【特派員レポート】 日中韓記者交流に参加して

「韓国や中国のニュースが新聞に載らない日は殆ど無い」と言っても過言ではないだろう。最近では、『明治日本の産業革命遺産』の世界文化遺産への登録を巡り、日韓の調整が難航した末、何とか登録に漕ぎ着けたことが大きく報じられた。日中間でも、懸案が目白押しだ。今年は戦後70年という敏感な年だ。日中韓の記事が増えることはあっても、減ることはないだろう。そんな今年、4月15日から24日まで日中韓3ヵ国の記者12人(各国4人)が一緒に東京・北京・ソウルを訪ねる『日中韓記者交流』のプログラムがあり、私も日本側の一員として参加した。日中韓の政府が共同設立した『日中韓三国協力事務局』(本部・ソウル)が主催。3ヵ国の外交当局者や元政府高官らと面会した他、各国の大学で教員や学生等とメディアの役割等について話し合った。プログラムの内容や、参加した感想を紹介したい。

先ず、記者同士の交流の実情について説明したい。他の業界でも同業者との交流があるのと同じように、メディアの世界でも違う新聞社やテレビ局の記者との交流はある。だが、国境を越えるとどうか。国内での取材が長いと、海外メディアの記者との交流は少ない。例外は、日本国外に常駐している特派員だ。特派員は赴任先の国の様々な情報を得る等の目的から、現地の記者と人脈を作る。しかし、私のように国内で長く取材してきた記者はその必要性が乏しく、知り合う機会も多くない。その為、「今回のプログラムは海外の記者の友人が増える好機会だ」と思い、楽しみにしていた。一方、「中国と韓国からどんな記者が来るのだろうか」ということも気になった。事前に貰った名簿に載っていた中国人記者の名前をインターネットで検索してみると、安倍晋三首相の靖国神社参拝や、今夏に発表予定の戦後70年の首相談話に関連して、日本に批判的な記事を書いていた。勿論、「中韓の記者と大いに議論するのは大歓迎だが、冷静な議論ができなくなったら困るな」という不安が頭の片隅にあったのも事実だ。しかし、実際に会ってみると杞憂に終わった。記者の人選は各国が其々したようだが、思っていた以上に多様な人材が集まっていた。日本に対して厳しい論調で知られる中国の新聞記者は紙面同様、プログラムの席上でも「日本メディアの報道が偏向している」と強く批判した。一方、日本には初めて来たという。「秋葉原に行って“日本の文化”を見てみたい」と話す姿とのギャップが印象的だった。一方、「日本の映画や漫画・ドラマが大好きだ」という中国の記者もいた。ドラマを見て日本語を独自に覚えたせいか、公式の場面で「俺もそう思うんだよな」と砕けた日本語で発言して、ちょっと笑ってしまった。本当はその記者は滑らかな英語を話せる。しかし、それを封印して一生懸命日本語を話そうとしている姿に、好印象を持った。




先ず、東京からスタートしたプログラムだが、特に印象的だった光景を紹介したい。東京大で学生たちと対話をした際、神戸国際大学の毛丹青教授の講演があった。毛氏は、中国でヒットしている雑誌『知日』の創刊に関わった。知日は歴史認識・領土問題等には一切触れず、日本文化の紹介に徹している。毛氏は、知日が中国で好評な理由をこのように説明した。「国と国の関係は、2つのレイヤー(層)が存在していると思う。1つは、海に例えると波だ。波が立てば船が危なくなる。それは政治そのものだ。政治という大きな波がいつ襲いかかってくるかわからない。もう1つは海底だ。穏やかで静か、波を立てない。これは文化そのもの、人間の暮らしそのものと考えている。我々が狙ったのは、波ではない。海底に奥深くまで掘り下げて、表現し続けていくことだ。これこそ、中国人に依る中国人の為の日本を表現する雑誌がこれだけ人気が出た、大きな、ただ1つといってもいい理由だ。他には無い」。日中関係を海に例えた毛氏の表現力豊かな言葉は1つひとつが非常に説得力があり、心に染み込む感じがあった。東京でのプログラムを終え、4月18日、一行は北京に到着した。翌日、芸術家たちと対話する機会があった。北京郊外の高級住宅街の一角にあるアトリエを兼ねた建物を訪ねた。ここで印象的だったのが、映画監督兼評論家の江小魚さんの言葉だった。江さんは冒頭、昔、付き合っていた彼女が日本人で、今の奥様は韓国人だと紹介。その日本人の女性とは今も交流があるそうだ。「日韓とは血肉の繋がり、命の交流を続けている」と言って参加者を笑わせた。

最も記憶に残ったのは、軽食タイムに江さんを記者数人で囲んで話した時の様子だ。ある記者が、“表現の自由”が制限されている中国での創作活動の難しさについて質問した。「機微に触れる内容なので、答え難いのでは」と思ったが、江さんはちゃんと答えてくれた。「若し、芸術家が海外に移動したら、自分の声が民衆に届かず、隔靴搔痒となるだろう。本当の芸術家は知恵があるものであり、政府に対抗するよりも和解のほうが大事だ」。表現の自由が制限されている中国に留まれば、思ったことを全て表現できないという困難に直面するが、体制の中から声を上げることが国外から改革を訴えるよりも効果的だという指摘だ。そして、こういう目標も披露した。「日本映画は芸術性に富んでいる。韓国映画は国際化されている。そして、中国映画は市場が大きい。この3ヵ国の映画を融合したい。それができれば、アメリカのハリウッドやインドのボリウッドに続く映画の集積地が東アジアにできる」。壮大な計画だが、政府間の関係が難しい今こそ、映画が“架け橋”として果たす役割は大きい。「構想が実現する為には、わかり易いネーミングが大事だと思う。アジウッドはどうでしょうか」と冗談を言うと、「そこまではまだ考えていなかったよ」と大笑いされた。

21日にソウルに移動した。韓国外務省幹部への表敬訪問やソウル大学の学生等との対話を終え、24日の最終日を迎えた。総括の会議で、中国の新聞記者は「百聞は一見にしかず。日本についてもよく理解できた」と語った。別の中国メディアの記者は、「日中韓の記者が情報を簡単に得られるようにする為、“日中韓記者クラブ”を作ったらどうか」という提案をした。記者クラブとは、中央省庁や自治体内に記者室を設け、記者会見や資料の投げ込みが行われる日本メディア独特の情報伝達システムだ。彼は今回、日本に来て日本の記者クラブの存在を知り、提案したのだった。現実的には本物の記者クラブを作ることは困難なので、インターネット上にサイトを作り、そこにアクセスすれば、3ヵ国の省庁や企業が発表した資料を簡単に入手できるというのが現実的かなと思った。そうすれば、海外の情報をインターネットで検索する際の手間が少なくなりそうだ。いい提案だと受け止めた。また、韓国の新聞記者は、「中国や日本に関する記事を書く際、その背景に何があるのか取材するのはとても大変だが、これからは今回知り合ったメンバー同士で気軽に意見交換できる」と話していた。その通りだと思う。相手国のことは、その問題に詳しい相手国の記者に聞くのが一番だ。勿論、それを鵜呑みにするのは危険だが、記事を書く際の参考になるだろう。ただ、全体としては、学者や学生との対話の時間が短く、議論が深まらないことが稍残念だった。私は、「もう少し、議論する時間を増やしてほしい」と要望した。最後の別れの際、ある中国の新聞記者が大粒の涙を流し、泣き出した。10日間という短い期間だったが、最大の成果は中韓の記者との友情だろう。これをきっかけに今後は友情を深めて、置かれている立場は異なるが、同じ記者として3ヵ国のジャーナリズムの発展に貢献していきたいと思った。


益満雄一郎(ますみつ・ゆういちろう) 1997年入社。名古屋本社経済部等を経て、2005年に東京本社。経済部・社会部・政治部で取材をした他、朝日新聞労働組合専従も。2014年6月から国際報道部員。41歳。


≡朝日新聞 2015年7月11日付掲載≡


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