【下村博文・辞任勧告スクープ】(10) 東京地検特捜部がついに動いた!――「記事の情報源は官邸」との妄言も

小誌が下村博文文部科学大臣の政治資金疑惑を報じて、早2ヵ月。疑惑は深まるばかりだが、下村氏は説明にならない説明を繰り返し、大臣のイスに座り続けている。この厚顔無恥な政治家は、どのようにだいじんまで上り詰めたのか? 追及第10弾はそのルーツを辿った。

遂に、疑惑解明は東京地検特捜部の手に委ねられた。4月23日、下村博文文部科学大臣(60)の後援会『博友会』を巡る問題で、市民団体に因る下村氏や榮友里子秘書官・博友会役員らに対する政治資金規正法違反容疑での刑事告発が、検察当局に受理されたのだ。「告発状では、各地にある博友会が事実上の政治団体であるにも係わらず、届け出もなされておらず、任意団体として活動している点を指摘。更に、年会費名目で会員から資金を集め、下村氏が代表を務める政党支部への寄附として処理していた実態を、証拠書類も添えて告発していました。今後は、特捜部に因る下村氏を含む関係者への聴取や、関連資料の提出を求める等の捜査が行なわれることになります」(司法記者)。小誌が下村氏の政治資金問題を報じて1ヵ月が過ぎた。その間、下村氏は国会で野党議員の質問に対し、「何が問題があるんですか?」「十分言葉には気を付けて頂きたい」等と居丈高な答弁で、疑惑を突っぱねてきた。3月24日に刑事告発がなされて以降も、「偽装献金や迂回献金は全く無い。刑事告訴に値するような内容ではない」と違法性を繰り返し否定したが、言葉の力強さとは裏腹に、下村氏の胸の内には次第に疑心暗鬼が芽生え始めていたようだ。自民党関係者が明かす。「西日本新聞が3月上旬に『下村大臣が首相公邸を訪れて辞意を漏らした』と報じましたが、『そんな事実はない。(小誌の)追及もどうせ直ぐに終わる』と強がる一方、『記事のネタ元は官邸内にいる』等と話し、謀略説を本気で信じ込んでいるようでした。菅義偉官房長官や世耕弘成官房副長官等の具体名を挙げて黒幕説を唱えていたので、官邸内部でも失笑を買っていました」。オカルト予言者にハマり、精神世界に傾倒する下村氏らしい逸話だが、疑惑の発火点は下村氏の内なる支援者にあったことを四方やお忘れなのだろうか? 下村氏を長年支えてきた複数の博友会関係者が重い口を開き、反旗を翻すような内部告発を行なった理由はまさにその“変節ぶり”にある。欺瞞に満ちた国会答弁を繰り返す下村氏とは一体どんな人間なのか? 政治家・下村博文の原点を紐解くことで、その実像を明らかにしたい。




群馬県西部に位置する山間部の旧倉渕村――。人口約6000人のこの村で、農協職員だった父親の長男として産まれた下村氏は、「博士みたいな立派な人間になってもらいたい」という願いを込めて“博文”と名付けられた。彼が9歳の時、下村家に最大の試練が降りかかる。一家の大黒柱だった父親が交通事故を起こし、亡くなってしまったのだ。博文とその下には幼い弟が2人。3人の幼子を抱えた母は実家に身を寄せ、農業とパートで湖口を凌いだが、生活は困窮を極めた。母・富子さん(84)が当時を振り返る。「お金が無いから好きな本も買ってやれなくてね。一度、織田信長や徳川家康・豊臣秀吉を取り上げた本を買ってあげたら、それで政治に興味を持ったようです」。小中学校時代の同級生が当時の印象を振り返る。「クラスの中心的な存在で、学級委員もやっていました。ウチの中学にはサッカー部が無かったのですが、下村君は先輩と一緒にサッカー部を作り、3年の時はキャプテンも務めていました」。その後は奨学金制度を利用して地元の進学校である高崎高校へと進み、念願の早稲田大学への入学を果たした。反骨心と行動力、それが青年期の下村氏を語る上でのキーワードだ。そして、大学在学中に板橋区内で始めた学習塾『博文進学ゼミ』の経営を通じて、彼は政治家への足掛かりを掴んでいく。「下村氏は、青年会議所の会合に積極的に参加して経営者人脈を築いていく一方、創価学会や立正佼成会等の宗教団体の青年部へも横断的に顔を出し、支持母体になってもらおうとしていました。『節操が無い』と思う反面、その貪欲さには感心しました」(青年会議所OB)

Hakubun Shimomura 01
1985年、最初のチャンスが訪れた。新自由クラブ(当時)の公認候補として都議会議員選挙に出馬する機会を得たのだ。「あの頃の新自由クラブは、自民党から離党してブームを起こした往時の勢いは無く、低迷期にありました。下村氏に加えて、松下政経塾から松原仁(現衆議院議員)と山田宏(前衆議院議員)らを新人公認候補として推していました。下村氏は30代前半にして塾経営で成功し、地元に根を張っていたこともあり、『目玉候補として一番当選の可能性が高い』と言われていました。ところが、蓋を開けてみると『当選が難しい』とみられていた山田氏のみが当選し、下村氏は落選の憂き目に遭ったのです」(新自由クラブの元議員)。初選挙での挫折体験は、下村氏に“地盤・看板・カバン”の3種の神器を持たざる候補者の現実をまざまざと見せつけた。「苦労を重ねてきた下村氏の気の強さは、周囲には意固地で傲慢に映ってしまうようです。彼は早稲田大学の雄弁会出身ですが、後輩たちの間で下村氏の選挙ボランティアが敬遠されてしまう所以です。最初の選挙での躓きは相当堪えた筈ですが、4年後の都議選に初当選した後には『自分は文部大臣になる為に衆議院選に出る』と、政治的な野心を隠そうとしませんでした」(別の自民党関係者)。1992年には、地元の板橋区を除く都内の中小企業経営者を集めた後援会『博友会』を設立。東京都に政治団体として届け出た。1996年に下村氏が衆議院議員に当選すると、博友会は学習塾業界の後押しを受けて全国展開を始めていく。そのキーマンが、関西で学習塾を経営する森本一氏だった。「彼は、下村氏とは最初の選挙の時から付き合いがあり、『(博友会は)東京だけではもったいない』と近畿博友会を手始めに全国に博友会を広げ、各地で下村氏を招いた講演会が開かれるようになっていったのです」(博友会関係者)。教育の理想を語る若き政治家として国政デビューを果たす一方で、カネに纏わる疑惑は既にこの頃から付き纏い始めていた。「彼は当選した翌年から、地元・板橋に拠点がある帝京大学の冲永荘一元総長(故人)から献金を受けるようになりました。当時の冲永氏は、『東京都選出の若手議員が挨拶に訪れると、帝京の関連会社の小切手を気前よく切ってくれる』と言われていました。2001年には帝京大学の裏口入学疑惑が取り沙汰され、その後、冲永氏の献金先の1つとして下村氏の名前も報じられました」(自民党議員の元秘書)

下村氏の政治団体の収支報告書では、冲永氏側から1997年以降の5年間で700万円の献金があったことが見て取れる。2002年には、下村氏が3年半に亘って私設秘書の給与(約1400万円)を、家電大手のビックカメラに肩代わりしてもらっていた事実が発覚。慌てて政党支部への寄附として訂正している。当選を重ね、“文教族”としてキャリアを積むに連れ、博友会は全国に拡大。有力な資金源となっていった。東京の博友会以外の各地の博友会は下村氏の後援会ではあるが、政治団体登録はしていない。博友会が会員からカネを集めても、それを下村氏に博友会として献金することは政治資金規正法違反となるのだ。そこで、博友会の会員からの年会費をそのまま政党支部への献金扱いにする“杜撰な処理”も恒常化し始めたようだ。「当初から、博友会の年会費の扱いについて懸念する声は出ていました。森本氏が設立を呼び掛けた中部博友会では、古参の塾経営者が『中部博友会名義の通帳を作って会費を管理するとトラブルになりかねない。直接、下村先生のところに振り込む形にしよう』と提案したと聞いています。近畿博友会も独自の口座で会費を管理していたものの、後に直接政党支部に振り込む形にしたようです」(前出・博友会関係者)

兵庫県内で塾を経営する近畿博友会のある会員は、収支報告書の上では「2001年から9年に亘り、下村氏の政党支部に寄附を行っている」との記載があるが、首を傾げてこう話す。「私の記憶では、近畿博友会の口座に年会費として毎年12万円を振り込んでいました。“献金”という意識も無く、政党支部の振り込み先すら知りませんでした」。小誌の取材に応じた多くの博友会会員が「献金した覚えは無い」と口を揃えており、検察当局の捜査能力を持ってすれば、何れ事実は明らかになるだろう。「森本氏は、選挙で下村氏が当選したり祝い事があると、博友会の幹部を東京に集め、お金を徴収して下村氏に渡していました。“一帯”という言い方をして、切りのいい100万円を渡すのが常でしたが、2005年の衆議院選の後はお金が集まらず、『末広がりの80万円にしよう』と言って80万円を集めて、“当選祝い”として渡していました」(前出・博友会関係者)。当時、会社経営に失敗し、塾のコンサルタントとして再起を期していた森本氏にとって、下村氏は頼みの綱であり、政治家・下村博文にとっても森本氏は不可欠な存在になっていたのだ。「博友会の全国展開は、より高みを目指す下村氏の野心の現れでもあるのです。彼は第1次安倍内閣が発足した2006年に官房副長官となって官邸入りを果たしましたが、実はこの時の彼自身は『入閣は間違いない』と確信しており、その落胆ぶりは相当なものでした」(下村氏と親しい実業家)

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その確信の根拠は、彼の妻・今日子夫人とファーストレディの昭恵夫人との密接な関係だった。昭恵夫人に近い関係者が明かす。「下村大臣は安倍総理の最側近の1人とされていますが、元々は奥さん同士の仲の良さに引き摺られるように距離が縮まったのです。安倍総理が当選2回の頃、昭恵夫人は清和会の若手議員の夫人会を組織したのですが、こうした場で下村氏の奥さんとも交流を深めたようです。アメリカに行く際は帯同し、ミャンマーに学校を建設する計画でも2人は一緒に現地入りしています。2007年に安倍総理が訪米した際には、昭恵夫人がブッシュ大統領(当時)とローラ夫人との公式な食事会に下村氏の妻を同席させるよう強く求め、アメリカ側と大揉めになったこともありました」。内助の功にも支えられ、下村氏は2012年12月に遂に文部科学大臣のポストを手に入れた。これまで文部科学省に敵視され、教育界の中で“時代の徒花”の如く日陰の存在だった学習塾業界にとっても、下村氏の文部科学大臣就任は悲願だった。しかし、両者の関係性には次第に変化が芽生えている。博友会幹部が明かす。「昨年、博友会の幹部が集まる席で、下村氏は塾業界からの献金について、『大した金額を貰っている訳ではないのに、ズブズブの関係だと言われる』等と零していました。長年支援してきた我々にとっては聞きたくないセリフでした。その一方で、文科省の“トビタテ!留学JAPAN”キャンペーンで、下村氏がソフトバンクの孫正義氏に留学支援の寄附をお願いに行ったところ、『ものの10分で会社から10億円、孫氏個人から10億円の寄附が決まった』という逸話を披露し、『孫さんは日本の将来の為なら多額のお金を出してくれる』と自慢していました。我々にすれば、もっとお金を出すよう責められているような気持ちになりました」

現在の下村氏にとって、“塾業界出身”という肩書きは最早過去の遺物でしかないのだろう。下村氏に近い人物はこう語る。「博友会の幹事会は毎回、『下村大臣を総理大臣に!』という掛け声で散会になりますが、冗談ではなく、彼は本気で総理を目指しています。その為、次は幹事長か官房長官になるつもりで、貴誌の記事は『ライバルたちがその芽を摘む為に仕掛けたものだ』と思い込んでいるのです」。博友会を巡る疑惑の数々も、まさに“身から出た錆”と言わざるを得ない。下村氏と親交がある元参議院議員の村上正邦氏が語る。「下村さんとは、彼が文部科学大臣になる前に、毎週日枝神社に全生庵の和尚を招いて一緒に座禅を組んでいました。苦学して国会議員になった方だから期待もしているし、親しみを感じています。ただ、政治家にとってお金のことはイロハのイ。疑惑があるなら検察が徹底的に究明していけばいいし、大臣が多少なりとも疑惑を持たれたら、職を辞してケジメをつけることも必要だと思います」。小誌は、これまで報じてきた疑惑について下村氏に対面取材を申し入れたが、応じなかった。やはり下村氏に説明責任を果たさせるには、特捜部の取調べしかないようだ。 =おわり


キャプチャ  2015年5月7日・14日号掲載


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