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演じてわかった昭和天皇の“祈り”――映画『日本のいちばん長い日』出演、本木雅弘独占インタビュー

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昭和天皇役のオファーを戴いた時、初めは大変戸惑いました。正直、畏れ多くて逃げ出したいような気持ちと、一方で逃したくない役だとも思い、揺れていました。これまでも、大河ドラマの徳川慶喜や『坂の上の雲』の秋山真之等の歴史上の人物を演じてきましたが、私たち現代人は彼らに対して固定したイメージを持っていない分、演じる際に自由度があり、挑み易かったとも言えます。昭和天皇の場合、誰もが強い印象を持っているでしょうし、そのイメージは世代に依っても異なります。私自身には、昭和天皇の記憶がニュースの映像程度にしかなく、歴史にも詳しいほうではありません。芸能活動が忙しくて高校を中退した私は、きちんとした日本史の教育も受けておらず、「こんな自分に背負えるのだろうか?」というのが率直な気持ちでした。

戦後70年を迎える今夏、映画『日本のいちばん長い日』(8月8日から松竹系全国公開)が公開される。半藤一利の同名のノンフィクションを、『クライマーズ・ハイ』の原田眞人監督の脚本・監督で映画化したもので、本木は、苦悩の末に終戦の“聖断”を下した昭和天皇を演じている。

この役は、当初は他の方にオファーされたもので、その方のスケジュールの都合で、急遽、私に声がかかったようです。しかし、役が役ですから「急には……」という気持ちはありました。私は、何色もの演技パターンを持っているタイプではありません。精々、2~3色くらいの色しか出せない、どちらかというと不器用な役者です。役に依っては、自分の中に何か拠り所となるものが掴めなければ、不安でカメラの前に立てないこともあります。ですから、事前にその役に関する本や資料には、なるべく目を通すようにしています。その中で、何か演じる核になるものを見つけ、やっとのことでカメラの前に立つ。今回も、撮影までに1ヵ月程の猶予を戴いて、原作を始め、幾つかの資料に当たりました。しかし、この役ばかりは時間で積み重ねて行けるものではありません。私はオファーを戴くまで、半藤さんの『日本のいちばん長い日』を読んだこともなければ、1967年に岡本喜八監督が撮った映画も見ていません。ですから、台本を読んでも時代と政治的背景への理解が曖昧なので、登場人物の心情の深さがわかりません。「これで飛び込むのは危険か……」と悩んでいた時、ポンと背中を押してくれたのは義母の樹木(希林)さんでした。「私なりに、貴方にオファーが来た理由がわかる気がする。昭和天皇を演じる機会はそうあるものではないし、気負わず受け入れてみたら……」と背中を押してくれたのです。また、私が所属している事務所の社長が、元々昭和天皇のお人柄の“大ファン”だったということもあり、思いがけずではあるけれど、1つの運命としてそこに乗ってみようと思ったんです。




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昭和天皇が崩御された昭和64年は、私にとって芸能界に再デビューした転機の年でもあります。アイドルを止めて、役者中心でやっていこうと決め、最初に映画に出たのがこの年です。まだ20代の前半でした。偶然ですが、その作品も天皇に関わる昭和を扱ったものでした。五社英雄監督の『226』です。陸軍の皇道派の青年将校達が“昭和維新”を叫び、反乱を起こす事件の物語で、私は無念の自決をした河野寿大尉役を演じました。撮影当初に昭和天皇が崩御され、撮影が一時自粛になったのをよく覚えています。その後に関わった作品の中で、玉音放送が流れるシーンがありましたが、当時の国民がこれを聞いて、何故あそこまで泣き崩れたのか――。玉音放送の“重さ”さえ、その頃の私にはもう一歩理解できませんでした。そこで今回は、『日本のいちばん長い日』に加え、これも半藤さんの『聖断』を合わせ読みました。すると、『聖断』の中に、ふと、印象的な言葉がありました。「歴史は皮肉なことをすることが多いが、時として未来をさりげなく準備する」。この言葉の通り、終戦時のキーパーソンである昭和天皇・鈴木貫太郎首相・阿南惟幾陸軍大臣の人間関係は、終戦時より遥か前から築かれていたものだと知りました。鈴木貫太郎は昭和初期に侍従長として若き天皇に仕えますが、同じ頃に阿南惟幾も侍従武官としてお側にいました。また、後に貫太郎夫人となるタカさんは、天皇の幼少期の養育に関わった人です。鈴木夫妻は、天皇にとって“育ての親”のような存在であった。そういう背景があったからこそ、「最も難しい時に天皇は鈴木貫太郎に組閣を頼み、阿南惟幾が陸相に選ばれた」とこの本は教えてくれました。戦時下において尚、神格化が進み、雁字搦めにされ、物言えぬ立場に立たされていた天皇の苦しみを、若い頃からお仕えしている鈴木貫太郎や阿南惟幾だからこそ理解することができたし、一心に支えることができた。まさに、1つの巡り合わせが危機を救い上げたのです。今回、昭和天皇のキャスティングに当たって、既に決まっていた鈴木貫太郎役の山崎努さんが、「昭和天皇は誰がやるんだ?」と頻りに気にされていたそうです。それで、私に決定した後に「大丈夫ですかね?」とスタッフに聞いてみたところ、山崎さんは私がやると聞いてニコッと微笑んでくれたとか。先ずは、“育ての親”に納得して戴けて私も安心しました(笑)。

映画等で昭和天皇が登場するシーンは、極めて少ない。岡本版『日本のいちばん長い日』では8代目松本幸四郎が演じたが、その姿を正面から写すことはなく、キャストクレジットにも明記していない。その後、天皇役のある作品は増えているが、市村萬次郎・中村又五郎等の歌舞伎役者が演じるケースが多く、俳優が天皇役を演じるのは極めて珍しい。本木は、何を参考に演じたのか?

「天皇の役は歌舞伎役者の方が演じられると、何となくしっくりくる」というイメージを私も持っていました。普段の生活が一般の人たちとは乖離していて、しかも代々血を受け継いでいくことが重要視されるという点で、皇室と歌舞伎の世界はどこか相通じるものがあるのかもしれません。そういう世界とは無縁の私が、果たして何を以て天皇に近づくことができるのか? 監督からの希望もあり、心がけていたのは、態々“物真似”をする必要は無いということでした。例えば、昭和天皇の話し方には独特の抑揚があり、佇まいにも特徴があります。確かに、模写でムードは出せるでしょう。しかし、それは今回の天皇を演じることではないのではないか? ならば、どうしたらよいのか? この時も、樹木さんが力を貸してくれました。ある時、「知人からのこの手紙が、ちょっと参考になるかもしれない」と、その手紙を私に手渡してくれたことがあったのです。そこには、池澤夏樹さんのあるコラムが引用されていました。

「80歳の今上と79歳の皇后が頻繁に、熱心に、日本国中を走り回っておられる。訪れる先の選択にはいかなる原理があるか? みな弱者なのだ。責任なきままに不幸な人生を強いられた者たち。【中略】お2人に実権はない。いかなる行政的な指示も出されない。もちろん病気が治るわけでもない。しかしこれほど自覚的で明快な思想の表現者である天皇をこの国の民が載いたことはなかった」

『朝日新聞』2014年8月5日付

これを読んだ時、ハタと気付き直したことがありました。私は人間・昭和天皇のことばかり考えていましたが、今上陸下もまた、「天皇とは何か」を体現されている方です。親子ですから、肉体的にも似ているところがおありなのは当たり前ですが、それ以外にも昭和天皇から今上陸下に引き継がれていることがあり、また、それ以前の明治・大正天皇、もっと遡って、それこそ天照大神から続く現人神として、私たちには計り知れない宿命・お役目を背負っておられるのが天皇であると。そこで、昭和天皇の姿をベースに、歴代の天皇が受け継いできた和への祈りのようなものを纏い、“天皇としての役割”を演じようと心掛けることにしました。大変抽象的ですが、胸と腹の間にダイヤモンドのように固く透明な意志を抱え、それを曇らせまいとするイメージです。発する言葉も感情ではなく、そこから出てくるような……。映画を観てくださるお客様には、昭和天皇そのものというより、天皇に引き継がれてきた光のようなものを少しでも感じていただけたらと願っています。

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資料を読んでいく中で、強く心に留まったエピソードがありました。昭和50年、昭和天皇の強い希望で初めての訪米が実現した時のことです。この時の天皇のお言葉については、晩餐会において戦争の認識についてどう発言されたかばかりが取り上げられますが、それに先立ってホワイトハウスの前で行われたスピーチが重要だと書いてあるものがあったのです。「両国の国民は、静けさの象徴である太平洋に、波風の立騒いだ不幸な一時期の試練に耐え、今日揺るぎ無い友好親善の絆を築き上げております」。この“静けさの象徴である太平洋”という言葉は、明治天皇の御製『よもの海 みなはらからと 思ふ世に など波風の たちさわぐらむ』を踏まえていると指摘した平山周吉さんの『昭和天皇“よもの海”の謎』がそれです。開戦を決める御前会議で、昭和天皇は明治天皇のこの御製を借りて、平和を望む御意志を表明した。にも関わらず、軍人たちに依って戦争は始められてしまった。更に、この御製を持ち出された天皇の意図も、明治天皇がそうであったように、「戦争は自分の志ではないが、事ここに至っては仕方が無い」と、戦争を容認することにあったのだと曲解されてしまった。そういう不幸な経緯があったと、この本には書かれています。昭和天皇はそのことを生涯気にされていて、だから“静けさの象徴である太平洋”という言葉を入れたのだろうというのです。そして心惹かれたのは、その直後の出来事です。昭和天皇がこのスピーチを始められると、不思議なことに、それまで曇っていた空に突如、太陽が顔を出したそうです。そして、スピーチが終わった途端、また厚い雲が空を覆った。その場に居合わせたアメリカ人の記者はその様子を見て、「やっぱり、天皇は太陽の子孫だ」と叫んだそうです。

私は、この一連の出来事が偶然ではないように思っています。その後、私も非常に神秘的な体験をしたからです。撮影が始まる頃、監督から「玉音放送は全文読めるようにしておいて」と言われていたので、撮影の合間に練習をしていました。ある日の午後、撮影までに時間があったので、滞在していた京都のホテルの裏にある小高い山に、練習の為に出向きました。比叡山の山並みが一望できる見晴らしの良いところです。山中は閑散としていますし、その日は曇りで天気が悪いから、誰にも会わずに済むだろうと出かけました。そして、玉音放送の文面コピーを片手に頂上で声を出して練習をしていると、曇っていた筈の空が俄かに晴れ、山に虹がかかったのです。俄かに信じ難いでしょうけれど、これは本当の話です。私は「言霊だ! 言霊だ!」と1人で興奮して、ホワイトハウスの前で起きたことは嘘ではなく本当にあったのだと、肌身で感じることができました。翌日は、神武天皇を祀っている橿原神宮での撮影でした。撮影も始まったばかりだったので、スタッフと共に御祓いもして戴きました。軍服を着た昭和天皇の出で立ちで、「ボーン、ボーン」という胸に染み入る銅鑼の音を聞いていると、玉音放送の練習中に虹を見たことと、この日、橿原神宮で撮影があったことは無関係ではなく、自分が順序立ててこの場所へ導かれた気がしました。普段は中々神社に行く機会など無い為、橿原神宮の清々とした空気に包まれて、尚更そう感じたのかもしれませんが、何か魂を吹き込まれた気がして、これでようやく昭和天皇を演じるに当たり、心の“拠り所”ができたように思いました。

遊び半分もあるのでしょうが、監督は現場で、私だけ、まるで天皇のように特別扱いをしてくれていました(笑)。山崎努さんを始め、他の出演者にも「本木にあまり話しかけるな」というお達しがあったそうです。私も出来るだけ自分を隔離して、独りの時間を過ごすようにしました。最初のうちは、お弁当まで皆と違うものが出されていたので(笑)、「それは止めて下さい」と断りました。事実、戦時下の天皇皇后は、「配給の分量は国民と同じにしてほしい」と仰られたそうです。皇后も自ら継ぎ接ぎした服を着ていたほど、国民と苦しみを分かち合うという姿勢を示されていた。「そのお気持ちに僅かでも近づかねば……」と思う日々でした。撮影は丁度『昭和天皇実録』が出た頃だったので、それを受けて、「何か新しいことを取り入れてみよう」という話になりました。そこで、貴誌の座談会を読んでみると半藤さんが、「昭和天皇が短波放送を聞いていたことが新発見だった」と語っていました。そこで原田監督に、「短波放送を聞いている場面を入れてはどうか」と相談してみました。半藤さんは、「昭和天皇は英語に長じておられたので、短波放送等で戦況を知り、国体護持の確信を得ていたのではないか」と分析しています。藤田尚徳侍従長の本の中にも、「長崎に原爆が落とされた翌日に天皇陸下に報告しようとしたところ、既にご存じだった」という記述があるんです。それも恐らく、短波放送を聞いていたからのことだったのかもしれません。そんなやり取りを経て、映画ではほんの一瞬ではありますが、昭和天皇が寝室で1人ラジオを聞き、その微かな音が漏れているというシーンが追加されました。こうして、監督と粘土を捏ねるように、天皇の像を作り上げていく過程を、悩みながらも楽しみました。

『坂の上の雲』では、近代化の坂を駆け上って行く明治日本を生き、今作では、存亡の危機に立たされたどん底の昭和日本を生きた。日本近代の栄枯盛衰を追体験した本木は現在、イギリスに住む。本木の目には、今の日本はどのように映るのか?

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今回の映画を通して、日本人には自分の心の内に則を決め、それを守っていく国民性があることを再確認できました。鈴木貫太郎さんは幼い頃、お菓子を貰ってきても直ぐには食べず、先ずは母親に差し出し、更に「おあがり」と言われても、親が手を付けるまで食べずに待っていた。このように、幼い頃から日常の細やかなことでも、自分を律する習慣があった。更に、貫太郎さんは海軍の教官時代、理論派で知能を育てた秋山真之と並び、兵学と道徳の体化を望んで、将兵たちの心を育てました。日本は極東にある島国です。敵の侵入が少ない分、互いに協調し、自分を律する心を持たないと萎えてしまう。逆に、それができたからこそ日本は発展してきた。但し、その使い方を間違えると日本人は暴走してしまうのかもしれません。司馬遼太郎さんは、日清・日露という勝ち難い戦争に勝ち、世界史の中でも非常に珍しい快進撃を遂げたにも関わらず、50年も経たぬうちに、今度は国家を滅ぼしてしまった日本の軍部の愚かさを嘆いていました。しかし、そんな中でも常に変わらずに、高潔な精神を持ち続けている方がいらっしゃった。無条件降伏か否か――御前会議が紛糾する中で、昭和天皇はこう聖断を下します。「この際、自分のできることは何でもする。私が国民に呼び掛けることがよければ、いつでもマイクの前に立つ」。8月14日の御前会議で、ポツダム宣言の受諾が決まりました。天皇は涙を拭い、全ての立場の人々を労わりました。ここに至るまでの天皇には、想像を絶する苦悩があったことでしょう。その全てを凝縮したシーンであったと思います。

もう1つ、今改めて感じているのは、日本人は目に見えないものの力を信じることができる民族なのだということです。同じ島国の日本とイギリスの国民性は、どこか似ている部分があります。イギリスは、嘗ての帝国として自分を強く打ち出していく性質はありますが、若かりし日の昭和天皇がジョージ5世と親交を深めた歴史ある王室があり、国民はその安泰を見守り、祖先から守られている安心感を得ています。今回、天皇を演じて思うことは、時代は政治が動かしますが、国はやはり家長である天皇の存在に依って守られているということです。心の内にあるものを大事にする。それこそが、日本を日本たらしめていることのように思います。そんな日本人に生まれたことは、本当に幸せなことだと感じています。


キャプチャ  2015年7月号掲載


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テーマ : 俳優・男優
ジャンル : 映画

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