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韓国人ジャーナリスト実名告発――「祖国の罪を暴き“日本の手先”と罵られた私」

韓国軍はベトナム戦争で多くの民間人を虐殺した――この事実を綿密に調査し、15年前に告発した韓国人女性がいた。だがその後、彼女の実家の門前には塩酸入りのドラム缶が置かれ、脅迫電話がかかってきた。彼女が日本メディアに初めて語った、韓国の“暗部”。

「戦時の女性に対する性暴力はどの世代、どのような地域かを問わず、人権と人道主義に明らかに反する行為です」。9月24日、国連総会で韓国の朴槿恵大統領はこう演説した。日本軍の従軍慰安婦問題を念頭に置いたとみられるこの発言。朴政権は発足以来、一貫して慰安婦問題を「普遍的な人権問題」とし、日本に謝罪を要求し続けている。だが、その言説はあまりに一方的で、“ある事実”から目を背けていると考える韓国人が、ベトナムにいた――。「はたして日本人だけが悪いのでしょうか。韓国人も過去、ベトナム戦争で凄惨な行為を行っていました。しかしその事実を、韓国社会はいまだに受け入れようとしないのです」。今回、小誌の取材に実名でこう告発したのは韓国人女性ジャーナリストで平和活動家のク・スジョン氏(48)。ク氏はベトナム戦争での韓国軍による民間人虐殺という“暗部”を初めて暴いたジャーナリストとして知られている。彼女は現在もベトナムに留まり、ベトナム戦争における韓国軍の“犯罪”について綿密な調査を続けている。






小誌記者はク氏に直接話を聞くべく、ホーチミン市に飛んだ。彼女が日本メディアのロングインタビューに応じるのは初めてのこと。取材は3時間に及んだ。既に17年余を費やしている調査活動の端緒を、ク氏はこう振り返り始めた。「私がベトナム戦争での虐殺問題を知った契機は、1997年に手に入れた1通の資料でした。当時私はホーチミン大学に留学しており、修士課程を終えて論文のテーマを探していました。その資料とは、ベトナムの政治局・戦争調査委員会がまとめた“南ベトナムでの南朝鮮(韓国)軍の罪”という中間報告書です。そこには韓国軍が5000人あまりの民間人を虐殺したと書かれていた。内容があまりに凄惨で、当初はとても信じられませんでした。この資料をどうすべきか、最初の数年間は悩みました。やがて私は、資料にまだ書かれていない事実があるかもしれないと思うようになり、行動を始めました。まずは大量の高麗人参茶をワゴン車に積み込みました。自分で調べよう、お茶を配りながら、虐殺の被害にあったという村の人々を訪ねてみようと決意を固めたのです」

韓国がベトナム戦争に参戦したのは、朴槿恵の父・朴正煕政権時代のことだ。内戦に介入していた米国が北爆を開始し、ベトナム戦争が本格化。1964年から支援部隊を送っていた韓国も派兵を決意、南ベトナム政府からの要請という名目で1965年に集団的自衛権を行使し、朴大統領は延べ32万人もの兵士を戦場に投入したのである。派兵されたのは『猛虎隊』『青龍隊』『白馬隊』の3部隊。大規模な虐殺が行われていたのは、主にフーイエン・ビンディン・クワンガイ・クワンナムの4ヵ所。いずれも韓国軍駐屯地の周辺だ。韓国軍はベトナム人から『ダイハン(大韓)』『朴正煕の兵士達』と呼ばれ、怖れられていたという。「生き残った方々から、まるでウサギ狩りでもするかのように村人を追いかけては手榴弾を投げつけたとか、産まれたばかりの乳児が40人以上も殺された、などという凄惨な話が次々と出てきました。手榴弾以外にも、機関銃で殺したり、洞窟に逃げ込んだ村民を催涙ガスで燻りだして銃殺するケースもあった。なぜ虐殺が起きたのかというと、韓国軍が基地を作るためでした。基地の周辺に村があると、敵が潜伏する隠れ家になり易い。そこで村人を戦略村(事実上の収容所)に送ろうとしたのですが、ほとんどの村人は村を離れようとしなかった。『私は1mmもここから離れません』とスローガンを掲げたり、木にしがみ付いて戦略村送りを拒否する村人が多かった。そこで韓国軍が選んだ方法が虐殺だったのです。虐殺の85%は1966年に集中していますが、ほとんどは基地設営のためでした」

1968年にも虐殺があったが、この年はベトコンの反撃があり、報復としての虐殺が考えられているという。「民間人虐殺を行ったのは主に猛虎隊でした。その手法は多くの村人を1ヵ所に集めて手榴弾や機関銃で殺すというものですが、時には刀で惨殺するケースもありました。ゴザイ集落では300人以上の住人が1ヵ所に集められ、1時間あまりで1人残らず殺されました。また韓国軍によってベトナム人女性がレイプ・輪姦されたという話も多く聞かれました。でも、彼女たちの多くは殺されてしまう。だからレイプ被害者の直接証言は極めて少ないのです。ビンディンには虐殺の様を描いた壁画があります。虐殺やレイプの様子が描かれていて、韓国軍が行った蛮行がリアルに蘇ってくる。ベトナム人の韓国軍に対する怨念が立ち上ってくるような壁画です」

韓国軍の所業は、朴槿恵の「人権と人道主義に反する行為」などという生易しい表現には収まらない、非道なものだった。「私にとって、壁画よりさらにインパクトが大きかったのが慰霊碑や石碑でした。慰霊碑の背面には亡くなった人の名前とともに性別や生年が刻まれているのですが、一目で“THI”という表記が多いことがわかる。これは“女性”という意味なのです。また1965~1968年という生年も目についた。これは産まれたばかりの乳幼児が殺されたことを意味します。虐殺されたうちの20%は子供、60~70%は女性だった。これは衝撃的な事実でした」。戦時、村に残されたのは女性や子供・老人達ばかりだった。韓国軍はそうした村に乗り込んで、虐殺を繰り返したのだ。ク氏の調査によると、虐殺は判っているだけで80余件、被害者は9000人以上に上るという。「私が本格的に調査を始めた1999年は、ベトナム戦争から約30年が経過していました。どの村を訪ねても、この30年間、一度も韓国人に会ったことがないという人ばかりでした。どの村でも、すぐに100人くらいの村人が集まってきて、『kai, kai』と手を挙げる。『kai』とは『陳述したい』という意味です。何十年も封印されていた歴史を、彼らは韓国人の私に聞かせたかったのです」

調査中、身の危険を感じたことも一度あったという。「ビンディン省のタイビン集落でお婆さんに話を聞いていたときのことです。そのお婆さんは韓国軍に銃を突きつけられ、頭に穴があいていました。じっくり話を聞いていたところ、お婆さんの世話をしているという男性が現れたのです。『もし私の子供が生きていたら、お前くらいの歳だ』。男性はそう言うと、興奮してきて私に殴りかかってきました。私は1966年1月生まれ。まさに韓国軍がベトナムで虐殺を繰り返していた時期と重なるのです。結局その時は、私が殴られているのを見たローおじさんという方が駆けつけてきて、私に覆いかぶさって庇ってくれました。調査中にベトナムの方に殴られたのはこの一度だけです。殴りかかってきた男性も30分も経つと冷静になり、私に謝ってきました。そして娘さんが虐殺されたときの様子を静かに語り始めた。彼には娘さんが3人いて、いちばん下の子は産まれたばかりだったそうです。その子が韓国軍の手榴弾で殺された。小さな身体はバラバラになり、腕は木の枝に引っかかっていたそうです。男性は泣きながら遺体を集めたのです……。私を庇ってくれたローおじさんの計らいで、その後、みんなでお酒を酌み交わしました。“コンダ”という地酒です。男性も泣きました。私も泣きました。ローおじさんも泣きました。それを見た村人も全員が泣きながらお酒を飲みました」

ク氏は45日間にわたる調査を終え、1つの決心をする。これを韓国のメディアで公表しよう――1999年5月、ハンギョレ新聞が発行する週刊誌『ハンギョレ21』に、ク氏は調査結果を発表。ベトナム戦争における韓国軍の犯罪を白日の下に晒したのだ。彼女の告発記事をきっかけにして、翌2000年4月の『ハンギョレ21』には、虐殺を行ったという元韓国軍人の証言が掲載された。さらに同時期、米誌『ニューズウィーク』がベトナム戦争での韓国軍の虐殺問題を取り上げた。ク氏の調査も同誌に紹介された。

反応は激烈だった。2000年6月、ハンギョレ新聞社にベトナム戦争退役軍人ら2400人が集結。記事に対する抗議集会を開いたのだ。迷彩服に身を包んだ元軍人らが鉄パイプを振り回して社屋に乱入。パソコンや輪転機を次々に破壊し、書類や車に火を放ち、新聞社を機能停止に追い込んだ。「ハンギョレ新聞が襲撃された日、母親からベトナムにいる私のもとに電話がありました。実家の前の通りの壁が、一面真っ赤に塗られ、玄関先には3つのドラム缶が置かれた、中身は塩酸だった、というのです。私はベトナムにいたので直接被害を受けることはありませんでした。ただ、昼夜を問わず脅迫電話がかかってくるようになりました。『日本の手先!』『共産主義者』『売国奴』『お前が女じゃなかったら大変な事になっていたぞ』という脅しもありました。実は記事を出す前から懸念する声はありました。韓国国内では日本軍の従軍慰安婦問題が問題視され始めたのは1990年代。戦後、50年近くが経過し、加害者も被害者も、それほど多くは生存していない時期になってからでした。ところがベトナム戦争の虐殺からは、1999年当時、まだ約30年しか経っておらず、現役の軍幹部が存在し、元軍人もまだ50代でした。記事を出すには時期尚早だと言われていたのです」

危惧された通りの強烈な反発。元軍人らの常軌を逸した行為によって彼女の「歴史を直視してほしい」という願いは裏切られ、皮肉にもその後『韓国軍によるベトナム人虐殺問題』はタブーとなってしまった。実は、朴槿恵大統領自身も“歴史の封印”に加担する1人といえる。2001年、金大中大統領(当時)はベトナムを訪問した際、「不本意ながらベトナム国民に苦痛を与えたことを申し訳なく思う」と口にした。虐殺に直接言及するこそなかったが、謝罪の意を示したのだ。ところがこの発言に対し、当時野党の副総裁だった朴槿恵は「金大統領の歴史認識を憂慮する。歴戦の兵士の名誉を傷つけるものだ」と激しく批判した。昨年9月、朴槿恵は大統領就任後、初めてベトナムを訪問。しかし彼女が言及したのは経済問題だけだった。

ク氏は溜息をつく。「朴槿恵が大統領になってからは、ベトナムに対する謝罪の言葉すらなくなってしまった。韓国とベトナムの歴史問題は大きく後退してしまいました。昨春、彼女が大統領に就任したころ、私はビンホアという場所で調査を行っていました。ドアン・ウンイアという男性から聞いた話は壮絶でした。彼は生後6ヵ月で虐殺事件に遭遇。韓国軍は村人を集めて催涙ガスを撒き、手榴弾を投げつけました。幼児だった彼は、たまたま死体の山の下敷きになったことで一命を取りとめた。しかし、催涙ガスが充満する中、長時間死体の山の下敷きになっていたために、血や雨水が目に入って失明したのです。同じくドアンさんを取材していたベトナムのテレビ局記者から、私はこう詰め寄られました。『なぜあなた達の国は、朴正煕の娘を大統領にするんですか!』」。今年は韓国軍がベトナム戦争に参戦してから50年という節目の年だ。ク氏の最初の報道からも15年が経過した。月日が経ち、多くのベトナム人被害者も高齢化、亡くなりつつある。しかし韓国政府は未だに虐殺問題を公式には認めておらず、謝罪や補償の動きはない。韓国社会も、ハンギョレ新聞社襲撃事件以降、不都合な真実から目を背け続けている。

韓国メディアは、自らを「平和を愛する白衣民族」「一度も他国を侵略したことがない民族」と自賛する一方、日本を「歴史を忘れた民族に未来はない」と追及する。ク氏はいま、祖国に何を感じているのか。「韓国はまだ社会の成熟度が足りないのだと思います。例えばアメリカでは、ベトナム戦争に参戦した軍人が謝罪を表明したり、問題を解決しようという活動があります。アメリカにはそれを受け入れる成熟した社会がある。もし韓国で同じことをしたらどうなるでしょうか。韓国の元軍人がお詫びを表明すれば、韓国社会から激しいバッシングを受けるでしょう。自らの非を認められる成熟した社会が、いまだに形成されていない。そして朴槿恵大統領の言動を見る限り、現政権において、韓国社会が成熟することもないでしょう。朴大統領は国連で“女性の人権”について語りました。でも彼女には他に語るべきことがあったはずです。もし朴正煕の娘が、国連でベトナム戦争での韓国軍の行為について謝罪したらどうなったでしょう。世界中で大ニュースになり、ノーベル平和賞を受賞することになったかもしれません。その機会を彼女はみすみす逃しました。私の記事は『祖国の名誉を傷つけた』と強い反発も受けました。しかし、同時に『韓国は謝罪しなくてはならない』『感動した』等の激励のメールが届いたことも事実です。記事を読んだ人の中には、日本に対して謝罪を要求する以上、自分たちもしっかりとした対応をしなければならない、という意見も広がりつつある。ベトナムに慰霊に訪れる元軍人の方も出てきました。韓国軍がベトナムで犯した罪を直視することは、韓国が極端な国粋主義に走らないためのブレーキとなるはずです。お互いの過去を正直に見つめ直すというプロセスを経てこそ、韓国と日本は、“普遍的な人権問題”として、歴史問題を語り合うことができるのではないでしょうか。私は歴史の事実を伝える活動を、今後もベトナムで続けていくつもりです」


キャプチャ  2014年10月16日号掲載
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