広島カープ・黒田博樹投手、独占告白…「男気じゃない、ただブレないだけです」――MLBではなく広島を選んだ男が明かした“決断”の真相と不惑の野球道

3月29日、カープに復帰して初めて投げた試合で勝つことができました。やっぱり、広島のマウンドは最高でした。8年ぶりにカープのユニフォームを着ることで、ある程度話題になることは予想していましたが、ファンの方たちやメディアでの盛り上がりを見ると、プロとしては有難いと思う一方、「ちょっと過剰なんじゃないか?」とこちらが心配になってしまうほどです。“男気”という言葉も流行しているようですが、自分では一度も使ったことはありません(笑)。正直、「勘弁してほしい」という気持ちもあるんですよ。

2008年に、MLBのロサンゼルス・ドジャースに移籍し、翌年には開幕投手を務める等、評価を高めた黒田博樹。2012年からは名門ニューヨーク・ヤンキースのユニフォームを着て、7年間でMLB通算79勝をマークし、5年連続で2ケタ勝利を記録した初めての日本人投手となった。その去就が注目された昨季のオフ、MLB球団からの約20億円ともいわれるオファーを蹴って黒田が選んだのは、年俸4億円の古巣『広島東洋カープ』。黒田の決断はカープファンのみならず、多くの野球好きからの喝采を浴び、その“男気”を讃えられた。

去年のシーズンが終わった時点で、どの球団を選ぶかは全く白紙の状態でした。MLBで1年間ローテーションを守ることは、並大抵のことではありません。夏場以降は体力的に厳しくなり、それでも何とか気力を尽くして昨季もマウンドに立ち続けてきました。162試合を戦い終え、「やっと終わった」という気持ちで迎えるオフにいつも行うのは、頭や体から“野球を抜いていく”作業です。家族が待つロサンゼルスの自宅に戻ると、テレビでワールドシリーズを見ることもありません。そうやって一旦野球から離れることで、12月くらいから「もう一度、野球をやってみようかな」という前向きな気持ちが少しずつ芽生えてくるのです。しかし、昨年は11月の段階から複数の球団からオファーを貰っていたものの、球団を選ぶ優先順位が見つからず、12月中旬に入ってもどうしていいかわからない状態が続いていました。メンタル的にもかなり追い込まれ、「このまま雲隠れしてしまったらどんなに楽だろう」とまで思い詰めてしまい、体には蕁麻疹が出たほどです。




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カープからは、編成の事情で「12月27日までに返事が欲しい」と言われていました。その時点での選択肢は2つ。MLBに残ってプレーするか。それとも、広島に帰るか。日本の他球団は、2006年に初めてFA権を獲得した時と同様、全く選択肢にはありませんでした。カープには11年間もお世話になり、僕を育ててくれた“恩”があります。そのカープを相手に戦うことなんて想像できない。日本を飛び出した時から、僕の頭の中には「帰るならカープ」という思いがありました。但し、自分がメジャーで必要とされず頭を下げて帰るのではなく、しっかりと結果を残した上で胸を張って帰れるように頑張ろう――その思いもモチベーションに繋がっていました。しかし、カープに返事をしなければならない当日を迎えても、気持ちはまだ固まりません。選択としては二者択一なのですが、細かい要素や条件を1つひとつ考えていくと、1分、いや1秒毎に気持ちが揺れ動いてしまうのです。 今回、「黒田は20億円を蹴ってカープに帰ってきた」という金銭面のことも注目されましたが、確かにMLBのある球団は、僕にとって過去最高となる年俸を提示してくれました。これは「自分はまだメジャーで必要とされている。まだ力が残っているんだ」という客観的な評価を貰ったということであり、大きな自信に繋がりました。但し、お金は決定的な要素には成り得ませんでした。それでもメジャーで実績を積み上げたことで、お金に囚われることなく球団を選択する自由を手に入れることができたということは、言えるかもしれません。勿論、球団を決めるに当たっては、メジャーの球団が僕をどれほど必要としているのか、また契約を提示してきたタイミングや、ワールドシリーズ制覇を狙えるかどうかといった様々な要素を考慮しました。例えば昨季、若しもカープが日本一になっていたとしたら、僕の決断が変わっていた可能性もあります。

最終的に僕の決断の拠り所になったのは、“カープファンの声援”でした。カープを離れ、MLBでプレーするようになってからも、シーズンオフに広島に帰れば、市内で僕を見かけたファンからは温かい声を頂きました。未だに強く記憶に残っているのは、2006年のシーズン最終登板です。FA権を行使するか迷っていた僕は、広島市民球場のマウンドに上がりました。ライトスタンドに『君が涙を流すなら 君の涙になってやる Carpのエース 黒田博樹』という横断幕が掲げられていた。その言葉に、ハッキリと僕は心を動かされたのです。当時、父がガンで闘病中だったこともあり、カープに残る決断を下すことになりました。その時のファンの熱い声援は、ずっと胸に刻まれています。そして今回、僕はこう思ったのです。「カープファンに心を動かしてもらったのだから、今度は自分がファンの心を動かそう。自分の決断で一番喜んでくれるのは、ドジャースやヤンキースのファンではなく、カープのファンなんじゃないか――。ファンから大きな声援を貰えれば、メンタル面が充実し、投手としてより高いパフォーマンスを披露できる。それを可能にするのはカープだ」と思い至るようになったのです。そして、僕はカープの鈴木球団本部長に電話をかけ、「帰ります」と言った――らしいのですが、何と言ったかはよく覚えていません。結論を出したものの、あまりにも疲れ果て、頭も体もぐちゃぐちゃになっていた為、記憶がはっきりしないのです。鈴木さんは僕の言葉を聞き、一瞬「帰る? どこに?」と思ったそうです。僕の声が疲れ切っていたこともあり、俄かには信じられなかったというのです。「帰る」と言ったのに鈴木さんの返事が要領を得ないので、再度「カープに帰ります」としっかり意志を伝えると、「えっ! ホンマか?」と驚いていました。カープとしてもオファーは出してはいたものの、本当に僕が帰ってくるとはあまり想像していなかったのでしょう。実は結論を出した後も、カープに戻ることが正解なのかどうか自信が持てず、日本に帰ってくるまでは「本当にこれで良かったんだろうか?」と自問自答することもありました。

広島に帰る決断について、「黒田は男気がある」と言われているのを間くと気恥ずかしい限りですが、若しかすると自分が“ブレない生き方”に拘ってきたことが、皆さんにはそう映るのかもしれません。迷った時は、複雑に考えるよりも自分が正しいと思ったことに従って決断する。最終的には、シンプルに決断することを心がける。特に野球に関する決断に際して、「いいパフォーマンスをする為にはどうすべきか」、そして「自分はどんな気持ちでマウンドに上がりたいのか」――その“原点”を見つめ直すことをずっと大事にしてきました。2008年にMLBに移籍した時もそうでした。あの時は4年契約をオファーされていたのに、敢えて3年契約に拘った。それにも理由がありました。ある球団のゼネラルマネージャーは、「冗談だろう? 4年目の10億円を蹴るなんて、そんなバカなことを言う選手がいるものか?」とびっくりしたそうです。しかし、自分としては「3年ならば野球に集中できる。4年では長過ぎて、却って気持ちが散漫になってしまうのではないか?」と考え、その気持ちを表しただけでした。それに3年間、球団が満足するような結果を残せば、元々提示されていた10億円よりも大きな額を手にすることだって可能になる。そんな考えもありました。そして4年目を迎えた2011年、 ドジャースとの再契約は現実のものとなったのです。ところがその年、ドジャースは早々と優勝争いから脱落してしまいます。そこで僕に、プレーオフ進出を狙うチームからトレードの話が持ち込まれました。日本ではシーズン中のトレードは珍しいですが、アメリカでは7月になると移籍の動きが活発になります。「優勝を狙うチームでプレーすることは悪いことじゃない」と言ってくれるチームメイトもいましたし、自分の気持ちに迷いが生まれたのも事実でした。

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しかしこの時、最終的に僕が一番大事な判断材料としたのは、「自分が選んだドジャースで、仲間と一緒に1年間プレーする」という、春先に立てた日標でした。「7月から新しいチームに加わって優勝したとしても、心底喜べるのだろうか?」という疑問も浮かび、「それならば自分の原点に立ち返ろう、残留しよう」と決心したのです。チームに残留することが決まった後、毎週日曜日にドジャースのクラブハウスに来ていた神父さんからこんな内容の手紙を貰いました。「メジャーリーグはビジネスの面が強く、気持ちよりもお金が先に動く世界です。貴方のようにビジネスではなく、チームの一員として最後まで戦う姿勢を持っている人がいることに私は驚きました。今の時代に貴方のような人がいることが、私には嬉しいのです」。僕も、アメリカで自分の生き方に理解を示してくれる人がいたことが嬉しかった。自分の信念を曲げず、ブレずに生きていけば、どの国でも評価してくれる人はいると実感した瞬間でした。

2012年にFA権を獲得した黒田は、名門ヤンキースに移籍する。昨季までの3年間、合計で97試合に先発し38勝をマークしたが、一度も休まずに投げたのはチームでは黒田1人だけだった。MLBでは勝利数だけではなく、年間200イニングを投げることが一流の目安となるが、黒田は620イニングを投げ、それがオフの高評価に繋がった。

ニューヨークという世界の中心とも言える街に住み、伝統あるヤンキースという球団で3年間、一度も先発を休まずにローテーションを守り抜いたこと。それに関しては、誰にも負けないという自負があります。アメリカでプレーしていた時は感じませんでしたが、日本に帰ってきてから「ニューヨークでは凄いことをやっていたのかもしれない」とジワジワと実感するようになりました。1年間、中4日・5日でマウンドに上がり続けるのは、今から考えるとゾッとするほど本当に大変なことでした。僕は、ヤンキースでは敢えて1年契約に拘りました。そこで結果を残して再契約を勝ち取り、MLBで生き抜いてきた。それを3年間続けられた充実感とプライドは、何物にも代え難いものです。厳しいメジャーの世界で生き残る為に常に自問自答していたのは、「どういう投手になればチームに貢献できるのか?」ということでした。実績のある投手、伸び盛りの若手。ヤンキースには能力の高い投手が沢山いました。彼らと自分の力を比較して、「何か1つでも、自分が秀でているものはないか?」と探した結果、シーズンを通して32~33試合を休まずに安定した投球をする――。そこに答えを見出したのです。ニューヨークはシビアな街でした。メディア・ファン共に結果を出せばサポートしてくれますが、期待や年俸に見合う働きが出来なかった時は、掌を返したように冷たい反応が返ってきます。

最初に面食らったのは、移籍した年のスプリングトレーニングで新聞記者からこんな質問を受けた時です。「球場が広く、投手に有利なナショナルリーグ西地区から、打者に有利なアメリカンリーグ東地区に移籍してきて、成功できると思っているのか?」。僕は咄嗟に、「うわっ、ニューヨークのメディアは全員敵だな」と思ったほどでした。それでも毎年ローテーションを守ってきたことで、3年日の終盤には辛口の記者が「打線の援護が無かったが……」と同情的な質問をしてくれるようになっていました。長い時間をかけて、漸く好意的な見方をしてくれるようになったのです。2014年の最終登板ではヤンキースタジアムで8回を投げ切り、ジラルディ監督から「1年間、ローテーションを守ってくれて有難う。9回もマウンドに行くだけ行って、スタンディングオベーションを受けたらどうだ?」という提案を受けました。主将のデレク・ジーターの引退試合でしたし、プレー以外のことで目立つのは嫌いな性格なので遠慮しましたが、監督が僕に花道を用意してくれたのは素直に嬉しいと感じました。気が早い話ではありますが、ひょっとしたら来年はMLBに戻っている可能性もあるかもしれませんよ。巨人や阪神は今まで通りあり得ませんが(笑)。ローテーションの柱となる投手が日米を往復したケースはこれまでないので、そうしたアイデアも面白いだろうなと考えたりもします。




先発ローテーションの一員として、アメリカで結果を残せた理由は何だったのか? 今、振り返ってみると、MLBに渡った最初の段階では“柔軟性”ということを意識しました。日本とアメリカでは、練習に対する考え方がかなり違います。しかし、「MLBで採用している調整法ならば、必ずそれに見合った理論的な裏付けがある筈で、先ずはその方法を受け入れよう。受け入れないことには、向こう側も新参者の自分に寄ってきてくれない」――そう考えて、ドジャースに入団した時には、日本での調整方法には執着しないようにしようと心掛けました。ある意味で、それまで日本で培ってきた自分を捨てたのです。例えば、ブルペンでの調整です。中5日・6日での先発が基本の日本では、前回の登板で出てきた課題を解決する為、納得のいくボールが投げられるまでブルペンで投げ続けることが多いのですが、アメリカではそこまで投げ込む投手はいません。それは、過酷な日程のMLBで日本と同じような“質”を求めていたら却って疲れが残り、次の登板に影響してしまうからです。MLBの調整法は理想を追い求めるのではなく、体力の回復を優先させるという現実に即したものでした。僕は登板してから2日後にブルペンに入っていましたが、そこで投げるのはいつも背番号18の倍数である36球だけと決めました。恐らく、この球数は日本の投手からすると少な過ぎると感じるでしょう。しかし、僕は肩の負担を考え、ブルペンで質を追求するのを止めたことで、先発投手として成功することができたと思っています。体力の回復に繋がっただけでなく、36球と区切りを定めたことで、より集中してブルペンで投球できるようになるというメリットもありました。

ヤンキースでは田中将大投手とも1年間一緒にプレーしましたが、彼にも柔軟性があるように感じました。昨季の前半戦、田中投手は素晴らしい投球を見せましたが、アメリカの考えを受け入れる姿勢が生きていたのではないかと思います。しかし、いくら柔軟性を持ってアメリカのスタイルを取り入れたとしても、夏場になってくると体に疲労が蓄積されていきます。大陸横断の移動や時差への対応、しかも登板日がデーゲームだと、実質“中三日半”で投げることもある。ニューヨークを始めとした東部の都市では湿度も高くなり、テキサスのような南部の都市では気温が40℃近くまで上がります。思い出すのは、昨夏のニューヨークでのデーゲームのことです。前の晩に試合のことを考え出したら一睡もできなくなり、そのままプレーボールを迎えてしまいました。体調は最悪。「今日のコンディションではチームに迷惑がかかってしまう」と申告すれば、休ませてくれたかもしれないほどの状況でした。しかし、球場に到着してから「皆が優勝を目指して踏ん張っているのに、自分だけ休みたいなんて言えない」と覚悟を決めてマウンドに上がり、何とか7回を投げ切ることができました。試合前夜に一睡もできなかったのはその一度切りですが、そこまで酷くなくても似たような体験は何度かありました。そういう状況を凌いでいくと、「完璧な状態で無くても、自分は何とか仕事ができる」という手応えを感じるようになります。眠りが浅かったとしても、「今日は3時間も眠れたから大丈夫だ」とポジティブに考えられるようになっていく。寧ろ、100%の状態を求めることは、却ってストレスを生むことにも気付かされました。若しも常に100%の状態を求めていたとしたら、きっと7年間もメジャーリーグで投げることは不可能だったでしょう。

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これまでの野球人生を振り返ってみると、僕は遠い将来の理想像を頭に描くのではなく、兎に角、目の前の課題や目標を懸命にクリアしようとし続けてきたような気がします。カープに新人で入団した時は、佐々岡真司さんというエースがいて、「何とか先輩の背中に追いつきたい」と思っていました。カープのエースになり、2004年のアテネ五輪で日本代表に選ばれたものの、松坂大輔・上原浩治といった他のチームのエースが居並ぶ中では、自分はブルペンに甘んじるしかありませんでした。当時の自分は若く、負けん気も強かったので、「中央球界のチームに比べたら、カープは低く見られているな」と思い、「リーグを代表する投手になろう」と思って努力を続けました。そしてMLBに渡り、ニューヨークで投げるまでになった。プロ野球選手になってからの19年間は、そうした毎日の繰り返しでした。自分ではどれだけ高い山を登っているかわからず、ただ只管目の前を見つめながら1歩1歩歩いていき、気がついたら山頂近くまで辿り着いていた――。そんな感覚でしょうか。今年で40歳を迎えましたが、年を経るごとに年齢的な衰えとも向き合わなければならなくなっています。去年出来たことが今年出来なくなるとか、同じことをやっていてもケガをするリスクが増えるとか、そうした怖さは感じています。しかも、MLBでは毎年200イニング前後投げてきていますから、いつその反動がやってくるのかという不安もある。今年はそうした見えないものとの戦いに備え、シーズンを通して体のアンテナを敏感にしておく必要があると思っています。

久しぶりに日本球界に戻ってきた訳ですから、普段の生活も含め、適応したり、考えなければならないことは多くなりそうです。ボールの革の材質・マウンドの高さも違う。日本の使用球はどちらかといえば革が柔らかく、“余裕”があるように感じます。その意味では、コントロールし易いですね。登板間隔はMLBでは中4日が基本ですが、日本では中6日になると思うので、次の登板に向けての調整法も変える必要があります。この辺りは、シーズンが始まってからリズムを掴むまで時間がかかるかもしれません。アメリカで出来たからと言って日本で出来るものではない。「全く新しい世界で仕事をする気持ちがないと、足元を掬われるぞ」という緊張感を持って臨んでいます。ファンの期待が大きな重圧に変わらないかと心配されるかもしれませんが、この点については不安を抱いていません。ニューヨークの3年間で得た自信があるからです。この年齢で今からエースを目指そうという感覚は一切無いですし、いつ引退してもいいという気持ちもあります。若しプロの生活があと5年も10年も続くとしたら、もっと色々なことを考えなければならないでしょう。しかし、もう先は見えています。だから、いい意味で開き直ってマウンドに立ちたい。野球人としては結果が全てですから、現実をしっかりと見据えてプレーしていくつもりです。カープで結果が残せなかったとしたら、それは肉体的・技術的に退く時が来たということでしょう。自分にとって楽なマウンドなど1つもありません。1試合1試合・1球1球にフォーカスし、完全燃焼する。この1球が最後になっても後悔しない――。その気持ちだけは今までと同じようにブレることなく、マウンドに上がっていくつもりです。 (取材・構成/スポーツライター 生島淳)


キャプチャ  2015年5月号掲載


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