被害額1億円で刑事告訴へ…安倍首相と悪徳ベンチャー社長、“裏切りの2ショット写真”

安倍晋三首相が看板政策に掲げる『成長戦略』を巡り、怪しげなバイオベンチャー社長が蠢いていたことが発覚した。安倍事務所の番頭格だった元秘書を仲立ちに、安倍氏と会った社長。この時の2ショット写真は、後にベンチャーの資金集めに利用されていった――。

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ここに1枚の写真がある。都内にあるザ・キャピトルホテル東急のレストランの個室で、中年の男性が手持ちの資料を広げ、派手な手振りで、相手に何かを必死に説明している姿を捉えたものだ。男性が向き合っているのは安倍晋三。堅い表情で話に聞き入っている様子がうかがえる。面談の時期は2012年10月で、折しも迷走する民主党政権を打倒すべく、安倍が自民党総裁として政治のメインストリームに返り咲いた直後のことだ。翌月から衆議院の解散・総選挙へとなだれ込み、12月26日に第2次安倍政権が発足するまでの、いわば“助走期間”の出来事だった。「この昼食会で、被災地の福島を救う画期的なプランが1時間以上にわたって披露されたようです。間伐材などの生物資源を燃料にしたバイオマス発電とセシウムの除染が同時に行なえる機械の開発に成功し、早々に設置が可能であるとの見通しが伝えられたのです。売電で十分な収益が得られるため、タダで除染ができ、そのうえ間伐を行なうことで細った森林も再生させることができる。安倍さんも『それはいい』と、この技術には大いに関心を示してくれたそうです」(事情を知る関係者)

しかし、安倍から“お墨付き”を得たと吹聴された、この提案が実現することはついぞなかった。それどころか、面談の際に撮影された写真や録音データが、のちに資金集めや仕事の信用を補強する目的で利用され、トラブルを誘発していくのだ。そこには安倍首相の父親時代からの“負の遺産”とも言える人脈が複雑に絡んでいたのである。




安倍と面談を果たした相手はバイオ企業『トランスキュー・グループ』の創業者・松村昭彦。還暦間近の彼は2008年11月、日系のベンチャー企業で初めてシンガポール証券取引所のメインボードに上場を果たした“ベンチャー界の風雲児”だ。「松村は大学時代から起業精神が旺盛で、巧みな話術を駆使して人を心酔させるカリスマ性のようなものが備わった人物です。彼はバブル期にブラザー販売と組んで美顔器販売会社を設立、一時は売上が100億円に達するほどでしたが、のちに債務超過の責任をとらされ、社長の座を退いた。その後、ソフトバンクから出資を得て、2004年に起業したのが“トランスキュー・テクノロジーズ”という会社でした」(証券関係者)。周囲を驚かせたのはその役員の顔ぶれだった。会長に就任したのは三菱商事元副社長で、三菱系の航空・宇宙・防衛産業のキーマンと呼ばれた相原宏徳。そして取締役には米国の国務長官を務めたアレクサンダー・ヘイグや国務副長官だったリチャード・アーミテージ、監査役にはサムスンジャパンの元社長・李吉鉉らが名を連ねた。

そして株主にもワールドの畑崎広敏社主、大島造船所の南尚会長、アコム創業家の木下3兄弟、旧古河財閥の古河潤之助など錚々たる面々が揃っていた。「会社の舞台装置を整える人脈は、松村よりもむしろ、最高顧問の窪田邦夫に負うところが大きかったと思います。IBMの社長室に勤務していた窪田は当時の椎名武雄社長の秘書役として人脈を広げ、1995年の2信組事件ではイ・アイ・イの高橋治則の最側近として登場、大蔵官僚を始めとする霞ヶ関の“人材紹介所”と呼ばれていました。彼がIBM時代からの知り合いの相原に、『有望な社長がいる』と松村を引き合わせたことが始まりでした」(同前)。当時のトランスキューは、薬物投与を痛みのともなう注射針ではなく、皮膚に張るパッチ状の経皮薬として投与する最新技術の開発を事業の核に据えており、その理念に賛同した相原氏が自らの米国人脈などを紹介。ここから会社は国内の株式上場に向けて大きく舵を切って行ったのだ。2005年10月1日、トランスキューは都内のホテルで設立パーティーを開催した。出席者の1人が語る。「窪田は安倍の父・晋太郎の時代から安倍家とは付き合いがあったようで、小泉内閣で官房長官になる直前の晋三も姿を見せていました。当日は風邪を引いていたアーミテージが無理を押して登壇し、『米国としても松村をサポートしたい』と太鼓判を押したことで、参加者も上場に向けて順調に進んでいるとの印象を持ったと思います」

その後、相原が2006年に発足した第1次安倍政権で、日本版NSC設立を目指した有識者会議の有力メンバーに選ばれるなど、トランスキュー人脈と安倍はさらに関係を深めて行く。「2007年春にトランスキューの株主であり、重要な支援者でもある韓国・東亜製薬の姜信浩会長が旭日大綬章を受章しています。これについて窪田は、安倍首相の元政策秘書・飯塚洋に依頼し、安倍首相に働きかけたことで実現したと豪語していました。飯塚は成蹊大学で安倍の後輩にあたり、父・晋太郎氏の秘書から約30年にわたって安倍家に仕えた番頭格。窪田は飯塚を立て、直接連絡をとれる関係であっても、安倍首相との連絡には彼を挟んでいました。安倍が官房長官時代に、飯塚を飛び越えて直接窪田がアポイントを取って会いに行った際、安倍から『人間関係を上手く運ぶためにも、今後はすべて飯塚を通して欲しい』と言われたというエピソードを披露し、飯塚がいかに首相の信頼が厚いかを強調していました」(窪田の知人)。当時のトランスキューは増資を繰り返し、資本金も23億円に膨らんだものの、ライブドア事件の影響などもあって国内上場の話が遅々として進まず、八方塞がりの状況に陥っていた。「痺れを切らした株主からは『どうなっているのか』と苦情の声が寄せられるようになっていました。そうしたなかで、比較的規制の緩やかなシンガポールでの上場話が浮上、松村は一部の反対を押し切って2007年に本拠をシンガポールに移転したのです。その後、現地の映画会社を逆買収する話が具体化し、2008年11月に、いわゆる“裏口上場”を果たしたのです」(当時を知る元社員)

ここから松村を取り巻く状況は一変する。シンガポールのビジネス街の中心地にオフィスを構え、自宅も高級ブティック店が立ち並ぶオーチャード地区の高級ホテルのレジデンスに転居した。会社の役員にはシンガポールの初代首相だったリー・クワンユーの親族が加わり、事業も拡大したが、肝心の経皮薬は商品化の目処が立たず、株価は低迷を続けた。「経皮薬には松村の私財約80億円を含む、250億円前後の資金を投じているというのが彼らの謳い文句でした。松村は経皮薬のほかにもリチウムイオン電池や水と油を混ぜて燃費軽減を図るエマルジョン燃料など最先端技術に次々と手を出していましたが、傍からみると、カネ集めの名目を探しているようなもので、どの技術も実用化には程遠い状況でした。しかも、彼らが集めたカネの一部は松村のファミリーが経営する化粧品会社やデザイン会社などに流れているとされ、カネの流れも不透明でした」(同前)。朝鮮総連系のパチンコ業者から株式譲渡代金として預かった2億円弱を適正に処理せず、民事訴訟を起こされるなど、訴訟トラブルも表面化してきたが、安倍ら“シンパ”との関係は相変わらず続いていたという。

2010年3月にはグループ企業である化粧品会社の宣伝用の対談企画に、自社製品の長年の愛用者として昭恵夫人が登場している。「安倍は窪田の依頼で、病気療養中だったトランスキューの元監査役・李吉鉉を韓国の病室に見舞っています。2010年に李氏が亡くなる約1ヵ月前のことです。窪田にとって李は韓国人脈を開拓する上での恩人であり、日本の“元首相”を見舞いに駆り出すことで返礼とするつもりだったのでしょう。安倍は韓国出張の日程を調整し、この依頼に応じた」(前出・窪田の知人)。一方で、安倍の元秘書・飯塚は、一時日本を離れ、シンガポールで暮らしていた際、引っ越し費用や現地での生活費を松村側に負担してもらっていたという。「飯塚は2007年3月に安倍氏の政策秘書を辞めていますが、その後は家族のトラブルがマスコミで報じられるなどの問題を抱えており、2011年頃にシンガポールに家族で一旦移住しています。現地での彼らのサポート役が松村の会社のスタッフだったと聞いています。飯塚は安倍だけではなく、母親の洋子とも昵懇の仲で、辞めたとはいえ安倍事務所でも別格の扱いでした。松村は安倍を含む人脈の仲介役として飯塚を重用し、その都度、相応の報酬も支払っていたようです」(トランスキュー関係者)

当時のトランスキューは中国企業とのビジネスに新たな活路を求め、1つの転機を迎えていた。2011年9月25日、北京市内のホテルで、『中日科学技術協力プロジェクト契約調印式』と書かれたパネルをバックに1枚の写真が撮影された。松村・窪田らの他に熊谷弘元衆院議員や民主党政権で内閣官房参与を務めた国際協力銀行の前田匡史の姿も写っている。「中国の“ステートパワー”という企業グループが松村側と複数の最先端事業でジョイントベンチャーを設立、約25億円の契約を結んだ時の写真です。“ステートパワー”のトップは国内でも有名な実業家で、この場には北京市副市長や中国共産党の関係者も立ち会っています。松村はこの実業家らを日本に招いて手厚く接待し、結果的に7億5000万円を引き出しました。ところが松村側が提案した最先端技術の機械がいつになっても届かない。そこで中国側は騙されたと気付いたようです。実業家は『絶対に許さない』と激怒し、トラブルになったと聞いている」(公安関係者)

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松村がカネ集めを急いだのには理由がある。「松村はかつて社長を務めていた美顔器販売会社から、貸付資金の返済を求める巨額訴訟を起こされ、日本とシンガポールで約10年にわたって争ってきました。この訴訟に敗訴したことで、2012年には松村保有のトランスキュー株が差し押さえを受け、弁済に充てられてしまったのです。この前後から彼は自分の影響力が低下したトランスキューではなく、フォレストパインという別の企業グループを使った資金集めを行なうようになっていくのです」(グループ会社の元社員)。松村にとって追い風となる動きもあった。安倍の復権だ。松村は総裁選前に議員会館の安倍事務所を訪れ、安倍に対して自らの事業についてのレクチャーを行なっており、安倍が自民党総裁に返り咲き、首相就任が既定路線化した後、再び冒頭の昼食会の機会を設けている。いずれも窪田・飯塚ルートが働きかけたものだ。「トランスキューの子会社であるバイオマスエナジーの発電機を売り込み、北海道や福島、そして沖縄でも行なうバイオマス発電でなにがしかの支援を引き出す思惑があったようです。なかでも除染問題が深刻な福島は、フランスのアレバ社製のフィルターを使うことで、バイオマス発電と除染が同時に行なえるというのが最大の売りでした」(同前)

その後、2012年の年末に第2次安倍内閣が発足すると、安倍は元旦の年頭所感で経済再生に向けた喫緊の課題としてアベノミクス“3本の矢”を提唱した。特に、3本目の矢である『成長戦略』には並々ならぬ力を傾注し、政府の成長戦略発表の際には、自らが説明に立つほどだ。政権発足直後から松村は「安倍首相が言っている“アベノミクスの第3の矢”とは我々のことだ」と事あるごとに吹聴し始める。そして関東地方が大雪に見舞われた2013年1月の成人の日、フォレストパイングループの幹部らを箱根のホテルに集め、戦略会議と称した合宿を催したという。「松村や窪田・飯塚ら約30名が参加していました。会議では松村が『トランスキューをフォレストパイングループの傘下に収める』とぶち上げ、『安倍事務所との関係をより密にすることで、更なるグループの発展が期待できる』と力説していました」(参加者)

しかし、進捗状況ははかばかしくなかった。理由の1つは明らかに発電機の開発の遅れだった。バイオマスエナジーの技術はこの時点で未完成であり、同社の発電機は実用機としては使えない代物だったのだ。「しかも、当初実証実験を行なうはずだった福島の南相馬市の住民から反対の声が噴出し、計画変更を余儀なくされました。結果的には農水省の許可が得られないまま、昨年の5月頃に飯館村の運送会社の駐車場を借りて、発電と除染の実験を行ないました。実験は失敗し、その機械は今も駐車場の片隅に放置されたままになっています」(同前)。当然、北海道や沖縄の計画も頓挫している。北海道で松村のビジネスパートナーだった人物が振り返る。「安倍首相との昼食会の写真をみせられ、経過は逐一安倍事務所にも報告していると話していたので、心強く感じてはいました。ただ、いつまで待っても肝心の機械が届かなかったのです」。この件をバイオマスエナジーは、「すでに松村氏とは関係がないのでわかりません」と回答。安倍の“お墨付き”を得たはずの「福島を救う画期的なプラン」は、もはや風前の灯だ。

一方で、“お墨付き”はフォレストパイン投資家に対する資金集めに利用されていた。投資関係者が語る。「松村らはフォレストパイングループの株式の購入を勧める際に、信用を補強する意味でこの写真を使っていたのです。有望なビジネスを手掛けているフォレストパインは上場企業のトランスキューよりも実は企業価値が高く、ある監査法人は約400億円と評価していると説明。2つの会社は近い将来大規模合併を行なう予定で、いわば逆買収の形になる。そうすればフォレストパイン株は上場株になるという論理です」。実際に松村の保有するフォレストパイン株について株式譲渡契約を結び、資金を出した投資家もいる。「沖縄の企業家のケースでは、松村が一向に株の名義を書き換えようとしなかったことで、トラブルに発展。彼は沖縄のバイオマス発電でも松村と関わっており、被害総額は約1億円にのぼるとみられています。この件は沖縄県警に詐欺で刑事告訴されていると聞いています」(同前)。件の被害者は小誌の取材に「何も答えられない」と頑なに口を噤むが、安倍との写真が詐欺の小道具に使われていたとすれば決して看過できる問題ではない。

「安倍の名を使った資金調達の動きは形を変えて、他にもありました。昨年1月、トランスキューの会長だった相原が逝去し、そのお別れ会で、松村や窪田は国際協力銀行の前田専務に再会しています。2011年の中国企業との調印式以来でしたが、両者はここから一気に関係を深め、約1年半の間に十数回は会食の機会を持っている。民主党政権下で内閣官房参与だった前田は、安倍政権ではあまり重用されておらず、そこに不満を感じていた。松村・窪田コンビは、安倍の元秘書の飯塚を前田に紹介し、彼を通じて安倍首相に引き立ててもらうように計らい、前田の取り込みに掛かったのです」(事情を知る金融関係者)。もちろんそこにはしたたかな計算もあった。「かつて窪田の大蔵接待疑惑の当事者として騒がれた岩下正という元大蔵官僚が役員を務めるIDIインフラストラクチャーズという投資会社が都内にある。松村と窪田は、このIDIの海外の投資ファンドに国際協力銀行からカネを出してもらい、フォレストパインの国内バイオマス発電事業に資金を還流してもらうプランを前田に提案していたようです」(同前)。互いの利害が一致する関係だったが、当の岩下は「松村氏とは4回ほど昼食をご一緒しましたし、前田氏が同席したことも2回ほどあると思います。ただ、彼らの話を聞いただけで、実際にビジネスをしたわけではない」とやんわり否定する。

この頃、松村は窮地に陥っていた。足元の、グループ企業の“米櫃”はすでに底をつきかけていたのだ。「賃金の未払いで会社を去った従業員は多数います。2007年から借りていた品川区内のオフィスビルの家賃も払えなくなり、未納分など約1億2000万円を請求する訴訟を起こされ、敗訴。しかし、お金は今も支払われていません。さらに昨年4月、渋谷の3階建のオフィスに転居したのですが、社長室を新たに設えたり、セキュリティを強化するなどの内装工事を行なったものの、内装費約7000万円は未納。賃料に至っては一度も払っておらず、訴訟の末、先月追い出されたと聞きました。グループ会社も含めると未払い金だけで相当な金額が累積されているはずです」(前出・グループ会社の元社員)。そして今年4月、松村は前出の総連系パチンコ業者がシンガポールで起こした約2億円の破産申立により、破産に追い込まれた。トランスキューは事実上、別の会社に売却された形で株が希薄化し、「日本の株主の株は紙切れ同然になった」(株主の1人)という。その一方で、松村ファミリーは渋谷区内の超高級賃貸マンションに住み、歌舞伎や三味線の名家の活動を支援する悠々自適の生活を送っている。

安倍事務所に松村らとの関係を質すと「事務所の元秘書につきましては2007年3月に退職しております。従って、元秘書の仕事に関することにつきましては知る立場にありません」と飯塚についてのピント外れな回答ではぐらかすのみ。松村との面談に関する質問には一切回答しなかった。一方の松村は書面で、「(除染は)一企業が対処できる範囲を超えており、安倍先生にそれらをどう進めて行けば良いかということを相談させていただこうと考え、相談に参りました」と回答したうえで、安倍首相については「私ごとき一ベンチャー起業家にもお心がけしていただいておりますことは、望外の喜びでもあり、また誇りでもあります。私は、自衛官の息子として育てられ父からいつも国家社会の役に立つ男になれといわれ続け、それを信念として一心不乱に努力してきたつもりです。こういう生き方を先生には少しは理解いただいてきたのではないかとも多少自負するものでもあります。それがあたかも安倍先生を利用してビジネスをしているというように書かれることは万死に値するものだとも考えております」。安倍政権では、山谷えり子国家公安委員長・高市早苗総務相らといわくつきの人物との写真が、国会で問題視された。いずれも「面識のない人間に頼まれた」と釈明してきた。しかし、安倍首相と松村との関係は、それほど浅いものではない。安倍首相の説明責任が求められる。 《敬称略》


キャプチャ  2014年10月30日号掲載


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