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【ふるさと再訪】福島・いわき(05) 石炭・化石館、炭田の記憶今に残す

「いまや子供も親世代も“黒いダイヤ”と呼ばれた石炭を見たことがないんです」。9月、いわき市湯本の炭鉱跡地にある市立『石炭・化石館(愛称ほるる)』の事務室で、いわきヘリテージ・ツーリズム協議会事務局長の熊澤幹夫さん(71)の話を聞いて、驚いた。九州の勤務経験がある私は、福岡県の筑豊炭鉱跡をよく訪れた。西南戦争で筑豊からの出炭が途絶し、東京に近い常磐炭田が脚光を浴びたことは常識だと思っていた。JR常磐線が石炭運搬のために敷かれたことも。

が、それも無理からぬ話だ。大学で建築を専攻した熊澤さん自身、常磐炭礦(後の常磐興産)の関連会社(常磐開発)の技術者として当地にやってきた4年前の1962年には、一帯が産炭地域振興臨時措置法に基づく地域指定を受けた。1954年に旧・通産省が石炭合理化計画大綱を作成。1955年に78対22だった石炭・石油の国内エネルギー供給比率は、1962年には48対52と逆転する。1951年に大小約130あったヤマ(炭鉱)も、1985年に完全に操業に終止符を打つ。『石炭・化石館』開館はその前年だ。




石炭産業斜陽化の中で、常磐炭礦最大の雇用創出が1966年、いわき市誕生の年に営業を始めた『常磐ハワイアンセンター』(現スパリゾートハワイアンズ)だ。東日本大震災後、フラガールらが全国を巡回。昨年度は過去最高の宿泊者を集め“復興の象徴”などとして報道された。常磐固有の歴史も“鉱脈”だ。江戸時代末期に片寄平蔵が弥勒沢で“燃える石”の採掘を開始。石炭・化石館の模擬坑道では夫婦一緒の採炭作業や技術進歩の歴史、暮らしなどが分かる。常磐炭田の特徴は、平安時代からの温泉地の下に炭層があり、「50mプールが4分でいっぱいになる」(熊澤さん)ほどの湯が噴き出す中での難作業。作業場に水風呂すら必要だった。長屋、共同炊事場、世話所なども再現され、『一山一家』の環境も展示されている。

熊澤さんの案内で遺構を巡った。石炭の品質を維持する全国初の水中貯炭場や、常磐炭田最大規模の選炭場・作業員と石炭が出入りする坑口など、当時の技術の粋に圧倒される。周辺には円形劇場のような相撲場や、安全祈願の山神社・炭鉱住宅など、昔日の人々の声が聞こえるようだ。「我々は炭田の記憶を記録しなければいけない」。熊澤さんは現場の歴史を知る古老の聞き取りにも駆け回る。10月19日、石炭・化石館の開館30周年を記念して、スパリゾート内でシンポジウムが開かれた。『全炭博研フォーラムinJOBAN』。全炭博研は全国石炭産業関連博物館等研修交流会の略だ。北海道の釧路・石狩炭田・山口県の宇部炭田・九州の三池炭田など、各地の石炭関係博物館の関係者らが参加。産炭地の博物館の現状や課題などについて報告、意見を交わした。

石炭・化石館は、地元で発見されたフタバサウルスなど恐竜化石の展示も充実、観光施設の色合いも強めてきた。9月15日に開館以来の入場者が600万人を突破。全国の石炭博物館の中では優等生の部類ながら、「ピーク時には年34万人、2010年度に13万5000人あった入館者も、被災後は年8万人強にとどまっている」と芳賀邦博館長(61)。石炭と原子力。ここにも風評被害が影を落とす。


キャプチャ  2014年11月1日付夕刊掲載


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