【安倍晋三・沈黙の仮面】(02) “お爺ちゃんを奪った弟”への嫉妬、アルファロメオと雀荘を選んだ大学生活

幼少時に刻まれた「お爺ちゃんは正しい」という思いと、滅多に家にいない父に対する複雑な感情の狭間で成長していった安倍晋三には、兄と弟がいた。しかし、「家督を継がせる」という名門政治家血族の宿命に因って、弟は生まれた直後に安倍が敬愛して止まない祖父・岸信介の内孫となった。そうした特殊な兄弟関係は、軈て政治家を目指していく安倍に少なからぬ影響を与えた。安倍家・岸家の取材を40年以上に亘って続けてきた政治ジャーナリスト・野上忠興氏のレポート第2回は、“兄弟”“学歴”のキーワードから安倍の実像を掘り下げる。

前回は“両親不在”が続いた安倍晋三の幼年時代の孤独と、厳しかった父・晋太郎への反発から優しく甘えさせてもくれた祖父・信介に傾倒していった少年時代を辿った。安倍の青年時代に筆を進める前に今一度、時計の針を巻き戻したい。“岸家”と“安倍家”という名門政治家の血脈を継ぐ安倍の人格形成に繋がる家庭環境を語る上で欠かせないのが、2歳上の兄・寛信(現在は三菱商事パッケージング社長)と、もう1人、前回登場しなかった5歳下の弟・信夫(衆議院議員)との関係だ。特に安倍は、生後直ぐ養子に出され岸家を継いだ弟の信夫に対し、複雑な感情を抱いていたのでは――関係者の取材を通じ、そんな思いを禁じ得なかった。「信夫はお爺ちゃんの所に行ったから、美味いものはあるし、何でも贅沢した。だからあんなに太ったんだ」。安倍・岸両家を長く支えた関係者は、晋三少年がそう漏らしていたことをよく覚えている。そして、その胸中をこう推し量った。「長男の寛ちゃんは安倍家の跡取りと見られていたし、岸家は弟の信夫君が継ぐことになった。子供心にも、やっかみがあったのでは」

信夫の誕生直後、養子に出すのに抵抗したのが、まだ5歳にならない安倍だったという。信夫は、岸が首相時代の1959年4月に晋太郎・洋子夫妻の三男として生まれた。が、「3人目が男なら養子に出す」と岸家との間で交わされていた“約束”に従い、信夫は岸の長男(洋子の兄)・信和の養子となり、岸家を継ぐことになった。その時の親族会議を知る1人の証言に因ると、岸の実弟で当時大蔵大臣だった佐藤栄作(後に首相)が「晋太郎、本当にいいんだな?」と念を押し、晋太郎は「女の子だったら絶対に渡さないんですけど……」と承諾 している。信夫は、生まれた病院からそのまま岸家に引き取られ、2人の兄とは離れて育てられることになる。だが、「やっとボクにも弟ができた」と喜んでいた安倍は、不満を隠そうとしなかった。「何でなの?」――そう食い下がって洋子を困らせ、「信夫が大きくなったら、絶対『ボクはお前のお兄ちゃんだ』と話して聞かせる」と抵抗してみせたこともある。「晋太郎さんも、『そんなことを言われたら大変なことになる』と思ったんでしょう。晋ちゃんは随分叱られたみたいだ」(安倍家関係者)。安倍は弟に“出生の秘密”を漏らすことはなかったが、岸の愛情が“内孫”である信夫により多く注がれるようになった“身辺の変化”を感じ取っていたのかもしれない。付記すれば、信夫が“養子”という衝撃の事実を知るのは、慶応義塾大学進学時に必要上取り寄せた戸籍謄本を見た時のことだった。




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安倍の祖父との忘れ難い思い出が“馬乗り”だ。東京都渋谷区南平台にあった岸の私邸が安保反対のデモ隊に取り囲まれ、外出がままならない時、岸はよく寛信・晋三兄弟を「遊びに来い」と呼んだ。「お爺ちゃんと鬼ごっこをしたり、馬になって背中に乗せてくれた」――これまた、夙に知られたエピソードだ。時の首相に跨る幼い安倍と、目を細めて馬役を買って出る岸の姿が浮かぶ。洋子も、息子たちと遊ぶ父の様子を「ストレス解消になるというのか、本当に楽しそうだった」と振り返る。だが、信夫がよちよち歩きを始め、安倍が幼稚園に通う頃になると、騎手は弟に取って代わられる。「岸のオヤジが南平台に帰ると、まだ2歳になっていない信ちゃんが真っ先に出迎えた。そして、『馬になれ』と催促する。それでオヤジが馬になってパカッパカッとかやっていた」(岸家関係者)。安倍は、当時の弟への複雑な思いを、笑いを交じえて明かしたことがある。「祖父は圧倒的に信夫を可愛がっていた。寵愛を一身に受けていた。その前は私だったんだが。滅茶苦茶甘やかされているから、『少し鍛えてやらなければならない』と結構苛めたりした」。安倍が周囲に「ボク、パパの跡をやるよ」と言い出したのは、その頃だ。“安倍家の総領息子”である兄と、“岸家の跡取り”に決まった弟に挟まれて、両親や祖父に対する精一杯のアピールが、「政治家を継ぐ」という言葉に表われたのではなかったか。

いくら安倍が「パパの跡をやる」と言って周りを喜ばせても、その前には常に安倍家の長男である兄・寛信の存在があった。筆者は寛信に、「後継者だと意識したことは?」と尋ねた。彼はこう述懐した。「山口には古い考えが随分残っており、『寛信さんは長男だから政治家になるんでしょう?』とよく言われた。子供の頃から『政治家は嫌だ』と思いながらも、『長男としてやらなければいけないのかなあ』という責任感みたいなものは何となくあった」。多かれ少なかれ、兄弟は比べられながら育つのが世の常だ。政治家の家系となれば尚更だろう。養育係だった久保ウメは、「兄弟の性格・行動は好対照で、小学校に上がってからはあまり一緒に遊ぶこともなかった」と回想している。「寛ちゃんは“お出かけ専門”、釣りが好きで外に遊びに行く。対して晋ちゃんは“連れ込み専門”で、友達を大勢連れてきて、そのまま泊めることもあるから、お手伝いさんには『ご飯を多めに炊いておくように』と言っていたほどだった」。安倍が連れ込んだ友人たちと“映画監督ごっこ”に興じ、あれこれ指示していたエピソードは前号で紹介した。“お山の大将”タイプの安倍が寛信と遊ばなくなったのは、流石に2歳上の兄に“大将”を気取る訳にはいかなかったからかもしれない。2人の性格の違いを象徴するような出来事が小学生の頃に起きている。ウメが明かした「パパ(晋太郎)に激しく叱られたことがあった」時の2人の対応だ。「何かモノがなくなったことでパパが2人を座らせて、『謝れ』と言った。寛ちゃんは、日頃滅多にいない父親から叱られてびっくりして、『ごめんなさい』と半泣きになった。でも、晋ちゃんは悪いことをしたと思ってないから、頬をプーッと膨らませて黙ったまま。親子の睨み合いは半日も続き、最後は晋太郎さんが『お前はしぶとい!』と折れた。寛ちゃんはおっとりした性格だったが、晋ちゃんは強情で頑固だった」(ウメ)

外部の目にはどう映っていたのか。安倍家では、兄弟が小学生の頃から東大生の家庭教師をつけている。現在の自民党衆議院議員の平沢勝栄もその1人だ。平沢は、安倍が4年生の頃から1年半に亘って兄弟の勉強を見ている。最初に父の晋太郎から、「私は殆ど家にいない。勉強もいいが、一緒に遊んだり、色々経験させてやってほしい」と言われたという。実際、平沢は安倍のキャッチボールの相手をしたり、合掌造りで知られ、世界遺産にも指定された岐阜県・白川郷の実家に連れて行き、山や川で遊ばせたりもしている。「教え易かったのは寛信さん。おっとりしていて、教えたことをきちんとやって
くれる。晋三さんは絶対自分の言ったことを曲げないタイプだったし、わからないことでもあると色々突っ込んでくる。『空は何故青いのか?』『人間は死んだらどうなるの?』とか。そんなこと聞かれて困ってしまうのだが、兎に角好奇心が旺盛だった」(平沢)。前号では、安倍の改憲思想のルーツとして、幼い頃、岸邸に押しかけた安保反対デモの中で「お爺ちゃんは正しい」との思いを心に刻んだエピソードに触れた。平沢は安倍兄弟を東大の駒場祭に連れて行った時、その片鱗を見せられている。「当時は佐藤内閣で、学生運動が盛んな時期。展示や看板も反佐藤一色だったが、佐藤総理が岸さんの弟だと知っている晋三さんは、1つひとつのパネルについて『どうしてこうなの?』と質問攻めにしてきた」(平沢)。駒場祭の“反佐藤”ムードに、“祖父の敵”への反発を感じていたのだろうか。

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成蹊中学校に上がると、安倍は地理研究部に所属し、文化祭で鉄道模型や『10年後の吉祥寺』を展示発表したり、部活に精を出したりした。「生来腸が弱く、丈夫ではなかった」(ウメ)という安倍は、同級生にも「線が細く痩せていて、人前で話すのが苦手な目立たないヤツ」との印象を残している。だが、倫理社会の授業で安保条約に話が及ぶや、途端に安倍が変身、教師と激しくやりあってクラス仲間を驚かせたという。安倍は、「職業政治家への道をはっきり意識したのは、中学の高学年から高校時代にかけてだった」と話した。そこには、やはり岸の影があった。筆者に語っている。「高校に入った頃、当時はマスコミも左翼的な空気が支配していて、私の通っていた学校は私立ではあったけれども、先生はみんな“左”。政治家は評判の悪い仕事な訳だ。しかも、『祖父はA級戦犯容疑者だった』と批判されている。『祖父はそんな悪い人じゃないのに……』と子供心に思っていて、そうした空気に対する反発があった。しかし、『それは政治家が上手く国民に説明していないからじゃないか?』『自分ならもっと上手く説明できるのに……』とも思っていた。ちょうど70年安保の頃で、私はクラスで安保の議論をしても誰にも負けなかった」。そして、大学進学の時期が近づく。

安倍・岸家は、謂わば“東大法学部進学”を宿命づけられた家系と言える。祖父の岸は東大法学部で我妻栄(日本の民法学の権威として知られる法学者)と首席を争った秀才で、大叔父の佐藤栄作・父方の祖父の寛・父の晋太郎も東大法学部出身だ。3兄弟のうち、寛信と晋三は成蹊小学校、岸家に養子に行った信夫は慶応幼稚舎に入学、何れもエスカレーターで大学まで進んだが、母の洋子は「中学受験を考えたこともある」と明かしている。「父や夫も東大で、“東大じゃないと”みたいなところがあった。でも、晋三にそんな意識はあんまりなかったみたい。結局、父も『成蹊は一貫教育がいいんだ』ということで、そのまま上に進むことになった」。だが高校生になると、父・晋太郎は政治家志望の安倍に「東大へ行け」と、分厚い漢和辞典で頭を叩いて勉強を強いるようになる。「勉強はあまり好きじゃなかった」と認める安倍が反発したことは前号で触れた。実は、安倍内閣には東大出身者が少ない。“お友達”と呼ばれる中で東大出身は厚労相の塩崎恭久くらいで、東大から大蔵省というエリートコースを歩んだ経産相の宮沢洋一等、計4人しかいない。「晋ちゃんは東大出身者とエリート官僚が嫌い。議員でも東大出身者とは肌が合わないのか、敬遠する傾向がある。エリートだった祖父や父に対する学歴コンプレックスの裏返しではないか」とは、安倍と付き合いの長い議員の見方だ。

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大学進学に当たり、政治家志望の安倍は成蹊大学法学部政治学科を選ぶ。「子供の頃から政治家は嫌だった」という寛信は、同じ成蹊大学の経済学部に進んでおり、兄との道が分かれた。赤いアルファロメオで通学し、アーチェリー部に所属しながら学園生活を謳歌した安倍は、授業には熱心ではなかったようだ。学友の1人の証言。「『アルファロメオで通っているヤツがいる』と皆で驚いたら、安倍君だった。当時は学習院のアーチェリー部に可愛い女子部員が多くて、今でいう合コンに誘ったり、吉祥寺の行きつけの雀荘によく通って遊んだものだった。安倍君は小遣いが少なかったようで、互いに『マージャンに負けたら帰りの電車賃がなくなる』と必死で打ったものだ」。麻雀好きは安倍家の“遺伝”で、父の晋太郎は政治家仲間とよく卓を囲んでいた。母の洋子も母親(岸の妻)らと麻雀をしていたと、古参秘書は明かす。安倍も麻雀が強いことで知られる。そんな学園生活を送っていた安倍に、岸が「官僚になれ」と勧めた過去がある。岸・佐藤兄弟は東大法学部-官僚-政治家のコースを歩いた。「東大へ」と迫る父に反発した安倍も、敬愛する祖父の言葉には悩んだようだ。官僚になる為には、難関の国家公務員上級職試験を突破しなければならない。大学までエスカレーターで受験の経験が無く、青春を満喫していた安倍は『高過ぎるハードル』と感じた筈だ。学友は、安倍からこんな悩みを打ち明けられている。「安倍君はお爺さんから『官僚にならないか?』と言われて、『俺は官僚には向いていないんだよ』と頻りに愚痴っていた」。結局、官僚の道も選ばなかった。

大学時代の安倍兄弟を教えた教授が10年ほど前、筆者の取材に手厳しく語った。「安倍君は保守主義を主張している。思想史でも勉強してから言うならまだいいが、大学時代にそんな勉強はしていなかった。況してや、経済・財政・金融等は最初から受け付けなかった。その点、お兄さんは真面目に勉強していた。安倍君には、政治家としての地位が上がればもっと幅広い知識や思想を磨いて、反対派の意見を聞いて議論を戦わせて、軌道修正すべきところは修正するという柔軟性を持ってほしいと願っている」。総理大臣に上り詰めた今の安倍の政治手法を見ると、恩師の願いが通じているかは疑問もあるが、兄は成蹊大学卒業後に東大大学院に進学し、安倍にはアメリカ留学の話が持ち上がる。「晋三君を政治家にする為、『留学で箔をつけさせよう』という親心からでした」。安倍家関係者はそう語ったが、この頃の当人は祖父や両親の大きな期待に応えきれないことに苦しんでいた節がある。「あの頃が一番、精神的に追い詰められていたんじゃないかな」。複数の学友がそう口を揃えるのである。 《敬称略》


野上忠興(のがみ・ただおき) 政治ジャーナリスト。1940年、東京都生まれ。1964年に早稲田大学政治経済学部卒。共同通信社会部・横浜支局を経て、政治部。首相官邸・自民党福田派&安倍派を中心に取材し、自民党キャップ・政治部次長等を歴任。2000年に退社した後は政治ジャーナリストとして活躍。著書に『ドキュメント安倍晋三』(講談社)等。


キャプチャ  2015年5月29日号掲載


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テーマ : 安倍晋三
ジャンル : 政治・経済

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