【教育格差の正体】(04) 親の学歴差が生み出す教育機会の不平等――教育を巡る“学歴差”“教育機会の不平等”という2つの格差、格差解消よりも“バルブの調整”を

家が貧しくて、十分な教育を受けられない子供が増えている――。親の世帯と子育ての関係は、こうした経済力の観点から兎角話題にされる。その実態は確かに深刻だ。けれども、この問題にきちんと向き合おうとする時、不用意に“教育格差”という言葉を使うのは如何なものかと思う。表層の実態に目を奪われるあまり、背後にある解決の難しい構造を見落とすことになりかねないからだ。人の子の親としては、“教育”は気にかかるキーワードである。“格差”も先頃のピケティブームを振り返ればわかる通り、兎角日本人の関心を呼び易い言葉だ。それ故に、その2つを“教育+格差”と重ねれば世間的な注目を集めるのは必然だ。そして、今の日本で格差や貧困を語る時、先ず“財布の中身”が考えられる。各種報道では、“格差問題=所得の多寡”と自明視するものをよく見かける。私が気がかりに思うのは、こうした拝金主義的な俗流解釈の在り様だ。他社会では、そこには民族・移民・宗教・地域というような解決の難しい社会構造が見出されるのが常道だ。少し前の日本を顧みても、社会的地位の上下差は“階級”なり“総中流”なりという、社会の仕組みや形に注目した“真っ当な”言葉で論じられていた。不平等をモノの消費行動と同列に扱うことの浅薄さを、今一度省みてほしい。この先で見る通り、世代を超えた不平等の連鎖は複数の力学の交錯の結果として生じている。学校とお金はその“主役”ではあるが、“登場人物”はそれだけではない。そこには、学齢期の親子の切実な学歴志向が関わっている。更に広い視野で見渡すと、“ゲーム”のルールを決めている高等教育政策・学卒後の若者たちを受け入れる労働市場・階級や文化資本の働き・大都市と地方の地域格差等の社会環境もある。それ故に、ただ学費を無償にすればあらゆる高校3年生が嬉々として大学 に進学し、それがどの家庭にも幸せを齎すのかと言えば、事はそう簡単ではない。“教育格差”と呼ばれている構造は一筋縄では解消できず、善悪の判断さえも難しい絡み合いの中にある。

経済力と学校教育の間には、2つの関係がある。“親の経済力→学校教育”と“学校教育→本人の経済力”だ。“教育格差”という言葉が前者を指すのに対し、後者は“学歴差”というように呼ばれる。この2つは、子供として学歴を得て社会に出て、軈て親として次世代の進学を考える……というように連鎖して、階層再生産の骨組みとなっている。先ず、“学歴差”の基幹である大卒学歴の現状を見ておこう。今の18歳の短大・4年制大学の進学率は凡そ54%だ。対して、60歳前後の人たちの進学率は凡そ33%ほどであったので、今の日本の現役世代の凡そ4割が短大・4年制大学卒であって、そこに緩やかな年齢に依る傾斜があることがわかる。このように、人口が大卒/非大卒に粗二分されている現状を、私は“学歴分断社会”と呼んでいる。この比率を頭に入れつつ、“学歴差”を考えよう。大学に進学すれば賃金や雇用においてメリットが得られるが、獲得した学歴に依るチャンスや結果の異なりについて是正を求める人は、極端な平等主義者を例外とすれば殆どいない。学歴に依る人生の“歩幅”の違いは、半ば公認されているのだ。だから、近代学校制度が機能している限り、学歴は正々堂々と大人の人生に格差を齎し続ける。この意味では、格差社会は解消する筈などない。「では、学歴と経済力の結びつきをもう少し弱めればよいのではないか?」となる。そこで現状を見ると、大学・大学院卒層の賃金は高卒層の1.68倍である。OECD加盟国の平均が1.64倍なので、収益性で見ると日本の学歴社会は標準的な水準にあると言える(OECD『Education at a Glance 2010』より)。但し、日本では大卒学歴を得る為のコストが他国と比べてかなり高い。北欧や西欧では、高等教育の私的負担割合は総額の2割ほどなのに対し、日本では粗3分の2を親の支出・アルバイト・奨学金等に依って賄う必要がある。しかも、大学入学を目指す受験競争は“助走”が長く費用もかかる。抑々、大卒層の賃金が高卒層の1.68倍だというのは平均値である。“Fランク”等と呼ばれる評価が低い大学を出た場合は、メリットはもっと小さい。だが、そうした(私立)大学の場合でも、学費は他大学と同水準に高い。これらを考えると、教育投資から得られる見返りは寧ろ割に合わないほど少ないと見ることができる。




扨て、本稿の主眼は所謂“教育格差”を正しく語ることにある。親世帯の経済力と大学進学の関係は、社会学で『IEO(Inequality of Educational Opportunity=教育機会の不平等)』と呼ばれる世代間移動の結節点にある。このIEOに作用する要因として経済力以前に考えられるのは、親の職業的地位である。どこの社会でも上層であるほど大学進学率が高く、人生が有利になるという不平等構造が克服の難しい課題とされているのだ。その隠れた動因と目されてきたものに、『文化的再生産メカニズム』がある。これは、上層家庭には学業や試験に有利に働く文化資本(親の教養やリテラシー)が豊富にあり、それらが有形無形の経路で子供に受け渡されるが、下層ではそうした家庭内の文化資本に乏しい為、子供たちは学校で高い学力を発揮できず、大学進学率が低くなりがちだという傾向を指す。他方、近年注目されているもう1つの見方は、『相対リスク回避』と言われる理論だ。人は一般に、我が子が自分の地位を下回るのを避けたがる。すると、上層を起点とする親子は学力に関わらず高学歴を望むが、下層を起点とする親子では、学業があまりできない場合に無理して進学させようとは考えない。ここで、“学歴分断社会”日本の実情に合うように力点を移すとこうなる。大卒層の親は子供の大学進学を強く望むが、非大卒層の親は大学進学動機が弱い。その為、親学歴の高さが子供の学力や親の経済力とは別個に、大学進学行動を大きく左右することになる(『学歴下降回避メカニズム』)。これらの理論や研究は、いくら経済格差を均したり学費を下げたりしても、其々の親子の立ち位置に応じた自由な教育戦略や意思決定に任せる限り、“教育格差”は必然的に生じることを指摘している。

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ところで今、進学希望者総数に対する大学の募集定員総数は90%を超え、“大学全入時代”が迫っていると言われる。この現象については、少子化や大学の過剰供給が兎角話題となりがちだが、翻って考えるならば、抑々進学希望者数が同年人口の半数程度で頭打ちになっていることが隠れた要因だと気付く。全ての子育て世帯が大学進学を望んでいる訳ではなく、進学について冷めた考えを持つ層が半数前後いるということだ。しかも、それは社会の下層に偏っている。教育社会学者の苅谷剛彦は、15年程前から学校教育に対する構えに家庭毎の違いが出始めたことを指摘する。上層出身の子女が高学歴を、下層出身の子女が低学歴を得るこの階層再生産傾向は“意欲格差(インセンティブディバイド)”と呼ばれている。親世代(成人)の高学歴志向に注目して、その実態を確認しよう。図1は、「子供にはできるだけ高い学歴をつけさせたほうがよい」という意見に対する賛否を尋ねた結果である。学歴毎に分けたグラフには、賛否傾向の明確な異なりが見られる。即ち、短大・大学・大学院卒では粗7割が“高い学歴”を望むのに対し、高卒・専門学校卒ではそうした志向を持つ層は6割に満たず、中卒層では凡そ35%に留まる。回帰分析に依って、現職が専門職や管理職であるかどうか、世帯収入が高いかどうかということを勘案しても、学歴毎の高学歴志向の温度差はこれらの影響を大きく受けず、しかもこれらよりも遥かに強い直接的な結び付きを示す。よって、「親が子供を大学に行かせたいと望むのは当たり前だ」という“教育格差”の大前提は、大卒層特有の発想に基づいていることが示唆される。図2は、20~30代の若年成人について、実際の学歴の世代間継承傾向を見たものである。ここからは、両親が非大卒で本人も大学進学しなかった高卒再生産層が、全体の37.1%を占めることがわかる。この“主流派”の全てが、経済的事情に依って進学の自由を奪われた人々かどうか、冷静且つ慎重に考えるべきだ。

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家庭毎に異なる進学希望の成り行きを集積すると、そこには極めて深刻な“教育格差”が立ち現れる。その仕組みはこうだ。図3は、人生の経過に沿って大学・大学院卒層と高卒層の賃金(月収)の格差を見たグラフである。30代半ばまでは、学歴に依る賃金格差は大きくはない。しかし、日本の大卒学歴の効用は人生後半になると急速に顕著になる。月収の“学歴差”が最も顕著になるのは50代前半で、何と男性では18万3000円、女性では17万6000円の開きが生じる。そして、これは子供たちの大学学費がかかるステージと丁度重なることになる。更に、世帯の豊かさを考える時には、学歴と配偶者選択の関係にも目を配る必要がある。現代日本では、同じ学歴水準の男女が結婚する“学歴同類婚”傾向が極めて強い。2010年のデータを分析してみたところ、学歴同婚のカップルは実に全夫婦の7割近くを占める(学歴が異なる夫婦は全体の31.5%)。この数字を使うと、45~49歳(つまり、学齢期後半の子を持つ世代)について次のように試算できる。高卒母子家庭ならば月収は21万6000円、高卒同類婚共働きならば月収は54万1000円。ところが、元々高学歴志向が強い大卒同類婚共働きでは何と月収88万5000円だ。このように、“教育格差”と言われる現象について元を辿っていくと、社会意識や婚姻行動まで含めた、広い意味での親の学歴分断傾向が主因として浮上してくる。社会学者の竹内洋は、「労働市場で発揮される学歴の機能的価値とは別に、学歴には直接の実効性を持たない象徴的価値がある」として、「後者の存在の大きさこそが日本型学歴社会の特性だ」と見る。大卒世帯に経済力があるのは機能的価値の作用だが、文化的再生産や学歴下降回避や学歴同類婚は、学歴の象徴的価値の働きに依る。

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留意すべきは、子供の大学進学というイベントが、この2つの経路が丁度合流する地点で発生するということである。この経路の輻輳の為に不利益層を底上げする政策だけでは、IEO構造は解消しないのだ。直感的には、学費負担を減らして進学の門戸を広げ、誰もが大学進学できるようにしさえすればそれでよいようにも思える。だが、仮に大卒労働力が8割以上というような比率になると、製造業等の国内産業は立ち行かなくなる。それに、上層ホワイトカラーの仕事が新卒者の数だけ用意できなければ、既に熾烈を極めている就職活動はより一層混乱するだろう。或いは、進学率の地域格差の解消を目指せば、地方で地道に生活している高卒夫婦の子供を、闇雲に大都市部へと向かわせる流れが生まれる可能性がある。これでは、逆に地方再生の芽を摘むことになりかねない。親たちの子育ての自由を確保することについても難しさがある。学歴分断社会にあっては、豊かな大卒夫婦で子供が2人いる場合に、望み通りに2人とも大学に進学させると、そのことが社会の平等を妨げる面を併せ持つことになるのだ。また、“学歴差”のほうを平準化すれば、折角高い学費を払って得た大卒学歴が経済的な見返りを齎さなくなり、不条理だ。況してや、同じ学歴の男女が結ばれる自由は誰にも侵害できない。学歴を巡る“社会の心”の力学に抗うような政策は、あらゆる人々の幸福を導く訳ではない。学歴社会日本のゴッドファーザーである福沢論吉は、自著『学問のすゝめ』で自由な学歴競争と機会の平等を説いた。しかし、彼が理想を掲げて創立した慶應義塾は、今日では首都圏の上層エリート子女の再生産経路として知られるようになっている。「平等且つ自由な大学進学機会を」というのは、抑々解けないパズルなのだ。“学歴差”が生み出す格差を認めつつ、“教育格差”を解消する手立ては無い。先ずは、この難しい実情を誰もが理解した上で、慎重に自由と平等のバルブの調整をすることが重要だ。

※SSP-I2010調査データの使用に当たっては、SSPプロジェクトの許可を得た。


吉川徹(きっかわ・とおる) 社会学者・大阪大学人間科学研究科教授。1966年、島根県生まれ。大阪大学大学院人間科学研究科博士課程修了。専攻は計量社会学。著書に『学歴分断社会』(ちくま新書)・『現代日本の“社会の心”』(有斐閣)等。


キャプチャ  2015年6月号掲載


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テーマ : 教育問題について考える
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