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日本統治時代の功績を語り、従軍慰安婦問題にトドメを刺す!――朝鮮総督府生き残り官吏、最後の証言

産経新聞前支局長の基礎について尋ねると、100歳を前にした元官吏は“報道の自由”を引きつつ、「韓国紙を引用した記事が訴えられる理不尽さ」を明晰に指摘した。総督府について語れるおそらく最後の証言者だが、驚くほど鮮やかに当時を語ってくれた――。

韓国は信じがたい“暴挙”に出た。8日、ソウル中央地裁が産経新聞前ソウル支局長を在宅起訴すると発表した。自らも韓国政府から入国を拒否されている拓殖大学教授の呉善花氏は憤る。「セウォル号沈没事件にまつわる噂話を書き、朴槿恵大統領の名誉を棄損したといいますが、権力者の噂でもなんでも書くのがジャーナリズムです。今回の起訴で、韓国は“言論の自由のない国”として国際的な威信を失ってしまいました。韓国は“反日”のためならすべてが通る」。その背景には歪んだ歴史教育がある。『日帝35年』といわれる日本統治時代、日本は『七奪』(国王・主権・土地・資源・国籍・人命・姓名を奪った)を働いたと韓国では教えている。「でも、日本統治時代を知る多くの韓国人や日本人にインタビューした結果、それは嘘だとわかったのです。終戦後、日本人が引き揚げるときに、一緒に働いていた韓国人が釜山港で泣きながら見送ったと聞きました。日本人の統治が酷薄苛烈なものだったなら、敗戦で立場の弱くなった日本人を泣きながら見送るはずがありません」(呉氏)

日本の統治の実態はどのようなものだったのか。朝鮮を保護下においた韓国総監府の時代を経て、1910年に日韓併合条約が締結される。以来、終戦の1945年まで日本の朝鮮統治は35年間続いた。その後半、朝鮮総督府の官吏として朝鮮・江原道(『道』は日本の県にあたる)に勤務していたのが和歌山県在住の西川清さん(99)だ。以下は来年100歳を迎える西川さんの“最後の証言”である。






西川さんが和歌山県熊野林間学校を卒業し、朝鮮に赴任したのは1933(昭和8)年。日韓併合から23年がたっていた。当時、18歳。初めての異郷の地に戸惑いはなかったという。「当時の朝鮮は、内鮮一体(内地も朝鮮も平等だとする方針)の政策が進められていたから、日本国内の遠い地方に行くという感覚でした。よほどの田舎でない限りは日本語が通じましたし、日本食が食べられました。給料は内地の5~6割増し。内地の官吏は新卒の1日の給料が90銭でしたが、朝鮮では外地手当が含まれて1円35銭。月給で40円50銭もらえた。日本で働く日本人と朝鮮で働く朝鮮人は同じ給与でした。朝鮮に赴任した内地の人間は、女中を雇う人も多かった。僕たちはその女中さんのことを朝鮮語でオモニ(お母さん)と呼んでいました。男性ならアボジ(お父さん)でした」。当時の朝鮮は治山治水も手つかずのまま荒れ放題に荒れ果てていた。「釜山や京城(現ソウル)など、街の周囲の山がすべてハゲ山やった。冬が非常に寒く、大量の薪が必要なオンドルという床暖房がどこの家にもありましたから。しかし、朝鮮には植林技術がなく、指導者もいなかったのです。私の最初の仕事は、このハゲ山に植林することでした。朝鮮人と一緒に働きましたが、私は日本人と朝鮮人はまったく同等だと思っており、ともに作業するのをなんら不思議に思ったこともありませんでした」

もっとも印象に残っているのは電話線の敷設工事だったという。日本でいえば富士山のような名峰・金剛山で電話線を敷設した。「もともと、朝鮮の鉄道局が計画していましたが、山が険しいのと、景観を害してはいけないというので、できなかった。金剛山の管轄が鉄道局から移管され、僕はその仕事をすることになりました。電話技師と2人で山に行き、どこに電話線を引くか、設計図を作ったり、資材の調達に奔走しました。物資が不足していたので、京城にまで赴いて調達したんです」。ここでも、日本人と朝鮮人は差別なく働いていた。それは上司が朝鮮人だったことでもわかる。「朝鮮人の上司は目をかけてくれて、僕の話をよく聞いてくれた。電話線を引くときは、朝鮮人の人夫を100人ぐらい雇いました。米は1日に2合5勺の配給制でしたが、それでは労働者は足りないと、もっと多く配給してくれるよう上司に頼みました。それを上司が聞き入れてくれて、人夫たちも喜んで働いてくれたんですよ。昔は、朝鮮も日本もお国のために一生懸命働かなければいけないという気持ちがあった。だから、大正生まれの僕は今でも『お国のために』という言葉には弱いんや」

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日本の統治が歓迎されたのは一般民衆の生活が向上したからでもある。「当時の朝鮮は自分の土地でない山林を焼いて、山火事を起こして、その火事が一段落したところで田畑を耕すという“火田民”がいました。でも、併合してからはそういう貧しい人々にも耕地を与えていったんです。日本は金をつぎ込んで朝鮮の民衆の生活の向上をはかりました。韓国の近代化を進めたのは間違いなく日本です。それがなかったら戦争が終わっても韓国は非常にみじめやったろうと思いますよ。併合前の朝鮮は、汚職や悪政がはびこっていましたから」。『日帝35年』の間に韓国は飛躍的な成長を遂げた。そう言うのは台湾出身の評論家・黄文雄氏である。「朝鮮総督府が置かれた1910年に約1000万石強だった米の収穫量は1933年には1900万石へと倍増している。李朝時代の1850年に約750万人だった人口は日韓併合後の1912年には1400万人に、1938年には2400万人に増加しましたが、食糧問題は起こりませんでした」。さらに、日本統治時代に朝鮮は農業国から近代工業国へと大きく変貌した。「当時、日本にもなかった17万kWの巨大発電所が鴨緑江上流に建設され、日韓併合時には1039.7kmだった鉄道の合計距離は、1945年の終戦時には総営業キロ数6632kmにまで広がった。1927~1933年の工業生産額は3億円台だったのが、1940年には18億円を突破しています」(黄氏)

前出の呉善花氏が指摘するのは日本が推し進めた教育の近代化だ。「1910年の段階で約100校だった小学校が1945年には5960校に増えています。そこでは日本語もハングルも、朝鮮の歴史も日本の歴史も教えたんです。こうやって教育レベルを高めた結果、識字率も6%から22%に向上しました。日本がしたことはいいことのほうが圧倒的に多かったんですよ」。韓国の“反日”の象徴が『従軍慰安婦』である。「そりゃ、兵隊のいるところには、売春宿はありましたが、当時は、女衒といって、人身売買を職業としている朝鮮人がいて、そういう人が朝鮮人の女性を集めていたのです。あるいは、貧しさから、親が自分の子供を売るようなこともあったでしょう。しかし、それは朝鮮人の民間人がやったことです。土地も言葉も知らない日本人がいきなり行ってできることではない。日本の官吏が売春婦を集めて軍に送ったとか、強制的に連行していったということは『ない』と自信をもって断言します」

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西川氏は『従軍慰安婦』の実態を一昨年、安倍首相に手紙で訴えている。「日本は戦争には負けたけれども、朝鮮には何も悪いことはしていない。日本は台湾にも朝鮮と同じように一生懸命、よう(よく)してやった。朝鮮は、指導者があんなことを言わなかったら、台湾と同じように、日本に好意を持ったままやと思うんですよ。しかし、少しでも日本のことをよう言ったら国賊扱いされる。大統領が日本の悪口を小さいときから吹き込むからや。朴槿恵大統領は安倍首相に歴史をよく見ろと言ってきますが、そっちこそ歴史を直視せいと言いたいです」。10月8日、産経新聞前支局長の起訴に対し、サキ米国務省報道官は「我々は、以前から韓国の司法に懸念を示してきた」と話した。自らへの批判を逸らすのに必死な朴槿恵大統領。もはや自分の姿を直視する余裕はないということか。

               ◇

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■倍率50倍! 朝鮮人志願兵は年30万人超も
兵役は大日本帝国臣民の義務だったが、1944年まで朝鮮人・台湾人が招集されることはなかった。『内鮮一体』の機運が高まり、志願兵制度が創設されたのは1938年。応募者は3000人にのぼった。当時の朝日新聞は、定員400人に対し、志願者が殺到していることを伝えている。1943年にいたっては、朝鮮人の応募者は30万人を超え、合格したのは6000人。戦後、多くの志願兵たちはその過去を隠したが、1939年に士官学校に入学した朴正煕元大統領(朴槿恵大統領の父)は後年、こう語ったという。「日本人が統治を始めてから、私は満州と東京の士官学校に行かせてもらった。私は首席で卒業した。この私が日本人を差し置いて、全生徒を代表して答辞を読んだんだ。朝鮮人の私がだよ。こんなことをさせてくれる統治者なんて世界中にないぞ」


にしかわ・きよし 1915年、和歌山県田辺市出身。1933年から終戦まで朝鮮で奉職。戦後は和歌山県庁などに勤務。今年、『朝鮮総督府官吏 最後の証言』(桜の花出版)を刊行。


キャプチャ  2014年10月28日号掲載
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