【本当の教育を取り戻す!】(02) 官民一体校は公教育の特徴と利点を活かせるのか?――“看板倒れ”に終わった佐賀県武雄市の教育改革

義務教育における公教育(つまり公立小学校や公立中学校)の最大の特徴であり最高の利点は、多種多様なところにある。選抜が前提となっている私立の場合、同じようなレベルの子供たちを選んでしまう傾向にあるのが現実で、その為、能力格差は小さく価値観も同じようなところにあり、家庭環境でさえも似通ったものになってしまいがちである。だからこそ教えやすいという面もあるし、学校としても管理し易いのも事実だ。これが公立の小中学校となると、そういう訳にはいかない。住んでいる地域が一緒というだけで、知力的にも体力的にも、性格も好みも考え方も、更には家庭環境でさえも多種多様な子供たちが、1つの教室・校舎に集まって学ぶことになる。それだけに、摩擦の大きくなりがちな環境な訳で、学校としては監理もし難くなる。しかし、社会というものを考えてみれば、近い価値観を持ち、同じような生活レベルの人たちだけが集まって生きていくという環境は考え難い。寧ろ、多種多様こそが社会そのものである。子供たちも成長すれば、そうした社会の一員として生きていくしかないのだ。そういう社会で多種多様な人たちと協調し、自らを活かして生きていく為に子供たちが身につけなければならないのは、多種多様な環境で生きていける力ということになる。それには、公教育の場こそが最適な環境なのだ。しかし、その最大の特徴であり最高の利点でもある多種多様なところを最大限に活かした教育が、公教育の現場でどれほど実現できているのだろうか?

『モンスターペアレンツ』という言葉が、今では普通に使われている。例えば、子供同士のケンカでも親が当然のように口を挟んできて、「ケンカさせるのは学校の責任だ」とばかりに、自己中心的な解釈で苦情を持ち込んでくるような親のことである。その存在が、現在の学校現場で幅を効かせつつある。価値観の違う子供たちが集まっていれば、ケンカくらいはあって当然で、親が口を挟むから大事になる。そうした事態を学校としても避けたいので、ケンカになるような状況を作らないように努めることになる。その為にやることは、個性と個性がぶつかるようなシーンを避けるということになってしまう。皆に同じことをやらせて、問題が起きないように管理することに力を傾注することになってしまうのだ。モンスターペアレンツだけでなく、何か事が起きればマスコミまでも騒いで学校の責任を問い詰めてくるような風潮の中では、学校も教員も過剰防衛にならざるを得ないのだろう。それで子供たちを管理できればいいのかもしれないが、そんなことは絶対にあり得ない。個性のぶつかり合いは陰湿になり、それが陰湿なイジメへと繋がっている。そして、そこばかりがクローズアップされて、更に子供たちを抑え込む方向へと向かわせるという悪循になっているのも現実のようだ。そういうことも背景にあって、多種多様という公教育の特徴であり刻点であるものを伸ばす努力がされている現場はあるとしても、あまり注目はされないのが現実だ。注目されないから、その辺りの試みは少なくなる。これまた悪循環でしかない。




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そんな中で、子供を“メシが食える大人に育てる”を信条としている学習塾がある。埼玉県さいたま市に本部を置く『花まる学習会』だ。代表の高濱正伸は、東京大学大学院修士課程修了という日本では憧憬の念で受け止められる学歴を持つ。その学歴を背景に、自らの勉強法を伝授する学習塾なのかと思ってしまうが、この学習塾が信条とする“メシが食える大人”とは、“学歴社会を生き抜いていく大人”ではなく“多種多様が本質の社会を積極的に生きていく力のある大人”の意味なのだ。以前、大手学習塾の経営者たちを取材したが、彼らを学習塾経営に向かわせている大きなモチベーションは“儲かる”ということだった。1967年に都立高校入試でスタートした『学校群制度』は、その後に地方にも広がった。それまで1校毎の入試だったものが、13校が“群れ”を作り、その群れで選抜試験を行って合格者を均一に振り分けていく制度である。特定の高校に志望者が集中するのを避け、学校間の格差を無くすのが制度目的だった。しかし、この制度は評判が悪かった。一部の高校に志望者が集中するのは、その高校が“名門”だったからである。名門の意味にも色々あるが、ここで名門とされる最大の理由は一流大学への合格率の高さだった。1校だけの入試なら、そうした名門に相応しい資質――つまり、一流大学に合格できる資質のある者だけが選抜されることになる。だから、高い合格率も維持できていたと言える。それが、学校群制度が導入されることに因って他校と均一化されてしまうと、資質的に足りない入学者も出てくる。そうなると高い合格率は維持できなくなり、その為に志望者も減ることになった。それを指して、“都立高校の地盤沈下”等と言われたものである。

そして、都立の名門を目指していたような志望者は、私立の名門を目指すようになった。ここでの名門も、一流大学の合格率の高さを指す。私立の場合、中学から高校への一貫校も少なくない為、高校からではなく中学からの受験者も増え、それには学校の授業だけでは間に合わないとなって、小学校から学習塾に通う子供たちも増えた。それで学力に差が出始めると、「我が子を落ちこぼれにさせまい」として学習塾通いをさせる親が増え、“学習塾ブーム”となっていった。こうして学習塾は儲かる産業となり、株式市場に上場する学習塾までが登場するようになったのだ。勿論、学習塾の全てが“合格率第一主義”を取った訳ではないが、上場するほどの大手となると、間違い無く合格率の高さを看板にした。そうしたほうが塾生を集められたし、そうしなければ大きな諸けには繋がらなかったからである。そうしたところが、学習塾が批判される一因になっているのも事実だ。『花まる学習会』は、既に大手の学習塾が大きなシェアを持ち始めていた1993年にスタートする。そうした大手の仲間入りをすることが設立の目的ではなかった。設立のきっかけを、代表の高濱は次のように語った。「大学生の頃から予備校で講師のアルバイトをやっていたんですが、そこには、言われたことはやるが自分から積極的に取り組もうとはしない学生が沢山いました。自立できていないんです。これで大人になって食っていけるのか、本当に心配になりました。そういう学生が、中堅と呼ばれる予備校にはごっそりいました。それがきっかけでした」

子供を自立させていくのは、教育の大きな目的の1つである。しかし、小学・中学・高校と教育を受けてきても、自立が心配される子供たちが高濱の目の前には沢山いたのである。その時に高濱がいた環境が特殊だった訳ではなく、周りに聞いてみてもそういう子供が多くいた。引き籠りも社会問題化しつつあり、それも自立できないことが最大の原因だと高濱は考えていた。「同じ予備校の講師仲間にも相談しましたよ。『こんな自立できない状態では、あの子たちの将来が心配だよ』ってね。しかし、戻ってくる答えは同じでした。『自立させるのが予備校の仕事ではないし、自分たちは彼らを合格させれば役目は終わりだ』というものです」。予備校の講師としては、当然の割り切りなのだろう。学習塾の講師であっても同様だろうし、利益を第一に考える学習塾の経営者にとっても当然の考え方の筈である。「自立を看板にしても利益に繋がらない。利益に繋がるのは合格だけ」だからだ。親も子供も、学習塾に求められていることの多くがそれだからでもある。悶々とする高濱の背中を押したのは、高濱が夏休みだけ泊まり保育のアルバイトをしていた、埼玉県川口市でも有名な幼雅園の園長だった。「子供たちに必要なのは、大人になって食っていける力だ」という高濱の考えに賛同し、「それを看板にして学習塾を開いても子供たちを集められない」と躊躇している高濱に、「それなら、うちの卒園生を紹介する」と提案してくれたのである。そして、『花まる学習会』がスタートしたのだ。

自立がテーマといっても、他の学習塾とまるで違うことをやった訳ではない。『花まる学習会』の授業も、国語や算数といった学科もやる。但し、多くの学習塾がやっている、そして現在では多くの学校の授業がそうなってしまっているような、ただ点数の取り方を教えることはしない。単純に言ってしまえば、自分で考えて答えを導きだしていくことに主眼をおいた内容にすることに工夫がある。その為に、教材のプリントも高濱が自ら手作りしていった。市販されている教材が世の中にはいくらでもあったが、大半が点数を取る為のトレーニング教材であり、高濱が考えるような、自分で考えながら答えに結びつけていくようなものではなかったからだ。そして、他の学習塾には無い、『花まる学習会』の最大の特徴であり、高濱の一番やりたかったものが“野外活動”である。日帰り、又は泊まりがけでのキャンプや山遊びに子供たちを連れて行くのだ。「野外活動では、子供たちが自分たちで仲間を作り、遊び方を工夫する。それは、小さな社会なんです。社会を経験することで、社会を楽しみ、生きていく為の知恵を身につけることができる。つまり、大人になっても食っていける力を養うことになるんです」と高濱は言う。学校で野外活動の授業があっても、先に触れたように、そこでは問題が起きないようにすることを学校は優先する。責任を問われることを必要以上に気にするからである。しかし、『花まる学習会』の野外活動は、飽く迄も子供たちが社会を経験することを重視する。

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しかし、『花まる学習会』の経営は早々に危機に陥ることになる。高濱が語る。「月謝は7000円で、週2時間、時間は好きなだけいてもいいという条件でやったんです。講師が喋るだけの授業ではなくて、自分でプリントの問題を解いていく内容ですから、いくらでもやれる訳です。しかし、時間がズルズル延びれば講師の時給は増えていきます。生徒数は20人しかいないのに、5人に1人の講師をつけていましたから、人件費が大変でした。それに、場所代も電気代もかかる。忽ち赤字が積み重なっていきました」。そこで、直ぐに条件の見直しを実行する。週1回にして、時間も1時間半を限度としたのだ。月謝はそのままだから、単純に考えればサービス内容を半分にしてしまったことになる。それでも、5人に1人の講師体制は変えない。子供たちが自分で考えて答えを導き出していくといっても、そこには適切なアドバイスが必要になるからで、それが講師の役割だからだ。1人当たりの受け持ち人数を減らしてしまえば、その大事な役割を講師が果たせなくなる。それは『花まる学習会』の方針に逆らうことになる訳で、絶対にできない。そこを見直す気は高濱には全く無かった。野外活動を止めることなど、とんでもないことでしかなかった。「スポンサーの会社からは怒られるし、プレッシャーもかけられましたね。『教材なんか市販のものを使えばいいし、講師の数も減らせ』ってね。野外活動だって、『1件でも事故が起これば経営そのものが終わるんだから、リスキー過ぎる』と言って、大反対でした」と言って、高濱は笑った。それでも方針は変えずに守り続けた。

漸く黒字になったのは、スタートから3年が過ぎて、生徒数が300人を超える規模になってからのことだったという。それだけの規模になるには、親の理解が大きなポイントとなっている。学力に留まらず、『花まる学習会』の“メシが食える大人に育てる”という方針を理解し、その教育に自分の子供を託せるのかどうか、親の理解1つにかかっているからだ。「その点は時間をかけて説明してきました。そして、かなり理解してきてもらっていると自負しています」と高濱。「極端な話、子供がケガをしても、親が怒るどころか感謝することもあったくらいですからね」とも付け加えた。「野外活動で、お子さんが転んで骨を折ってしまった。当然、こちらとしては親御さんのところに謝りに行く訳です。ところが、『うちの子の注意力が足りなかったみたいですね。うちの子にとっては、いい経験になった』と言われたんですよ。ケガをするのは良いことではありませんが、それも考え方次第です。命に関わらないようなケガをしない為の経験と考えれば、決して無駄じゃない」。モンスターペアレンツとは違う考え方が『花まる学習会』の親たちには定着している。勿論、ケガを奨励する訳ではない。それでも、ケガを恐れて経験のチャンスを逃すことは、子供の成長にとっては大きな損失でしかないのだ。




その『花まる学習会』のやり方を公立小学校で実施する取り組みを始めた自治体がある。佐賀県武雄市だ。“官民一体校”として早くから注目を集め、今年4月からモデル校として2校を選んで実際にスタートしている。武雄市といえば、民間の力を導入して大成功した『武雄市図書館』が全国的に知られるようになり、一躍有名になった自治体である。その図書館への民間活力の導入を実行したのは、前武雄市長の樋渡啓祐である。トップダウン型の改革派として知られた樋渡だが、武雄市図書館の成功は彼の知名度を全国区へと押し上げた。但し、あまりにも強力なトップダウンと、効率性と結果優先の彼のやり方に反発も少なくなく、その為に市役所を離れた職員も少なからずいたのも事実である。その樋渡は、今年1月の佐賀県知事選に自民・公明両党の推薦を受けて立候補し、当初は圧倒的に有利と見られていたものの、蓋を開けてみたら落選という結果となった。安倍政権の農協改革に反対する地元農協が、自民党推薦の樋渡の敵に回ったことが敗因と言われているが、彼のトップダウン型の改革路線が必ずしも支持されていた訳ではないことを露呈することにもなったと言える。その樋渡は、市長として教育でも改革路線を取り、タブレットの導入を始めとして、次々と新しい試みを実行してきていた。官民一体校は、そうした樋渡の改革路線の最大級のものと位置づけられていた。その実施を目前にして、彼は市長の座を退いたのだ。樋渡と『花まる学習会』の高濱の橋渡しをしたのは、東京都杉並区の和田中学校で学習塾講師に因る補習授業『夜スペ』を導入して有名になった藤原和博である。そういう関係から、「武雄市の官民一体学校も、学力だけに傾注した改革になりかねない」という見方も間違い無く存在する。そういう見方が強いと言ってもいいくらいだ。

ただ、これまで説明してきたように、官民一体校の“民”を担当する『花まる学習会』の考え方は、必ずしも学力一辺倒ではない。寧ろ、主軸はそこにはなく、大人になっても食べていける力である。「『公教育の場は社会の縮図であり、社会を学ぶには最適の場なんだ』ということを再認識し、『そういう場で社会を学ばせることこそ学校では大事なんだ』と言い切ってもらえるような学校になればいいなと考えています」と高濱は言った。高濱の考えてきたことを実践するには、学習塾より寧ろ公立の学校のほうが相応しいとさえ彼は考えているようだ。問題は、学校が(何よりも親たちが)高濱のやろうとしていることを理解し、支持してくれるかどうかである。それについては、昨年の段階で自信有り気に高濱は語っていた。「地域への説明は終えて、かなりの支持は受けていると確信しています。武雄市の親たちも、引き籠りや社会で上手くやっていけない若者の問題は身近なこととして認識しているところはあります。『それが、子供の頃に社会生活を経験していないことに原因がある』と説明すると、納得してくれます。操め事があるから学校はよいのに、現在は学校側がそれを排除しようとするから社会生活を経験できない。それを経験できる教育――本来の公教育の強みである教育を目指したいと話すと、『是非、自分の地域でやってくれ』っていう反応ばかりです」。公教育の場に存在する多種多様、それこそが最高の教育環境だということを理解してもらうのは、そんなに難しいことではないという。

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但し、理解するのと納得するのとでは少し違うかもしれない。今年4月から始まった武雄市での官民一体学校は、市内に11ある小学校のうち2校だけでスタートしている。全校でないのは、まだモデルケースだからである。この2校でやってみて、評価が高ければ全校に普及させるという訳だ。どうやって評価するのだろうか? 武雄市教育委員会の担当者に尋ねると、「全国学力テストの結果には興味があります」という答え直ぐに返ってきた。文部科学省が実施している『全国的な学力調査(全国学力・学習状況調査等)』のことである。2校のモデル校の1つである、武内小学校の代田昭久校長にも話を聞いた。そして、同じ質問をしてみると次の答えが返ってきた。「わかりやすいのは、やはり全国学力テストの結果でしょうね」。“官民一体”と銘打ってはいるものの、それはモデル校における教育の中の一部で実施されるに過ぎない。『花まる学習会』のノウハウである“子供たちが自主的に、そして考える力をつけていく”為のプログラムは、本来の授業が始まる朝の15分の時間だけに組み込まれている。朝の読書運動として、始業前に読書の時間を設けている学校が増えているが、その時間を『花まる学習会』のノウハウによるプログラムに充てているに過ぎない。公立小学校である以上は、文科省の定めた指導要領に則った授業が優先されなければならない。『花まる学習会』の方針を優先した授業カリキュラムを組む訳にはいかないのだ。市長の独断で変えることも現制度では難しい。そこまで踏み込んで変えていく為には、その“効果”が客観的に認められる必要があるようだ。武雄市の全小学校に官民一体を広げていく為にも、授業そのものを官民一体に変えていく為にも、先ずは評価が必要になってくるという訳だ。その評価は、全国学力テストの結果が大きな影響力を持つことになりそうだ。つまり、学力である。

『花まる学習会』の“メシが食える大人”になる為の最重要なプログラムである野外活動は、武雄市のモデル校でも“青空教室”という名で実施される。但し、その時間は月に1回だけしかない。これは正式な授業時間に行われるものだが、官民一体の最大の目的となるべき時間がたった月に一度というのも不思議である。そして、そこで養われる筈の“メシが食える大人になる力”は、全国学力テストでは評価できない。抑々、そういう力を評価するようにはなっていないので、評価できる筈がないのだ。今年から始まった武雄市での官民一体学校のモデル事業が、1年後の全国学力テストの結果で評価されるとすれば、それは学力の面だけの評価という結論になりかねない。高く評価されるとしても、それは『花まる学習会』の持つ学力アップのノウハウだけに対してのものになる可能性も高い。そうなると、“官民一体”と言いながら、民の力(つまり学習塾)に求められる力とは学力アップだけということにもなりかねない。それでは意味が無い。ジワジワと広がりつつある、学習塾のノウハウで以て子供たちの学力をアップしようという自治体の動きと何ら変わり無い。武雄市の官民一体学校が意味あるものだとすれば、学力アップでなく、『花まる学習会』が大きな特徴だとする子供たちの自立を支援する教育が評価される筈である。それは、全国学力テストの結果だけで評価されていいようなものではない筈だ。それでも評価する、しかも短期間で評価することは難題中の難題でしかない。官民一体学校で自立の力が養えたかどうか、それは子供たちが大人になってみなければわからない。大人になっても、その力が官民一体学校で養われたものかどうかを判断するのは、極めて難しいことでもある。

抑々、教育を短期間の結果で以て評価する姿勢について問い直す必要がある。ビジネスの世界では、短期間で結果を求める傾向が強まっているが、それと同じことを教育の世界でもやろうとする思考になっている。“民活”というと、短期間の結果と思われてしまう。そして、手っ取り早く成果を測る道具として、全国学力テストの結果を必要以上に重視する傾向に繋がっている。ここに大きな問題がある。武雄市の官民一体学校を全国学力テストの結果で評価することは、加速しつつある“学力偏重主義”に拍車をかけることにしかならない。それよりも、官民一体学校で目指しているものが、公立小学校の強みである多種多様を、子供の自立に繋げていく試みであることを重視すべきである。それは官民一体学校でなくとも、抑々現在の公教育の場でやれることであり、実は一番重視されなければならない点でないだろうか。 《敬称略》


前屋毅(まえや・つよし) フリージャーナリスト。1954年、鹿児島県生まれ。法政大学卒。立花隆氏・田原総一朗氏の取材スタッフ、『週刊ポスト』記者を経てフリーに。経済・社会・教育の問題をテーマに取り組んでいる。著書に『シェア神話の崩壊』『グローバルスタンダードという妖怪』(共に小学館文庫)・『洋上の達人』(マリン企画)・『学校が学習塾にのみこまれる日』(朝日新聞社)・『日本の小さな大企業』(青春出版社)等。


キャプチャ  2015年6月号掲載


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