【戦後70年・漂流する日本】(02) “国際主義の欠落”という病理

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戦後70年となる今年は、これまで日本が歩んできた道程を振り返る良い機会を提供している。安倍晋三首相は8月に、歴史認識に関する、所謂『安倍談話』を発表する見通しである。そこにどのような文言が含まれるべきか、国内では熱い議論が展開している。日本が“あの戦争”をどのように総括し、また戦後70年の歩みをどのように理解すべきか。依然として日本国内では、大きく異なった見解が分立している状況であり、これらを収束させるのは難しい。今年の2月には、『20世紀を振り返り21世紀の世界秩序と日本の役割を構想するための有識者委員会』、所謂『21世紀構想懇談会』が安倍政権の下で設置されて、専門家の様々な意見に耳を傾けることになった。私は外部有識者として、4月22日に行われた第4回会合に参加して、主として日英和解を中心に戦後の取り組みを紹介した。この有識者懇談会は、7月にその報告を発表することになっている。それを受けて、安倍首相が8月にどのような談話を発表することになるのか。国内外で大きな注目が集まっている。他方で、国会では安保法制を巡り、これまた激しい議論が展開している。与党が提出した平和安全法制に関連して、国会の内外で熱い論争が繰り広げられてい る。6月4日の衆議院憲法審査会で、自民党等各党推薦の3人の憲法学者が揃って安保関連法案を「憲法違反だ」としたことで、世論の流れも大きく変わった。これまでになく激しい批判が、政府に浴びせられるようになった。この2つの政治的争点、即ち歴史認識問題を巡る論争と安保法制を巡る論争は大きく異なるように見えるのだが、実際のところは同じ根で繋がっている。即ち、これらの問題は、世界における日本のアイデンティティーを考えて、国際社会で日本がどのような道を歩んできて、これからどのような役割を担うべきかということと深く関連しているのだ。

それでは、この2つの政治的な争点が、何故これほどまで大きな論争を齎しているのか? 何故、国民の間で幅広い認識の共有が得られないのか? 何が問題なのか? 今、政治の世界で熱く議論されている歴史認識問題も、また安保法制の問題も、日本人が本質的に国際社会の潮流を正確に認識できずに、独善的な正義を語ることがその問題の本質であると私は考えている。謂わば、国際主義の欠落こそが過去1世紀を振り返った時に日本が抱えていた宿痾であった。戦前の日本において、多くの人々は国際情勢がどのように動いているかを正確に理解することができなかった。そして、今もまた、安保法制を巡る日本国内の議論は、国際社会に通用しないような極めて奇怪で、視野狭窄な内容となっている。「集団的自衛権を行使可能とすれば、日本は徴兵制を取り入れざるを得ない」と論じる者がいるが、それでは何故、世界中の諸国が集団的自衛権を行使可能でありながら、徴兵制を廃止しているのか説明できない。RMA(軍事における革命)が進行してからの軍事行動は、IT化が進み、無人機も導入され、戦場で大量の兵士が戦闘をするようなものではなくなっている。軍事の素人である徴兵された日本人の若者が、海外の戦場で活動できるような場所は殆ど無いし、現場では邪魔なだけである。そのようなことは、安全保障の専門家の間では謂わば常識と言える。ヨーロッパでも、冷戦終結後に粗全ての諸国で徴兵制を廃止している。恰も、集団的自衛権行使が軍国主義に繋がるような議論がなされている。だがそれでは、行使可能としながらも平和国家としての信頼が高いノルウェーやカナダ等の諸国に対して失礼ではないか。また、ベトナム戦争の際にアメリカからの強い圧力がありながら、イギリスは南ベトナムへの集団的自衛権を行使することなく、派兵をしていない。




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また、「憲法9条を持つことであらゆる戦争を防くことができ、軍事力が不要である」かのような議論が見られるが、本当にそのように信しているのだろうか? ウクライナ東部で親ロシア派の無慈悲な攻撃を受けているウクライナ人たちが、自衛的措置を直ちに止めて無抵抗となれば争いを避け得るのか? 『ISIS』(別名:イスラム国)の残虐な戦闘行為の餌食となっているクルド人の女性や子供たちを守ろうと戦う兵士たちが、直ちに戦闘行為を止めて自衛的措置を放棄すれば平和な日々が来るのか? 私はそうは思わない。自らの身の危険を顧みずに、残虐な殺響から家族や友人を守ろうと武器を取って戦っている人たちを批判することはできない。また、そのような自衛的措置を取る人々に手を差し伸べて、彼らを支援することも価値のあることだと思う。因みに、戦闘をする人々に医療品や、安全確保の為の情報を提供する場合でも、これまでの内閣法制局の憲法解釈では“武力行使との一体化”として集団的自衛権の行使に当たり、違憲の疑いがあるということをご存知だろうか? 「他国に行って、他国防衛の為に戦争をする」ようなことがなくとも、内閣法制局は“集団的自衛権の行使”の一部に含めているのだ。攻撃の餌食となっている人々に人道的な意図から医療品や情報を提供することが、何故“戦争をする”ことになるのか? これまでの内閣法制局の憲法解釈は、国際社会の常識を無視した奇妙なものであった。そのような憲法解釈を変更することが必要だと私は考えている。

自衛隊と警察の存在に依って他国から侵略されることなく、テロが起こることもなく、平和や安全が護られている日本国内で、安保法制に反対するのは快適であり、簡単である。それに依って、道徳的優越感に浸るのも心地良いだろう。だが、そのこと自体がウクライナでの紛争を終結させる訳ではないし、中東でのISISの残虐な行動を止められる訳でもない。或いは、「アジアでの軍拡競争が平和を傷つけて、緊張を高めている」と主張するのであれば、アジアで最も強大な軍事力を持ち、攻撃型の兵器を最も数多く備え、最も速い速度で軍拡を進めている中国に向けて軍拡反対を言うべきではないのか? それに依って、中国の指導者たちが軍拡競争の危険を悟り、悔い改めて、軍縮と緊張緩和の為の努力へと向かってくれれば、間違いなくアジアの平和にとって資する筈だ。本当に世界平和を求めるのであれば、それなりの覚悟が必要である。人権や、人道支援や、難民保護、紛争後の平和構築の為の国際組織やNGOで、多くの人が危険と隣り合わせで汗をかいて努力をしている。偉大なことではないか。それらの人々が安全に支援活動を行えるように、国連PKOは世界各地に部隊を派遣して、その地域の安定の為に貢献している。日本国憲法が許す範囲内で、より積極的な貢献を行えるようにするのが、今回の安保法案の最大の目的であって、それを政府は“積極的平和主義”と呼んでいるのだ。

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昨年3月にASEAN7ヵ国(インドネシア・マレーシア・フィリピン・シンガポール・タイ・ベトナム・ミャンマー)で行われた対日世論調査では、「国際協調主義に基づく“積極的平和主義”の立場からの日本の安全保障政策は、ASEANを含むアジア地域の平和維持に役立つと思いますか?」という質問に対して、52%の人は「役立つ」と答え、38%の人が「どちらかというと役立つ」と答えている。何と、合計で9割の人が安倍政権が進める積極的平和主義を歓迎している。他方で、「あまり役立たない」と答えたのは3%で、「全く役立たない」と答えたのは僅か1%である。また、安倍首相はASEAN10ヵ国全ての国を訪問して、その際には日本の新しい安全保障政策と安保法制について説明をしているが、それに反対をしたり批判をしたりした国は1つもない。全ての国が歓迎をしている。安保法制を批判する人々は、自らの意見がASEAN諸国の大半の人々に共有されていないことを理解すべきだ。安倍政権が“積極的平和主義”に基づく安全保障政策を展開してから、日本に対する評価と信頼は向上している。先に紹介した世論調査で、「次の国のうち、最も信頼できる国はどの国ですか?」という質問に対して、最も回答が多かったのが日本の33%であり、アメリカの16%、イギリスの6%が続く。中国と答えたのは5%、韓国と答えたのは2%に過ぎない。東南アジアでどれだけ安倍政権の評価が高いか、理解できるだろう。若しも日本が本当に軍国主義となり、戦争ができる国になるのであれば、第2次世界大戦の最中に侵略と占領の犠牲となった苦い記憶を持つ東南アジア諸国の人々が、それを歓迎する筈がないではないか。結局、日本国内でしか通用しない主張が、現在においても幅広く見られるのだ。それは抑々、国際社会に対する無関心、そして国際社会で行われている議論に対する無理解を根としている。

通常、我々は戦前の日本が陥った問題の根源を軍国主義に求める。しかしながら、18世紀後半のプロイセン王国が強大な陸軍を擁する軍国主義国家として急速に発展し、19世紀後半のパックス・ブリタニカの時代のイギリスが覇権的な海軍力を擁していたことを、我々はあまり問題にしない。更には、戦後初期のアメリカは核兵器を独占し、太平洋と大西洋という2つの海を支配する圧倒的な軍事大国であった。それを批判する声もあまり聞こえない。というのも、軍事大国であることが、必ずしも平和の破壊に結びつく訳ではないからだ。軍事力は、良い目的の為にも悪い目的の為にも使える。悪い目的の為に軍事力を用いることが問題なのである。国民の生命を守る為、国家の主権を守る為、人道支援の為、災害復興支援の為、そして国際社会の平和と安全の為に、過酷な訓練を受けた軍隊が危険な任地で活動することは、寧ろ国連憲章の精神に適うものであって、讃えるべきことである。軍事力は、人の命を救うこともできれば奪うこともできる。我々は他国を侵略する為、そして人の命を奪う為に軍事力を用いることを非難すべきなのであって、軍事力そのものは非難すべきものではない。今、安保法制で議論をされていることは、「人の命を救う為、日本の国土を守る為、そして国際社会の平和と安定の為に自衛隊を活用できないか?」ということである。

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マックス・ヴェーバーは、今から1世紀ほど前に『職業としての政治』という短い書物の中で、政治における倫理を“心情倫理”と“責任倫理”に分けて説明した。人々が戦争を憎み、平和を愛するのは、言うまでもなく“心情倫理”に該当する。しかしながら、責任のある収治家は、そのようにして平和を願うだけでは十分ではない。責任のある立場で、実際に平和と安全を確保する為の努力をしなければならないのだ。それこそが“責任倫理”である。ヴェーバーは、次のように述べている。「この世のどんな倫理といえども次のような事実、すなわち、“善い”目的を達成するには、まずたいていは、道徳的にいかがわしい手段、少なくとも危険な手段を用いなければならず、悪い副作用の司能性や蓋然性まで覚悟してかからなければならないという事実、を回避するわけにいかない」(翻訳は脇圭平・岩波文庫)。日本人の多くは、このヴェーバーの力強い言葉に拒絶反応を示すかもしれない。何故ならば多くの人は、「“善い目的”達成の為には、“善い手段”を選ぶのが当然だ」と考えて、“道徳的に如何わしい手段”や“危険な手段”を用いることに躊躇するからだ。更に、ヴェーバーは次のように続ける。「この世がデーモンに支配されていること。そして攻治にタッチする人間、すなわち手段としての権力と暴力性とに関係をもった者は悪魔の力と契約を結ぶものであること。さらに善からは善のみが、悪からは悪のみが生まれるというのは、人間の行為にとって決して真実ではなく、しばしばその逆が真実であること。これらのことは古代のキリスト教徒でも非常によく知っていた。これが見抜けないような人間は、政治のイロハもわきまえない未熟児である」(同)。果たして、日本人はもう“政治のイロハも弁えない未熟児”を卒業したのだろうか? 或いは、平和を願うという“心情倫理”のみで現実の平和が到来すると考えているのだろうか?




何故、日本における議論はこれほどまでに視野狭窄となったのか? 国際的な常識を無視するようになったのか? それは、20世紀の国際政治の歴史を深く理解していないからではないだろうか? 国際情勢の潮流を理解できないこと、そして世界の動きを無視して自らの正義を語り、自らの利益に固執する国際主義の欠落こそが、日本が抱えていた最大の問題であった。国際社会を正確に理解することは難しいし、況してや急速に変転する国際情勢の潮流を適切に認識することは更に難しい。国際社会の潮流を理解する努力を怠り、自らの国内的正義が世界に通用すべきと横柄に語る姿は、戦前の日本の軍部の強硬派も、現在の日本の一部の平和主義者も大きな違いはない。戦後日本を代表する国際政治学者である高坂正堯は、その著書『国際政治』(中公新書)の中で、「日本には孤立主義的な体質がたしかにあって、そのため国際社会の変化への対応がおくれ気味であることは否定し難い」と論じている。そのような“孤立主義的な体質”という病理は、戦前の日本を戦争に導き、そして現在の日本で独善的な一国平和主義を生み出している。孤立主義には甘美な誘惑がある。他者を無視して自己の正義を語り、優越意識に浸る。そのような“孤立主義的な体質”は、戦前の日本外交を誤った方向へと導いた。そして、日本は国際社会と敵対するに至った。その悲劇的な結末は対米開戦であった。そのような戦前の日本の迷走は抑々、第1次世界大戦の世界史的な意味を深く理解しないことから始まった。

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今から1世紀ほど前に、破滅的な悲劇をヨーロッパ世界に齎した第1次世界大戦に依って、その後の国際社会は大きく変わっていった。人々は二度と戦争の惨劇に陥らぬように、確かな平和を希求した。強い信念と意志に基づいた平和への希望は、国際連盟創設へと帰結する。しかし、日本人の多くはそのような国際社会の潮流の変化にあまりにも無関心であり、無知であった。寧ろ、多くの人は「第1次世界大戦は参戦に依り自らの権益を拡張できる好機」と捉え、本格的に帝国主義的な政策を展開して、日本の勢力圏を膨張させようとしていた。開戦の際、元老であった井上馨は次のように語っていた。「今回欧州の大禍乱は、日本国運の発展に対する大正新時代の天祐にして、日本国は直に挙国一致の団結を以て、比天祐を享受せざるべからず」。ヨーロッパにとっての未曾有の悲劇であり、巨大な禍であったのに、日本人の多くはそれを“国運の発展の為の天祐”と捉えたのである。そこに、国際社会の大勢と日本との間に無視することのできない齟齬が生まれていた。それを高坂は、次のように語る。「戦前の日本外交の失敗は、国際政治に対する日本人の想定と国際政治の現実とのずれに根ざしていたのである」。そのような“ずれ”は、後に日本に悲劇を齎すことになる。更に高坂は、次のように続ける。「日本の政治家も国民も、平和への志向とイデオロギーという2つの要因が加えられることによって大きく変わった国際政治を正しく捉える想定をもっていなかった」。日本は第1次世界大戦後も、「パワーポリティックスと帝国主義のイデオロギーは不変であり、それに執着して外交を展開すべきだ」と信じていた。それは誤りであった。国際連盟の創設に依って、パワーポリティックスに一定の桎梏を加えて、更には民族自決のイデオロギーに依ってナショナリズムが台頭する契機となる重要性を、十分に理解できなかったのだ。

また、中国におけるナショナリズムの過激化が日本の対中政策を難しいものとしていき、更に国際連盟規約は日本の大陸での軍事行動に制約を加えていたことも、国際社会における新しい変化であった。若しも、当時の日本人の多くがそのような国際情勢の変化へ適切に対応していれば、日本は国際社会の中で孤立の道を歩むことはなかった筈だ。第1次世界大戦を経験した国際社会は、「軍事力を必要最小限まで縮小して、戦争に依って紛争を解決することを慎めば平和を確立できる」と考えるようになった。そのような議論を主導したのがアメリカのウッドロウ・ウィルソン大統領であり、彼の指導力に依って国際連盟が1920年に設立された。この国際連盟では、「軍事力に頼ることなく、国際世論や経済制裁に依存して戦争を防ぐことができる」と考えた。また、国際連盟が導入した集団安全保障体制においては、軍事的制裁が含まれることはなかった。ウィルソン大統領は、「同じような意識と同じような目的を持って統一して行動した時に、我々は共通の利益へ向けて行動し、共通の保護の下で自らの生命を守り、自由に生きることができるのです」と述べていた。これが集団安全保障の精神である。このようにして、国際連盟体制の下では一国単位で国家安全保障を考えるのではなく、国際社会全体で平和と安全を守ることが望ましいと考えられるようになった。また、軍事力こそが戦争の原因であって、軍事力を必要最小限の水準まで縮小することが義務付けられた。1928年には、歴史上初めて戦争を違法化する『ケロッグ=ブリアン条約』が合意されて、これに依って永久平和が確立すると考えられていた。

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ところが、そのような平和は脆くも崩れ落ちた。それを壊したのは日本であった。1931年9月の『満州事変』の際の軍事作戦に依って、日本は国際的な規範や国際法を無視して、自らの勢力圏を拡張したのである。日本は国際安全保障の論理、集団安全保障体制を傷つけて、自らの正義と利益を最優先して戦争へ進んでいった。日本の軍事行動に依って、国際連盟に依る集団安全保障体制は崩れていった。連盟創設に尽力したイギリスの政治家のセシル卿は、「国際世論と経済制裁のみで平和を維持できる」と考えた自らの姿勢を悔いて、次のように述べた。「私は、非難や訴え、或いは国際世論の力だけで平和を維持するという希望は、全て捨てた。これらの力は、国際問題に関して大きな影響力を持ってはいるが、嘗て強力な国家が決意した戦争を防止することに成功した試しはなかった」。その後も、ムッソリーニのイタリアはエチオピアを侵略し、ヒトラーのドイツはポーランドを侵略し、スターリンのソ連はフィンランドを侵略した。それらの一連の侵略は、弱者が強者の餌食となり、十分な防衛力を持たない国が自国国民の生命を守れない現実を明らかにした。これらの教訓から、国際連合では軍事的制裁や集団的自衛権の条項を導入して、十分な軍事力に依り戦争を抑止することで、平和を求めるようになる。

ところが、ベルギーのような小国では、ナチスドイツやスターリンのソ連が擁する巨大な軍事力に対抗することは難しい。抑々、べルギーは「国際法上の中立の地位に固執することで、平和を維持できる」と考えていた。「対立するどちらの陣営にも加担することなく、中立の立場を宣言していれば、我が国を敵視するものはおらず、侵略されることはないであろう」――謂わば、国際社会の善意に依拠して、自国民の生命を守ろうとしたのだ。ところが、第1次世界大戦でも第2次世界大戦でも、ドイツはベルギーの中立という国際法上の地位を尊重することはなかった。ドイツは飽く迄も、軍事的な効率性と必要性から作戦を立てたのであり、一々べルギーの有する国際法上の地位等に気を遣うことはなかったのだ。このような経験から、ベルギーの政治指導者はそれまでの立場を改めることになった。十分な軍事力が無ければ、自国の国民を守れないのだ。しかし、べルギーだけでは十分な軍事力を備えることができない。それ故、ベルギーの首相であったポール=アンリ・スパークは、自らが指導力を発揮して、1948年のブリュッセル条約に依り『西欧同盟』を形成し、更には1949年には『北大西洋条約』に依って『大西洋同盟』を形成することになった。NATO加盟国のべルギーは、冷戦時代も冷戦後も、二度と侵略を受けることはなかった。このような現実を見て、東ヨーロッパ諸国の多くがNATO加盟を求めるのは当然である。他方で、NATOに加盟できなかったウクライナが、ロシアからの圧力に依り自国領土であったクリミアを失い、更には親ロシア派の武装勢力に依る攻撃を受けて、多くの国民の生命を奪われている。20世紀の国際政治の経験から、多くの国は「一国単位でなく、他国と協調する中で集団的に平和と安全を維持できる」と考えるようになった。それはまた、其々の諸国が相互の不信感から個別的に軍事力を強化して、軍拡競争へと進むことを防ぐ為の最良の措置でもある。それ故に、国際政治学者のカール・ドィッチュは、大西洋同盟を見てそれを“安全保障共同体”、更には“不戦共同体”と呼んだ。集団的自衛権を軍国主義や戦争と結びつける思考は、明らかに20世紀の国際政治の経験を無視した思考であって、また国際社会の潮流を理解しない議論と言うべきである。

それでは、現在我々は正確に国際情勢の潮流を理解しているのだろうか? そのような適切な理解に基づいて、安保法制や歴史認識を語っているのだろうか? 戦後70年を迎えた今年、日本が20世紀の世界で歩んだ道程を再考することは、そして世界の中での日本の位置を捉え直すことは、重要な意味を持つ。20世紀の世界における日本の道程をもう一度しっくりと考える為に、この度私は『戦後史の解放Ⅰ 歴史認識とは何か-日露戦争からアジア太平洋戦争まで-』という著書を上梓した。そこでは、「何故、日本の正義が世界で通用しないのか?」、更には「何故、日本の歴史認識が屡々国際社会の中で問題となるのか?」を深く考えて、その結論として、日本における国際主義の欠落に注目した。日本が国際社会の潮流を正確に理解できないことで、これまでどれだけの悲劇を生み、どれだけの不利益を齎したのか。それを深く理解する為にも、もう一度20世紀の歴史を振り返ってみる必要があると考えた。また暑い夏が来た。静かに、深く、20世紀の歴史を考える又と無い機会ではないだろうか? そして、国際的な視野から20世紀の歴史を捉え直すことで、歴史認識問題も安保法制の問題も、よりバランスが取れた視点で語ることができるようになると期待したい。


細谷雄一(ほそや・ゆういち) 慶應義塾大学法学部教授。1971年、千葉県生まれ。立教大学法学部卒。バーミンガム大学大学院で修士号(国際関係学)、慶應義塾大学大学院で修士号・博士号(法学)取得。著書に『大英帝国の外交官』(筑摩書房)・『倫理的な戦争』(慶應義塾大学出版会)等。


キャプチャ  2015年8月号掲載


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テーマ : 戦争
ジャンル : 政治・経済

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