現職自衛官の最新レポート、アメリカ海軍大学の“白熱講義”――日本海海戦を勝利に導いた“兵棋演習”は今も最も重要な課程として続けられている

「ジェントルマン、これはどこかでやったことがあるぞ」。これは太平洋戦争中、アメリカ太平洋艦隊司令官のニミッツ提督が発した言葉である。ニミッツは戦後、「戦争はアメリカ海軍大学における兵棋演習の結果通りに進行したが、カミカゼだけは夢想だにしていなかった」とも語っている。アメリカ海軍大学は、ニューヨークから車で3時間ほど北東のロードアイランド州ニューポートに位置し、1884年に設立されている。設立当時には教科書も無かった為、初代校長のステファン・B・ルース提督が7隻にも及ぶ艦長経験に基づく多くの著作を書きながら自ら講義を行う一方、アルフレッド・T・マハン大佐を主任教官として採用している。マハンは、1890年発表の『海上権力史論(The Influence of Sea Power Upon History, 1660-1783)』に依り一躍世界に名を馳せた名提督で、生涯を通じて20冊の著書と何百もの著作を残している。そのマハンとルースが重視したのが兵棋演習である。アメリカ海軍大学設立の僅か3年後の1887年に、兵棋演習は開始されている。先陣に立ったのがマッカーティー・リトル大尉であり、その後30年間に亘って兵棋演習の発展に貢献し、今やアメリカ海軍大学は世界に展開するアメリカ海軍の兵棋演習の総本山としての確たる地位を築いている。

海上自衛官として兵棋演習を語る時、秋山真之に触れない訳にはいかない。日露戦争における日本海海戦を勝利に導いた名参謀である秋山は、日清戦争終了間もない1897年にアメリカへの留学の機会を得て、マハン大佐に師事している。秋山はアメリカへの留学に先立ち、その心境を次のように語っている。「外国から学ぶだけではなく、それを突破して、外国のエッセンスを自主的に使い熟せるところへまで、抜け出さなければ」。強き志を秘めた秋山は当初、アメリカ海軍大学における就学を希望したが、残念ながら入学は叶わなかった。当時、主に秘密事項に関する問題の為に、アメリカ海軍大学においては外国学生の課程への参加はまだ認められてはいなかったのである。しかし、これに怯むことなく秋山は、ワシントンD.C.の日本公使館に勤務しつつ、ニューヨーク在住のマハンに直接教えを請うことにしたのである。秋山は直にマハンと話を交わすことに依って、戦いの原則が不変であることや、兵棋演習が如何に重要であるかを直接肌で感じとることとなる。秋山はアメリカから帰国後、日本にこの兵棋演習を導入した。それが日本海海戦の勝利に繋がる。一方で、実は秋山がアメリカに留学した1897年は、対日戦争計画である『オレンジ計画』がアメリカ海軍大学において検討され始めた年でもあった。1897年6月に『スペインと日本に対する戦争』と題する戦争計画に関する研究がアメリカ海軍大学で開始されたが、これが日本に対する初めての戦争計画である。アメリカは日本に対する『オレンジ計画』の他にも、仮想敵国を色で表した幾つかの『カラープラン』と言われる戦争計画を持っていた。例えば、赤はイギリスを、黒はドイツを意味していた。兵棋演習が開始された当初の最大の潜在的仮想敵国はドイツであったが、日露戦争前後を境に、日本に対する警戒心が強まっていく。記録では、1904年の日露戦争前の1902年時点では、日本はまだアメリカの友好国として扱われている。しかし、戦後の1919年には『オレンジ計画』の原型が初めて纏められ、1924年9月に正式な計画として採択されている。そしてアメリカは、太平洋戦争をこの『オレンジ計画』に概ね沿って遂行していくこととなる。




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『オレンジ計画』の要点は、海と空からの攻撃に依り海上輸送路を支配し、海上封鎖に依り日本を孤立させることにあった。日本が日露戦争と同様に敵主力の撃滅を考えていたこととは対照的である。『オレンジ計画』は、慎重派と突進派の対立した議論に依って数度の改定を経ているが、基本的な考え方は変わっていない。具体的には3つの段階からなっている。第1段階は、日本が西太平洋におけるアメリカの海外領土を速やかに侵略してゆき、アメリカはこれを阻止できない。第2段階は、アメリカは全海上及び航空戦力を以て補給路を確保しながら西進し、前進基地を開設しつつ日本の海上輸送路を遮断する。そして第3段階は、アメリカは島嶼伝いに北上しながら日本に接近し、海上封鎖しつつ日本への爆撃を加えるというものである。マハン以来、アメリカはこのような新たな戦争計画を策定する際に、徹底した兵棋演習を実施することがその伝統となっている。兵棋演習は極めて自由な雰囲気の中で行われ、慎重派と突進派のように相反する発想や意見が特に尊重されるのが特徴である。兵棋とは、所謂“将棋のコマ”である。戦艦や巡洋艦といった艦船を大小様々な大きさのコマに作り、其々に攻撃・防御・運動・通信等の能力が決定されている。演習者はそのコマを使って敵・味方に分かれ、海図上や床面一杯を使って其々の作戦を具体的に実施していき、検討を加えるものである。そして、第三者である審判官が勝敗を決定するが、それに基づいて、戦争計画の検討を更に深めるというものである。例えば、過去の戦史をヒントに、実際に生起した問題や生起し得る問題を想定として付与し、どのような措置を採るかを研究・分析させる。それは、平時から戦時に至る様々なケースを網羅するものであり、国際法等の知識も最大限活用することが求められる。アメリカ海軍大学には、日清戦争に関係する兵棋演習と思われる絵が残っている。詳細な資料は残っていないものの、絵を見る限り中国人らしい者が描かれ、オブザーバーとして参加していたようである。また、ルースホールの隣に建てられたプリングルホールにおいては、ニミッツも参加した『オレンジ計画』を検証する為の対日兵棋演習が実施されている。

そして、終戦後70年を経た現在も、アメリカ海軍大学においては、最新の安全保障環境を踏まえた兵棋演習が実施されている。兵棋演習の意義は課題や問題点を抽出することであり、その為にはあらゆる想定を網羅する必要がある。敵の兵力を分析し、情勢を把握し、全力を挙げて敵より優位を保つ。そして、ニミッツが「これはどこかでやったことがあるぞ」と言った通り、何よりも兵棋演習を実施した経験が大きいのである。積み重ねられた豊富な兵棋演習の経験は、実戦の場において大きな自信と余裕を生む。兵器の進歩に応じて、作戦の態様も変わるのは当然である。しかし、時代が変わっても戦いの原則は不変である。従って、アメリカ海軍大学は“教える”と言う立場を取らない。白熱した議論を通じて、ただ共に学ぶだけである。「今、力を行使する最大の秘訣は、敵そのものにある。敵は我らの失敗を利用し、将来の計画を台無しにしようと常に考え、我らを地の底へ陥れようと隣の部屋で必死に待っている」。これは、前述のマッカーティー・リトルの言葉である。現在、彼の名を冠したマッカーティー・リトルホールにおいて、年間50回もの兵棋演習が実施されている。アメリカ海軍大学で行われている最新の兵棋演習の実態は、具体的にはアメリカ海軍と海兵隊の協同演習や、アメリカ海軍等が現在採用している『21世紀シー・パワーの為の協調的戦略』の検証演習・核抑止・大量破壊兵器や弾道ミサイル等の拡散防止演習等様々であり、その参加者も陸海空軍・海兵隊・沿岸警備隊・政府関係者や友好国等、実に多岐に亘っている。

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アメリカ防総省が2014年3月に発表した『4年毎の国防計画の見直し(QDR2014)』の中で、今後重要視していく分野として列挙されているのが、①サイバー②ミサイル防衛③核抑止④宇宙⑤海空⑥精密攻撃⑦情報・監視・偵察(ISR)⑧対テロ・特殊作戦の8分野である。この8分野は、一層厳しさを増す現在の安全保障環境を踏まえて、アメリカ統合軍が陸・海・空・宇宙・サイバー空間といった作戦領域間の相乗効果を発揮していく為に必須の分野と判断されている。これらの作戦領域間の相乗効果を将来に亘って発揮していく為にも、やはり兵棋演習が活発に実施されている。2014年9月、アメリカ海軍大学において実施された『グローバルウォーゲーム2014』もその1つである。これは、将来の作戦構想やそれに必要な能力を検する為に、毎年他の軍種も交えてアメリカ海軍作戦部長が主宰する兵棋演習である。アメリカを始めとした複数国の関係者等が集い、複雑な接近阻止・領域拒否(A2/AD)を採用する相手に対して、主として海上及び航空戦力を以て対抗する『エアシーバトル構想』の検証を行った。アメリカ海軍大学の正門を入って道なりに進むと、程なく小高い岡の上に、ネイビーブルーの屋根が鮮やかなモダンな佇まいが見えてくる。それが、最新の兵棋演習装置を備えたマッカーティー・リトルホールである。アメリカ海軍は24時間休むこと無く世界中に展開しているが、入り口前に聳える一際高いポール上に24時間星条旗が翻っていることが、それを象徴しているかのようである。兵棋演習には、1日で完結するものから数日から数年かけて実施するものまで実に様々な形態があるが、『グローバルウォーゲーム2014』は準備と実施と研究会を含めて約1週間に亘って実施された。

参加者の主力は勿論、アメリカ海軍の将校たちである。朝8時には片手にコーヒーやら水を携えつつ、三々五々に集まってくる。白の制服を着た者、“サマーカーキー”と呼ばれる略式の制服を着た者、ブルーに迷彩された戦闘服に身を包んだ者、その出立も実に多彩だ。彼らの他に、陸軍や空軍・海兵隊、そして様々な国から高級及び中堅将校が集い、まさに統合を象徴するかのような色取り取りの80余名が参加した。マッカーティー・リトルホールに入り、厳重なセキュリティが施された大きな透明の回転ドアを潜ると、そこには大きな講堂を中心に小さな“ゲームセル”と呼ばれる小部屋が犇めいている。彼らは指定された配置につく為に、其々のゲームセルへと向かう。ゲームセルも大小様々な部屋があり、そこには数十台のコンピューターが設置され、各人はそのコンピューター画面を通じて、命令や指示の授受・運動や攻撃といったアクションを実施する。まさにコンピューターゲームの世界である。また、各ゲームセルには最新の大型スクリーンコンピューターも設置され、演習者が一目で全体像を把握できるようになっている。兵棋演習中、講堂では全ての状況をモニターしながら兵棋演習全体を統制し、様々な状況を次から次へと付与していく。ここでは、同時に400台以上のコンピューターを使用することが可能であり、実に様々なシナリオを設定することができるのである。例えば、「架空の島嶼に敵の部隊が上陸・占拠を目的として接近してくるのを、友軍の部隊に依って阻止する」といった、演習者が事前に付与された想定と艦艇や航空機等の配備を再確認したところで、“動(Move)”と言われる兵棋演習の開始が宣言される。“動”の開始と共に次々と新たな状況が付与され、演習者はそれに応じて様々な処置や判断をしなければならない。それまで静けさを保っていたゲームセル内は一転、まさに戦場と化す忙しさとなる。コンピューター画面に齧りつきながらの真剣なやり取りはまさに真剣勝負で、数時間にも及ぶ演習時間の長さを微塵も感じる暇はない。

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このようにハイテク化された兵棋演習ではあるが、そのやり方は1887年に兵棋演習が開始された当時と基本的には同じである。当時のコマがコンピューター上のシンボルに変わり、海図がコンピューター上に映し出される電子チャートやピクチャーとなり、3m程もある棒を使って人がコマを進めていたのが、コンピューターが自動的に動かすようになったのである。それも、時間を早送りしたり遅くしたり止めたり、自由自在の選択が可能である。そして、第三者の熟練した審判官に依る難しい判定が、長い経験と実績に基づく多くのパラメーターが入力されたコンピューターに依る冷徹な判定へと変わっただけである。大きく変わったことは、それまで兵棋演習の弊害とされてきた、恣意的な感情の入る隙が一切許されなくなったことであろう。実に現代的で理性的な兵棋演習、それが現在行われているウォーゲームなのである。数日に亘る“動”の後、参加者総員が一堂に会して研究会が実施された。これまで積み重ねてきた兵棋演習の成果と教訓を基に、主として“接近阻止・領域拒否(A2/AD)”の環境下における指揮・統制要領について検討を加え、将来に向けた新たな作戦要領について検証した。今回得た問題点を踏まえた将来の指揮・統制要領としては、同盟国や各軍種から任務に応じて編成される連合統合任務部隊の在り方や、情報・継戦能力・作戦領域間の調整要領等が主な論点となった。そこでは、“努力の集中”“柔軟性”“単純性”“弾力性”“作戦的統合”“作戦領域間の相乗効果”といった6つの判断基準を設定し、指揮・統制要領の強点や弱点について洗い出しを徹底して行った。そして、そこで再確認されたのが同盟国の重要性の高まりなのである。

この『グローバルウォーゲーム』は、予想外に厳しい条件下で実施された。『エアシーバトル構想』の将来は、相手となる“接近阻止・領域拒否(A2/AD)”戦略が不透明が故に不透明ではあるが、新たな指揮・統制要領と新たな作戦要領は、これまでの戦略的発想を大きく変えるものとなることが予想される。新たな作戦には、新たな考えが必要である。「機械が進歩すれば、それに応じて機械を活用する技術も進歩する。進歩せねば駄目である。昔ながらの古いやり方を、そのまま守り続けるのは馬鹿である」という、初代校長・ルース提督の言葉が蘇る。これからの不透明な将来には、これまで以上に個々のより高い知的能力が求められているのであり、学び続けなければならないのである。そして国際社会、とりわけアジア太平洋地域において安全保障を考えていく上で、強固な日米同盟の下で日本の役割は益々大きくなってきており、多くの期待がかけられているのもまた事実である。そこでは、秋山のアメリカ留学当時にあったような日米の太い絆が、今も生きているのである。「人間にとって、海軍にとって、そして国家にとって最も重要なのは、友である」。これは、アメリカ海軍大学に国際コースの設置を推進したアーレイ・アルバート・バーク提督の言葉である。アメリカ海軍大学は1956年から外国学生の受け入れを開始し、これまで134ヵ国・約4500名の学生が修業している。太平洋戦争中、駆逐艦で南太平洋戦域を高速で暴れ回ったことに依り、“31ノット・バーク”で知られるバーク提督が、戦前のアメリカ海軍大学における教育において、日本やドイツ・イタリアといった国々と共に学ばなかったことを反省して、国際コースの設置を推進したのである。日本からの初めての学生は、後に自衛艦隊司令官を務める北村謙一であり、初代学生長に任ぜられている。日本はそれ以降も継続して学生を派遣している数少ない国の1つであり、日米の絆は深い。私は、アメリカ海軍大学開校以来初の連絡官兼インターナショナルフェローとして2013年からここで勤務し、日本にとって必要な戦略研究を進めながら、世界中から集まったその学生たちに対して、統合作戦等について教鞭を執っている。

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最後に、秋山とマハンについてもう少し触れたい。秋山は、『戊辰戦争』真っ只中の1868(慶応4)年に松山藩に生まれている。奇しくもこの年、マハンは来日している。15代将軍の徳川慶喜が『鳥羽・伏見の戦い』から江戸へ逃亡する際、大坂湾で停泊していたアメリカ海軍軍艦『イロコイ号』に一時乗艦していたことが知られているが、マハンはその副長を務めていたのである。秋山はまさに日本が近代国家へと生まれ変わる時に生を得、その同じ時に、マハンは生まれたての新生近代国家・日本を直に見ていたのである。秋山は1890年、海軍兵学校を17期生の首席として卒業した後、日清戦争では通報艦『筑紫』に乗艦し、その後幾つかの艦船勤務を経て、海外派遣留学生の1人に選出される。そして1897年8月、秋山はアメリカに渡り、到着するや否やマハンに直接教えを請う為に、ニューヨークの自宅に赴いている。マハンは、最新の海軍戦略を学ぼうとする秋山の強い志と、直接教えを請いに来た行動力に心を動かされ、エレン夫人と共に秋山を歓待している。日清戦争の黄海海戦に対する評価や教訓について意見を交わす等した後、マハンは秋山に対し、自分自身の力で学ぶことの重要性を論している。秋山が希望していたアメリカ海軍大学の課程についても、「講義については僅か半年程しかない為、それだけの学問では不十分である」として、具体的な学び方を指南している。

その第1が、良書に接することである。マハンは秋山に文献リストを与えると共に、現在『アイゼンハワー行政府ビル』として知られている、ワシントンD.C.の中央部に位置していた海軍省の図書館を使用できるように便宜を図っている。マハンは秋山に対して、彼が薦める良書を通じて、自ら戦いの原則を明らかにしていくことの重要性を教えたのであった。その第2は、過去の戦史を学ぶことである。その戦史には今も昔も無く、且つ陸上や海上に拘ること無く、実際の例を学び取ることに依って、そこから勝敗の原因を明らかにすることの重要性を教えている。そしてこれが、過去の事例と将来の予想を交えて行われる兵棋演習の重要性に通じるのである。秋山はマハンの教えを愚直に守り、連日膨大な書籍の読了に努めたが、それでもアメリカ海軍大学における就学を諦めきれず、ワシントンにいるセオドア・ルーズベルト海軍次官補(日露戦争時のアメリカ大統領)に対して、次のように要求をしている。「私はここに海軍戦略と戦術・国際法を学びにきたが、アメリカ海軍大学が最高の場所と考えている。アメリカ海軍大学における、秘に当たらない講義への参加を認めてほしい」。残念ながら、この秋山の強い要求も叶えられなかった。しかしながら、秋山は日本公使館が所蔵していたアメリカ海軍大学の古い講義資料の一部を何とか見つけ出すことに成功し、彼の海軍戦略を極める強い志は更に高まることとなるのである。そして1899年5月、秋山の強い志が通じたのか、漸くアメリカ海軍大学における短期課程の聴講が可能となり、当時のストックトン校長に依る戦争準備や沿岸防備・軍事作戦の講義に参加している。秋山はアメリカにおける就学中に、「自分が1日怠れば、日本が1日遅れる」との言葉を残している。

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今年、2015年は太平洋戦争終戦70周年であると共に、日露戦争終戦110周年でもある。日本にとって、太平洋戦争が国家としての存亡が危ぶまれた“忍従の時”であったならば、日露戦争は“坂の上の雲”へと突き進む限り無き“挑戦の時”であったと言えよう。国の安全保障も経済も見通しが定かでなくなってきている今日、希望を失わずに只管近代国家へと突き進んだ強き明治の志を、今一度振起させる意義がこれまでになく高まっている。将来を予測することが困難となってきている今日、様々なシナリオを検討する兵棋演習の重要性も一層高まっている。しかし、その一方でマハンが説くように、変わらない戦いの原則がまたあることも決して忘れてはならないことである。“忍従の時”と“挑戦の時”の節目の年である今にも通じる、忘れてはならない歴史的教訓とは、困難な状況下にあっても挑戦し続ける“強き志”、即ち“坂の上の雲”の精神とも言えるものの大切さである。秋山とマハンがそうであったように、“強き志”が時代を越え、国を越えて“新たな絆”を生み出し、希望の道を切り拓いていくのである。 (海上自衛隊1等海佐・アメリカ海軍大学連絡官兼インターナショナルフェロー 下平拓哉)


キャプチャ  2015年6月号掲載


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テーマ : 軍事・安全保障・国防・戦争
ジャンル : 政治・経済

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