん中に、少し緊張した面持ちの彭さん夫妻らが行儀良く並んでいる写真がデスクトップ画面に立ち上がった。捜査の決め手となったのは、自宅から1kmほど離れた大通りに備え付けられた監視カメラだった。失踪当日、不審な男が運転しているバイクに才進君らしき少年が乗っているのを捉えていた。後の捜査で明らかになったところによると、バイクで才進君を連れ去った誘拐犯は、同じ藍山県内の農村に向かい、借りていた一軒家に1日間潜伏していたという。私は、誘拐犯が才進君を連れ2日間潜んでいたというその農村に向かった。車が進むと街が途切れ、遠くに山景色が広がった。20分ほど走ると、畑の合間に集落が見えてきた。車を下りて未舗装の土の道を集落の中に進むと、農村にしては立派な1軒のレンガ作りの建物があった。小さな工場や倉庫のように見えなくもない。犯人が潜んでいたという家だった。木製の扉には銃がかけられていた。今は空き家になっているようだったが、防犯用の鉄格子が窓枠に嵌めてある窓は開いたまま。部屋の中を覗くと、木製の長椅子が幾つも積まれ、誰の物かわからない運動靴等が置き去りにされているのが見えた。建物の裏に回ると、蔓草を這わせるように立てた竹組みが残っていた。キュウリでも植えていたのであろうか。その脇では、人の腰の丈くらいに草が無造作に伸びていたが、よく見ると青々と生い茂った葉の隙間に、湖南料理でよく使われる真っ赤な唐辛子が幾つもなっていた。

事件のことを知っているという村人がいた。「他にも子供の売買をしている人がいるのか」と尋ねてみると、その男性はこう答えた。「こういうことをしてはいけません。余所の人の子供を攫うなんて。子供を誘拐するのは、この人たちだけです。でも子供を買う人なら、誰かは言えないけど、絶対にいますよ」「大体、いくらで子供は売られるのですか?」「1万(約17万円)か2万(約34万円)か……私にはよくわかりません」。男性の頭の中には「悪いのは逮捕されたグループだけ」という思考が出来上がっていたのだろうか。世間話を続けると、特に隠す風も無く次のように話した。「この村で4~5軒の家庭は、子供を買っていますよ。子供がいなければ絶対欲しいですよね。だから、何らかの方法で子供を買うのですよ。物みたいに」。誘拐犯はこの農村に一旦潜伏した後、才進君を広東省に連れて行き、仲間の別の男に引き渡したようだ。才進君は、行方不明になってから9ヵ月後、広東省内の東莞市で見つかった。東莞市は、中国を“世界の工場”に押し上げた製造業の都市。日系企業も多く工場を持ち、生産ラインに並ぶ“農民工”と呼ばれる農村からの若い出稼ぎ労働者で、街は溢れかえっている。才進君は、数㎡しかない狭い部屋にいたという。当時の地元のニュースは、「警察がバイクの男ら3人を逮捕した」と伝えた。彭さんが警察等から聞いた話では、広東省で才進君を引き取っていた男は「養子だ」と言い訳したという。しかし彭さんは、「才進は売買目的で誘拐されたものの、値段が折り合わない等の理由で、最終的な買い手が見つかる前に発見されたのだ」と考えている。「(犯人の目的は)お金を儲けようと思っていたのでしょう。ただ当時、売る先が見つかっていなかっただけです」。ならば、誘拐された児童を買う側の目的は何だと思うか、私は彭さんに尋ねた。「中国人には、『子供を育てて老後に備える』という伝統的な考え方があります。家に男の子がいないと他の人からも、ちょっとあれだから……」。彭さんが言い淀んだのは、「家に男の子がいないと他の人に後ろ指を指される」ということらしい。中国人気質ならば、面子が立たないと感じるのかもしれない。その不甲斐無さのような独特な感覚は、男の子に恵まれなかった家庭も、男の子を誘拐されて失ってしまった家庭も似たようなものなのかもしれないと、話を聞きながら不謹慎にも考えてしまった。「だから、男の子がいなければ買うという手段を考えるのです」と彭さんは続けた。「お金持ちにとっては大した額ではありません。捕まらなければ息子が1人増える。割に合いますよね」

私が訪れた別の村では、「“重男軽女”(男性を重視し、女性を軽視する。つまり男尊女卑)の考えが非常に強く、男の子を多く持つ人は村長に選ばれる可能性も高い」と言う人までいた。中国政府は長い間、人口の膨張を防ぐ為に所謂『1人っ子政策』を国民に強いてきた。その結果、中国社会は少子高齢化の問題に直面し、夫婦のどちらか一方が1人っ子ならば2人目の子を持つことが認められるようになる等、今では同政策はかなり緩和されたが、相次ぐ誘拐は子供の数が制限されてきたことの影響という指摘もある。因みに、同政策と男性重視の考え方が相まったことが原因と囁かれる別の問題として、男女比の不均衡がある。中国では男性の数が女性の数を大きく上回ってしまっており、2030年には結婚相手がおらず余ってしまう適齢期の男性は3000万人を超えると予測されている。中国政府は2013年3月、『誘拐・人身販売に対する行動計画(2013~2020年)』なるものを発表した。「犯罪予防システムを整備する」「捜査能力を高め、法に基づき犯罪者を厳格に取り締まる」「誘拐売買された被害者の救出や社会復帰に、一層の力を入れる」等の数項目に亘る“目標”が高らかに掲げられている。しかし、実際の対策としては「全国でDNAデータバンクを整備する」くらいしか役立ちそうなものは見当たらず、「関係部門の連携を強化する」「失踪した子供を迅速に捜す為の手順に厳格に従う」等、改めて言うまでも無いような実効性のないフレーズばかりが並んでいる。現実に根ざした“庶民の必要”よりも、上意下達される“上層部の方針”が常に優先される、如何にも中国らしい行動計画である。結局、掛け声をかける以外には何も示していないに等しく、これまで頻発を許してきた誘拐事件に対し、今後も成す術が無いことを白状してしまったようなものだ。

習近平政権は、“法による国家統治”を重要な施政方針として掲げている。その裏には、官僚主義や人治主義の弊害に因って、警察や司法制度が必ずしも公正に機能していないことや、抑々人々の遵法意識が低いという中国特有の事情がある。児童誘拐の闇を完全に断つには、社会全体の意識や制度が根本から改善されるのを待つ必要があるのかもしれないが、いつか本当にそんな日が来るのか否かは誰にもわからない。ただ、今の私にできるのは、世界第2位の経済大国となったと胸を張る中国で、子供が誘拐され売買されるというまるで近代以前のような犯罪が今も日常的に起きており、ある日突然子供を失い絶望に打ちひしがれて毎日涙を流している親たちがいるという現実を伝えることだけだ。私が取材を終えて辞去すると、彭さん一家は見送りに態々家の外まで出てきてくれた。そして、いつまでも手を振っていた。 《文中、人民元1元=日本円17円で計算》


宮崎紀秀(みやざき・のりひで) ジャーナリスト。1970年、東京都生まれ。一橋大学卒。日本テレビ報道局で社会部・調査報道班・中国総局等を経てフリーに。調査報道NPO法人『iAsia』立ち上げに参加。日本テレビ中国総局特約記者。


キャプチャ  2015年4月号掲載


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