【大阪に未来はあるか】(上) “大阪化”と“京都化”から日本を考える――人口減少・有力企業の東京移転・効果の無いイベント・止まらない地盤沈下…これが“大阪化”だ

将来、日本の都市は2つのパターンに色分けされる。それは、“大阪化”か“京都化”だ――。こんな分類をしたきっかけは、大阪市中央区船場に勤める知人の何気無い一言だった。「謎なんですわ」。関西経済の変遷を説明しながら、彼はこう言うのだ。「大阪で生まれた会社は、大きくなると本社機能を東京に移すんですわ。住友グループにしても、伊藤忠や丸紅、最近ではローソンや日清食品もそうです。ところが、京都で生まれた会社は京セラにしてもワコールにしても、何で京都に居続けるのか謎ですわ」。確かに、この明暗の差は何だろうか? 大阪の企業が本社を移す度に、お約束のように「大阪経済の地盤沈下が言われて久しい」という枕詞で報じられる。しかも、昭和50年代からずっとである。“価格破壊”で流通業界に革命を起こした『ダイエー』の中内功は、昭和50年代後半に本社機能を神戸に移転。商社や建設会社の東京移転は五月雨式に続き、金融再編に依り、金融機関は粗全て東京に移っていった。地盤沈下をはっきり示すのが、貸しビルの実質賃料である。1971年(大阪万博の翌年)に東京のテナント料を100とした場合、大阪は78だった。10年後、それが56にまで下がり、東京との差は拡大(日本ビルチング協会連合会調べ)。原因は「本社機能の東京移転にある」と、1981年当時の新聞は指摘する。なぜ大阪を捨てるのか?

残された者たちの焦りを掴んで大躍進したのが、『大阪維新の会』だった。しかし、40年近く“地盤沈下”と自闘してきた大阪の人々が、『大阪都構想』の登場まで無策だったかというと、決してそうではない。例えば1982年、松下幸之助を初代会長に、官民協力の『大阪21世紀協会』が設立された。目指したのは、“世界都市・大阪”の創生である。その後、歴代会長には『関西電力』の芦原義重会長、『サントリー』の佐治敬三会長、大阪大学の熊谷信昭名誉教授が就任。『大阪築城400年まつり』『御堂筋パレード』『国際花と緑の博覧会』の誘致といったイベントから、『大阪国際会議場』の建設構想と、大阪を盛り上げる策を講じ続けている。イベントはどれも盛況を見せるのだが、地盤沈下を止めることには繋がっていない。この団体に限らず、決定打が出ないまま、行政の仕組みを変える大阪都構想というウルトラCが登場したのである。この流れを、私は“大阪化”と呼んでいる。根本的な問題点に気づかないまま人口が減少し、企業も東京に移っていく。時々景気が上向いたり、イべントが盛況となるが、これは血糖値等の数値の変動だけを見て、「生活習慣病が治った」と錯覚するようなものだ。但し、誰も大阪化を嗤うことはできない。なぜなら、日本の大半の都市が大阪と同じ現象を辿っているからだ。その意味で、大阪の将来を占う大阪都構想の住民投票は、多くの“大阪化”に陥っている都市にとって他人事ではなかった筈だ。大阪都構想の問題点は、構想そのものは大胆だが、過去にあの手この手で施してきた策と基本的には発想が似ていることだろう。そう気づいたのは、“京都化”という現象を認識した時だった。




osaka future 01
今年2月、私は経済誌『Forbes JAPAN』でジャーナリスト仲間を集めて、ある試みを行った。経済の新陳代謝を表す企業の開廃業率を都道府県別に集計。どの地域が元気がいいかを調べたのだ。1位は、IT分野の成長著しい沖縄県。次に宮城県・福岡県と続く。これは、政令指定都市である仙台市と福岡市の経済環境に、新しい芽が出てきているからだ。福岡市については後述したい。もう1つの調査を、私は4月に書籍として纏めた。都道府県別の幸福度ランキングで1位が定位置となっている福井県、そしてOECDからコンパクトシティのモデル都市に指定された富山市、また国の政策を作ってきた霞が関を取材した拙著『福井モデル 未来は地方から始まる』(文藝春秋)だ。ここで注目したものの1つが地場産業だった。特に、福井県の眼鏡・繊維・漆器は斜陽産業である。にも関わらず、斜陽産業の中から強い企業・強い技術が生まれている。福井は共働き率が全国1位で、2010年には勤労者世帯の実収入で東京を抜き、1位になった。女性が働き易く、出生率も高い。これを中小企業庁は、『北陸地方におけるダブルインカムに依る価値創造モデル』と名付けている。こうした独自の強みを発揮している経済圏には共通点がある。京都の仕組み作りに似ているのだ。それが、ここで言う“京都化”だ。冒頭で紹介したように、京都には持続的に成長を続けるグローバル企業が生まれ、本社も移していない。京セラ・ワコール・日本電産・オムロン・任天堂・村田製作所・島津製作所・ローム・堀場製作所……。「経済規模が大阪と違うから単純比較するな」と指摘する声もあるが、こうした高付加価値の企業は京都だから生まれたとも言える。

“京都化”の最初のポイントは、“場”作りにある。強力な政治家が都市を引っ張ったり、大企業を外から誘致してくるのではなく、“場”から産業が生まれ、“場”が育てて発展していく。それは“内発的発展”という言葉に言い換えられるが、どういうことか簡単に振り返ってみよう。“地盤沈下”という体験で見ると、京都は大阪の先輩格に当たる。いや、大阪の地盤次下とは比べものにならない経験をしている。明治維新の際、遷都に依って京都市域の人口はたった4年間で33万人から24万人に激減した。現在、日本で最も人口が減少しているのは秋田県で、年間約1万2000人が減っている。秋田と比較すると、如何に当時の京都が壊滅状態になったかがわかるだろう。遷都に依って、御所付近だけでも1万戸が空き家になったという。公家がごっそりいなくなったことで、繊維や工業製品の地場産業は購買層を失った。これで産業は一気に衰退。天皇家が東京に移るのだから、本社の東京移転を嘆く大阪とはマグニチュードが違うのだ。財政的にも心理的にもボロボロになった京都は、人口を増やす策を講じた。莫大な公費を投じて道路を拡張。人が集まり易いように市電を走らせたのだ。産業を興すのに必要なエネルギーと工業用水を確保する為、琵琶湖疏水事業も行われた。こうしたインフラ事業が、京都の近代化を推し進めたのである。だが、インフラ整備は地方再生ではよくある話で、インフラ・イベント・市町村合併等の制度変更は飽く迄も再生の為の“仕掛け”であり、これで町が蘇る訳ではないが、ここに罠がある。取材した自治体の首長たちに聞くと、こう口を揃える。「インフラ整備やイベント・企業誘致が上手くいくと、地元の新聞が大きく取り上げて評価するんです。企業誘致が典型ですが、工業団地の整備や補助金等の優遇策で公費を投入しても、年月が経つと人件費が安い国に移転してしまう。自治体の努力は水泡に帰すのです。でも、首長の在任中に結果が出せるから、ついこうした一過性の手法を取ってしまいがちになる」。本来の目的は、住民自身の再生である。その手法が、“京都化”の第1のポイントだ。歴史的に京都が得意とする新旧融合の手法。“コラボレーション”である。

osaka future 02
京都府南丹市の京都縦貫自動車道・園部インターチェンジ近くに『京都新光悦村』という産業団地がある。1990年代に誕生した産業拠点なのだが、その名前に注目してほしい。江戸時代にマルチな才能を発揮した芸術家の本阿弥光悦が作った『光悦村』のDNAを受け継ぐ名称である。1615年、本阿弥光悦は職工や芸術家を引き連れて、洛北に移住。『光悦村』と名付けられた。ここがコラボレーションの場となり、旺盛な創作活動が行われた。京都の産業界の特徴は、この精神にある。古い伝統産業と柔軟な感性を持った若い人々がコラボを行うのだ。京都新光悦村のコンセプトもまさにそれだ。「焼き物の技術からファインセラミックスを生み、プリント配線基板は染め型製造技術を応用したもの。多くの最先端技術のルーツが伝統産業にあるのです」と新光悦村は謳い上げる。この村は先端産業と伝統産業が交流する場として、定住型の産業団地となっている。古い技能とハイテクが交流することで、新しい業態を生み出す。何よりも、こうした“場”こそが次世代の人材を養成する。つまり、人が育つから“持続可能な都市”ができる訳だ。拙著で紹介した富山市も、“横の連携”というコラボでブレイクスルーしている。江戸時代に始まった“富山の薬売り”は、藩を超えて行商する許可を与えられた薬売りたちが全国を歩き、丸薬を売りながら情報収集を行った。各地のニーズを集めて、北前船による貿易に役立たせる為だ。蝦夷で仕入れた昆布を薩摩藩に売り、薩摩は昆布を中国に密輸して蓄財に成功。これが倒幕に繋がった。富山は売薬と貿易業から次の産業に繋げる為、水力発電事業に乗り出す。ダムを作り、エネルギーを作ったのだ。『北陸電力』の本社が金沢ではなく富山市にあるのはその為だ。こうして、財政難から始まった富山藩の事業は、時代を超えて、日本海側で最も工業生産高の高い都市を作り上げたのである。

次の共通点は“諦め”である。京都が“都”であることを諦めざるを得なかったことで発展に繋がったように、前述した福岡市にも知られざる歴史があった。現在の福岡市の活力は数字に表れている。政令指定都市の中で、市税収入の3年間の伸び率はトップ。しかも過去最高額だ。また、人口も増加しており、特に現役世代の割り合いが他の都市より多い。中でも注目したいのは、若者の創業率である。起業する人に占める35歳以下の割合が12.3%。これは東京23区と政令指定都市の中で最も多い。福岡市が“起業の町”に変貌したのは、2011年に最年少市長だった高島宗一郎氏がシアトルを視察したことに始まる。海と山に囲まれた地形や自由な気質は福岡市と似ているのだが、福岡市の半分以下の人口でありながら、スターバックス・アマゾンドットコム・マイクロソフトという世界的企業を生み出している。触発された市長は、「新しく事業を起こす人々を支援しよう」と“場”を作った。福岡市の中心部・天神の『TSUTAYA』内に『スタートアップカフェ』を設置。ここは、事業のアイデアを相談したり情報交換をする“ライバルと出会う場”である。市の雇用労働相談センターが併設され、常駐する弁護士が相談に乗る。連日、10代から80代までの市民が通い、女性が多いのも特徴だ。発案者の高島市長はこう言う。「人間もビジネスも、成長するにはライバルの存在が必要。自分には無いものを持った他人との出会いが刺激を与え、きらりと光る何かを生み出す。そんな場を福岡で作りたい」

その福岡市も“諦め”を経験している。製鉄等の重工業に依って高度経済成長を支えた北九州市への対抗心から、嘗て福岡市には「博多湾を埋め立てて、北九州に負けない工業都市を作ろう」と言い出す者たちがいた。だが、致命的な欠点があった。恵まれた水源が無い為、工業用水を確保できないのだ。給水能力の問題は、北九州に勝てないだけでなく、以後、福岡市を苦しめ続ける。1978年、9ヵ月に亘って市内が断水する“大渇水”が起きた。この時、福岡市は大学教授等と都市の基本計画を作り上げる。給水能力が無いのだから、「海抜80m以上は都市開発をしない」と線引きをして、“持続可能な都市”という当時としては画期的なコンセプトを打ち立てたのだ。都市を拡大できない事情に依り、大都市でありながらコンパクトシティが出来上がった。交通の移動に時明がかからず、また隣接する糸島半島は海や山に恵まれて、大都会と自然が隣り合わせとなった。食材の豊かさ・便利さ、そして工業都市を諦めたことで、持ち味である“商都”として邁進する。つまり、京都化とは“ハンディを認める”ことなのだ。

osaka future 03
大阪を象徴する場所は船場ではないだろうか? 嘗て、船場はブランドだった。戦前から紡績業が盛んだった大阪では、繊維といえば船場であった。冒頭の知人が言う。「船場にオフィスを構えるのがステータスの時代がありました。しかし、昭和40~50年代には韓国に、その後は中国に追い抜かれ斜陽産業となっていきます。繊維から脱皮して工業用繊維等の多角化に成功した会社は、オフィスを梅田等の北に移していきました。4年前には伊藤忠商事の大阪本社が船場から梅田に移り、今年の夏には丸紅大阪支社も堂島浜に移転します。それで、船場にオフィスを構えられなかった企業が今、船場に移ってくるようになっています」。成功すれば、開発が進む北に移転する。まるで、大阪の好調な企業が東京に本社を移す話と同じだ。つまり、成長という階段の“踊り場”になっているのだ。抑々、大阪は“東京予備軍”のような踊り場ではない筈だ。例えば、昨年から大阪府は『EGおおさか』という取り組みを始めている。EGとは『エコノミックガーデニング』の略で、アメリカの自治体で導入が広まっている“内発的発展”の手法である。ガーデニングのように、地場の中小企業を行政・大学・研究機関・金融機関・NPO・住民が連携して育てていく。冷戦末期にコロラド州リトルトンという人口4万人の町で、軍需工場が閉鎖されたことを機に始まった取り組みである。情報を駆使した営業支援と経営指南等に依り、リトルトンは1社も誘致せずに15年間で税収3倍・雇用2倍という成果を達成。今では、この手法をフロリダ州等が州単位で取り入れている。日本でいう“京都化”である。大阪府の商工労働部がEGを取り入れたのは、大阪は製造業の数では全国一であり、潜在的な可能性を秘めた中小企業が多いからだ。支援の拠点として『MOBIO(ものづくりビジネスセンター大阪)』を2010年に作ったことで、それまで府への相談は年間3000件程度だったのに、MOBIOへの相談は年間1万3000件に激増。連携することでビジネスマッチング・技術革新・課題解決が可能になり、ビジネスの化学反応が期待できる。そして、やはり何といっても次世代への人材養成の“場”となる。

東京予備軍を解消できるとは思えない大阪都構想との大きな違いは、未来への発展が見え易い点だろう。大阪都構想は、賛成派と反対派で経済効果の額が全く違うことからも明らかなように、将来の発展が見え難い。問題の“犯人捜し”が原点にある上、仕掛け作りに議論が終始している為だ。“大阪化”の問題点もまさにそこで、今あるものを有機的に組み合わせて発展させようという視点が欠けている。2012年8月、大阪都構想の実現に向けた『大都市制度推進協議会』でこんな場面があった。この時、自民党の市議と府議が呆れた口調で松井一郎知事を追及した。松井知事と橋下市長の連名で提出された資料に、三重県と亀山市が共同で誘致した『シャープ』の亀山工場が引き合いに出されていた。「大阪府と大阪市が連携していなかったから、“二重行政”の弊害に依ってシャープの工場誘致に失敗した」と言わんばかりのことが書いてある。「だからこそ大阪都構想が必要だ」と言いたい為の資料である。しかし、シャープの工場誘致ができなかったのは、当時は『工場等制限法』が存在していた為で、大阪市は法律上、工場誘致ができなかったのだ。仮に、シャープの工場を誘致できたとしよう。大阪はもっと酷い地盤沈下を味わっていた筈だ。内発的発展を遂げた都市との違いはもう明らかだろう。“大阪化”は仕掛けを作り、点に着火して経済効果を狙う。しかし、外から何かを持ってくる・借り物を足し算するだけで、未来に伸びる縦軸の発想が無いのだ。私が取材で感銘を受けたことの1つに、富山市の森雅志市長の話があった。針金が外れた消費者金融の看板が風に揺られる薄汚い街が、コンパクトシティとして見事に甦り、海外からの視察が今も後を絶たない。市長が繰り出す様々なアイデアも然ることながら、いつの間にか市長の背中を押しているのは市民たちになっていた。市長は、市役所の職員に「市民の声を聴け」と激を飛ばす。そして、こう付け加えるのだ。「市民の声を聴いて政策に反映させるのはポピュリズムだ。30年後の市民の声を意識してほしい」。次の世代の為に町を育てる。これを“郷土愛”と言うのではないだろうか? 「大阪は東京のようになっても意味がない」――そう諦めた時、大阪が再生する第一歩が始まるのではないだろうか。


藤吉雅春(ふじよし・まさはる) 『Forbes JAPAN』副編集長。1968年、佐賀県生まれ。劇団員・テレビ番組制作等から、『FRIDAY』『Views』『週刊文春』記者を経てノンフィクションライターに。昨年より現職。共著として『日本最悪のシナリオ 9つの死角』(日本再建イニシアティブ)等。近著に『福井モデル 未来は地方から始まる』(文藝春秋)。


キャプチャ  2015年6月号掲載


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