【カオスを飲み干せ!挑発的ニッポン革命計画】(08) 朝日新聞の終わりとSEKAI NO OWARIから見えてきた“新しい世界の始まり”

先日、ニコニコ生放送の番組『モーリー・ロバートソンチャンネル』で、ジャーナリストの門田隆将さんとご一緒する機会がありました。門田さんは、朝日新聞が「福島第1原発事故の後、所員の9割が吉田昌郎所長(当時)の命令に反して第2原発に撤退した」と報じた際、「真実ではない」と戦った方。当初、朝日は法的措置までチラつかせましたが、結果はご存知の通り。昨年9月11日に誤報を認め、記事を撤回・謝罪し完全降伏しました。門田さんは、この問題を“DR戦争”という言葉で説明します。“D”はDreamer(=夢想家)、“R”はRealist(=現実主義者)です。朝日新聞を頂点とした戦後の左派論陣や文化人は、兎に角純粋に平和や正義を夢想する。思想は“単純平和”“単純正義”。時代が流れてどんなに現実と乖離しても、理想への憧れを持ち続ける。朝日新聞が謝罪に至ったのは、「原発は常に巨悪でなければならない」という理想を追う余り、事実を捻じ曲げたことを“R”に見破られたのであって、最早左派と右派の戦いでは無かった。実際、現代における“D”は左派だけではありません。極端な右翼活動家やヘイト主義者も、やはり「理想を追う」という純粋さそのものに陶酔してしまう夢想家。考えてみれば、超国家主義と社会主義の理想論がくっついたナチスの国家社会主義も“D”の暴走の末路と言えます。

最近、朝日系文化人の多くが「日本社会は右傾化している」と言う。その意見自体はまだわかるけど、そこから「日本が戦前に戻る」「安倍政権の圧力でメディアが右傾化」等と始まったら、もう妄想の類い。現実を見据えた議論をしている人たちまで一括りにして、2.26事件やナチズムを引き合いに出し……。本気なのか商売で言っているだけなのか知りませんが、流石に陳腐過ぎる。現代の紛争を見れば、日本の自衛隊が易々と戦えるような状況じゃないことは明白。なのに、軍事訓練を受けたことも無い日本の若者が、急に兵役に駆り出されて戦争に行く? それを言う純粋さって、申し訳無いけど“お花畑”としか言い様が無い。




“DR戦争”の話で思い出したのは、1950年代に活躍したアメリカの黒人歌手であるリトル・リチャードのこと。まだソ連との直接・間接の対決がそれほど表面化しておらず、アメリカが第2次世界大戦における民主主義の勝利に酔い痴れていた時代です。白人が豊かさを謳歌し、「アメリカこそナンバーワンだ」と燥ぐ一方、そこには明確な人種差別があった。不満を貯め込む黒人社会の中で、リトル・リチャードは有りっ丈のエネルギーで若者のどうしようもない衝動や怒りを歌とピアノで表現した。後に“ロックンロールの元祖”と言われる彼の代表曲『Tutti Frutti』は、本来黒人向けのエンターテインメント。オリジナル版は歌詞が卑猥で、しかも解釈次第で男性同士の性交を思わせる。「アソコがきつければ油を塗ればいい」「いいケツだ」。ホモセクシャリティーが犯罪だった時代に、黒人の彼がこれを歌う――超ヤバい! 結局、レコードを出す際には一部が書き換えられました。それでも、当時の白人社会には「黒人の曲が若者に流行するのは良くない」という空気があった。そこで、レコード会社がパット・ブーンという白人の国民的歌手にこの曲を大人しくした別バージョンを歌わせたら、そっちのほうがヒットしてしまった。ここから、パット・ブーンは黒人アーティストの曲を“漂白”するというビジネスを確立していきます。この曲はその後にエルビス・プレスリーもカバーし、又も大ヒット。リトル・リチャードは今でこそ“ロックの元祖”と言われますが、そこには白人による差別・現実の隠蔽・才能の搾取があったんです。これを“D”と“R”に例えれば、パット・ブーン版は、リトル・リチャードが思いを乗せた“R”の歌を白人にとっての理想に沿って作り変えた“D”の歌。朝日新聞が原発事故当時の事実を捻じ曲げたのと同じ構図です。

ところで、僕は先日のニコ生の番組で、SEKAI NO OWARIの『Dragon Night』という曲をリミックスして配信しました。これは思った以上の反響があって、動画のPV数は既に15万回を突破。特に中高生等、若い人たちからの支持は素直に嬉しかった。実は、このリミックス自体は結構オーソドックスなもの。だけど、海外のクラブミュージックを聴いたことの無い人が非常に多いようで、彼らにとっては新鮮な刺激があったんでしょう。逆に言えば、日本の音楽シーンがそれだけ閉じているということかもしれない。J-POPは“売れセン”のテンプレートが決まっていて、多くの曲はそこにチューニングし、パッケージングして売られる――つまりは“パット・ブーン的”な“D”の音楽。そこにテンプレートをぶち壊すリミックスを放り込んだから反響があった、と。音楽との出会いが新鮮に感じられる若い世代が、テンプレートを壊されてショックを受け“R”に目覚める。一方で、“朝日の終わり”にショックを受ける大人たちは、それでもまだ“D”に縋る。一見すると無関係な2つの物語が、僕にはパラレルに進行しているように思えます。ジャーナリズムの世界における“D”の敗北は、日本だけの話ではありません。アメリカでも最近、著名なニュース番組のキャスターの“捏造”が相次いで告発され、大騒ぎになりました。破壊の後には、新しいものを生み出す人が出てくる。大人からすればコントロールできない、恐ろしくて乱暴なものかもしれないけど、それが新しい社会や概念を作る。1950年代のアメリカでも、若者は“R”に敏感だった。白人家庭の子供たちはリトル・リチャード版のレコードを隠し持ち、「これがカッコいい」と密かに聴いていたそうです。この世代はその後のベトナム反戦運動を経て、アメリカの新たなリベラルを作り出しました。メディア業界にせよ音楽業界にせよ、リトル・リチャードのような“ヤバいヤツ”に僕はなりたいし、日本にもそういう人が出てくることを期待しています。


Morley Robertson 1963年生まれ、ニューヨーク出身。父はアメリカ人、母は日本人。東京大学理科一類に日本語受験で現役合格するも3ヵ月で中退し、ハーバード大学で電子音楽を学ぶ。卒業後はミュージシャン・国際ジャーナリスト・ラジオDJとして活動。現在、BSスカパー!『NEWSザップ!』、ニコニコ生放送『モーリー・ロバートソンチャンネル』、Block.FM『Morley Robertson Show』等にレギュラー出演中。


キャプチャ  2015年3月30日号掲載


スポンサーサイト

テーマ : 報道・マスコミ
ジャンル : 政治・経済

Categories
Profile

KNDIC

Author:KNDIC
Welcome to my blog.

Latest articles
Archives
Counter
I'm participating in the ranking.

FC2Blog Ranking

information
Search
RSS Links
Link
QR Code
QR