南京・慰安婦論争…本当の敵はアメリカだ――歴史の解釈を変えられないアメリカ、説得の為の“ロジック”とは?

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昨年、朝日新聞が、吉田清治が語った済州島における“慰安婦狩り”なるものが全くの虚構であることを認め、謝罪した。多くの人は「何を今更」とは感じたものの、大新聞が「吉田証言が創作であり、それを前提にした記事も過ちである」と公式に認めたことは重要だ。ところが、日本に対する謂われ無き非難は一向に収まる気配を見せない。日本に謝罪と賠償を要求する韓国の態度は相変わらずである。それだけではない。アメリカのメディア(特にリベラルを標榜する新聞各紙)が日本政府(安倍政権)の検証の動きを強く牽制している。『慰安婦問題』における理不尽な韓国の主張に対するアメリカの加担は、日本国民の間にアメリカへの失望感を生む。その思いをアメリカにはっきりと伝える作業は重要である。漠然としたアメリカへの不信感が、制御不能な嫌米感情に悪変する前に、日本の感情を伝える努力を惜しんではならない。ただ、その為の作業は、ロジカルな主張として“堂々と”したものであることが求められる。そして、その“ロジカルさ”は“一般的アメリカ人”の論理的な思考回路でも消化でき、且つ納得できるようなものでなければならない。日本人の心情をアメリカに伝える作業は簡単ではない。長期戦を覚悟する必要がある。筆者は、その戦いの第一歩は、“歴史修正主義”とは何かについて、日本人自身がしっかりと把握しておくことだと考えている。この用語が、必ずと言っていいほど日本批判の道具となって使われているからである。

“慰安婦”問題についての安倍政権の態度をアメリカメディアは批判していると書いたが、その見本のような記事が昨年末の『ワシントンポスト』(2014年12月8日付)に掲載された。当該記事には、『日本の歴史書き換えの悪癖はその未来に(悪)影響を齎すか』の見出しが付いていた。「日本は過去を忘れようと懸命だ。安倍晋三首相は、わかる者にはわかる言葉を使って、『日本は先の大戦の犠牲者だ』と言い始めた。影響力ある保守系の新聞は、その意を受けて、日本が戦時中に性奴隸(sex slaves)を使っていた過去を無かったことにしようとしている。【中略】日本の(歴史を書き換えようとする)態度は、日本の犠牲になった国、特に中国と韓国を刺激し、不安にさせている。日本の歴史修正主義者たちは過去を書き換えようとしている。(隣国は)それがこれからの将来にどういう影響を齎すかと、不安気に見ている」(翻訳及び下線筆者)。この執筆者は、調査報道で名の知れたリチャード・コーへンというべテランジャーナリストだ(1941年生まれ)。こうした論調が、アメリカ言論界の主流である。調査報道が得意な彼に“慰安婦問題”の真実を探ろうとする姿勢があれば、“慰安婦”と称する女性たちを“性奴隷”と表現することを躊躇う資料は容易に手に入る筈だ。例えば、ビルマで捕虜になった“慰安婦”からのアメリカ軍に依る聴取調査報告書(United States Office of War Information, Report No.49)にでも目を通せば、少なくとも“性奴隷”等という言葉を使うことに躊躇いを感じなくては可笑しい。しかし、当該記事にはそのような資料に当たった気配は無い。筆者は、現代日本(人)を貶める謂われ無き中傷に反論する為には、アメリカのジャーナリズムが何故そのような態度を取るのかを先ず理解することから始めなくてはならないと考えている。そのヒントとなるキーワードが“歴史修正主義”だ。元々、“歴史修正主義”という言葉にはネガティブな意味は無かった。文字通り、従来の歴史解釈を批判的に検証し、改める態度である。それが(殊にアメリカにおいて)ネガティブな響きが込められるのは、第2次世界大戦以降のことなのだ。




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嘗て、アメリカには“モンロー主義”という外交方針があった。「ヨーロッパ諸国をアメリカ大陸の政治に介入させない。同時に、アメリカもヨーロッパの揉め事には干渉しない」と決めたジェームズ・モンロー(第5代大統領)の外交方針である。ジョージ・ワシントンもトーマス・ジェファーソンも、“温和なる中立(benign neutrality)”――即ち“非干渉主義”こそがアメリカの国是だと見做していた。建国の父たちの知恵が正しかったことを、アメリカ人自身が痛い目に遭って思い知らされたのが、第1次世界大戦への参戦だった。あの戦争の原因は、現在の歴史家でさえ説明できていない。オーストリア皇太子暗殺事件以降、何度も外交交渉で落としどころが見つけられる場面があった。それにも拘らず、ヨーロッパ諸国はまるで「夢遊病者が歩くように」(クリストファー・クラーク)戦争を始めてしまったのである(Christopher Clark, The Sleepwalkers, Allen Lane, 2012)。イギリスの参戦決定も最後まで迷走した。しかし、ウィンストン・チャーチルらの強硬派が対ドイツ戦争に舵を切らせた。イギリスは、「ドイツ帝国(ヴィルヘルム2世)の外交と軍拡は世界秩序を乱す」「ドイツ兵は、ベルギーでは赤子や幼児まで殺している」「ドイツ人は、ゴリラの如く野蛮である」等といったドイツを徹底的に貶める宣伝戦を始めた。アメリカの参戦を訴える為であった。その結果、モンロー主義の伝統を破って参戦を決めたのがウッドロー・ウィルソン大統領であった。ウィルソンは第1次世界大戦を、「ヨーロッパの平和を乱した責任はただドイツにある。巨額な賠償金を課し、その軍事力を削ぎ落とせば、ヨーロッパには平和が訪れる」と説明した。戦争の責任を全てドイツに押し付け、民族自決とは程遠い国境の線引きを決めた戦後処理(ベルサイユ会議)は、次の大戦の種だけを播いて終わった。黒人も日本人も差別していたウィルソンが、実効性のある戦後体制を作れる筈もなかった。

アメリカ国民は、ベルサイユ体制の不自然さに直ぐに気付いた。早くも、ベルサイユ会議の翌年(1920年)7月には歴史家のシドニー・B・フェイが、「あまりに安易に全ての責任をドイツに押し付けた」とウィルソン外交を批判した。「いま歴史家が手にすることのできる証拠に鑑みれば、先の大戦の責任はドイツ及びその同盟国にあり、とするベルサイユ条約で下された判決はごまかしである(unsound)。歴史の書き換えが必要となった(should be revised)。そうはいっても戦勝国に広がった(ドイツだけが悪者だという)公式解釈は簡単には変わらないだろう。まず学者が歴史を修正し、それが広範な世論にならなければならない」(『世界大戦の起源』1928年・下線筆者)。フェイは、歴史を修正することに善悪の価値基準を介入させていない。「間違った歴史解釈は正される必要がある」という歴史家の素直な考えを述べているに過ぎない。フェイの解釈は歴史専門家だけでなく、一般国民にも次第に浸透した。そして、アメリカ国民は再び同様のケースに直面することとなる。1939年9月、ドイツのポーランド侵攻だった。フランクリン・ルーズベルト大統領(FDR)はヨーロッパの戦いに参戦したかったが、80%を超える国内世論の反対で身動きが取れなくなっていた。アメリカ国民の大多数が、フェイやそれに続く歴史家の訴えた歴史修正を受け入れていたからである。しかし、ルーズベルトは再びヨーロッパ紛争に介入した。第2次世界大戦後も、フェイと同じようにルーズベルト外交を批判する歴史家は直ぐに現れた。その筆頭がジョン・フリンである。彼はその書『ルーズベルト神話』(John Flynn, The Roosevelt Myth, Fox & Wilkes 1948年)の中で、ルーズベルトの実施したニューディール政策の失敗を詳述し、その政策実行に当たっていた社会主義思想を持つ官僚群を批判した。「彼らが生み出した巨額な財政赤字。大統領府に権限を集中させ、議会を軽視する全体主義的政治姿勢。政敵を葬り、その一方で自身を支える政治家や官僚を手懐ける手口。親族のビジネスが有利になるように、大統領権限を行使したネポティズム。スターリンに手玉に取られた密約(ヤルタ会談)で、東ヨーロッパをソビエトに“差し上げてしまった”取り返しのつかない外交的敗北――ソビエトを民主主義国家陣営と勘違いした明らかな失敗だった」と、フリンはルーズベルトの愚かさを余すところなく暴いた。

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フリンの主張は、現実の世界情勢の中で強い説得力を持った。東ヨーロッパは忽ち共産化し、フリンの書の出た翌年には中国も共産化し、朝鮮半島では共産軍との戦いを実質アメリカ一国で戦わざるを得なくなった。しかし第2次世界大戦後、そうした歴史批判は強く否定された。「民主主義国家(連合国)vs全体主義国家(枢軸国)の戦いであった」というルーズベルト大統領(=政府)の公式説明に疑いを持つことが、まるで犯罪であるかのような空気が出来上がったのである。フェイがウィルソン大統領の外交を自由に批判できたことが嘘のようだった。そして、政府解釈に疑義を呈する歴史家に貼られたレッテルが“歴史修正主義者”だったのである。ルーズベルト外交を少しでも批判的に語れば、その研究は妨害された。政府資料の閲覧不許可・出版社への圧力・著者への誹謗中傷・出版された書は無視――学問の自由とは程遠い、醜い状況が生まれたのだった。アメリカらしからぬ空気の醸成には、主流に属する組織も一役買っている。『ロックフェラー財団』も『スローン財団』も、“歴史修正主義者”の研究には決して資金を出そうとしなかったし(Revisionism and the Historical Blackout, Mises Institute, February 17, 2010)、アメリカ外交に現在でも強い影響力を持つ『外交問題評議会(CFR)』も、ルーズベルト外交を批判的に解釈する“歴史修正”を拒否した。クリントン元大統領、コンドリーザ・ライス元国家安全保障問題担当補佐官、スーザン・ライス元国連大使らは皆CFRの会員である。政治家だけでなく、リチャード・ブッシュ3世のような東アジア外交立案に関与する立場にいる研究者もメンバーである。CFRが如何に大きな影響力を持っている組織かよくわかる。「政府が決めた歴史解釈以外認めない」という態度は、それまでのアメリカには馴染みのないものであった。

アメリカの言論空間は、何故こうした状況に陥ってしまったのか? これを理解しておくことは重要である。筆者は、「FDRの外交政策があまりに愚かだったからである」と考えている。ヨーロッパの戦いへの不介入を公約としたFDRは、大統領任期は最長2期8年の不文律を破って、史上初の3選を果たした(1940年)。彼はソビエトを“友国”として扱い、スターリンを徹底的に援助した。米・英・中・ソの4ヵ国で分割統治すれば、世界に平和が訪れる――その途方もなくナイーブな外交政策の結果が、“孤独な世界の警察官”という惨めな現実であった。彼の外交は、見事なほどに間違っていたのである。大戦終了後の僅か4年後には中国に共産党政権が生まれ、その翌年(1950年)には『朝鮮戦争』が勃発した。アメリカの危機感がどれほどのものであったかは、この年に作成された『国家安全保障会議(Natonal Security Council)』機密文書『NSC68号』を見れば明らかである。「このままクレムリンの支配下に入る地域が増え続ければ、彼らとの戦いに、我が国と同盟を組む相手さえいなくなるだろう。この危急の時期にあって、我が国はまだ優勢にある。アメリカ国民は立ち上がらなければならない。我が国が直面している危機はわが国の存亡にかかわるだけではない。文明そのものの将来がかかっている。われわれはいまあれこれ考えている余裕はない。アメリカ政府と国民は断固とした態度で運命的な決断を下す時に来ている」(Stephen Kinzer, The Brothers: John Foster Dulles, Allen Dulles, and Their Secret World War, Times Books, 2013, p96-97)。これが、ルーズベルト外交が齎した情けない現実であった。

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そんな中で、「FDRは愚かだった。ヨーロッパ大陸の戦いも、太平洋方面の戦いも、アメリカが参戦さえしなければ局地戦で終わった戦いだった。30万の戦死者と70万の戦傷者を出したあの戦いは不要だった」と歴史家に批判されたら国が持たない。そういう厳しい現実に曝されたのである。そこで、第2次世界大戦の在り方を批判的に語る研究には“歴史修正主義”のレッテルを貼り、歴史解釈に善悪の価値判断を導入することで極端に単純化させ、冷静な学問的批判までも封じ込めた。筆者は昨年、ルーズベルトを激しく非難した彼の同時代の政敵だったハミルトン・フィッシュ元下院議員の書『ルーズベルトの開戦責任』(草思社・原題は『FDR, The Other Side of the Coin』)を翻訳・上梓したが、原書の出版は1976年であった。ルーズベルトの死(1945年4月)から30年以上が経っていた。更に、ハーバート・フーバー元大統領もルーズベルト外交を厳しく批判していたが、それを公にせず世を去った。彼のルーズベルト批判の草稿を纏めた『裏切られた自由(Freedom Betrayed)』が出版されたのは2011年である。この書は未だに邦訳が出ていない。このように、余裕を失ったアメリカの窮余の策が“歴史修正主義(者)”批判だったのである。このレッテル貼りを指導した特定の個人がいるとは思えない。恐らく、時代の空気がそのような動きを後押ししたのだろう。いつ果てるともない東西冷戦の中で、「歴史修正主義を許さない」ことがアメリカの“国是”になった。現在、中韓両国が仕掛ける『南京虐殺事件』と『慰安婦(売春婦)問題』は、アメリカの“国是”を利用した外交戦争なのである。日本の“南京虐殺”や“慰安婦性奴隷”説への反論に、アメリカは激しく反発することを中韓は知っている。しかし、アメリカがその“誤った国是”に固執することは、アメリカ自身の為にもならない。東西冷戦は遠い過去のものになった。日本は、アメリカの自縄自縛からの解放を助ける重要な役割を担っている――そのようにポジティブに考えるべきなのだ。

遠回りになってしまったが、日本はこの歴史戦争をどのように戦うべきなのか? アメリカの歴史解釈の流れを語ったのは、そのことを考えずに、前記2つの歴史問題の虚構性を真正面から訴えても、アメリカの“国是”の前に簡単に撥ね付けられてしまうからである。では、如何なる方法で日本の主張を発信していくべきなのだろうか? 言うまでもなく、歴史家の叙述は飽く迄も過去の記録や証言を基にしての“確からしい記述”でしかない。一次資料であるとされる日記にも、後で誰かに読まれることを想定した悪意の記述もある。現場にいた人物でさえ思い違いもあるし、利害関係があれば敢えて嘘を語ることもある。従って、歴史家はできるだけ多くの資料を検討しながら、そこから浮かび上がった“確からしさ”に基づいて歴史叙述するしかない。法律用語を援用するなら、“証拠の比較衡量基準”(証拠の優越基準、Preponderance of Evidence)に沿って、過去の事件を描写するということである。相反する記録等を丹念に読み解き、その上で自ら信ずる歴史解釈を提示する。歴史家にできるのは、この作業だけである。それでは、2つの大きな歴史問題――“南京虐殺”と“性奴隷としての慰安婦問題”は一体どのような記述がなされているのだろうか? 『慰安婦問題』については、既にワシントンポストの記事を紹介した。一方の『南京虐殺事件』については、イギリスの歴史家であるニーアル・ファーガソン(1964年生まれ)の『世界の戦争』(邦訳は『憎悪の世紀』・早川書房、The Warof the World, Penguin Press, 2006)が参考になる。ファーガソンは、2004年に『タイム』誌が世界で最も影響力のある100人に選んだ歴史家である。同書には“強姦”とタイトルされた節があり、5ページ半に亘って日本軍に依る凄惨な強姦の悪行が描写され、「凡そ5週間半で26万人の民間人が殺された」と書いている。また、南京攻略戦の過程で報じられた“百人斬り競争”が事実として語られている。ファーガソンに常識があれば、「1日当たり6500人も殺した後に、死体はどうしたのか?」「何故、虐殺が始まっても20数万の市民は先を争って逃げなかったのか?」「写真は残っているのか?」等の疑間が湧く筈である。しかし、彼がそのような作業をした形跡は無い。テーマである“憎悪の歴史”を補強するには、格好の“残虐事件”だったからである。

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例をもう1つ挙げる。中国人作家のユン・チアンの毛沢東の評伝(邦訳は『マオ 誰も知らなかった毛沢東』・講談社、MAO:The Unknown Story, Knopf, 2005, p207)にある一節である。「南京でとんでもない虐殺があった。民間人・捕虜併せて30万人が日本軍により殺されたと推定されている。毛(沢東)はこの事件についてその時点でもその後も何も語っていない」。チアンのこの書は、毛沢東の非道ぶりがテーマであり、“日中戦争最大の悲劇であった事件”に毛沢東が何の感情も示さないこと――つまり、彼の冷酷さを描く為に“南京虐殺”を取り上げたのである。“30万人虐殺”は、彼女にとってはアプリオリな歴史的事件である。「2ヵ月足らずで30万人を殺すことがあり得るのか?」「若しそんなことがあれば、動機は何か?」「何故、南京だけでそんな事件が起きたのか?」等という疑問は浮かばないらしい。筆者は、「歴史家は過去の事件や人物を断罪する場合には、十分に慎重でなくてはならない」と考えている。自説を補強する為に、都合のよい事件を無批判に使う手法を取らないよう戒めながら執筆している。しかし、歴史描写は先に書いたように“証拠の比較衡量”の作業であるだけに、歴史の裁判官にも相当する歴史家が証拠の存在を知らなかった、或いは知っていても無視してしまえば、都合のよい証拠だけで歴史的事件や人物を断罪することは容易である。残念ながら、これが歴史学の限界なのである。上記のように、プロパガンダとしての歴史記述も歴史学の限界として避けられないと納得してしまうことは、“敗北主義”として非難されるかもしれない。しかし、繰り返しになるが、歴史記述が飽く迄も“証拠の比較衡量”であり、歴史家自身が裁判官であるという歴史学の本質がある以上、何とも仕様がないのである。




『南京事件』も『慰安婦問題』も、日本を貶めることに何らかの利益を感じる勢力に依るプロパガンダに依って真実が大きく捻じ曲げられていると考える歴史家にとっては、比較衡量の材料となる新たな証拠を提示したり、根拠となっている証拠に対して疑義を提示していく作業を地道に続けていく以外に方法はない。30万人という数字は、1日に8000人近い民間人や捕虜の殺戮に相当する。これだけの数の人間を殺し、死体を処理することが可能か? 況してや、少なくない西洋人カメラマンの目を盗んでそれを実行しなくてはならない。その上、これだけの大量殺戮を見ても逃げ出そうとしない民間人などいるのか? こうした疑問を提示し続ける他ないのだ。南京事件に詳しい東中野修道教授らに依る南京事件の証拠写真の分析(『南京事件証拠写真を検証する』・草思社)で、証拠とされる写真そのものにも捏造があることが既に論証されている。こうした研究成果を発信する作業も重要だ。先に紹介したニーアル・ファーガソンの書には出典が示されているが、そのうちの1つは日本軍兵士だった東史郎という人物の証言である。「支那人の女は下着をつけていない。ズボンのようなものを紐で結んで留めているだけだ。我々は紐をほどき彼女たちの下腹部をみた。その後やってしまえと次々に強姦した。強姦した女は必ず刺し殺した。死体は何もしゃべらない」。ファーガソンが引用した証言の主である東史郎は、中国からの帰還兵で組織した『中国帰還者連絡会(中帰連)』の幹部である。中帰連は中国政府のプロパガンダ組織の性格が濃厚な団体であり、東の主張は名誉毀損裁判でも退けられているが、ファーガソンの書には東の思想的背景は一切示されていない。それに対して、東史郎なる人物は善意の証言者ではなさそうだという疑問を提示することには、大きな意味があるだろう。

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ここまでの記述で明らかなように、歴史学の基本は“証拠の比較衡量”に依る記述である。ファーガソンのような歴史家と論争する為には、彼の解釈に疑義を生む証拠を提示したり、論拠となっている証拠や証言の不自然さを指摘していく以外にない。しかし、ファーガソンの描くような歴史観を実際の行動に移すとなるとそうはいかない。つまり、大虐殺記念館や“慰安婦”像なるものを作ったり、日本に謝罪や賠償を求めたりする場合には、“証拠の比較衡量基準”では不十分だ。より厳しい基準である“合理的な疑いの無い証明基準”を満たすことが必要なのである。法律学では、この2つの基準の存在は基礎知識に属する。“証拠の比較衡量基準”は民事事件に、“合理的な疑いの無い証明基準”は刑事事件に用いられる原則である。要は、「事が重大な場合には、“1つでも”合理的な説明がつかない疑問があれば推定無罪だと考える」という法理論である。これは、人間がこれまで積み上げてきた英知なのである。日本では、歴史論争の場合にこのような基準を念頭に置いて議論することは殆ど無い。しかし、アメリカではこのような基準の存在は一般人もよく知っていて、歴史論争にも援用される。例えば、「ルーズベルトが真珠湾攻撃を事前に知っていたか?」というテーマを例に取ろう。フランクリン・ルーズベルト大統領は、参戦に反対する80%の国民世論の前に身動きが取れなかった。その為、日本を刺激することで真珠湾攻撃を仕掛けさせ、謂わば裏口からアメリカの参戦を実現させたとする歴史家も多い。こうした考えを“陰謀論”として否定し、そのような主張をする学者を“歴史修正主義者”と罵り軽蔑するアメリカ歴史学会の主流に属する人々が、“合理的な疑いの無い証明基準”を使っているのである。

陰謀論者と言われる歴史学者の提示する証拠は極めて多く、確からしさも秘めている。それに対し、主流派の言い分は「日本がどれほどルーズベルト政権の経済制裁で苦しんでも、真珠湾を攻撃する必然性は無い。石油が欲しいのであれば、蘭印だけ攻撃すればよかった」「日本が真珠湾を攻撃しても、ルーズベルトにできることは対日戦争だけであり、本当の狙いと言われている対独戦争はできなかった。それができたのは、飽く迄もヒトラーが対米宣戦布告したからである」という2つの点に収束してきた。つまり、新たな証拠の提示や歴史修正派の出した証拠への反論ではなく、“合理的な疑問”の提示に移行して対抗しているのである。このように、アメリカ歴史学の主流派は“合理的な疑いの無い証明基準”を当然のように利用する。その理由は、「アメリカ大統領が真珠湾を無防備のままで攻撃させて、自国の兵士を見殺しにしたのではないか?」という主張が極めてシリアスであるからだ。事が重大であるからこそ、当然になされるべき判断基準の変更なのであり、上に挙げた2つの合理的疑問に明確な答えが出るまでは、「ルーズベルトは裏口から対ドイツ戦争を仕掛けた」という糾弾には推定無罪なのである。『南京事件』や『慰安婦問題』も“極めてシリアスな問題”である。シリアスであるだけに、「この問題の解釈と判断には、“合理的な疑いの無い証明基準”を用いるべきである」とアメリカの歴史家やジャーナリストに訴えることは当然であり、彼らはそれに同意せざるを得ない。ここが極めて重要である。アメリカ側にどれほど確からしい証拠を提示しても、“証拠の比較衛量基準”で判断されれば、先に示したファーガソンやチアンのような結論になってしまうからである。従って、歴史プロパガンダ戦争の基本は、「シリアスな弾劾については“証拠の比較衡量基準”ではなく“合理的な疑いの無い証明基準”を適用すべきだ」というところから出発しなくてはならないのである。

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現在の歴史プロパガンダ戦争の情勢は、日本にとって劣勢であることは間違いない。『慰安婦問題』については、漸く日本国内の論争では吉田清治の証言が捏造であること、“慰安婦”なるものが実は“キャンプフォロワー”と呼ばれる戦時売春婦であり、決して性奴隷等ではないことがはっきりしてきた。しかし、『南京事件』については日本は無防備過ぎた。先に紹介したように、欧米の著名な歴史家もそれが確立された事実のように書いている。厳しい現実ではあるが、「『南京で26万人から30万人の虐殺があった』と主張するには、“合理的な疑いの無い証明基準”が適用されるべきだ」との主張を通すことができれば、その虚構性を訴えることはそれほど難しいことではない。ここで、日本では殆ど知られていない資料を紹介したい。「南京で何らかの事件があったらしい」と聞いたアメリカの駐日大使館付駐在武官が南京を訪れた報告書(1938年5月16日付)である。この報告書は、東京のアメリカ大使館付武官のキャボット・コーヴィル(Cabot Coville)に依る個人的備忘録で、報告書の体裁ではない。当時の駐日大使であったジョセフ・グルーから国務省極東部長であったスタンレー・ホーンベックに宛てた極秘(STRICTLY CONFIDENTIAL)文書に添付されたものである。グルー大使はコーヴィルの見聞を「偏見無しで読んで頂きたい」とホーンベック部長に書いているだけに、「報告書の体裁にするような二次加工はしないほうがよい」と判断したと思われる。コーヴィル武官の出張期間は4月16日から5月5日となっていて、4月20日に上海から揚子江をイギリスの砲艦『ビー』で遡行し、南京に向かった。南京には翌々日の22日に到着した。コーヴィル武官は3日間に亘って南京市内を視察した。この短い見聞で、「日本軍が略奪強姦の限りを尽くした」と書いている。従って、この報告書は一見すれば南京で虐殺があったことを示す重要な証拠になりそうである。しかし、“合理的な疑いの無い証明基準”を適用すれば全く証拠価値が無いだけでなく、寧ろ“虐殺事件”の存在を疑わせる報告書になるのだ。

先ず、コーヴィル武官の報告は粗全てが伝聞証言に基づいている。例えば、4月25日のメモは次のようなものだ。「(大使館員の)アリソン君によれば、12月12日以来南京にやってきたアメリカ人の総数は私を含め34人である。西洋人全体ということならおよそ50人である。この数字は(揚子江に碇泊する)米英の砲艦の士官も含む数字だ」「日本兵の略奪と強姦は数週間続いた。アリソン君は1月6日午前11時に南京に戻り大使館を再開したがその頃が最も(暴虐行為が)激しかった頃だった。その後次第にそうした行為は減っていった。2月11日は日本の祝日で、松井(石根)将軍による兵士への訓話があった。この後(暴虐行為は)ほとんどなくなった」。ナイーブな歴史家であればこのような描写をそのまま信用するだろうが、実はこれは全て大使館員だったアリソンからの“伝聞証言”なのである。シリアスな事件を裁く場合の“合理的な疑いの無い証明基準”に照らせば、伝聞証言は証拠価値が無い。コーヴィル武官は伝聞であることの弱さを知っていたらしい。「この証言は実に説得力があり、議論の余地は無さそうだ」と態々書いている。コーヴィル武官がどのように感じようが、“伝聞には証拠価値は無い”。つまり、コーヴィル武官が4月22日に南京に現実に入っているにも拘らず、伝聞証拠しか得られなかったことが重要なのである。南京には、戦闘員や戦闘に巻き込まれた民間人の死体が多かったことは事実である。1938年2月末までに、凡そ5000が埋葬処理された。紅卍字会(赤十字社に準ずる組織)は、3月から1日当たり600体を埋葬している。揚子江沿岸にあった死体は、川に流して水葬にした。揚子江を遡行して南京に入ったコーヴィル武官は、埋葬作業も水葬の現場も流れている筈の大量の死体も見ていない。つまり、死体処理の作業は終了していたことがコーヴィル武官メモで確認できる。

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そうなると可笑しなことになる。3月初めから4月22日の間に埋葬できる遺体数の合計は、600体×53日で僅か3万1800体であり、これに2月末までに埋葬された5000体を加えても4万体に届かない。「26万人から30万人が虐殺された」と主張する歴史家は、20万以上の死体の処理を説明できない(恐らく、彼らには物理的に死体を処理する作業がどれほど困難かについて思いを巡らすことができないのだろう)。日本兵に依る強姦についても、伝聞に依る、首を傾げずにはいられない描写がある。「ドイツ人やアメリカ人が日本兵の強姦の現場をみて兵士を女から引き離したこともあった。(民間人)ランフィア君によれば中国兵による強姦も多かったらしい。しかし女たちは同族の男たちを日本兵よりは嫌っていなかった」(下線筆者)。同族に依る強姦なら許せるのだろうか? このことだけでも、この記述が如何に証拠価値が低いかわかる。また、このような伝聞を平気で書けることから、コーヴィル武官は日本に対して強い偏見を持っていることがわかる。そのような人物でさえ、伝聞ではあるが中国兵が自国民を強姦した書いていることが意味を持ってくるのである。

最後に、筆者の歴史戦争についての考えを纏めたい。歴史学者は飽く迄もその良心に従って、「正しいらしい」と信じたことを書いているに過ぎない。つまり、歴史学の記述のベースとなるのは“証拠の比較衡量基準”なのである。それが歴史学の限界である。それだけに、衡量する裁判官(歴史家)に依って解釈が違ってきても致し方がない。筆者は、「南京で26万人或いは30万人の虐殺があった」と主張する歴史家を軽蔑はするが、彼らの著作物を止めることはできない。本稿のような反論に触れることに依って、読者自身が判断するしかないと考えている。しかし、日本に対して謝罪や賠償を求めたり、或いは記念館と称する建造物まで作ったりする行為に対しては、日本政府は中国や韓国に対して“合理的な疑いの無い証明基準”を満たすことを要求すべきなのである。中国・韓国国民は聞く耳を持たないだろうが、少なくともアメリカの一般国民は、例えば「20万人以上の死体がどのように処理されたかについて合理的な説明がつかない以上、南京での虐殺事件は無かったと見做す」と日本が主張すれば、そのロジックを理解できるのだ。アメリカの歴史家が、ルーズベルトの陰謀論を否定するロジックを南京事件に応用すれば足りるのである。


渡辺惣樹(わたなべ・そうき) 日米近現代史研究家。1954年、静岡県生まれ。東京大学経済学部卒。『日米衝突の萌芽 1898-1918』(草思社)で山本七平賞奨励賞。『朝鮮開国と日清戦争 アメリカはなぜ日本を支持し、朝鮮を見限ったか』、訳書に『アメリカはいかにして日本を追い詰めたか』(共に草思社)等がある。


キャプチャ  2015年春号掲載


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