【東京情報】 最後の終戦記念日

70回目の日本の終戦記念日が巡ってくる。我々外国人特派員も特集の執筆にかかっているが、今回は戦後日本と戦後ドイツを具に観察してきた歴史学者のN教授から話を聞いた。「私は昭和1ケタ生まれなので、戦前の日本を知っています。また、1960年代には西ドイツに留学している。言うなれば、両国の敗戦後の状況を観察する機会に恵まれた訳です」。現在80代のN教授は続ける。「1945年8月15日の終戦の日、私は大阪にいて国民学校の5年生でした。因みに、国民学校はドイツの影響で尋常小学校から制度を変えたものです。ドイツでは小学校を“フォルクスシューレ”と呼びますが、それに倣い、当時の日本の小学生は“少国民”と呼ばれていました。このように、ナチスドイツの影響が強かったのです」

30代のベルギー人記者が質問する。「先生は当日何をしていたのですか?」。N教授が頷く。「今となっては、どういうルートで連絡があったのかわかりませんが、学校に行き、直立不動の姿勢で『堪え難きを堪え……』という天皇陸下の詔勅(玉音放送)を聞きました。当時は粗末な鉱石ラジオだったので、声が潰れていてよく聞き取れず、『大変なことが発生した』ということだけわかった。家に戻ると弟が、『兄ちゃん、日本は負けたんだよ』と言った。凄く悲しくなったのを覚えています。軍国教育を受けてきた私たちは、『階下の為に玉砕を選ぶのが“男の道”だ』とずっと信じてきたのです。私に限らず、当時の小学生は皆、軍国少年でした。だから、いきなり『負けた』と言われても実感が湧きませんでした」。ベルギー人記者が質問を続ける。「周囲の人たちの反応は?」。N教授が目を瞑る。「父親は呆然としていましたね。その日の晩は、『空襲が無くなったのだから、黒いカーテンで明かりが漏れないようにしなくてもいいな』と思ったのを覚えています。敗戦をはっきり認識するようになったのは、戦時中に使っていた教科書にGHQの指示で墨を塗らされた時です。また、戦時中の“修身”という授業が、戦後は“公民”に変わった。国定教科書の“日本の歴史”は“くにのあゆみ”に変わり、『豪く砕けた言葉だな』と驚きました。戦時中の国民学校は“男女7歳にして席を同じうせず”という考えでしたが、戦後は急に共学になった。つまり、小学生の生活ですら大きな変化があったのです。日本人は敗戦で卑屈になり、進駐軍のアメリカ人に『ハロー、チューインガム、プリーズ』と菓子を強請るようになった。私だってやったことがありますよ」




フランス人記者が、珍しく言葉を選びながら慎重に質問した。「オレの国では、第2次世界大戦はナチスの記憶と密接に繋がっている。先生は、日本と同じ敗戦国であるドイツをどのように見ていますか?」。N教授が再び目を瞑る。「ヒトラーが恋人のエヴァ・ブラウンと自殺したのは1945年4月30日です。無条件降伏は5月7~8日。日本より早いんです。また、日本はアメリカ軍の単独占領でしたが、ドイツはアメリカ・イギリス・フランス・ソ連の4ヵ国占領です。日本人はアメリカに対して自旗を揚げた意識しかありませんが、ドイツ人は4ヵ国に負けたと思っています」。日本とドイツでは戦後処理も違う。日本は台湾・朝鮮半島・関東州(中国)等の領土を失ったが、これらは日清戦争後に獲得したもので、歴史は浅い。一方、ドイツは15世紀頃から開拓した古くからのドイツ領を失った。そこに住んでいたドイツ人は、100万人単位で追放されている。日本の占領政策は“3つのD”、ドイツの占領政策は“4つのD”と呼ばれる。“Demilitarization(非軍事化)”“Decentralization(非集中化=財閥解体等)”“Democratization(民主化)”で、ドイツには“Denazification(非ナチ化)”が加わる。また、日本は1951年に吉田茂がサンフランシスコ講和条約に調印したが、ドイツには今日まで明確な講和条約は存在しない。これは東西に国が分裂した為だ。N教授が同意する。「敗戦翌年の1946年11月3日に日本国憲法が公布されます。ドイツには憲法が無く、1949年5月23日に公布されたドイツ連邦共和国基本法がそれに当たります。この時間差が、両国のその後に大きな影響を及ぼしました。日本国憲法が制定された時は冷戦の予感もなかったので、日本の武装解除を行った。一方、ドイツ連邦共和国基本法ができた頃は、ソ連の支援に依る中華人民共和国の誕生等、緊張が高まりつつあった。そこで、アメリカ・イギリス・フランスはドイツを味方に引き入れて、ソ連に対する弾除けにしようと考えたのです」

冷戦下の日本は憲法9条がある為、再軍備ができなかった。しかし、朝鮮戦争が勃発し、マッカーサーの要求に依り『警察予備隊』ができた。これが現在の『自衛隊』に繋がる。対して、ドイツは冷戦の深刻化の中、「早く西ドイツを再軍備させないと危ない」という“追い風”を受けていた。それで、1949年に『西ドイツ』として独立し、1955年に半ば迎えられるような形でNATOに加盟した。ドイツは東西統一こそ遅れたが、再軍備は早期に達成したのだ。フランス人記者が顎鬚を撫でる。「ドイツは今や、敗戦国であることを殆ど感じさせない。宿敵だったオレの国とも関係は改善している。アデナウアーとドゴールが新たな友好関係を築いたんだ。一方、日本はアメリカとは仲が良いが、中国や韓国・北朝鮮等の近隣諸国との関係は最悪だ。それで、必要以上に“平和”を口にしなければならない状況に追い込まれている」。N教授が目を開いた。「戦後の日本の拙い点は、明治以降の歴史を若い世代にきちんと教えていないことです。歴史には良い面と悪い面があります。その両方を教えるのが教育でしょう。日本には、アジアを白人から守るという目的もあった。次の戦後80年の機会には、戦争経験者は殆どいなくなる筈です。私も恐らく死んでいる。そういう意味で、今回は日本人にとって“最後の終戦記念日”になる筈です」 (S・P・I特派員 ヤン・デンマン)


キャプチャ  2015年8月13日・20日号掲載


スポンサーサイト

テーマ : 戦争
ジャンル : 政治・経済

Categories
Profile

KNDIC

Author:KNDIC
Welcome to my blog.

Latest articles
Archives
Counter
I'm participating in the ranking.

FC2Blog Ranking

information
Search
RSS Links
Link
QR Code
QR