【軽き日本国憲法】(02) 集団的自衛権は憲法第73条でも違憲…政策論と憲法論の峻別が必要

安保法制が注目を集めている。その議論を評価するには、政策論の前に、憲法と集団的自衛権の関係を整理することが必要だ。先ず、集団的自衛権とは何なのか、国際法の位置付けを確認しよう。『国連憲章』第2条第4項は、国家に依る武力行使・武力に依る威嚇一般を違法とする(『武力不行使原則』)。尤も、国際法を破って他国を攻撃する国が現れる危険性はある。そこで、国連憲章第42条は、第41条に基づく非軍事的な措置では十分に対応できない場合に、国連安全保障理事会(安保理)の決議に基づき、国際平和・安全の為に必要な加盟国・国連軍に依る武力行使を認める。ただ、国連安保理は多数の理事国からなる会議体であり、迅速な対応ができないこともある。また、常任理事国(アメリカ・イギリス・フランス・ロシア・中国)が拒否権を持っている為、適切な決議が得られないこともあり得る。そこで、国連憲章第51条は、国連措置が取られるまでの臨時措置として、各国が個別的又は集団的な“自衛権”を行使することを認める。個別的自衛権とは、武力攻撃を受けた国が自国を守る為に反撃する権限。集団的自衛権とは、ある国が武力攻撃を受けた場合に、直接に攻撃を受けていない他国が共同して武力攻撃への反撃に加わる権限を言う。自衛権が行使された例としては、1991年の湾岸戦争(イラクの侵攻を受けたクウェートが個別的自衛権、アメリカ中心の多国籍軍が集団的自衛権を行使した)や、2001年のアフガニスタンに対する武力行使(テロの被害国であるアメリカが個別的自衛権、イギリスが集団的自衛権を行使した)がある(集団的自衛権の国際法上の位置付けについては、森肇志「集団的自衛権行使容認のこれから」――『UP』2015年3月号・4月号参照)。

では、日本国憲法の下で集団的自衛権は行使できるのか? 国民主権の憲法の下では、国家は、憲法を通じて国民が与えた権限しか行使できない。具体的には、ある国家行為を合憲と評価する為には、政府にその行為を行う権限が与えられていること(権限の付与)と、それを行うことが憲法に依り禁止されていないこと(禁止の不在)の2点の説明が必要になる。先ず、集団的自衛権の権限は付与されているのか? 軍事権とは、武器の利用等、実力を用いて相手国の意思を制圧する作用を言う。軍事権の行使は国家に重要な影響を与えるから、軍事統制(例えば、軍事権をどの国家機関に配分するのか、どのような範囲で行使を認め、どのような手続きで統制するか等)は、憲法の重要な関心事である。軍事作用を想定する諸外国では、軍の組織権・開戦権・指揮命令権等について憲法で定めるのが普通である。大日本帝国憲法にも、かなり歪な形ではあったが、「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」(第11条)、「天皇ハ戦ヲ宣シ和ヲ講」ずる(第13条)との軍事規定があった。しかし、日本国憲法は内閣に“行政権”と“外交権”を与える規定はあるが(第65条・第73条参照)、“軍事権”を与えた規定は無い。諸外国の憲法や大日本帝国憲法と比較すれば、日本国憲法は意図的に政府の軍事権限を消去したと解釈せざるを得ない。つまり、日本国憲法の下では、内閣が行使できるのは行政権と外交権のみだ。




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では、集団的自衛権の行使は行政権や外交権に含まれるか? 先ず、“行政”とは、国が統治権限を用いて行う作用のうち、立法・司法を控除したものと定義される(控除説)。「自国領域内の安全を確保する個別的自衛権の行使は、自国の主権を維持する行為であるから、“防衛行政”として行政権に含まれる」との解釈も十分にあり得よう。しかし、国の統治権限はその国の領域を超えては及ばないから、対外活動は行政権には含まれない。外国の防衛を援助する集団的自衛権の行使は、行政には含まれない。次に、“外交”とは、対等の立場で相互の主権を尊重して行う国家間の作用を言う。例えば、外国との合意に基づき貿易をしたり、国際スポーツ大会を共催したりする活動である。国連平和維持活動(PKO)については、医師や技師の派遣と同様の“外交協力”に含まれるとの理解もできる。しかし、外国に対する武力行使は、相手国の意思を実力に依って制圧する作用であり、“外交”作用とは言えない。つまり、集団的自衛権の行使は“防衛行政”とも“外交協力”とも言えず、軍事権に含まれると考えざるを得ない。政府が集団的自衛権を行使するのは、憲法で付与されていない軍事権の行使となり、越権行為になるだろう。更に、集団的自衛権の行使は憲法が禁止していると解さざるを得ない。周知の通り、憲法第9条は、第1項で戦争・武力行使を禁じ、第2項で“軍”の編成と“戦力”の不保持を定める。この為、外国政府への武力行使は原則として違憲であり、第9条の例外を認める根拠規定が示されない限り、例外は許されない。この点、憲法第13条は、国民の生命・自由・幸福追求の権利を保護する義務を政府に課している。従って、異論はあるものの、日本国内の安全を確保する為の個別的自衛権行使は、例外的に合憲であるとの解釈も可能だろう。しかし、外国の防衛を日本政府に義務付ける規定は日本国憲法には無く、集団的自衛権の行使は憲法違反だと解釈せざるを得ない。合憲論者の中には、集団的自衛権を禁止した明文が無いことを理由にする者もいるが、憲法解釈の基本からすれば、集団的自衛権の規定の不在は、寧ろ違憲説を導く。

以上のように、集団的自衛権の行使を合憲とする解釈は不可能だ。これは憲法学界の通説と言ってよい。集団的自衛権行使容認論者の中には、「憲法学者は安保の素人で、現実に即していない」と批判する者もいる。しかし、政策論と憲法論は次元が異なる。集団的自衛権の行使容認が政策的に必要なら、憲法改正の手続きを踏み、国民の支持を得ればよいだけだ。仮に、改憲手続きが成立しないなら、国民が「行使容認論には説得力が無い」と政策的に判断したということだ。「政策的に必要なのに邪魔するな」という類いの違憲説に対する批判は、自らの政策論が国民の支持を得る自信が無いことを自白するようなものだろう。国家は、国民に依り付託された権限しか行使できない。軍事権を日本国政府に付与するか否かは、主権者である国民が憲法を通じて決めることだ。憲法改正が実現できないということは、それを国民が望んでいないということだ。憲法を無視した政策論とは、国民を無視した政策論であることを自覚しなければならない。 (首都大学東京准教授 木村草太)


キャプチャ  2015年7月28日号掲載


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テーマ : 憲法改正論議
ジャンル : 政治・経済

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