【日曜に想う】 長宗我部の遺恨、四百余年の今

夏を彩る『よさこい祭り』が終わって、自民党高知県連の桑名龍吾幹事長(52)は一段とジリジリしてきた。「参議院議員選挙まで1年を切ったのに、何とも身動きし難い」。参院史上初の合区に依って、高知は徳島と同じ選挙区にされた。両県連が候補者を立てて譲らず、党本部の調整に持ち込まれた。「どちらの県の候補が公認を得るかで、話が違ってくる。高知の候補に一本化されたら、私らは徳島に入り込んで県議さんを訪ねて回ります。逆も大変。前代未聞の戦いです」。合区されたとはいえ、政治風土も言葉遣いも異なる。徳島県内の有権者は「高知の候補? 応援する気にならんね」、高知の人も「どうせなら愛媛と合区したかった」。散々である。こんな不仲で合区選挙は上手く運ぶのか? しっくり行かないのは何故か? 「土佐と阿波がギクシャクするのは昔から。1つには、廃藩置県の頃の恨みがある。高知に併合された悔しさが今に語り継がれています」と徳島県立文書館の徳野隆課長補佐(55)。維新直後の明治9年(1876年)から約4年間、南四国は纏めて高知県とされた。徳島は一地方扱いされ、県議会は阿波と土佐で紛糾した。

もう1つは、戦国末期の遺恨である。今から400年以上前の1582年、土佐の長宗我部元親が阿波を攻め、掌中に収めた。徳島県立博物館の長谷川賢二学芸員(52)に依ると、土佐側はこれを「阿波平定」と誇るが、阿波は違う。「長宗我部の兵乱」「侵入」と呼ぶ。今でも徳島には、「あの家は長宗我部系だから付き合わない」と隣家を指さす古老がいるそうだ。長宗我部は豊臣に屈し、阿波を3年で手放す。その後、徳川に敵対して滅ぼされる。1615年のことだ。「あの滅び方を含め、土佐人にとって元親は特別。打って出る時の決断力、中央に対する反骨等、リーダー像を辿ると元親に行き着く」と高知県立歴史民俗資料館の野本亮学芸員(52)。400年の節目の今春、同資料館の玄関にはファンの寄付で元親の像が据えられた。「元親の大河ドラマを」とNHKに促す署名集めも進む。徳島側は冷たい。「何故あんな悪党を……」




扨て、両県の人々が合区を語る時、必ず話題に上るのは夏の高校野球・南四国大会のことだ。2県に与えられた甲子園出場枠は1つ。1978年に1県1校となるまでの約30年間、5年毎の例外を除き、高知商・徳島商等が潰し合った。「南四国大会で自県が負けたら、熱が冷めるのが人情。『2県の代表なんだから応援せい』と言われても、所詮は隣県。身が入りませんでした」。県議や郷土史家が口を揃える。駆け足ながら、2県を回って確信したことがある。南四国大会に敗れた野球ファンと同じような有権者心理が、来夏の参院選を左右しかねないことだ。高知や徳島の自民党は、これまで市町村毎の党支部を回転させて戦ってきた。だが、合区選挙では同じようには運ばない。自民か非自民かという政党軸より、土佐か阿波かの郷土軸で動く保守層が必ず続出する。その規模は、頼みの党市町村支部にも予測できない。今回合区された島根・鳥取、高知・徳島には、「小県故、生贄にされた」という恨みが残った。他の地方でも人口減少が止む兆しは無く、一票の格差は直ぐまた違憲状態に戻る。その度に国会は、摘まんでは寄せる小県の合区を重ねていくつもりだろうか? 公明党等が提出した案に従えば、合区があり得るのは次の16県だ。秋田と山形・山梨と長野・富山と岐阜・石川と福井・奈良と和歌山・香川と愛媛・佐賀と長崎・大分と宮崎。多くは、何らかの抗争を経た旧敵同士だ。血で血を洗った合戦相手もある。数字合わせの安易な合区が、鎌倉や室町に遡る数百年の恨みを各地で順に呼び覚ます。同時に、自民の地方組織を土台から傷めていく。 (特別編集委員 山中季広)


≡朝日新聞 2015年8月16日付掲載≡


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テーマ : 政治・地方自治・選挙
ジャンル : 政治・経済

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