【異論のススメ】(02) 近代立憲主義への疑問…市民革命なき国の憲法は

5月3日は憲法記念日だが、“憲法”という言葉を前にして私はどうも居心地が良くない。実は、“憲法”というものがよくわからないのである。嘗て大学の授業で、学生に向かって「君たちは憲法がよくわかるか」と聞いてみたことがある。1人の学生が「僕はよくわかっています。主要な条文は暗記しました」と言う。勿論、私が言うのはそんなことではない。しかし、それを説明するのは結構難しい。前回のこのコラムで、「現行憲法は、占領下にあり日本から主権が奪われた中で制定されたものだから、原則論としていえば無効ではないか」と書いた。今回もう一度、憲法について書いてみたいと思うのは、それとはまた少し違ったことで、「我々は本当に“憲法”とは何か、わかっているのだろうか?」ということなのだ。私は、以前からずっと“憲法”についてのある根本的な疑問を払拭できないできた。それは、「“根本規範”である“憲法”を正当化するものは何か?」ということである。「どうしてそれが“根本的”な正当性を持ちえるのか?」ということである。

近代憲法の根本は、「“国家権力”に対する個人の基本的権利の保護にある」と屡々言われる。所謂“近代立憲主義”もそのように理解されてきた。ではどうして、それが根本に置かれるのか? それは、「生命・財産・自由といった“人権”こそは、人類の普遍的権利だからだ」とされる。ところが、他方で近代憲法のもう1つの柱は国民主権である。つまり、“国家権力”を構成しているものは“国民の意思”とされる。すると、忽ち疑問が出てくるだろう。基本的人権保障という憲法の根本理念は、この“国民の意思”を制限し、それに対抗することになるからだ。しかし、“主権”とは絶対的な統治権のことなのである。勿論、「“主権”は何を仕出かすかわからない危険なものであるから、この権力から個人の権利を保護する」という理屈はわからないではない。しかし、それでも“国民”が“主権者”だというもう1つの近代憲法の基本原則とは、時には矛盾してしまう。しかも、実は国民主権の根底には、「抑々、憲法の制定者は国民だ」という前提がある。とすれば、憲法の根拠は普遍的な人権保障にあるのか、それとも国民主権にあるのか、どうなのか? 私はつい、このような原理的な疑問を抱いてしまうのだが、実は憲法の歴史過程を思い起こせば、これも然して問題とも言えないのかもしれない。




というのは、近代憲法の成立はその典型であるフランスにせよアメリカにせよ、王権を否定し、新たな市民政府を打ち立てるという血みどろの政治的変革と切り離せないからである。革命や独立に因って王権という絶対的な権力を破壊したり分離したりして、政府を樹立した。その謂わば正当性を、国民主権と基本的人権保障に因って宣言したのである。だから、国民主権も基本的人権保障も絶対王権や専制権力との対抗を想定しており、その限りでは一致する。しかし、それでは市民が主権者である民主政治では一体どうなるのであろうか? ここでは整合性が取れないのである。しかも、若しも人権保障を第一義とする近代憲法が、王権や専制権力との抗争、そして革命の中から生まれたとすれば、抑々そのような近代市民革命をやっていない国では、近代憲法はありうるのだろうか? これもまた大いなる疑問だ。実際、王権を廃止するという激しい闘争を経験しなければ、近代憲法を持つことは難しい。その代表的な国がイギリスで、イギリスには我々が言う意味での憲法は存在しない。“成文法”としての近代憲法をイギリスは持っていない。それは、イギリスには王権を廃するような革命が無かったからである。遵って、イギリスは未だに君主国であり、実際の政体は議会主義ということになる。だが、誰も「イギリスには基本的人権保障が無い」とは考えないし、「民主主義が根付いていない」とも思わない。それは慣習法として、イギリスの歴史の内に含み込まれているのである。

では、我々はどうなのであろうか? 戦後の日本では、フランス・アメリカに範をとった近代憲法を絶対視する風潮が支配的であった。しかし、「激しい近代市民革命を経験していない」という点では、日本は寧ろイギリスに近いのである。少なくとも、其々の国に、その国にあった憲法の考え方があるべきではなかろうか。『憲法(Constitution)』とは、また“国のかたち”という意味でもある。耳障りな言葉を敢えて使えば、“国体”ということになる。政治体制も含めて、“国のかたち”は歴史的な継続性と変化の中で、その国固有の在り方で形作られるものであろう。“近代的憲法”とは別に、その国の固有の歴史的文脈に即した、謂わば“歴史的憲法”と言うべきものがあっても良いのではなかろうか? 私には、フランス人やアメリカ人に比して、今日の日本人はどうも憲法意識がかなり弱いようにみえる。その理由の一端は、「自らの手で自らの“国”にあった憲法を構想しようという試みを怠ってきたからではないか」と思う。


佐伯啓思(さえき・けいし) 1949年生まれ。京都大学名誉教授。保守の立場から様々な事象を論じる。著書に『反・幸福論』(新潮新書)等。


≡朝日新聞 2015年5月1日付掲載≡
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