【日本近現代史がわかる最重要テーマ】(10) 原爆投下(1945年)――ヒロシマ・ナガサキこそ戦争犯罪だ

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戦後70年の今年、様々な形で“歴史認識”の問題がクローズアップされるだろう。しかし、実際に干戈を交えた国同士は勿論、韓国のように当時の日本に併合され、主権国家としての独立性を失っていた国も含めて、“歴史認識”の齟齬を埋めることは容易なことではない。アメリカの国務省関係者等に会うと、悪化する日韓関係について異口同音に「両国は歴史認識のギャップをさっさと乗り越えよ」と忠告してくれるが、私はこうした彼らの“認識”に寧ろ懐疑を覚える。国家間の歴史認識の差異を、そう簡単に埋めることができるものだろうか? 抑々、日米間においてすら、その歴史認識には大きな隔たりが現存しているではないか。

例えば、原子爆弾投下を巡るギャップである。アメリカでは、国民の大半が今も「広島・長崎への原爆投下は、日本に早期降伏を強いる為の止むを得ざる作戦で、これに依って50万人から100万人のアメリカ兵の死傷の危険を回避することができた」と考えている。歴史学の研究者も同様で、学界における“正統主義派”とは、「原爆使用は専ら戦争の早期終結を達成するという軍事的理由の為だった」とする立場を指す。これに対し、日本では「原爆使用は軍事上の必須性に迫られたものではなく、これに依ってソビエト連邦を牽制し、戦後の交渉を有利に運ぶという外交目的に依るものであった」とする見解が通説的であり、公教育においてもそのように教えられている。この原爆投下を、飽く迄も政治目的に依るものだったとする説を“原爆外交説”と呼び、これを説く学者はアメリカでは“修正主義派”に分類される。例えば、テレビドキュメンタリー『オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史』で、「原爆投下は不要だった」との見解を表明した映画監督のオリバー・ストーンや、彼の協力者であるピーター・カズニック等は、アメリカの歴史学の流れでは異端の“修正主義者”として扱われるのだ。




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私の見るところ、実証的な歴史学の議論において、この2つの立場が歩み寄るのはどうも難しそうだ。そこで提案したいのは、政治哲学的な視点を導入する試みである。仮に、「50万人から100万人のアメリカ兵の命を救う為に、日本に早期降伏を促すべく原爆を投下した」というアメリカ側の主張を認めたとしても、政治哲学的には尚重大な疑義が残るのだ。彼のマイケル・サンデルに依って有名になった“暴走する路面電車問題”である。――路面電車のブレーキが利かなくなった。そのまま猛スピードで直進すれば、線路内にいる5人の作業員を轢き殺してしまう。ただ、そこに突入する直前に待避線への分岐点があり、電車を右に逸らすことができる。だが、その先の軌道上でも1人の作業員が働いている。若し貴方が運転士ならば、何もせずに直進するか、敢えて己の手を汚してでも進路を切り替えて右に向かうか――。要するに、「5人の命を助けるために、1人の無辜の人命を奪うことを正当化できるか?」という問いだ。この道徳的ジレンマは、まさに「100万人の自国兵士の命を救う為に、30万人の敵国の市民を無差別に殺残することが許されるか?」という原爆使用の正当性を巡る問題と重なる。では、アメリカの政治哲学者たちは、この論争的主題についてどのように論じているのだろうか? 例えば、『正義論』等の著作で知られ、戦後のアメリカを代表する哲学者のジョン・ロールズは、「1940年から1942年までのベルリンやハンブルクに対する空爆については正当である」としつつ、「戦争の帰趨が決した段階でのドレスデン爆撃、東京や名古屋等への焼夷弾爆撃、広島・長崎への原爆投下は何れも正当化できない」と言う(『万民の法』・岩波書店刊)。また、戦争倫理学の第一人者であるマイケル・ウォルツァーも、同様の議論を展開している。

彼らの議論に入っていく前に、このような戦争の捉え方を“正戦論”と呼ぶことを押さえておこう。“正戦(just war)”は“聖戦(holy war)”とは異なる。“聖戦論”は、戦争の目的の正当性に関する議論だ。そこでは、戦争に神聖なる大義が存するか否かが問われる。十字軍や宗教戦争の例を引くまでもなく、神の義に依って正当化された戦争は手段にも期間にも際限が無く、無慈悲な殲滅戦が長期化することが多かった。20世紀以降の国家総力戦・全体戦争・イデオロギー戦争等にも、聖戦的な側面が看取される。これに対して、“正戦論”は戦争の目的ではなく、“侵略か自衛戦争か”といった開戦の手続きや、“非戦闘員殺傷禁止の原則”等の戦闘の方法の正当性に注目する。“正戦論”とは、「戦争にもルールがあり、それに則っていければ不正となる」という事実認識を示すものであり、戦争という非常事態にあっても尚、公正さや規範性や人道を追求しようという人間の本性に根ざした営為である。従って、“正戦論”は戦争そのものを肯定することはない。勿論、一口に“開戦法規”と言っても、誰の目にも即座に明らかな事案ばかりではない。しかし、「如何に事態が込み入っていたとしても、戦争に関する道徳的審判は可能であり、戦争行為も法に依って限定できる」とするのが“正戦論”の要諦だ。

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ウォルツァーやロールズは共に、「非戦闘員である一般市民を殺傷してはならない」とする伝統的な正戦の原則に、唯一の免責特例を設定している。それが“最高緊急事態”である。この表現は1940年代初頭、ナチスに依るイギリス本土爆撃の攻勢に晒されたチャーチル首相が、ドイツの主要都市を狙った空爆の必要性を国民に訴える際に初めて使用された。即ち、「最高緊急事態においては、“非戦闘員の殺傷の禁止”という交戦のルールをも踏み破らざるを得ない」と主張したのである。一般に、この種の空爆(所謂“戦略爆撃”)には、敵国の中枢的な産業施設や流通手段を破壊し、軍需物資の生産及び輸送を滞らせるという目的がある。更に、そこに都市部の住民を殺傷し、また住宅等の生活基盤を焼夷することで、敵の戦争継続の意思を阻喪せしめるという目的が加わる。この戦略爆撃の方法論は、広島・長崎への原爆投下についても当て嵌まる。それどころか、原爆攻撃こそが戦略爆撃の極致とすら言えるかもしれない。少なくとも、アメリカで通念となっている「原爆使用は日本の早期降伏を促す為に必要だった」という正当化論は、それを支持するものだ。一瞬にして大量殺戮・大量破壊の可能な新型爆弾の威力を見せつけることで、日本の政府や国民の戦争継続の意思を挫くことが目的だったというのだから……。しかもその裏には、「50万人・100万人の若いアメリカ兵の命が救えた」という冷然たる功利計算がぴったり張り付いている。正戦論においては、戦闘員に依る敵国の非戦闘員・一般市民の殺傷は禁じられる。また、故意ならざる付随的被害でも最小限に抑えるよう、十分な措置を講じるのが義務とされる。従って、都市部への“戦略爆撃”は甚だしくは市民の殺傷や生活基盤の破壊自体が目的となる為、通常は許されない。しかし、ウォルツァーは「最高度緊急事態が成立するのは、私たちの深遠な価値と集合的生存が切迫した危険に曝される時であり、当時の状況こそまさにそれだったのである」とチャーチルの立場を肯定する(『戦争を論ずる』・所収風行社刊)。ロールズもまた、連合国側がその後に行ったハンブルクやベルリンへの空爆について、「ドイツの戦争勝利が決して容認できないものであったが故に、正当化可能である」と評価している(『万民の法』)。

では、非戦闘員・一般市民の殺傷をも許容する“最高緊急事態”とは、どのようなものなのか? この時、イギリスは以下のような状況下にあった。「1940年9月から1941年5月半ばまでの9ヵ月間に、イギリスは127回の大規模夜間空襲に曝され(そのうち71回はロンドン)、200万戸が全壊し、半壊した家屋は150万戸、6万人の市民(そのうち4万5000人はロンドン市民)が死亡し、8万7000人が重傷を負った。ロンドンに投下された高性能爆弾と焼夷弾だけでも5万トンに上った」(田中利幸『空の戦争史』・講談社現代新書刊)。このまま劣勢に立たされれば、ドイツ軍は空爆からイギリス本土への上陸作戦に移行するかもしれない。若しその侵攻に屈するようなことになれば、イギリスという政治共同体は言うに及ばず、それを支える自由主義や民主主義という価値観も失われてしまう。まさに当時、「深遠な価値と集合的生存」(ウォルツァー)が危殆に瀕していた訳だ。ウォルツァーやロールズ共に強調しているのは、最高緊急事態の認定は戦況を含む全体状況に依存しているという点だ。そして、そこで実行されたのは、詰まるところ正戦の法を破る作戦であり、避けるべきだった手段であり、事後的に責任を阻却されるものの、本来は犯罪である。特に政治指導者は、このことを常に銘記せねばならない。

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扨て、ここに一線を引き得るとするならば仮令、戦争は継続中でも最早最高緊急事態とは言えなくなった情勢の下では、一般敵国民の殺傷は許されないことになる。そこで、彼らは大戦末期の1945年、米英の空軍に依って強行されたチェコとの国境に近いドイツ東部の都市・ドレスデンへの爆撃の妥当性を問う。「工業都市のハンブルクとは異なり、ドレスデンは音楽や演劇等の文化活動をその中心的な経済基盤とする古都であり、軍需産業や軍事施設とは殆ど全く関連の無い都市であった」(田中、前掲書)。連合国軍は、喫緊性も必要性も無い虐殺に手を染めようとしていた。ドイツの降伏まで3ヵ月を切った時点での人口密集地への無差別攻撃だった。ウォルツァーは『正しい戦争と不正な戦争』でこう記している。「1945年の春――戦争に事実上勝利したとき――に約10万人もの人々が犠牲となったドレスデンの都市に対する残酷な攻撃……ドレスデンの破壊は、連合軍による爆撃行為に対する深刻な疑念を残すものである」。ロールズもこう指摘している。「(最高緊急事態と言える)こうした時期は少なくとも、1940年6月のフランスの陥落から、1941年の夏・秋にソ連がドイツ軍による最初の攻撃を撃退し、ドイツに対する徹底抗戦が可能であることが明白となる頃まで続いた」「しかし、1945年の2月に行われたドレスデン爆撃は、(そうした時期に含め入れるには)明らかに遅すぎるのである」(『万民の法』)。ドレスデン爆撃への疑義は、単に“時期”だけの問題に留まらない。これを論じる時に常に挙げられる、「空爆に依る多数の民間人の死傷にも関わらず、それを実行しなかった場合よりも、戦争をより早期に、より少ない犠牲者しか出さずに終結できた」という功利主義的正当化を巡る問題がある。“暴走する路面電車問題”が示唆するように、人命を天秤に掛けるような功利計算では、必ずしも“戦略爆撃”を正当化できない。ウォルツァーは言う。「無辜の民を故意に殺害することは、単に他の人々の生命をそれが救うという理由に取っては正当化され得ない」と。(『正しい戦争と不正な戦争』)。

この倫理基準は当然、ヒロシマ・ナガサキの“事案”にも適用される。先ず、ロールズの判定を見てみよう。原爆投下から50年目に当たる1995年の夏、彼はアメリカをこう批判した。「ヒロシマへの原爆も日本の各都市への焼夷弾攻撃もすさまじい道徳的な悪行(great evis)であって、危機に基づく免責事由が当てはまらない場合、そうした悪を避けることが政治家たる者の義務として求められる。私のもう1つの意見では、この悪はさらなる死傷者を出さず、ほとんど犠牲を払わなくても回避可能だった。戦争の勝敗は事実上決まっていたのだから、あの時点での侵攻は不必要だった」「危機による免責が成立しない以上、ヒロシマや他の都市に爆弾を落としたことは、大いなる邪悪に相違なかった」(『世界』1996年2月号)。ウォルツァーもこう論じている。「もし人々に戦闘を強制されない権利があるのなら、同じように彼らには、戦争がそうなるべくして終結しそうなときに、ある一線を越えてまで戦闘を続けるよう強制されない権利もあるはずだ。その一線を越えれは最高度緊急事態も、軍事的必要性に関する根拠も、人命に関するコスト計算もない。その一線の向こう側にまで戦争を押し進めることは、侵略という犯罪にふたたび手を染めることである。1945年の夏において、勝利を目前にしたアメリカには日本国民に交渉を試みる責任があった。こうした試みすらもなく、原子爆弾を使用し民間人を殺害し恐怖せしめることは、二重の犯罪であった」(『正しい戦争と不正な戦争』)。この2人の泰斗の見解は、“原爆外交説”とは異なる。ロールズとウォルツァーは、今のアメリカで通説となっている立場(即ち、日本に早期の降伏を促し、50万人から100万人のアメリカ兵の命を救う目的であったこと)を“仮に”認めたとしても、「それは許されるものではない」と言っているのだ。

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彼らの見解が重要なのは、オリバー・ストーン等と異なり、アメリカにおける体制内のリベラル派知識人の代表として、統治の実務を担う政治エリートたちに大きな影響力を持つからでもある。広島・長崎への原爆攻撃は勿論、大戦末期の日本各都市に対する空襲までも“大いなる悪(great evils)”という激しい言葉を2度用いて非難したロールズは、戦後のアメリカが誇る最も偉大な政治哲学者である。ウォルツァーもまた、戦争倫理学の押しも押されもせぬ世界的権威であり、『正しい戦争と不正な戦争』は合衆国陸軍士官学校で教科書に採用されている。原爆使用を倫理的に断罪する本が、エリート士官養成のテキストになっているのだ! アメリカの知的権威がかかる見解を発表していることを、日本の指導層の多くは知らない。だが、これは日本にとって極めて有利な条件なのだ。この道徳的アドバンテージを、“歴史認識”問題を始めとする外交交渉や国内外の教育・啓蒙に活用しない手はない。“戦争を巡る歴史観を巡る戦争”に勝ち残る為には、政治哲学の議論をこそ参照すべきだ。


宮崎哲弥(みやざき・てつや) 評論家・研究開発コンサルティング会社『アルターブレイン』副代表。1962年、福岡県生まれ。慶應義塾大学文学部卒。政治哲学・宗教論を中心とした評論活動を展開。著書に『仏教教理問答』(サンガ文庫)・『新書365冊』(朝日新書)等。


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