【中外時評】 転職社会は来るか――個人の選択肢、広げるIT

企業の中途採用に新たな潮流が見える。これまでは、やって来た応募者を選別する“待ち”の採用が一般的だったが、優秀な人材を自ら“採りに行く”企業が増加中だ。海外では珍しくない“ダイレクトリクルーティング”と呼ばれる動きだ。人材紹介会社を通さず、企業が個人に直接当たる手法をいう。職務経歴や得意分野等の個人の情報を収めたデータベースを使ったり、SNS(交流サイト)を活用したりして、目当ての人材を絞って接触を図る。IT(情報技術)時代ならではの採用方法だ。

49万人(平均年齢43歳)の会員情報をデータベースに収め、企業が有料で使えるようにしているのが『ビズリーチ』(東京都渋谷区)。企業の実際の採用例を見てみよう。

▽外食大手 店舗開発の統括マネジャー等を3人。
▽アメリカの製造業の日本法人 営業のマネジャー、業務改革の経験の長い人材の2人。
▽老舗の生活用品メーカー 情報システムや生産管理の幹部等、1年間で10人。

地方企業も目立つ。専門学校経営の新潟県の企業は、幹部候補10人を採用。ホームセンター運営の群馬県の企業は、インターネット通販事業等の幹部として大手企業出身者を6人採った。「当社のことは当社しか熱く語れない。人材紹介会社は無理」「入社したら何ができるか、納得いくまでやり取りできる」――。企業が話す“ダイレクト採用”の利点だ。ダイレクトリクルーティングのインフラを用意する企業は急増中だ。サイト上で個人が自分の強みや実績をアピールし、企業が欲しい人材を探し易くする事業モデルで先行するのは、アメリカの『リンクトイン』。日本でも展開している。日本企業が運営するサイトも多く、デザイナーやクリエーターの採用に特化したものもある。“待ち”の採用を企業が改め始めたのは、競争環境が厳しくなった反映だ。新しいビジネスモデルを考え形にできる人材は、待っているだけでは中々獲得できない。人口減少に伴う労働力不足も背景にある。1人当たりの付加価値の増大を迫られ、それには精鋭を増やし、少ない人数でも価値創造できる組織に進化する必要がある。外部人材の獲得は有力な手段だ。「『いい人材を採りたい』という企業のニーズは高く、ITの進歩で環境が整った」と、『リクルートワークス研究所』の大久保幸夫所長は言う。




転職が少なく流動性が低いと言われる日本の労働市場は、ITを駆使した採用で変わっていくだろうか。総務省の労働力調査で、正社員について転職者(過去1年間に離職を経験した人)の割合を見ると、1990年代以降は概ね3%台に留まっている。転職が広がらないのは、年収が減る場合が多い為だ。1割以上減る人も珍しくなく、転職に二の足を踏む。ITを活用した採用は、こうした状況に風穴を開けるかもしれない。個人の立場になれば、実績やスキル(技能)が評価される人はインターネットを通じて、複数の企業から声がかかる可能性が高まる。人材の情報が広く流通することで、実力のある人材は自分の価値を高く売り易くなる。ワークス研究所の調査に依ると、転職者の年収は欧米で6割以上、アジアでは7割以上の人が上昇する傾向が見られる。収入アップが人材の流動化を促す。日本がそうならないとは言えないだろう。

思い浮かぶのは、アメリカの経営学者であるピーター・キャペリ氏が『雇用の未来』(原題『ザ・ニューディール・アット・ワーク』)で描いた、伝統的雇用システムが崩壊する様子だ。嘗ては、アメリカの企業もホワイトカラーは終身雇用が一般的だったが、競争力が落ち込んだ1980年代に人員リストラに踏み切った。その結果、社員の会社への帰属意識は下がり、景気が回復し、労働力が売り手市場になると、より良い待遇を求めて転職者が急増した。有能な人材を引き留める為、企業は高いコストを払わねばならなくなった。日本も雇用の流動化が進めば、人材の“繋ぎ留め”が今以上の課題になる。「仕事のやりがいや社員の成長機会がカギ」等とこれまでも言われてきた。「人を育てる会社でないと人が集まらなくなる」(大久保氏)。それには、どんな力を養えばいいか、経営者が社員に明示できる必要があるだろう。経営戦略の明確化は欠かせない。「一旦進み始めると流動化は速い」ということも、『雇用の未来』は示唆する。日本もバブル崩壊や金融危機を経て社員の意識は確実に変化し、流動化の土壌は既にある。ITが雇用を変える力に注目だ。 (論説副委員長 水野裕司)


≡日本経済新聞 2015年8月2日付掲載≡


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テーマ : 転職活動
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