【若者50年の足跡】(03) 恋愛・消費、女性が主役――バブル世代、大人の仕掛けに踊る

軽薄・金ぴか・虚栄心――。1980年代後半から1990年代前半、空前のカネ余りがもたらしたバブル景気には、こんなイメージがつきまとう。確かに当時の若者は恋愛に熱中し、車・高級ブランドを求める即物的な傾向も強い。だが、たとえ一時的でもこの時代の豊かさは、価値観の転換を促し、今につながるライフスタイルの起点となった。バブルという言葉が、時として憧憬の響きを持つのも、それゆえか。

この夏、グランドプリンスホテル新高輪(東京・港)の宴会場で、大規模なイベントが開かれた。バブル時代に隆盛を極めたディスコの再現だ。40~50代の2300人が、懐かしい曲に合わせ思い思いに踊り、はじけた。DJの『OSSHY』こと、押阪雅彦はこの道32年。現在49歳のバブル世代だ。バブル時代の独特の雰囲気を再び味わいたいという同世代は多く、2013年には昼のテレビでディスコ番組も立ち上げた。「当時はみんな見えを張っていた」と懐かしむ。「女性たちは、お立ち台の主役をめざして競い合った」






今から30年ほど前。『マハラジャ』を皮切りに高級ディスコが次々登場した。女性は派手に着飾りファッションの流行を生んだ。『ボディコン』の代表ブランド『ジュンコ シマダ』はバブル期に販売が倍増し、年間200億円を売り上げていた。地価が高騰し、株価が3万9000円をうかがう中で、生活水準の向上をひたすら目指してきた戦後の価値観は過去のものとなった。“豊かさ”のみだった尺度に“楽しさ”が加わり、所得水準が高まった若者たちの生活も激変した。

そこで消費社会の主役に躍り出たのが女性たちだ。「毎日、タクシーで新しい店へランチに出かけた」(出版社勤務・45)。「欧州出張の上司に頼んで3度もフェラガモの靴を買ってきてもらった」(百貨店勤務・50)――。振り返れば豪勢に過ぎる消費を促したのは上の世代の大人だった。代表格が1988年に創刊した『Hanako』。当時40代だった創刊編集長の椎根和は語る。「編集部に新人女性が入ると(銀座の高級フランス料理店)アピシウスに連れて行った。ゴージャスな雰囲気に慣れるようにとね」。彼女たちにイタリアでブルガリ本店を取材させて読者に極限の世界を提示した。『私をスキーに連れてって』(1987年)や『彼女が水着にきがえたら』(1989年)などホイチョイ・プロダクションズが手掛けた映画がブームとなり若者のレジャー消費を刺激した。企業は遊びの舞台を次々に用意する。東京ディズニーランドが1983年に開業し、西武や東急グループが全国にリゾート施設を整備した。「バブル世代は恋愛が最優先事項だった」と電通総研研究主幹の袖川芳之は話す。大人たちの仕掛けは女性を発火点にして若い男性をうまく巻き込んだ。

女性の大学進学率(短大含む)が高まり1989年には36.8%と男性を抜き、多くの男女が同時にキャンパスライフを過ごした。「それまでは、お付き合い=結婚で男性も恋愛に慎重だった。だが女性が自立すると恋愛も気軽になる。もてるのがえらいという価値観も生まれた」。もてたい男性が遊ぶお金を稼ぎ、しゃれたレストランを探した。ホイチョイ・プロダクションズの社長・馬場康夫は1970年代に青春を過ごしている。「学生運動が終わり拡散していた若者のエネルギーが1980年代に恋愛に集中していった。1970年代がその助走期間だった」とみる。1970年代初頭にデビューしたミュージシャンの松任谷由実や、女優の桃井かおりが知的で自立した新しい女性像を示し始めた。1970年代に消費や恋愛を楽しむという新たな価値観の芽を感じ取った世代が、バブルの時代を演出した。バブル世代は男女雇用機会均等法の第1世代でもあり女性は仕事でも表舞台にたった。結婚後も自分たちの生活水準を守るため、子無し・共働きのDINKSが登場した。上の世代の仕掛けに乗ったこの世代から、女性の新しい自由な生き方が始まった。

海外旅行からブランド品の買い物まで、背伸びをしながらも多様な体験を重ねたバブル世代の女性たち。いったん味わった消費の楽しみを手放さない生活スタイルは、その後も他の世代をしのぐ勢いがある。2000年以降、40代向け女性誌が相次ぎ創刊されたのは「不況下でも身につけるもののレベルを落とさない」(伊ブランド)ため。百貨店の高級ブランドの購買層の中心は現在、40~50代女性が中心だ。女性に引っ張られ、バブル世代の男性も消費の楽しみを覚えた。当時を代表する男性誌が『ブルータス』。創刊に携わった編集者・石川次郎は「お金もないのに無理してアルマーニのジャケットを買うようなアンバランスな消費」もあったと振り返るが、無駄ばかりではない。「背伸びした消費は進化の過程だ。当時の20代が結構、魅力的な40~50代になっている」

復活しつつあるバイクブームを支えているのはバブル世代の男性だ。女性同様にトレンドのけん引役となるケースは少なくない。ホイチョイ・プロダクションズ社長の馬場は「若者が多様な文化を体験できたのは良かった」という。バブル期にスキーやテニス・ヨットなどの趣味の幅は広がった。ワインやチーズなど、なじみのなかった食にふれて舌も肥えた。今のワイン人気は中高年が盛り上げている。バブルは消えたが生活を楽しむための豊富な知識と教養が大衆の財産として残った。 《敬称略》

               ◇

編集委員・松本和佳が担当しました。


▼バブル世代 株や土地が高騰し空前の好況に沸いた1986年から1991年ごろに青春を過ごした世代を指すことが多い。おおむね1960年代生まれが該当する。学生や若手社員のとき、遊びやレジャーに積極的だったといわれる。

bubble.jpg

エッセイストの酒井順子さんは著書『ユーミンの罪』の中で、松任谷由実さんの歌詞と重ね合わせて「刹那の楽しみに目覚めた女性」を検証している。バブルの時代は若者の生き方にどんな影響を与えたのか。

1989年に広告会社に入社して丸3年勤めました。あれがバブルだったんだ、と思い出すのは、「いいおすしを食べたな」といった経費の使い方です。新人でも近くの得意先までタクシーに乗り、海外出張も多い時代でした。タクシーはなかなかつかまらなかった。今でも運転手さんに嫌みを言われたくないと思い、「近くてすみません」と口にしてしまうのはその時のトラウマです。バブルのムーブメントそのものを創ったのは、秋元康さんとか林真理子さんとか、お金を持っていた1つ上の世代。景気がいい時代に仕事をする楽しみを知ったのもこの世代です。私たちは、そんな大人たちが創った舞台の上で楽しく遊ばせてもらった世代なんです。

『ユーミンの罪』では、松任谷由実さんの歌詞に自分の生き方を肯定してもらい、「このままずっと走り続けていいんだ」と思い込んだバブル世代の若い女性たちの姿も描いています。実際、私たちの世代は刹那的で向こう見ず。昔も今もみんなで楽しく遊ぶことに熱心で、テニス・スキー・サーフィンとスポーツ好きです。遊びは車や道具が必要で面倒くさいものですが躊躇しません。その原動力は“憧れ”でした。たとえば海外に行けばもっとおしゃれなものがあるとか、英語はかっこいいとか思い、勢いで海外に行きました。留学経験者が多かった時代でもあります。対照的に今の若い子は実利的です。仕事にすぐ役立つスキルを学ぶ『朝活』のように自分の将来に直接結びつく何かをやろうとします。車を欲しがらないし、海外に夢を求めてもいません。インターネットで何でも見ることができ、アイドルも実は普通の人だと分かっている。いろいろな事への憧れ度が低下しているのでしょう。就職難で先行き不透明な時代には、無邪気に憧れて、刹那的に遊ぶわけにはいかないものです。一方で私たちはバブル期に、今は主役ではないけれど舞台の上にはいて、いつか主役になれるのではという感覚がありました。だから突然おばちゃんになってしまう女性は少なく、そこそこ“すてき”をキープしています。結婚や出産で舞台を降りることはなく自分の楽しみを大事にしている人が多いですね。

大学時代によくハワイに行っていた仲間と、50歳になる年にもう一度ハワイに集合しようと話しています。下の世代からは「バブルっぽい」と言われてしまうでしょう。ただ、私たちは若い時分に多くの経験を積めたおかげで、その後の人生でガツガツしなくなりました。別にもう高いおすしを食べなくていいし、本場のイタリアンじゃなくて日本人の口に合うイタリア料理でいい。バブルを経て、かえって身の丈を考えて、自分の足元を見つめるようになったと思います。


さかい・じゅんこ 1966年東京生まれ。高校在学中から雑誌コラムを執筆し人気に。2004年、『負け犬の遠吠え』で講談社エッセイ賞・婦人公論文芸賞。1980~1990年代の人気少女雑誌『オリーブ』を分析した『オリーブの罠』を来月刊行予定。48歳。


キャプチャ  2014年10月19日付掲載
スポンサーサイト
Categories
Profile

KNDIC

Author:KNDIC
Welcome to my blog.

Latest articles
Archives
Counter
I'm participating in the ranking.

FC2Blog Ranking

information
Search
RSS Links
Link
QR Code
QR