【私のルールブック】(07) 故・相米慎二監督からの影響を振り返ってみる

突然ですが、私は今年で芸能生活45年になります。まあ、45年って言ってもね、子役時代なんて芸歴に数えていいものなのかどうかって話もありますが……とはいえ、45年も同じ道を歩んできたおかげで、“忘れられない人々”に出会うことができたのは事実。今と違って、昔は強烈な先輩方が多かったですから。個性が許された時代。オンリーワンな部分を持っていないと生き残れない時代だったのかもしれません。で、真っ先に思い浮かぶのが相米慎二監督。残念ながら若くしてお亡くなりになってしまいましたが、子役という職業から足を洗うことしか考えていなかった私は、相米監督に出会っていなかったら確実に辞めていたと思います。

何が凄いって、私が監督に出会ったのは14歳の頃。まだ子役に毛が生えた程度の小童です。でもね、全然子供扱いしないんですよ。先ず、監督に指示されたのが「脚本を直せ」でした。14歳ですよ、14歳。14歳のガキに「脚本直せ」ってね、「どういう神経してんだ」って腰を抜かしそうになりましたが、監督の命令は絶対ですから、見様見真似で直しを入れた次第。で、今度はクランクイン前に呼び出されて連れて行かれたのがストリップ小屋です。この話、テレビだとカットされちゃうんですが、新宿のストリップ小屋に連れて行かれ、「踊り子さんのショーを観ろ」と。「目を背けるな」と。思春期真っ盛りの私はドギマギを通り越して、踊り子さんではなくお客さんであるおじさんたちの後頭部にピントを合わせていたことを鮮明に覚えております。で、お次はショーパブでした。席に着くなり、一般のお客さんが観てる前で即興で『シブがき隊』を振り付きで歌わされる羽目に。もうね、兎に角やることなすこと常識から掛け離れた監督でして。当然、14歳の私に監督の意図が伝わる筈もなく……ところが、愈々クランクインして撮影を重ねていく内に、何とな~く監督が「役者って商売は、恥を掻いてなんぼなんだ」「恥を掻くことを恐れるな」って言いたかったのかなって。相米監督の凄さは、ガキであろうと大人であろうと、有名だろうが無名であろうが、徹底的に構ってくれるところ。監督は長回し(1シーン1カットが基本)で有名でしたが、フィルムが回るのは酷い時で夕方近くになります。それまで納得がいくまでテストを繰り返し、ダメ出しは△と×のみ。△を貰うと漸くフィルムが回り始める。因みに、○はありません。




でも、今思えば「あんな幸せな現場はなかったな~」と。そりゃあ、無制限にテストを繰り返す訳ですから時間はかかります。けど、我々役者の立場からすれば、それだけ見てくれているってことなんです。相米監督の“徹底的に構う”は、細かいところまで見続けるということ。そして、決して見捨てることはない。時間をかけて見続けることに依って、私を育ててくださった相米監督。影響を受けない訳がないですよね。私が映画を監督する際、舞台を演出する時、子役スクールの子たちとの向き合い方等々……監督から教えて戴いたモノがベースになっていることは間違いありません。とはいえ、中々相米監督の域にはね。でも、「監督の背中を追い続けることが、少なからず恩返しにもなるのかな」と。


坂上忍(さかがみ・しのぶ) 俳優・タレント。1967年、東京都生まれ。テレビ出演多数。子役養成に舞台の脚本・演出等、多方面で活躍中。


キャプチャ  2015年6月25日号掲載


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